第6話

次の日。私はいつもより十五分早く起きた。

いつもなら「まだ時間あるじゃん」と、二度寝に移行するが朝練が今日からある。

私は二分程、ぼうっと天井を見つめ、両の掌で目を軽く押し、ゆっくりと起き上がった。

「あら、早い。おはよう。もう行くの?」

「いや、まだ」

台所で母が父の弁当と一緒に私の弁当を作っていた。

私は欠伸を噛み殺し、冷蔵庫からプレーンヨーグルトを取り出す。

朝は胃が受けつかない体質の私は、大匙四杯程のヨーグルトを胃に収め、母の弁当を待った。

「忘れ物ない?」

「ん」と母の問いに返して、玄関を出る。

学校近くで葵と会った。どうやら葵も眠れなかったらしい。

まあ、葵と私の「眠れない」は大分意味合いが違うのだろう、そう思いながら体育館に入り、体育館で練習を行う部活の共同更衣室へと向かう。

「おぉ。おはよう」

「おはようございます。巳之口先輩」

更衣室の端、別に他の部と区切りはされてないが、そこがドッジボール部の荷物置き場となっている。その場所に二年生の先輩方が集まっていた。

「貴重品、財布とかあったら金庫に入れるから渡してくれ」

あの。と財布を寅谷先輩に渡し聞く。

「久末先輩とか三年生の方は来ないんですか?」

「忙しい、三年生になると先輩方。私たちだけ、朝練は」

出過ぎた真似と思ったのか、酉水が巳之口先輩の後ろに隠れる。

「まぁ、そういうことだから」

「来ない、といえば小梅軍師は?」

汀先輩にそういわれ、一瞬きょとんとしたのち、葵が答えた。

「そういえば、小梅も夜慧もまだだね」

「寝坊か、はたまた――ま、こんなところで駄弁っていても仕方ねえ」

寅谷先輩はそういうと、更衣室内のカレンダーをみた。

「と、今日は――外だな。走り込みと雲梯だな」

自分のペースで。そう言われたが、そのペースがわからない私は、とりあえず葵の後ろをついてゆくことにした。

「くそ!」と二週で悲鳴をあげる情けない体に悪態をつきながら、葵のすぐ後ろを食らいつく。

雲梯前、息が上がり、膝に手をつき、前屈みになる私に「背を伸ばしたほうが楽だよ!」と凪先輩が背をさすってくる。

息を吸い、背を反る勢いで体を起こす。青い青い空が視界に広がってゆく。

「雲梯をやるが無理すんなよ。手の皮がむけただの責任取りたくないから」

はじめる前に寅谷先輩は私と葵にそう言ったが、それは杞憂だった。私はただぶら下がるだけで精一杯に終わったのだ。

真っ赤になった手を握っては開く。

「痛い?大丈夫?」

更衣室の中で酉水先輩がそう聞いてくる。

気にはしてくれるが、相変わらず距離を感じる。そんなに私はおっかないだろうか?

「大丈夫です。ただインドア派なだけで」

そういって葵と一緒に外に出る。

「どう?夜慧と小梅から連絡あった?」

体育館と本館の渡り廊下で教師に見つからないよう背を低くし葵に聞いた。

「ううん、返事はない。サボリならいいんだけど」

「いや、よくないでしょ。初日にサボリなんて」

私ならそのままずるずると気を引きずって、部に出れなくなるのが目に見えている。

それに、体育会系でサボリなんて自分からイジメてくれ、と言うようなものだろう。

いや、さすがにソレは偏見かサブカルチャーの見すぎか。そもそも、久末先輩たちがこちらをなじってくる姿を想像できない。

「病欠じゃなきゃ学校には来るでしょ」

そういって背を伸ばし、歩き出す。

渡り廊下から本館入ってすぐの自販機前、血相を変え慌ててる夜慧と小梅がいた。

「あ、夜慧と小梅」

葵が声をかけると二人はビクついた。

「なんだ、驚かせるなよ」

慌ててる二人の姿を鼻で笑う。

「もう、笑い事じゃないんだよ。初日サボリが許されるのは主人公クラスだけなんだよ」

「はいはい。んで、そう分かっていながらどうしてサボったの?」

「いやー、小梅とネット対戦してたら深夜回ってて。ヤバイ、て寝たらそのまま、ね」

私は呆れたと、ため息で返した。

「夜慧が負けを認めないからだよ。あと一回あと一回、て」

「それは小梅も一緒だろ。私が勝ち越したらもう一回、て」

「もう、もう。言い訳してないで先輩たちに謝りに行かなきゃ」

葵が正論を言うと夜慧と小梅がしゅんとした。


昼休み夜慧と小梅は私の後ろをRPGゲームの仲間のようについて回ってきた。

「あのさ。うっとおしいから、さっさと謝ってきてよ」

「そうしたいのは山々なんだけど、ねぇ」

「お願い。一緒についてきて、おやつ半分あげるから」

全部じゃないのか。そう思いつつ足を二年生の教室へと向ける。

だが、二年生の先輩方はみな教室にはいなかった。

「はい、ここまで。あとは自分たちでどうにかしな」

「薄情者!あのときの桃園の誓いを忘れたのか!」

「した覚えないし、桃園なんて一度も言ったことないじゃん」

夜慧のノリに付き合うことなく、真顔で突き放すように、当たり散らすように言い切る。

なんでイライラしてるんだろう――。

今まで感じたことがない、気まずさのようなモヤッとした、しこりが残る。

「――我ら三人、生まれし日、以下略。いやぁ、私たちのほかに桃園の誓いを結んだ人たちがいるとは。もしかしてブームが来てます?」

独特な笑い方をしながら牛居が割って入ってきた。

「おや?もしかして喧嘩ですか?言葉と拳はいいですがメリケンサックとヌンチャクはやめておいた方がいいですよ」

「いえ、別に喧嘩ではなくて――」

夜慧と小梅は朝練に遅刻したことを、重い口を開いて牛居先輩に話した。

「なるほど」と牛居先輩がそういうと目線を上にあげる。

「懇に日乃江、他もろもろでしたら屋上にいますよ。大丈夫、大丈夫、そんな気負わなさんな『寝坊しちゃいましたー』のノリで言えばいい。誰も怒りゃしませんよ」

牛居先輩はそういうと次の授業で使うのか、機材を持って廊下の奥へと歩き出す。

「行こうか」

私が先んじてそう言ったのは罪悪感からだろう。

屋上へと向かっていると音が聞こえてくる。

どこかで聞いたような。そうだ、正月の初詣の時だ。

購買部の屋上庭園の先、開けた場所で酉水先輩が頬を真っ赤に膨らませ、笛を吹いている。

ちょうど吹き終わりだったらしく、酉水先輩が笛を下ろすと周りから拍手が起こった。

先輩方のまわりにいるのは剣道部と演劇部だろうか。

「あら、和ちゃんたちも聞きに来てたの?」

「あ、いえ、そうじゃなくて――」

久末先輩が気づき、他の先輩たちの視線が一斉に向けられる。

そんな中、私の後ろにいた夜慧が一歩前にでた。

「あの、朝練サボってすみませんでした!」

夜慧がたどたどしく頭を下げると、小梅も急ぎ頭を下げた。

「気にすんな」

きょとん、とする三年生の先輩方に代わり寅谷先輩がそういう。

「なるほど」と先輩方から声が上がる。

「朝起きるのって大変よね、私もつい二度寝しそうになるの。それよりよかった。夜慧ちゃんも小梅ちゃんも病気じゃなくて」

久末先輩が笑顔でそういう。

「そうだな、健康ならなによりだ。ということでこの話は終わりだ」

天辰先輩がそう締めると、小梅はホッとした表情をみせ、夜慧はどこか浮かない顔をした。

放課後、相も変わらずな顔をしてる夜慧の脇腹を小突いてやる。

「んだよ」

「なにがそんなに不安?」

「わかんねぇ。ただ、なんか、モヤッとする」

夜慧のその気持ちはなんとなくわかる。なにか一つ、しこりがあると気になって仕方がなくなる。そして大体その、しこりは悪いこと。

「先輩言ってたじゃん『気にすんな』て。なに?この後、校舎裏にでも呼ばれると思ってる?」

私の精一杯のボケに夜慧は仏頂面で返してきた。

ジャージのチャックを上げため息を一つ。

「――小梅を見習った方がいいのかもね」

小梅はというと、すでに着替え終わり葵と戍亥先輩たちとキャッチボールをしてる。

「猿真似、てか」

「誰が猿だ!」と小梅が体育館側から声を上げる。

「ほんと、変なところで地獄耳だな」

夜慧は微かに笑ってみせ更衣室を飛び出した。


あの――と練習終わりの、火照った体冷めぬうちに私は卯ノ花先輩の元に向かった。

「どうかしたの?どこか捻った?」

「あ、いえ。あの、昨日借りたノートなんですけど手紙が挟まってて」

私はノートを開いてみせた。

「そういえば挟んだままだった。まあ、別に読まれて困る手紙でもないけど」

ありがと。と卯ノ花先輩が手紙を受け取る。

「ノートはまだ借りてていいんですか?」

「全然平気。あ、ルールとかでわからないことあった?」

それなら。と私はノートをパラパラとめくり、例のアップのページを開いてみせる。

卯ノ花先輩は笑うなり楽な姿勢をとった。

「ソレ、気になるんだ」

「それで結局この、アップていう変化球を先輩方は投げれたんですか?」

卯ノ花先輩は頭を振った。

「完全には物にしてない感じかな。ま、私はともかくネムとかはいつの間にか投げれるだろうけど。他に気になるところはある?」

いえ。と私はノートをしまい「ありがとうございました」と一礼し、正門前で待っているであろう夜慧たちのところへ駆け出す。

「あ、と。変化球ばかりじゃなくて受け止める練習も怠らないように」

後ろから卯ノ花先輩がそう叫んだ。

「お待たせ」

「先輩に聞きたいことは聞けた?」

うん。と葵に返す。

「よし、よし、それじゃあ、いつもの餅菓子屋に行こう」

葵がそういうと「いや――」と、どこか凛とした態度で夜慧が制す。

「わるいけど、私たちは行かない。今日は早く帰ってゲームをする」

「反省したかと思えばゲームはやるんだ」

「もう、わかってないな。ゲームはヒーリング、一日の疲れが癒されるの」

あっそ。と適当にあしらう。

「和はどうする?」

「私は――行こうかな。金平糖とか甘いものが食べたい」

私と葵が歩き出すと後ろから小梅が駆け寄ってきた。

「やっぱり私も行く。甘いもの食べたい!」

「別についてくるのはいいけど、後ろで叫んでる夜慧はどうするの」

「ほうっておいていいよ。それより何食べようかな。甘味はヒーリングだからね」

こいつ都合のいいことしか言ってないな。そう思いつつ結局全員で餅菓子屋に向かった。

それから二日経ち来る土曜日。

基礎的なことは出来るようになった――と思う。

ただ、これでいいのかと思うところもあるが「これ」がなんなのか自分でもよくわからず、靄となり、しこりがまた一つ。

「みんな、入って大丈夫だって」

受付を済ませた久末先輩が手招いてる。

「それじゃあ、行こうか」

天辰先輩の後に続いて校内に入る。

「小学校、てだけで懐かしい気持ちになるのは、なんでだろうな。建てもんとかは、中学も、高校も、そんな変わんねえのに」

夜慧が隣でぼやく。

特段、これといって部のユニフォームもないので、ジャージでストレッチをしてるところに小学生たちがやってくる。

クラブのユニフォームだろうか全員お揃いだ。

「本当に小梅が沢山いるみたいだね」

「あそこまで小さくないやい」

いや、どっこいどっこいだろう。それに比べ葵はきっと巨人だと思われてるだろう。

「今日はよろしくお願いします」

久末先輩がコーチの人に挨拶をしている。

戻って来るなり「今すぐ練習試合に出来るそうよ」と嬉しそうにいう。

どうする?と私たちは聞かれたが『かまわない』ということで一致した。

「それでね、今日は特別に13体12人でやれるようにお願いしてあるの。だからみんなで楽しみましょう」

久末先輩の言葉を受け、コートに入ると胸が早鐘を打ち出した。

緊張してるのか、はたまた失態するのが怖いのか、どちらにせよ、うるさくて邪魔だ。

試合開始の笛が鳴る。ジャンプボールは葵が余裕でとった。

卯ノ花先輩が球を掬い、外野の凪先輩へと投げ込む。

そこから体を温めるように、天辰先輩と凪先輩で二往復ほど投げあい、三往復目にして奇襲をかけるように、天辰先輩が相手陣地に投げ込む。

当然とれるはずもなく一人アウトに。

楽勝じゃん――そう思った。

だけど、結果は私たちの負け。コート内に残った最終的な人数が小学生の方が勝ったのだ。

天辰先輩が一人打ち取った後、反撃の一撃で小梅がアウトに。

とってとられての繰り返しの中、私――私たち一年はなにもできなかった。

小学生たちも穴に気づいたのだろう、私たちに狙いを定めてきた。最後まで食らいついていた葵も打ち取られ、終了間際に酉水先輩も打ち取られたことにより負けに終わった。

小学生に負けた――垂れる汗も早鐘も気にならないほど、その事実だけが突き刺さる。

「楽しかったわね」

その一言が私の意識を引き戻すと同時に、焦燥感を掻き立てる。

だけど、その一言をいったのは誰でもなく、久末先輩だった。

そして気づいた。暗い顔をしてるのは一年だけだということに。

久末先輩たち三年生は言わずもがな、二年生の寅谷先輩たちも『悔しい』と口にするものの、顔つきが楽しかったということを物語っている。

「和ちゃんはどうだった?はじめての試合だったけど楽しめたかしら」

「いえ、その――」

「そう。でも楽しかった、てきっと思えるようになるわ」

そういう久末先輩は、どことなく悲しそうだった。

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