一八、大喧嘩
その後、僕は秀平くんから六組で起こった騒動について聞かされた。端的に言うと、喧嘩だった。泉くんと江川くんの大喧嘩。いや、最終的には泉くんがほとんど一方的に殴っていたらしい。泉くんは軽いかすり傷程度だったが、江川くんは鼻血が出てあちこちにあざができて腫れているため、異常がないか確認に病院に行ったそうだ。
思った以上に大事件で驚いた。同時にどうしてそんなことにという呆れや怒りの感情も出てきて、僕は僕でさっきの出来事があったから心の中は混線を極めていた。
翌朝のホームルームで先生から昨日の事件について報告があった。江川くんは三日、泉くんは一週間の謹慎処分となった。先生は今回の件を愚かな行為だと非難し、いかに暴力がいけないものかを語った。でも正直まだ事態の急転を飲み込めない僕は、聞いていても内容が頭に入らなかった。
「それから宮野、あとで話を聞かせてもらう」
最後に川西先生が宮野くんを呼び出した。その二人の揉めるきっかけに宮野くんが関わっているのだろう。泉くんは僕に江川くんのことを訊いてきたぐらいだからあまり面識はなかったはずだ。
休み時間、ウラダイに会いに行った。江川くんと同じクラスで教室にいたなら、より詳しい経緯を聞けると思ったからだ。
六組の教室の前で廊下の窓にもたれながら並んだ。ウラダイは神妙な顔で話し出す。
「昨日のことね。ああ、教室にはいた。一部始終見てたよ。……やばいな、泉って。あんな怖いのか」
ウラダイは怯えた様子でそう零した。
「泉くんは、怒ってたの?」
「ああ。相当。急に泉が扉をバンッて開けて教室に入ってきたかと思うと、江川の前に行って怒鳴って。俺の筆箱はどうした、とか」
泉くんは宮野くんが江川くんに筆箱を渡したと思ったのか。
「それから何か手に持って突きつけてた。こういう……紙みたいな」
ウラダイは指で長方形を描く。
「紙?」
思わず聞き返す。
「たぶんな。泉の悪口でも書いてあったんじゃないか? これは何だって怒ってたからな。江川は知らねえよみたいな感じで笑ってたが、とぼけてたんだろうな。なめたことしやがって、と凄んでた」
どんなことが書いてあったのだろう。
「だんだん泉が宮野のことを馬鹿にするようなことを言い始めて。宮野は虎の威を借る狐なだけで自分が強いと勘違いしてるただの逃げ腰野郎だ、みたいに」
頭を抱えた。煽りすぎだ。さすがは泉くん。
「江川も友達を貶されたから巻き舌で怒って、泉の胸ぐらを掴んだ。で、もうドンパチ」
ウラダイはこぶしを突き合わせる。なるほど、どういう流れで喧嘩に発展したのかおおよそ把握できた。
「まあほとんど泉が圧倒してたんだがな。音がやばかった。パンチも蹴りも」
ウラダイがこぶしを突き出して真似する。
「滅茶苦茶一発が重そうだった。あの江川が手も足も出ないなんてな……。はーやばかった」
感嘆の声を漏らすウラダイに、僕はポケットからあるものを出して見せた。
「ねえ、さっき言ってた紙って、こんなの?」
ポチ袋のように折ったノートだ。ウラダイは目を丸くして指を鳴らした。
「それだ! でもなんでかっきーが持ってるんだ? あっ、何て書いてあったんだ?」
興味津々なウラダイを手で制す。
「ううん、これは違うんだ。中身は……」
中を広げて見せる。ウラダイは肩を落として鼻で笑った。
「ぷっ、何だよそれ。可愛いな」
僕も目を細める。そう、これには笑ってしまうようなしょうもないことが書いてあるだけだ。
僕は首をさすって想像を深める。
……二択だね。
教室に戻ると宮野くんが近づいてきた。思わず身構える。
「ゆうちゃん。ちょっといいか」
外を指差される。またか。
教室を出ると宮野くんは窓際に真っ直ぐ向かい、もたれかかると腕を組んだ。廊下で話すのか。てっきりまたあの場所に行くのかと思った。
「何の話?」
手を後ろに組んで、まずは出方を窺う。
「そう硬くなるなって。……まあ無理もないか」
宮野くんは決まりが悪そうに首をかく。
「昨日は悪かったな」
いきなりそう謝られて目が点になる。
「いろいろ言い過ぎたし、やり過ぎた」
「……急にしおらしいね」
宮野くんは「はは」と笑った。
「川西に注意を受けたんだ。泉に対して悪口を言って怒らせただろうって」
「ああ、呼び出されてたね」
宮野くんは苦笑いを浮かべて視線を横に向けた。
「信じてもらえないだろうが、こんな大ごとになるとは思ってなかった。ここまで怒らせるつもりはなかった」
「つまり、軽い冗談のつもりだったと?」
「……まあ、そんなところだ」
宮野くんの言いたいことはわかったのでそう汲み取ったが、信じるわけではない。
「けっこうお互い様な部分もあるだろ? だから、これからはお互い平和に行こうぜって話だ。泉にもそう伝えてくれ。からかって悪かった、とも」
宮野くんが握手を求めてきた。差し出された手をためらいながら握った。
拍子抜けするほどあっさりとした和解だ。あの舌戦は何だったのかとなるぐらいに。あとから冷静になるのはよくあることだけど、それにしてもだ。
急に態度を変えた理由は、先生の注意もあるだろうけどそれより、泉くんが江川くんを喧嘩で負かしたことが大きいのではないか。「喧嘩番長」なんて言われるぐらいのやんちゃな男を圧倒したんだ。宮野くんも彼を本気で怒らせたら痛い目に遭うと思った。泉くんに接する僕にも強気な態度は取れなくなった、のかな。
そうだとしたら、泉くんは見事に有言実行を遂げたことになる。因果応報という言葉をわからせた。そして自分の問題を解決した。「誰の助力も必要としていない」と言った通りに、一人で。
いや、まだ鵜呑みにはできない。あの宮野くんがそう簡単に大人しくなるとは信じられない。
去り際、ぽつりと耳元で呟かれた。
「なあ、悠太郎。……お前なのか?」
僕は首をひねった。
「何が?」
宮野くんは目を瞑り、首を振った。
「いや、何でもない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます