一、困ったクラス模様

 朝の時間だった。まばゆい日差しが差し込み爽やかな空気感の漂う羽白はねしろ中学の教室に、静寂を破る穏やかならない怒声が響いた。

「おい。どけ」

 さらには椅子を蹴る音が聞こえ、びっくりして音の出どころを向いた。他のクラスメイトも同様の反応を示した。

「そこは俺の席だ」

 教室の左前だった。襟足の長い黒髪に第一ボタンを外して学ランを着た体格の良い男子、泉くんが、座っている島尾健也くんを見下ろし責め立てている。


「何すんだよ!」

 島尾くんは蹴られたこと、そして後ろにいた伊藤くんとの談笑を中断されたことに腹を立て、声を荒らげる。

「お前が勝手に俺の席に座ってるからだ」

 泉くんは片手で通学鞄を肩にかけており、冷たい視線を島尾くんに注ぐ。どうやら彼は登校してきて自分の席に座ろうとしたところ、島尾くんが無断で座っていたために怒っているらしい。


「別にいいだろそれぐらい」

「それを決めるのはお前じゃない。俺の座席なんだ、他人が座っていいか決める権利は俺にある。そして俺はそれを認めない。理解したな? どけ」

 泉くんは足で払う動作をして退くように促す。

「はあ? お前こそ何様だよ!」

 理屈を並べる泉くんに対して島尾くんが立ち上がって激昂する。島尾くんは体が細いので、並ぶと体格差が際立つ。


 泉くんは嘲るように鼻を鳴らした。

「何だお前、俺のことを様扱いしてくれるのか? 悪い気はしないが、いくら俺の立場を尊重しなければいけないからといって何もそこまで崇める必要はない。ま、別にそれを決めるのはお前の自由だがな」

 そんな返し方ができるのか、と僕は感心してしまった。口が達者なことだ。

「は? お前、何言ってるんだ? ああもういい。……頭がおかしい」

 島尾くんは苛立った様子でこれ以上の口論は無駄だと言わんばかりにそう吐き捨て自分の席に戻ろうとする。


「それは、俺に対する悪口か?」

 しかし泉くんは捨て台詞を許そうとせず、背中を向けた島尾くんを狙い無表情でこぶしを構えた。殴り合いの喧嘩に発展しそうな状況に思わず僕は腰を浮かす。

 殴られる気配を感じたのか島尾くんが振り向いた。そこに横からよく通る男の声が割って入った。

「そうカリカリするなよ、

 二人の諍いに参入したのは宮野くん。薄い眉とサイドを刈り上げたショートヘアが印象づける通り、クラスのやんちゃな男子で、泉くんとは違った意味で問題児だ。


「ストレスで怖ーい顔になってるぞ。ああ、それとも生まれつきだったか? 悪い悪い」

 宮野くんは眉を吊り上げ泉くんを煽る。

 泉くんが鬱陶しそうに宮野くんに細めた目を向ける。

「……周りにお前みたいなお調子者がいなければ俺ももう少し可愛げのある子どもでいられたと思うんだがな」

 ああ、始まった。

「へえ、なら子どもの頃の写真持ってきて見せてくれよ。普段のロボットみたいな無表情からは想像もつかないからなあ、笑顔の。……ぷっ」

 宮野くんが頬に指を向けて笑顔を強調するポーズを取る。その人を馬鹿にするときに使う歪んだ笑みに、泉くんの目つきは険しさを増し眉に深い皺が寄る。

「誰がつけたか知らんが、いいかげんその意味のわからん呼び方をやめろ」


 ニモというのは泉くんにつけられたあだ名で、彼の名前、泉けいが漢字なことから来ている。しかし泉くんはそう呼ばれることを嫌がっているし、からかい目的で呼ぶことがほとんどなので、はっきり言えば蔑称だ。


「可愛いニックネームがついて嬉しいだろう? ニ~モ」

 宮野くんはその呼び方をやめないどころか、語尾にハートマークをつけるような言い方で再度繰り返す。宮野くんも泉くん同様、口が立つ男だ。根本的なロジックはまるで違うけど、どちらも相手を手玉に取るのが上手い。


 堪えかねた泉くんがこぶしを振り上げ殴りにかかる。その途端、宮野くんはドアのほうに飛ぶように逃げ、距離を取って愉快な笑い声を上げる。

「はははは、暴力反対、暴力反対!」

 泉くんは宮野くんを睨みながら舌打ちする。

「ちっ、お前は結局口だけで逃げてばかりの卑怯者だ」

「何だよ、冗談が通じない男は困るなあ。な? 島ちゃん」


 同意を求められた島尾くんは自分の席から小馬鹿にするように笑って追随する。

「本当そう、だから友達できないんだ」

 泉くんはその言葉に「違う」と異を唱える。

「友達なんざいらないから作らないだけだ。群れるしか能のないお前らと違って」

 宮野くんと島尾くんが顔を見合わせ、吹き出す。宮野くんが口笛を鳴らしまた煽る。

「ひゅー、かっこいいねーニモ」

「強がりもここまで来ると笑えるな」

 僕の斜め前に座る島尾くんもぼそっとそんなことを呟いた。

 泉くんは溜め息をつき、空いた自分の席にどかりと座り込む。


「どうしたの柿原くん、ぼーっと立って」

「ああ……いや、うん」

 隣の席の関口さんに言われ、僕は立ち上がったにも関わらず何もしないまま再び椅子に腰を下ろした。


 中学二年生になってもうすぐ一か月、おおよそ二組のクラスの雰囲気は固まってきた。しかしこの通り度々衝突が起こり、良くない空気が生まれている。その中心にして発端となるのが、頬杖をついて不機嫌そうにしている彼、泉慧。

 二年で初めて同じクラスになったが、そのうわさは一年生の頃からよく耳にした。キレやすく喧嘩っ早い、凶暴な一匹狼。


 一緒のクラスになってそのうわさが大体本当のことだとわかった。本当によく揉め事を起こす。周りにあだ名のことやその態度のことでからかわれたから手を出す、というだけでなく、さっきみたいに周囲の行動が気に入らないから怒りをぶつけるなんてこともある。

 どうも彼には強い自我があるようで、普通なら見過ごすようなことにも目くじらを立てている。


 そのちょっと尖った性格が災いして、泉くんはクラスで周囲との間に隔たりがある。はっきり言えば浮いた存在になっている。

 彼はそれを自分の望むところだと主張するようだけど、友達がいなければいいなんて思う人はいないだろう。仲の良い人がいないのは辛いことだ。いつもひとり、仏頂面で頬杖をついているのを見かけるたび、かわいそうだと思っていた。


 そしてそんな彼に一番突っかかり煽ったりからかったりしているのが、宮野亮介りょうすけくん。横長でシャープな目がシンボルとなる端正な顔立ちと口の強さで、人の上に立つ才能に長けている。

 彼に弄られる者は多いが、彼を弄れる者は泉くんと他クラスの「喧嘩番長」江川しょう、もしくは勝気な女子ぐらいだと思う。その宮野くんに目をつけられていることも泉くんが孤立する理由の一つかもしれない。


 自分が二組の学級委員長という立場なこともあって、この状況には頭を抱えたくなる。一体どうすればこの問題は解決するのだろう……。

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