【短編】断罪直前に恋心が冷めたけれど、魔王の作ったスープは温かかった
秋色mai
断罪直前に恋心が冷めたけれど、魔王の作ったスープは温かかった
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こんな暴風雨なのに崖道を通るなんて嫌だと、言ったのに。
衝撃と共に宙に浮いた感覚がして。馬車は谷へ落ちていった。
*
「アナスタシア、君との婚約を破棄する。聖女であるウルスラを傷つけた罪は重い」
殿下が、声高らかにそう宣うと、一斉に視線が集まった。ウルスラさんは、隠れるように殿下にしがみ付いてこちらを見ている。きっとほんの数分、けれど私には永遠に感じた静寂を、国王陛下の咳払いが破った。玉座を見れば、手には何やら書類がある。十中八九証拠だろう。
「アナスタシア・ストレンジ侯爵令嬢。何か申し開きはあるか」
「いいえ、ございません」
大広間が沸く。驚き、悦び、嗤い。様々なものが渦巻いている。
当の殿下はといえば、口をあんぐりと開けて驚いていた。貴方が計画した事でしょうに。
ええ、まあ。今朝までの私だったら、こんなにあっさりとしていないでしょうね。散々騒いで、怒って、泣いて。罪を認めなかったでしょう。殿下への愛ゆえだと、叫んでいたわ。
けれど……夢を、見てしまったのよ。
それは不思議な夢だった。私は幽体のような状態で、別世界のように知らないものだらけの部屋に立っていた。見たこともないベッドや棚、大きな黒い板。わかるものといえば恐ろしいほど大きな絵。癖のある巻かれた赤髪に、緑眼。どう考えても、私。
何故私が? 殿下は大丈夫なのかと、私が頭を抱えていると、突然ドアが開く。
『づがれだーーーー。やばい、推しを摂取しないと死ぬ』
変わった服装の少女は、床に穴が空きそうな音を立ててバッグを置いた途端、黒い板の隣にある箱を触った。
少しもしないうちに、音が出て、絵が現れる。
『うーん、三個目のセーブデータで殿下ルートの八回目やるか。今日も今日とて周回周回』
どうして、殿下やウルスラさん、宰相令息が……。
理解をしようとする暇もなく、板は突然、元のように黒くなる。少女の見るに耐えないほどのにやけた顔が映った。少女自身も真顔になった。
そしてまた映ったのは殿下。私に、そんな顔、したことなんてないのに……と胸が苦しくなった時だった。
『君みたいな女性は初めてだ』
こちらが恥ずかしくなるような甘い声に、冷水をかけられた気分になる。散々ウルスラさんにかけた側だというのに。
『っ!』
『君のことしか考えられないんだ』
『こーらっ……ダメだろう?』
『ほら、こっちにおいで。僕だけの聖女さま』
『アナスタシアとは別れる。あいつに愛はないんだ』
『君を愛している』
そうして、薬指に指輪をはめたところで、
『いい加減にしなさい!帰ってきたなりゲームしてないで、洗濯物出しな!!』
と大きな声が聞こえると共にドアが開いた。
『ご、ごめんって。セーブするからちょっと待って』
少女がバタバタとカバンから何かを漁っている間に、板はまた暗転。映った私の目は、据わっていた。
『それにしても、ほんと、アナスタシアたん推し視点になるとイタいキャラだよなぁ』
イタいの意味は分からないけれど、言いたいことはわかるわ。完全同意よ。
いちいち恥ずかしい言動に、行動。僕だけの聖女様ってなんです?
聖女とはいえ、デビュダントも済ませていない子供の頭を撫でるなんて紳士にあるまじき行為。庶民でも知ってますわよ。そもそも婚約者がいる立場でしょう貴方。
極めつけの指輪は、私との婚約祝いの時と同じ意匠。
『どうしてこんなのをアナスタシアたんは好きだったんだろう』
ええ、本当に。私は、この人の、どこが好きだったのかしら。
幼稚な言動を”かわいい“と捉え、自分勝手な行動を“かっこいい”と感じ、なんでもないことを“私のために!!”と感動して……。慕って、支えて、空回りして。ああ、馬鹿みたい。殿下のことになると知能が幼児以下だった。
『この痛々しさを見てほしい』
……ばっちり、見てしまったわよ。
少女がそう呟いて私や殿下、その他複数が描かれた薄い箱を撫でたところで、両方の意味で目が覚めて。
こうして、私の殿下への思いは、綺麗さっぱり鎮火されてしまったのだった。
「ふむ。アナスタシア・ストレンジ侯爵令嬢を、国外追放に処す」
「……謹んで、お受けします」
背を向ける前に、もう一度だけ、殿下を見る。
ああでも、やっぱり、何も感じない。あんなに、身を焦がすほどに好きだったのに。愛おしかった金髪は、収穫後に畑に落ちている麦わらにしか見えないし、サファイアだと思っていた瞳は、燻んだガラス玉のよう。
『さようなら、殿下』
小さくそう呟いて、会場を後にした。
*
「っ……走馬灯じゃ、なかったの?」
全身が痛い。なんだか生暖かくてぬるぬるする。ふわふわとする頭をどうにか起こして目を開ければ、手は血で真っ赤に染まっていた。魔力も、一緒に流れてしまっている。
私ったら悪運が強いこと。崖から落ちて即死じゃないなんて。でもまあ、このまま伏せていれば死ぬでしょうね。
もう一度目を閉じる。
「……何を考えたらいいの?」
誰よりも、何よりも大事だった殿下への愛は消え失せた。娘が国外追放になるというのに一切会いに来ず家の保身に走っていた家族に未練なんてない。仲のいいメイド達も、寿退職してしまった。学友は婚約破棄によって手のひら返し。
私って、こんなに空虚な人生だったのね……。あの夢を見ていなかったらどうだったかしら。今もまだ殿下を盲目的に愛して……復讐心に燃えていたかもしれない。それこそ、こんなところで死んでたまるものですか、なんて。
「……あら?」
つまり、殿下を愛していた私に、今の私は負けているの?
そんなの……
「ったとえ殺されたとしても死んでたまるものですか!!」
思っていたよりも大きな声が出て、烏が一斉に散った。血の流れている頭を抑えて、立ち上がる。
なんだ、私、元気じゃない。
少し安心して、辺りを見渡す。嵐は止んで、空には星々が浮かんでいた。馬車は木っ端微塵。馬は……死んでいる。御者はいない。ギリギリで逃げられたのかしら。
「さて、と」
嵐のせいで時間も場所もよくわからない。周辺諸国の地図は頭に入っているけれど、役立ちそうにないわね。それよりも、安全な場所に身を隠すのが先決だわ。この血の匂いで、モンスターや野犬が寄ってくる。
「……!」
足音。御者が降りてくるわけもない。
「誰?」
睨みつけると、そこにいたのは背の高い男性だった。癖毛で襟足の長い黒髪。通った鼻筋に、逆に違和感のする庶民の服。
「敵意はない。ただの通行人だ」
その顔には、見覚えがあった。あの夢の薄い箱に描かれていた中の一人。けれど、その姿には角や赤い瞳があったはず。
「……隠さなくていいわ。貴方、魔王でしょう?」
このままでいてもしょうがない。もう既に命以外を失っている。怖いものなどない。
魔王が、わずかに目を見開いたところを畳み掛ける。
「私は、アナスタシア。貴方の知らない情報を知った、元侯爵令嬢ですわ」
胸元に手を当て、まっすぐに見上げる。もう片方の手が震えていると、気付かれてなるものですか。
「取引しましょう?」
魔王は、両手を上げ、困ったように少し笑った。その幼い顔に、肩の力が抜ける。
「……危害を加えないと約束する。だからどうか、その頭の血を止めさせてくれ」
そういえば、と手を当てればまだ止まっていない。むしろ量が増えたようにも思える。
ああ、流石に、これは、不味い。
認識した瞬間、ふっと体から力が抜けた。
「……起きたか。体の調子はどうだ?」
薪が燃える音と、いい匂いがする。ゆっくりと目を開ければ、魔王が鍋をかき混ぜていた。
まだぼぅっとする頭は、違和感しかないはずの光景をすんなりと受け入れてしまう。
「……美味しそう」
「まず一言目がそれか」
魔王はまた困ったように笑う。とりあえず上半身を起こした。上着をかけてくれていたらしい。畳んで横に置いておく。
「ありがとう」
「まだ早い。……取引、するんだろう?」
鍋と一緒なことなんて忘れてしまいそうな視線で見定ってくる。お互いの魔力がピリついているのがわかるわ。
「何故魔王だとわかった」
「……貴方が一番知りたいであろう情報を、最初に出してしまうほど馬鹿じゃないわ。みくびらないでくださいます?」
睨み合い探り合いは、大貴族の基本でしてよ。
不敵な笑みを作ると、魔王は降参したように自分から事情を話し始めた。
「聖女が第一王子と婚姻を結んだと耳にしてな。偵察しにきた」
「魔王自ら?」
「ほとんどの魔族は偽装ができないからな」
随分と耳が早い。けれど、事情はわかった。こんな辺鄙なところにいるのも納得がいく。国の中心から遠い田舎が、一番リスクが低いものね。
「私は、その殿下に婚約破棄されて、国外追放の刑に処されたの」
「婚約破棄なんて、簡単にできるものだと思えないのだが」
そう伝えると、用意してあったのかのように聞かれる。いくらなんでも、刑の執行までが早すぎるのは、その通り。
「私が聖女サマを害した証拠は十分にあったのは前提して……国としても聖女と殿下の婚姻は都合がいい」
「なるほど」
魔王が薪を足す。案外マメな人ね。
「ちなみに、害したというのは……」
魔族としては、やっぱりどの程度悪いことをしたのか気になるのかしら。
思い出せば、また頭が痛くなる。頭を打ったついでに、あの頃の記憶が綺麗さっぱり無くなってくれればよかったのに。
「まあ、水をかけたり、足を引っかけたり……」
「ん? ちょっと待ってくれ子供のいじめか?」
「なっ! 失礼な」
人が断罪された理由を子供のいじめだなんて。魔王だと言い当てた時よりも驚いた表情をしないでくれる?
「いや、魔法が使える……よな?」
「勿論。こう見えても聖女の次、学年二位よ。炎と闇が一番扱いやすいかしら」
まあ、いじめの話よりも、取引に有利な方向に持っていく方が大事だわ。うまくいってから言おうと文句を飲み込む。
「学業も優秀な成績を維持していたし、殿下の代わりに公務もこなしていたから、お役に立つと思うの」
隣国へ行ったとしても、私の生活は保証されない。こんな目に合わせるような神を裏切ることなんて、怖くない。
「……だから私と、」
「ああ、ちょっと待ってくれ。スープが煮えた。ほら」
ここからが一番重要なのに。
とはいえ、渡されたものを拒否することもできず、ありがとうと言って両手で受け取る。手のひらに温かさが伝わった。なんだかぽわぽわする。
思えば、温かい料理なんてほとんど食べたことがなかった。
「保存のきく野菜ばかりだが、口に合うと……」
「おいしい」
空っぽだった胸に、ストンと落ちる。
じんわりと温かさが広がって、ほっと息を吐いた。
おいしい。温かい。安心する。
「私と、結婚してくださりませんこと?」
「ああ……は?」
こんなご飯が、毎日食べられたらいいのに。
そう思った途端、溢れるように言ってしまった。
「今なんて言った?」
「わ、わたくし、どうして」
毎日毎日、殿下と家族になりたいと思っていたせいかしら。でも、もう、恋心なんて冷めたのに。
「誓って、ただの普通の野菜スープだ」
眉間に皺を寄せて悩んでいるからか、疑っているように見えてしまったらしい。
個人的な、なかったことにしたい感情のせいよ。断じて疑っているわけではなく……。
「わ、わかっているわよ。その、えっと、あれよ。胃袋を掴まれるとか、そういう……多分」
「……そんなに腹が減っていたのか」
それはそれで淑女として複雑だわ。確かに空腹ではあったけれど。
恥ずかしくて、咳払いで空気を変えようとする。
「んんっ! 言い直させてちょうだい」
……空気を読んでくれた。なんだか恥ずかしさが増したように感じるけれど、気のせいだと信じたい。
「私と、契約を結んでくださりませんこと? 完全週休二日制、祝日は別で」
「随分と具体的だな」
「雇ってくだされば、貴方の知りたいことを教えますわ。一年後には、洗いざらい全て」
だから、私を雇って欲しい。どうせなら、ささやかな仕返しくらいしてから死ぬわ。欲を言えば、誰よりも幸せになって、死ぬ前に誰かを思い浮かべられるように。
「詳しい内容は後々決めるとして……死んでたまるかと啖呵が聞こえた時から、気に入っていた。喜んで、迎え入れよう」
「ありがとうございますわ」
ああ、あと。
「スープをもう一杯貰っても?」
「ああ、好きなだけ」
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