第12話

「そんなにいいことがあったの?」

学校の正門前で渡浪が聞いてくる。

「ええ。ちょっと昔の、小学校の頃を思い出して」

ふーん。と言う渡浪の顔を覗き込む。

「今だからわかるけど、渡浪って私と話す人に対してヤキモチをやいてたよね」

「そう?そんなことないと思うけど」

「――ねえ、今でも私のこと好き?」

渡浪が大きく咳き込み頻りにあたりを見回す。

「急になにを言いだすんだよ」

「ふふ、からかいたくなっちゃって。最近部のこととか任せきりだから、息を抜いてあげようと思って」

私は舌の先をみせおどけた。

「はぁ、息を止められるかと思ったよ。それと『任せきり』だとか、そういうのは無しにしようって決めただろう?」

「そうだったね。でも、ありがとうは言ってもいいでしょ?」

「敵わないよ、まったく」

渡浪は頭を掻いた。

それじゃ。と渡浪と別れ私は保健室へと向かう。

失礼します。と入室しクリアファイルを養護教員の先生に手渡す。

「こないだの診察の結果です」

「確かに。で、最近はどう?」

「すこぶる元気です。ふふ、毎日が楽しくて」

結果表に目を落としていた先生が顔をあげる。

「自分のことは自分が一番わかってるだろうから、とやかく言わないけど無茶しちゃダメよ?」

「はい。いつも、ありがとうございます」

ホームルームの予鈴が鳴る。

失礼しました。と保健室を出て今日一日を楽しみに教室へと急ぐ。

四時限目終了のチャイムが鳴る。今日はちとせちゃんの篳篥演奏がある日。

だけどその前にやることができた。三時限目の終わりに、顧問の先生に昼休み来るように言われた。

あまり部に顔をみせないけど、裏の方で練習試合とかの予定を組んでくれる先生なので今回もなにかあるかも、という期待があった。

「先生、用事というのは?」

「――これ」

寡黙な先生が一枚の紙を取り出し指さした。

「第一回ドッジボール大会参加のお誘い――先生これ!」

「――気乗りしない」

その理由は質問するまでもなくわかった。

開催宣言を出している高校は、ドッジボールのプロを部活指導員として招いては本格的に活動し、ドッジボールを一スポーツとして広めるべく地方テレビや新聞にアピールしている高校。

ただでさえ希少で、細々とやっている他のドッジボール部がそんな相手に勝てる訳もなく。

つまり大会と言う名の出来レース。アピールのための踏み台相手が欲しい、ということなのだろう。

それでも私は――。

「私はこの大会出たいです。みんな揃って」

顧問の先生は無言で、今日の日付と名前を記入し印鑑を押すと『参加』を丸で囲った。

この先生は生徒がやりたいということがあれば一任、悪く言えば丸投げするタイプなのでこういった行動は素早い。

「ありがとうございます」

先生からコピーしてもらった紙を貰い職員室からでる。

「放課後が楽しみ。みんなはなんていうかしら」

流行る気持ちを押さえこみ、屋上へと急ぎ足で向かう。

屋上へとあと少し、というところで足が上がらなくなり手すりによりかかった。

くらっとして咳が出る。ヒューヒューと息が上がる。

内ポケットをまさぐり、ハンドネブライザーを取り出す。だが、いつもより激しい咳で手元がおぼつかずうまくセットができない。

「懇!」

慌てて私の方に駆け寄ってきたのは同じクラスで、購買部の部長の子だった。

「これでよかったよね」

段々と落ち着いてきた私は、ゆっくりと「ありがとう」と返した。

「はぁ、びっくりした。大丈夫?」

「ええ、ありがとう」

それじゃ。と彼女からクッキーを貰う。

私は階段の先を見た。

――戻ろう。

ゆっくりと腰を上げ教室へと引き返す。


放課後体育館へと向かうと、戍亥ちゃんたちが先にキャッチボールをはじめていた。

戍亥ちゃんたちは本当にいつも元気でその元気が私に力をくれる。

「ネム」と呼ぶ声がして振り返った。

「雪、どうかした?」

「昼休み屋上に来なかったでしょ?だから、なにかあったんじゃないかって。体調悪かったりしない?」

「大丈夫よ。ちょっと顧問の先生に呼ばれてね、それで行けなかったの」

半分本当で半分嘘をつく。

そう。と雪は言うけど気が気じゃない様子。

同じように、気が気じゃない様子の渡浪が向こうの方から歩いてくる。

「懇、大丈夫か?」

「ふふ」

「私、おかしなこと言った?」

ううん。と頭を振る。

「みんな心配してくれてやさしいな、て。私は本当に大丈夫だから」

雪と渡浪の顔を交互に見て言う。

「おや、これはこれは。痴話喧嘩もしくわ痴情のもつれですかね」

「あんたは茶化すことしかできないの?」

「そこはムードメイカーと言ってくださいよ」

いつものやりとりにくすり、と笑う。

ジャージに着替えていると寅谷ちゃんに和ちゃんたちが集まってくる。

三人だったのが四人になって、四人が九人になって、今は大会にでれる十二人を超えて十三人になった。

人が増えれば増える程貰うものが大きくなって――。

「懇?みんなそろったよ」

「ああ、ごめんなさい」

私は先ほどもらった紙を広げ、大会が開催されることをみんなに伝えた。

「大会、ですか」

「もぅ、第一声が暗いよ。ほら戍亥たちを見習って」

戍亥ちゃんたちが小踊りしてる横で、ちとせちゃんが深呼吸をしてる。

「あの」と声をかけてきたのは和ちゃんだった。

「大会の人数て十二人でやるんですか?基本のルールにはそうあったので」

「え?ちょっと待ってね。そう、ね。選手の人数は十二人ね」

それは私の見落としていたことだった。

私たちは十三人。誰か一人補欠にしないといけない。

前の時みたく特別に十三人で、というわけにはいかないだろう。

「懇、こればっかりはしょうがないよ」

きっと表情に出てたのだろう、渡浪がやさしくそういう。

「そうね。仲良く、とはいかないわよね。さ、練習しましょう」

しっかりストレッチをしキャッチボールからはじめる。

大会があるといっても根本的なことは変わらない。いや、私たちにはこれでいいんだ。

「では、これから練習試合をはじめたいと思います」

六対七に分かれる。いつもの、なあなあとした空気と違う空気が流れる。

大会へ向けてなのだからそれは間違いじゃないのだけど、私にはこの空気が重い。

ゆっくりと深呼吸をする。

「ネム、大丈夫?やっぱり体調悪いんじゃない?」

「ふふ、大丈夫よ。いつもありがとうね」

試合開始のホイッスルが響き、葵ちゃんと渡浪が飛ぶ。

球は葵ちゃん側の方へ転がり、かんなが拾う。

かんなのことだから外野の汀ちゃんへと投げ込むかと思った。だけど今日は違う。

球はまっすぐ、こちらのコートへと切り込んできた。私はその球を受け止めた。

受け止めた球はまるで鉄や鉛のようで、とても重い。

体がよろける。まっすぐに立つことが、難しい。

視界からみんなが消えて、天井の照明を映す。

その照明の光すら薄っすら、ぼやけてきた。

光も音も霞んで、遠くて。深く深くて。

それはいつかみた夢のようで。

ああ――私、死ぬんだ。

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