一七、舌戦

 宮野くんの眉間に皺が寄る。

「学級委員長として僕の器が足りてないことはわかったよ。でもそれと泉くんに関わるなって話はまた別の問題でしょ」

 一歩後ろに下がって距離を取りながら、手振りをつけて言う。理屈をこねる泉くんと話しているからかな。こういうロジックにある程度耐性がついたみたいだ。


 宮野くんは腰に手を当てて「いいや、関係のある話だ」と反論する。

「泉は自分勝手な厄介者で周りに疎まれている。そんな人間とつるむ人間もその同類と見なされる。それがよりによって学級委員長だっていうのはクラスの信用問題に関わる」

 なるほどそう来るか。「信用問題に関わる」なんて言葉、よく出てくるね。


「へえ。宮野くんは学級委員長がクラスにおいてそんなに大事な存在だと思ってたんだ? 意外だなー」

 煽るように驚いてみせると、彼の表情が歪んだ。効き目あり。さらに続ける。

「だけど残念なことにこんな僕みたいな甘々人間が二組の学級委員長でしょ。元々信用なんてないんじゃない? いまさらその交友関係がどうなろうと何も変わらないと思うけど」

 自虐を含んだカウンターだ。どう応戦する?


「それは暴論だ。自分が適任じゃないからといって投げ出していいことにはならない」

 うん、その通り。真っ当な意見だ。むしろ信用されるようにがんばらないといけない。

 ただ僕はその先の言葉を引き出したいので、押し黙る。宮野くんは待てというように手を前に出した。

「大体俺は別にゆうちゃんを委員長失格だと言ったわけじゃない。勘違いさせたな。あくまでニモの問題に関しての向き合い方が良くないと言っただけだ。普段のお前の人柄の良さや友好的な姿勢は褒められるべきことで、クラスを支える大事な素質だ。そう僻むな。自信を持て」

 宥めるようにして言われた。


 笑みが零れる。そう、そういうことを言ってほしかったんだ。

「よかった。人柄は良く思われてるんだ。でもおかしいな……」

 僕は顎に手を当てて疑問を呈する。

「それならどうして泉くんと友達になりたいと思う気持ちをここまで責められないといけないんだろう?」

 同情を誘うように振る舞う。

「何も悪いことをしてるつもりなんかないのに……」

 ぼやく演技をする僕を前に、宮野くんの声に苛立ちが混じる。

「だから、悪いのは泉だ。あいつの性格が悪いから嫌われる。誰も悠太郎を責めてるわけじゃない。ただ心配してるんだ。悪い奴と付き合うなって」

 全て泉くんが悪いと。


 そこまで押しつけるのはちょっと無理があるんじゃないかな。

 宮野くんに不満げな視線を向けて言う。

「僕は別に泉くんのこと嫌いじゃない。口が悪くて尖ってるから嫌いになる人がいるのはわかるよ? でも僕は友達になったら面白いと思った。反対に、泉くんをからかって怒らせる周りにむっとしたよ。酷いなって」

 彼の表情からはすっかり余裕が失われ、怒りが噴き出ていた。

「性格が悪い人が嫌われるなら、嫌がるあだ名で呼んだり困らせて怒らせるような人も嫌われることになる。……僕は君を嫌わないといけないね、宮野くん」


 ドンと大きな音が鳴った。激昂した宮野くんが壁を蹴って威嚇してきたのだ。おっかない。

「その前に俺が怒ることになるが、いいのか?」

 もう怒ってるじゃん。

 僕は手を上げて喧嘩の意思がないことを示す。

「ごめん、いまのは意地悪な言い方だったね。ただ泉くんだけが悪者にはならないとわかってほしくて」

 過激なことを言っただけあって、何とか口論をイーブンに持っていくことができた。このタイミングで正論を説き、片を付ける。


「人を嫌いになるのは仕方のないことだと思う。どうしても許せない部分とかあるもんね。泉くんを嫌わないでとは言わないし、言えない。でも嫌いだからって何しても許されるわけじゃない。傷つけていい道理はない」

 反論は来ない。

 宮野くんは確かに口が立つ。でも今回は舵の切り方を間違えた。そう誘導した部分もあるけど、宮野くんは泉くんに関わるのは僕のためにならないという方針で話を進めてしまった。学級委員長として振舞うには甘すぎる、と正論で追い詰めるまでは良かった。でも彼は正義を振りかざせる立場じゃない。泉くんとの関わりを断たせる正当な理由なんてないのに、言い聞かせることなんてできないよ。


「宮野くんさっきすごく良いこと言ってたよね。適任じゃないからって投げ出してはいけない。その通りだ。だから僕も力不足かもしれないけど、説得するよ。宮野くん、もう泉くんにちょっかいをかけるのはやめてほしい」

 目を合わせて真摯に訴えかける。結局僕にできることはこういうストレートな説得だ。


「おいおい、随分な扱いだな。俺たちをそんな悪者にして、薄情じゃないか」

 宮野くんは目を細めて口を挟む。そう簡単に聞き入れてはくれないか。

「こっちは泉の態度に腹を立ててそうなってるんだぞ。なのに泉には好き勝手させて、俺達には泣き寝入りしろと?」

 口元が引きつる。さすが、痛いところを突かれた。泉くんに非がないとは言えないので、一方的に被害者面をすることはできない。


「そんなに泉くんの態度気に入らないかな? けっこう面白いと思うんだけど」

 僕は腕を組んで首をかしげる。

「話を逸らすなよ、悠太郎。どうなんだ?」

 宮野くんが薄ら笑いを浮かべて追及する。とぼけるのはだめか。

「お互い様でしょ。泉くんだって周りが突っかかってくるから刺々しくするのかもしれない」

「説得力が落ちてるなあ、悠太郎。ニモはそんな人によって態度を変える奴じゃないだろう?」

「……」

 宮野くんの言葉に飲まれそうになる。このまま流れを渡してはいけない。


「そっちこそ『俺たち』なんて言ってるけど、率先して趣味の悪いいたずらを仕掛けるのは君だ。君はいつも楽しそうにそういうことをする。その行為は正当化できないでしょ。からかって遊んでるだけだ」

 宮野くんは高らかに笑い声を上げた。背筋に寒気が走る。

「ははは。まあな。それは認めざるを得ない。ぶっちゃけると、俺は人を弄ぶのが好きなんだ。人形遊びするみたいに、上から操って動かすのが」

 下品な含み笑いを浮かべてそう言い放った。不快さから眉根が寄る。

「楽しくて仕方ない。特にニモみたいな我の強い奴をへし折るのは」

「じゃあ僕は君個人に訴えかけるよ。そんなのやめろって」

 怒りで思わず荒い言葉遣いが出てきた。


「なら俺はこういう手段を取らせてもらう」

 宮野くんは学ランの上着の膨らんだ左ポケットから黒い物体を取り出した。見せつけられ、顔をしかめる。

「ニモの筆箱だ。お前があいつと手を切らないなら、俺はこれをそこから外へ捨てる」

 宮野くんは廊下の向こう、コンクリート塀を指して言った。本当にずる賢い人間だ。それをするために持ち去ったのか。


「これは見せしめだ。お前がうんと言わないなら、これからこういうことがずっと続くことになる。友達思いのお前のストレスは大変なことになりそうだな。いいのか?」

「……」

 姑息な。

 売り言葉に買い言葉で宮野くんと真っ向から対立する形を選んだのは僕自身だが、いざこうしてはっきりとロックオンされると身がすくむ。


 でもここまで来たら意地だ。泉くんを裏切るつもりはない。

 こぶしを固く握り、口を開く。

「好きにしなよ。君がその筆箱を投げ捨てるなら僕は取りに行くまでだ。壁を越えてね」

 言ってしまった。壁、ちゃんと乗り越えられるかな。正門から堂々と出る度胸はないし。


 これから、どうなるかな。泰斗や誠也たちともう友達でいられないかもね。迷惑はかけられない。

 宮野くんが険しい顔で首をひねった。

「……俺のほうがわからないな。あいつの何がお前にそこまでさせるんだ?」

「特別な理由がないと、友達になっちゃいけないの?」

 僕はそう訊き返す。

 どうしてそこまでと言われると自分でもはっきりとはわからない。でも自分の行動は決して間違ってないという確信はある。後悔する気はない。


 そのときだった。上の階で大きな悲鳴が上がった。二階は僕たち二年のクラスだ。ざわめきを感じる。何事だ。

 宮野くんも何が起こったのか気になるようで、ちょっと悩む間があってから溜め息をついた。

「……急に面倒になってきた」

 そう呟いて僕に筆箱を投げた。

「おっ」

 運動神経が悪いと思ったことはなかったが、反射神経は悪かったらしい。咄嗟のパスに対応できず僕は泉くんの筆箱を落としてしまう。


 宮野くんはそれを見て大きな笑い声を上げた。

「取れよ、大事なら」

 宮野くんはそう言って、ポケットに手を突っ込み廊下を歩いていく。

 僕はしばらく呆然と彼が階段のほうへ消えていくのを見ていた。


 騒動も気になるけど、最後の宮野くんの笑顔はどんな意味が含まれていたのだろう。馬鹿にしていた、のだろうか。でも嫌な笑い声ではなかった。

 ——急に面倒になってきた。

 ——取れよ、大事なら。

 僕の願望かもしれない。でも何となく、その投げやりなセリフが「勝手にしろ」と言っていたように聞こえた。

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