第11話
「おはよう」
そう部屋につぶやく。
一日がはじまる。何事もなく起きれた。その確認の為に私が選んだ言葉。
電気をつけるよりも先にカーテンを、窓を開いて明かりを招き入れる。
「今日も太陽さんは、ぽかぽかね」
私は大きく息を擦った。
くるりと向き直る。必要最低限の物しか置いてなかったこの部屋も、渡浪たちや日乃江ちゃんたちに貰った物で賑やかになってきた。
ふふ。と思わず笑みがこぼれる。
ただ、これだけ沢山の物――ううん、物だけじゃない――を貰って私はなにを返せばいいのかわからなくなる。
「懇?入るぞ」
「お父さん、おはようございます。もう、こんな時間なのね」
「体調悪いようなら休んでもいいが、お母さんにも連絡入れろよ」
俺はもう行くからな。とお父さんがドアを閉める。
休むなんてとんでもない。と私は着替えをすませ、一階の居間に置いてあった弁当箱を鞄に詰め込み家を出た。
「おはよう」
いつもの場所で渡浪が待っていた。
「上機嫌だね」
「わかる?」
私は隣りの渡浪を上目使いで見た。
「なんとなく」という渡浪と目線が合う。
「やっぱり部活のこと?」
「それだけじゃ決してないんだけど。けど、そうね。みんなでドッジボールができるのはすごく楽しいわ。ふふ、三人でボール当てをしてた頃が嘘のよう」
私が笑みをこぼすと渡浪も柔らかく笑った。
「先生、ネムちゃんが吐いた」
それは小学校の頃、体育の授業のお決まりだった。
「大丈夫?」と先生が背中をさする。
私の体は決して強いと言えるものではなかった。
それは体力的にも精神力的にも。
体育の授業はじまって十分で見学者行きは当たり前だった。
「やーい、ゲロゲロ」
そんな私のあだ名がゲロゲロ。カエルさんは関係なくて、吐いてる姿からそう名付けられた。
私のことを「ゲロゲロ」と呼び先生に「止めなさい」と叱られる、これも当たり前の光景。
今の私なら「不快だからやめて」とか言えるだろうけど小学生の私には「不快」という気持ちは、すごくモヤモヤしたものでしかなかった。
だから言葉じゃなくて行動に出た。昼休みになれば、そそくさと図書室へ向かうのが習慣になっていった。
ある時クラス対抗のドッジボールが開催されることに。
その時も私は目を盗んで図書室に行こうとした。けど捕まった。
「やれるだけやってみよう」
今だからわかるけど、先生はそういうしかなかったのだろう。クラスの中で一人だけ図書室に逃がしても、後々面倒なことになるのをわかっていたんだ。
球が飛び交う中、私は団子の中に紛れてやり過ごそうとした。けど段々と人数が少なくなっていって隠れる場所がなくなる。
あっちに逃げて、こっちに逃げて。慌て駆け迷ってる中、人の足に引っかかって転んだ。
「ゲロゲロが吐くぞ」
四つん這いになった私に向かって誰かがそう言う。ここまではまだ、感情に疎い小学生の悪ノリだった。
立ち上がろうとする中、私の頭にボールがこつん。
「コラ!」
滅多に聞かない強い口調で先生が怒鳴る。
それと同時に泣きじゃくる声が響いた。
泣きべそをかきながら顔をあげると、誰かと誰かが取っ組み合っている。
一人は私へと投げた男の子で、もう一人は知らない女の子。
先生が止めに入り、二人を離そうとした瞬間、女の子が爪で男子生徒の顔を引っ掻いた。
この騒動は結構な問題になって、昼休みのドッジボールが禁止になるほど。
それから何日かして、私がお昼の水やり当番で体育館のそばを通った時ドン、ドンと何かを壁に当てる音がした。
気になって音がする方へ行くと、男の子と取っ組み合っていた子が、壁に向かってボールを投げていた。
「ねえ」
その子が気づきこちらを見る。
「あの、大丈夫?」
「なにが?」
えっと。と口ごもっていると、ずんずんとその子が近づいてきた。
「ジョウロ持つよ」
私が両手で持ってきた水一杯のジョウロを、その子が持ち上げる。
「ありがとう」そう返すと、その子は照れた表情をみせた。
お花にお水を上げながら私は、その子にあそこでなにをしてたのか聞いてみると、一人で壁当てをしてたらしい。
「ごめんなさい。このまえ私が倒れた後に、先生がお昼休みにドッジボールはだめだよ、て言ったからでしょ?」
「懇が謝る必要はないよ」
「私の名前知ってるの?」
「う、うん」とその子が言う。その子とは別のクラスだった。
「あなたのお名前は?」
「私は渡浪、天辰渡浪」
それが渡浪との出会いだった。
次の日、お昼休みになり、私が体育館裏に行くと渡浪がまた一人で壁当てをしていた。
「ねえ」と声をかける。
「なんだよ」
「えっと。私も、まぜてほしいな、て」
渡浪が手にしたボールをひょいと、こちらに投げてくる。
飛んできたボールは、あわあわと手を動かす私の真上を飛んで行った。
「ごめん――」
渡浪が駆けだす。
ボールを拾ってきた渡浪がまた一人で壁当てをはじめる。
「渡浪てすごいね。ボールを投げるのも早いし、足も速いし。あと、やさしい!」
「なっ――」と渡浪が言葉を詰まらせ、私の方をみてくる。
「ねえ、私にも投げ方とか教えて!」
「うん、わかった。ただ、この事はみんなに秘密」
わかった。と私が小指をだすと、渡浪がズボンで手を拭き小指をだす。
「指切りげんまん」お互いの小指を交わらせる。
秘密のキャッチボールがはじまって、何日かたったある日。渡浪の投げた球が風に乗り飛ばされしまう。
とって来るね。そういって私が駆けだす。
ボールは体育館横の水場まで転がっていた。
「あ――」
転がっていったボールを女の子が拾った。
「このボールはあなたのですか?」
「う、うん。ありがとう」
女の子からボールを受け取ろうとするが、離してくれない。
そればかりか、じっと私をみつめてくる。
「えっと――」
「私も遊びにいれて」
え?と言葉を漏らす。だって、渡浪との秘密の約束だから。
結局私はその子を渡浪にところまで連れてきてしまった。
渡浪はちょっと、ムッとして睨み付ける。
「おまえ誰」
「名乗る時はまず自分から名乗るものだ!」
女の子がおばあちゃんがみている劇の人みたいに、格好つけてそう言った。
「――私は渡浪」
「知らざあ言って聞かせやしょう、えっと、私は午居かんなだ!」
そう、この時かんなと知り合った。
渡浪とかんながにらみ合って、私はいつかの取っ組み合いを思い出し二人の間に入った。
「約束破ってごめんなさい。でも、かんながボールを拾ってくれて、一緒に遊びたいって」
「おや、もしかして二人の秘密だったんですか。では、私も『ちかい』を立てましょう」
かんなはそういうと、どこかへ駆けだし、三本の木の枝を持ってきた。
「これで『ちかい』を立てます」
「『ちかい』てなあに?」
「こう、木の枝を上にあげて『我ら三人』て言うんです」
私とかんなが喋っていると、渡浪はどこか不服そうだった。
そんな渡浪の手を取り私はやろう、と声をかける。
三人の頭上で木の枝が交わった。
「我ら三人――えっと、忘れました」
「おい」
「え、えっと私たち三人、これからも仲良くボールで遊びます」
この日私たちの間で『ちかい』が立てられた。
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