003

 ホームルームが終わり、簡易清掃をしてから僕は、三階の最果ての教室、美術室にむかった。

 僕は創作部の部長である。

 部員は三年間僕一人。

 この高校に入学したての時、墓守先生に半ば強制で入部させられ、一年の時から一人きりで活動を行なってきた。

 活動内容は、生徒や先生からの創作依頼を受け、働くだけ。

 『だけ』と言ってもかなり大変な依頼もある。

 例えば、部室の看板を作ったり文化祭のポスターや文芸部の部誌の表紙のデザインなどだ。立体工作でも平面のデザインでも基本請け負う。中には二月十四日のバレンタインに、男子に渡すチョコレートの制作を頼まれたこともあった。ふざけるなと言いたい。

 美術室の戸を開けると普段僕が勉強をしている机に、墓守先生は足を組んで座っていた。「机に座るな」と過去に本人に言われたことがあったので腑に落ちない。

 スマホを片手に、買い置きしていた塩味のポテトチップスをボリボリ食べている。

 僕に気づいた墓守先生はスマホをスリープさせ、チップスを二、三枚まとめてつまみ口の中に放り込んでから口を開いた。

「遅い」

「ごめんなさい」

 僕は急いで来た、と口答えしても意味がないことはわかっていたのでとりあえず謝っておいた。ここまで誠意のない謝罪は珍しい。誠意もなければ意味もない。

「ところでなんの要件なんです?また【図書だより】ですか?」

「違う違う、今日は創作依頼じゃない」

 となると。

「ラーメンでも行くんですか?」

「別に行きたいならこの後連れてってやるけど違う」

「いいんですか」

「――内緒だからな」

 本当に良い先生だ。

 別に奢ってもらえるわけではないのだろうが嬉しい。

 墓守先生のことなので、もしかしたら逆に奢らされるかもしれない――本当に良い先生だろうか。

「じゃあなんだろう。あ、結婚するんですか?」

「いや、まだ彼氏もいない。できたら古城には報告するよ。――それで、本題だが」

 僕の戯言を優しく退けて、先生は一度深呼吸してから、真面目な顔を作って言った。

「微睡淀を学校に連れてきてくれ」

「――嫌ですよ」

 僕は反射的に拒否する。

 微睡淀。

 この低入江高校で最も名の知られた生徒のうちの一人だった。

 容姿端麗、成績優秀。有名にならないわけがなかった。タチの悪い伝統だけが残った低入江高校において彼女の存在はまさに空前絶後。あそこまでの完璧超人に、僕は今まで出会ったことがなかったし、今後出会える可能性は限りなく少ないだろう。人のことを言えたことではないが、微睡淀という変わった名前もその認知度の要因の一つだった。

 それも全て過去形である。今年になってから彼女は一度も登校していないらしい。登校拒否を続けている。いわゆる不登校。

 理由は、人間関係かと考えられる。というかそれ以外に考えられない。学校に来なくなる理由を挙げろと言われたら、人間関係以外だとパッと思いつくものはないかもしれない。学費が払えないということも最近ではあまりないだろう。

 そう、だから単純に、成績優秀の人間が学校に来たくなくなる理由なんてそれくらいしか思い浮かばない。

 微睡はその優れたスペックへの妬みや恨み、ひょっとしたら怒りなんかを買いやすいのだろう。思春期真っ盛りの高校生の嫉妬ほど怖いものはないと、僕は思う。墓守先生とのやりとりを見られたときのクラスメイトの反応といったらそれはもう恐ろしかった。冗談抜きで殺されるかと思った――それは冗談だ。

 まあ、理由はともかくとして、僕が微睡を学校に来させるというのはすこし、いや、かなりおかしい。

 来たくないから来ないのだ。

 僕が手助けをするのは来たいけど来れない場合のみ。意思なきものに強制するのは骨が折れるだろうし、ほとんど関わりのない、冴えない男子が自宅に迎えに来たら、微睡も快く思わないだろう。僕だったら余計篭りたくなる。いや、異性だから僕はアリかもしれない。

 僕はじっくり考えてから再び断りの言葉を口にした。

「無理ですね。そもそもそれは創作部の範疇を遥かに凌駕した依頼です」

 僕の言葉を聞き、少し考えるように目を瞑ってから、納得したのかふむふむと頷く墓守先生。

 少し心が痛かった。墓守先生の頼み事だとなんでもOKしてしまいそうになるのだが、今回の件は辞退で正解だろう。

「仕事片付けてくるから一時間後駐車場で…いや、お前はチャリ通か」

 油のついた手をぺろぺろと舐めながら立ち上がる先生。

「あ、今日は朝自転車を貸してしまったので徒歩です」

 今度は本当に忘れていたので、素の反応だ。

「貸してしまった?誰に」

 先生が手を止める。

「道に倒れていたOLです」

「お前な…」

 先生は呆れたようにため息をつくと、せっかく油を舐めとった指で残っていたチップスをまとめて僕の口に突っ込んで来た。

「うわっ、なんですか!」

「うるさい、食え」

 指に涎がつかないようにそれを口で受け取る。

 なかなか、めちゃくちゃ美味しかった。

 先生はパーティ開きしていた袋を畳むように丸めて五メートルほど離れたところにあるゴミ箱に投げ捨てる。

 先生のこの行動には流石の僕も赤面した。心臓もだいぶ高鳴っている。

「じゃ、私の車の近くで待ってろ。待たせたら殺す」

 教師にあるまじき台詞と行動だが、僕はそんな墓守先生が大好きだった。

 少し貯めてから僕は返事をする。

「承知しました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る