五、平穏に過ごすのが何より
一連の騒動を見ていた周囲がざわめく。
「え、何いまの」
「泉帰ったって。やばいね」
「喧嘩? 柿原と泉が?」
「何か柿原は川西先生に泉のこと任されていたみたい」
「無理でしょ……」
みんな憶測を交えて話を膨らませている。もちろん僕が担任の川西先生から泉くんのことを任されたなんて話はない。仲良くなろうと話しかけたのは他でもない自分の意志で、泉くんが勝手にそう解釈しただけだ。
……いや、さっき、何か変だったよね。
「大変みたいだなあ、ゆうちゃん」
不意に肩に手を置かれ、驚いて振り向く。いつの間にか宮野くんが僕のそばに来ていた。
「ニモの奴、マジで帰ったのか? 馬鹿はあいつだ。身勝手すぎるだろう」
宮野くんが泉くんの去っていったドアのほうを睨むように見ながら言う。
「本当、あいつむかつくよな。ひとりのくせにいつも偉そうなこと言って。自分ではああいう喋り方とかしてかっこいいと思ってんだろうなあ。笑える。だからいつまでも友達ができないんだよ。なっ」
宮野くんは蔑むような笑顔を浮かべて、僕に同意を求める。ここで「そんなことない。泉くんは面白いよ。僕、本気で友達になりたんだ」と言えば、どうなるのだろうか。
宮野くんは僕の反応を待つことなく話を続けた。
「川西の言うことなんか気にするなよ。適当に流しとけばいいって。いくら委員長だからって、どうしようもない奴の面倒押しつけられても困るよな。川西も無茶を言う。ならお前がやれよって話だ」
「ううん、宮野くん」
「いいか悠太郎」
訂正しようとしたが宮野くんに正面から両肩を掴まれる。少し怖いぐらい強い力が込められていて思わず口をつぐんだ。
「あいつとは関らないほうがいい。絶対に」
目を見てそう忠告され、生唾を飲み込む。もしかして、と頭が回る。
宮野くんが僕たちのやり取りをどこまで見ていたのかは知らないけど、「馬鹿はあいつだ」という台詞は泉くんが僕に対して「馬鹿だ」と言ったのを聞いていたから出てきたものではないか。
なら宮野くんは「友達になりたい」と言ったのも聞いていて、本当は僕が自分の意志で泉くんに近づいたと気づいているかもしれない。それはやはり泉くんを嫌う宮野くんにとって面白くないことだろう。僕に対して同情しているのは演技で、実際は「このまま先生に無茶ぶりされた被害者側に立ち、手を引け」と仄めかしているのでは。
……考えすぎだろうか。でもただの心配だとは思えなかった。僕の両目を覗く宮野くんの視線に、どこか異様な鋭さを感じたから。
そこで休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「委員長」
宮野くんが去り際にそう呼びかけ、耳元でこう言い残した。
「平穏に過ごすのが何よりだ。そうだろう?」
思わず眉が寄った。
君が、それを言うの。
そう言いたかったけど、ぐっと堪えて飲み込んだ。別に宮野くんと敵対する腹積もりはない。それこそ宮野くんの言う通り、平穏に過ごすのが何よりだ。
僕も自分の席に戻り、ぼんやりとしながら机の中から次の英語の授業の用意をする。泉くんは本当に帰宅してしまったらしく、授業が始まっても教室に戻ってくることはなかった。
お昼休み、教室に戻ってきた川西先生に泉くんに言われた通りのことを伝えると、先生は渋い顔を浮かべた。
「困るな。そういうときはとりあえず保健室に行って診てもらわないと」
「すみません」
「ああいや、柿原に言ったわけじゃない。泉に言っておく」
泉くんの体調が実際どうだったかなんて当人でないとわからないけど、悪そうな素振りはなかったし、あまりに急だった。
やはり僕の話で機嫌を損ねて帰ったのだろうか。それほど変なことを言ったつもりはなかったけど、こんな事態を引き起こし、引き止められなかったことに少なからず責任を感じた。
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