三、口上手の一匹狼

 翌日の放課後、掃除が終わり帰ろうとして階段を下りていたところ、偶然にも前方に通学鞄を肩越しに持ちながら帰ろうとする泉くんを見つけた。自然とついていく形になる。


 二年生になってからのこの一か月ほど、泉くんと話したことはまだない。昨晩仲良くなろうと決意を固めたはいいものの、どう話しかけたものか困っていた。


 今日も遠目に機会を窺っていたけど、終始不機嫌そうに頬杖をついて座る泉くんに対して中々話しかけられなかった。

 しかしまさにいまが、その絶好の機会ではないか。いまなら二人だけで話すことができる。

 よーし、と腹に力を込める。


 靴箱に向かうその背中に向けて声をかけようとしたとき、僕の気配を察知したのか彼が振り向いた。

「おお」

 目がばっちり合って思わずそんな感嘆の声が出た。

「あ? 何だよ、お前」

 鋭く尖った視線を向けられ、両手で制す。おお、と今度は心の中で同じ声を呟いた。宮野くんたちはいつもこんな怖い視線を向けられていたのか。


「ええと、一緒に帰らない?」

 咄嗟に出たのはそんな言葉だった。何を会話の糸口にするか、いろいろ考えていたのに。

 挨拶をして「そういえばまだ話したことなかったよね」とか「今日の授業どうだった?」とか「放課後は何してるの?」とか。でもいざ話しかけたら間抜けなことに想定していた言葉は出てこなかった。


 いきなり誘ってしまったけど、仲を深めるために下校を一緒にするというのは妥当な案だよね。

「断る。で、お前は誰だ?」


「…………え、断られた? 名前も訊かれた?」

 あまりに淡白で端的な断りに反応が遅れ、すごく狼狽した。普通は断る前にまず相手のことを訊くものではないだろうか。


「僕のこと知らない? 一応クラスメイトなんだけど……」

 自分を指差しながら訊く。

「ああ、道理で見たことがある顔だと思った。でも名前は知らないな」

 泉くんは視線を斜め上にしてそう言った。僕はその程度の認識しかされてなかったのか。


「おい、落ち込むには早いぞ。俺は他人の名前を憶える気がないんだ。周りを見渡すとどいつもこいつも似たようなつまらない中身をしてやがる。ならそいつが佐藤だろうと鈴木だろうと大差ないことだ。そう思わないか?」

 思わないけど、と首をひねる。

「つまり、一々憶えるだけ無駄だ。だからまあ、俺がお前の名前を憶えていないからといって必ずしもお前の存在感がないということにはならない。良かったな」

 淡々とした口調で謎にフォローされた。


「……ええと」

 冗談なのか本気なのか。流れるように出てきた独特の理屈に閉口する。すごいことを考えるなあ。こうしてほんの少し話しただけでも泉くんが一癖も二癖もある人だというのはよくわかった。近寄りづらい、話しづらいと思ってしまうのも正直納得だ。


 でも。

 自分にはできない発想、他の誰にもない個性を見せる泉慧に、少なからず僕の好奇心は揺さぶられた。

 もっと話してみたいと思った。

「似ているだけで同じでないなら、違いはあるってことだよね?」

 僕がそう言うと、泉くんは眉を少し吊り上げた。


「僕は柿原悠太郎。よければ憶えてよ」

 泉くんは鼻を鳴らした。

「……ふん。八年後には憶えておこう」

「……八年?」

 憶える気はないってことだろうか。しかしやけに具体的な数字に、何か意図を感じる。


「あっ」

 わかった。人差し指を立てる。

「桃栗三年柿八年?」

 実を結ぶまで桃と栗は三年、柿は八年かかる。転じて物事の成就には相応の年月がかかるという意味だ。泉くんは僕の名前の柿原にかけて八年という数字を持ち出したんだ。咄嗟の頓知に感心する。


 泉くんはスリッパから外靴に履き替え帰ろうとする。僕も急いで靴に履き替えあとを追う。すると彼は立ち止まって振り向き、露骨に嫌な顔を浮かべた。

「なぜついてくる」

「いやいや、どっちにしても正門までは一緒になるでしょ」

 僕は手を振って弁明する。自然な流れで一緒に帰れないかと狙っていたのは事実だけど。


「……俺に外壁を飛び越えて帰れと?」

「いやいや。どうしてさ」

 確かに外壁を飛び越えて帰れば僕がついていくことはできないけど。

「そんなに一緒に帰るのが嫌なの?」

 校門までのほんの少しですらも一緒になりたくないのか。そこまで嫌がられるとさすがに悲しくなる。嫌われるほどまだ何もしていないと思うけど。


 泉くんはわかってないとばかりに溜め息をついて、首をさすりながら口を開いた。

「いいか、俺たち人間の生き方は一通りではない。お前もさっき言っていたな? 人には違いがあると。認めよう、人は確かに千差万別だろう。環境や能力、主義、選択に応じて無数のあり方が存在する。それゆえ人の感性もまた種々様々にあり、自身の物差しで相手の感性を測るのはときに不躾だということを自覚しなければいけない」

「……うん?」

 そんな壮大なスケールの話を持ち出されるとは思わなかった。本当に同じ中学生だろうか。


「俺は趣味のような類の物事は一人で楽しむタイプだ」

 泉くんは自由なほうの手を腰に当ててはっきりと主張する。

「そして俺にとって下校は一日の楽しみの一つだ。学校という鳥籠から解放され自由の誉れを知るこの時間ほど心地よいものはない。下校は教室を出た瞬間からもう始まっている。いまこのときもだ。お前に俺のその至福のひと時を邪魔する権利はない。もうわかったな?」

 泉くんは僕に対して人差し指を向ける。

「つまり俺が言いたいのはこうだ。ついてくるな、一人で帰らせろ」


 泉くんはそんなふうにずらずらと自分の理屈と主義を展開して、足早に校門のほうへ去っていく。僕はすっかり勢いに気圧され、呆然とその様子を見守っていた。

 言いたいことはわかったけど、毎回そうして大袈裟な理屈を立てて言わないと気が済まないのだろうか。


「……面白い人だな」

 もはやそんな感想が出てきた。泉くんの言動を思い出し、口元に笑みが浮かんだ。

 散々に断られたけど、そのためにむしろ火がついた。個性的な泉くんと打ち解けてみたい気持ちはより強くなった。一筋縄ではいかないのは間違いないけど、泉くんも誰とも仲良くしたくないわけではないだろう。


 想像してみる。僕が話しかけて、あの泉くんの仏頂面が崩れるところを。独特な理論を交えた回りくどい彼の喋りに笑いながら、並んで歩くようになる未来を。


 校舎には少し赤みがかった西日が差し込んでいた。けれど僕の目は朝の陽ざしを受けたかのような気力に溢れた輝きを灯して見えたことだろう。弾む足取りで帰路についた。

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