第4話
「日乃江この後用事は?」
午後のホームルームが終わるなり、桃香が後ろの席から半身乗り出して聞いてきた。
「特にはない」
「じゃあ部活見学行こうよ」
「――ドッジボール部か?」
「おぉ?もしかして戍亥に聞いた?」
ちとせから。と言ってあたしは席を立つ。
「そっか、そっか。なら話は早いねぇ。戍亥たちは先に行ってるからちとせを迎いに行こう」
ちとせを迎いに他教室へと行くがいない。
「先に行ったんじゃない?」
「そうかなぁ。あ、そこのキミ――」
桃香が教室に残っていた生徒に話しかける。
生徒に礼を言い桃香が戻って来た。
「ちとせね、保健室だって」
「もしかして」
桃香がうなずく。
保健室に向かうと片腕に包帯が巻かれた、ちとせがいた。
「大丈夫か?」
あたしは適当な椅子に腰かけ聞いた。
ちとせは普通の人より皮膚が薄い。だから、どこかにぶつけたり擦ったりすると簡単に血だらけになる、今回もたぶんそうだ。
「擦っただけだから、跳び箱に。寅谷、巳之口ごめんね。探してたんでしょ?」
「気にしない、気にしない。それで部活の見学はどうしようか?」
「やめておいた方がいいだろう。今日もみるだけなんだから」
ちとせは少し目線を下げたかと思うとまっすぐ、わたしをみつめた。
「行きたい、私も。ダメ――かな?」
篳篥のこと以外で、感情的になるちとせをみるのは、はじめてだった。
あたしたちは戻って来た養護教員に礼を言い、保健室を後に体育館へと向かう。
「――乗り気じゃない?」
桃香が言う。
「まあ。そういう桃香は随分とノリがいいんだね」
「新品のゲームをはじめる。今の気分はそんなかんじなんだぁ」
「ゲーム、ね」
果たして、そのゲームは面白いものなのか。そんなことを思いながら体育館へと踏み入ると、いの一番に戍亥たちの姿が目に映った。
「午居先輩いきますよ!」
「いやぁ、若いっていいですね」
汀が全力で投げた球を先輩は軽々と受け止めた。
「あ!日乃江!」
凪がこちらに手を振る。
「おや、今日も見学していってくれるのかな?」
「ええ、まあ。そのつもりです」
ウルフカットの先輩が微笑む。
「それじゃあ、軽く自己紹介しようか。わたしは天辰渡浪、副部長をやらせてもらってる」
天辰先輩が横の黒髪の先輩をみる。
「私は卯ノ花雪(うのはなゆき)よろしく」
「うーたん、あなたはこう『別になれ合うつもりはないから』という感じの、クールツンデレキャラでいかないと」
先ほどまで汀の相手をしていた先輩が、いつの間にか敷かれている茣蓙の上で、卯ノ花先輩に対して何かを言っている。
「あ、私は午居かんな(ごいかんな)です。覚えなくていいですよ」
「かんな、あんたこそ不真面目キャラ、やめたら?」
「私のはうーたんと違って素なので」
「かんな、『うーたん』呼びやめないと、その茣蓙切り刻むわよ?」
卯ノ花先輩がそういうと牛居先輩がわざとらしく『おいおい』と泣き出した。
「気にしないで、いつもの二人だからそれで――」
「あたしは寅谷日乃江(とらたにひのえ)です」
「うちは巳之口桃香(みのくちとうか)。それで隣が――」
「酉水ちとせ(すがいちとせ)、です」
ちとせが頭を下げると戍亥たちが元気よく手を挙げた。
「私は戍亥汀!(いぬいなぎさ)」
「私は戍亥凪!(いぬいなぎ)」
『よろしくお願いします!』と、二人声を合わせ頭を下げる。
この場にいる全員が自己紹介したところで気づいた。あの人がいない。
そのことについて聞くまでもなく、天辰先輩が口を開く。
「あと、今日は用事で来れないでいるけど部長の久末懇、以上私たち四名で部活をやってる」
「部と言っても小学生の延長戦でしかないですが」
午居先輩がそういう。確か、前にもそのようなことを言っていた。
「それで、こうして見学に来てくれたんだ、見学じゃなく三対五で対戦していかないか?」
あたしは桃香たちをみた。あたし以外ヤル気のようだ。
「その、ルールは?」
「元外アリ、そして三分間で全滅させるか、相手より多くコートに残ってれば勝ちよ」
なるほど、小学生のときのルールそのままか。
あたしたちは話し合いの結果、元外に汀をだすことにした。
対する天辰先輩側からは卯ノ花先輩が元外に。
コート内は二対四。圧倒的にこっちが有利。
「それじゃ、はじめようか」
天辰先輩がコート中央でボールを高く上げる。
自軍のコートにボールを落としたのは午居先輩。
「うーたん、いきますよ」
「かんな、覚えておきなさいよ」
「おー、怖」
二人の送球がはじまった。
三回目の送球で卯ノ花先輩が動いた。足を踏み込み、投げ込んだ球があたしたちのコート上を貫く。
振り返ると天辰先輩がすでに追撃の構えを取っていた。
「ちとせ、アウト」
繰り出される速球を受け、ちとせが打ち取られる。
「ちとせ、大丈夫かい?」
桃香が当たった腕をみている。赤くはなっているが裂けてはいないようだ。
「日乃江、これはマジにならないとヤバイかもね」
あたしは返さずただ一点、天辰先輩をみつめた。
珍しい白銀色の瞳。その瞳がぎらつく。
――怖い。
構えて受け止めようだとか、避けようだとか考える前にそう思った。
鉛のように強張った体を引きずってどうにか球を躱す。
当然後ろから卯ノ花先輩の球が有無を言わさず飛んでくる。
当たる――そう、思った球を横から滑り込んできた凪が受け止めた。
お。と先輩たちから声が上がる。
「汀!」
凪が崩した体勢から、山なりに球を投げる。
しっかりと受け取った汀が渾身の一撃を見舞う。
だが、起死回生の一投にも、わたしたちの反撃の狼煙ともなりやしなかった。
午居先輩が手の甲で球を真上に弾き、余裕を持ってキャッチしてみせたのだ。
汀だけではなく凪も悔しそうな表情をみせる。
結果として蹂躙、圧倒的としか言いようがなくわたしたちの負けで終わった。
「くやしい!」
うがぁ。と腕をブンブンと振り回し、駄々をこねる汀の頭を押さえながら、あたしはどこか居心地の悪さを感じてた。
みれば、汀だけではなく桃香も凪もちとせも、悔しそうに眉を顰めたりしながらも、どこか『楽しかった』という表情をしている。
あたしにはそれがなかった。特段、悔しいとも、果ては、楽しいなんて思えなかった。
早く帰りたい。そんな気持ちがイライラさせる。
「ちょい、ちょい――」
そんなあたしに声をかけてきたのは牛居先輩だった。
「つまらなかった、そんな感じですね」
ふふ。と、体育館の外に連れ出されたかと思えばそう聞かれた。
「ああ、答えなくていいですよ。それよかどうです?一緒に帰りませんか?」
「え?」
「私これから用事なんで今日はこれで帰るんですけど、どうです?泥船に乗ってみません?」
あたしは体育館の中に目をやった。桃香たちは楽しそうに先輩たちと談笑していた。
「――わかりました」
「ふふ。では行きましょうか」
うまく言いくるめられた、そう思いながら牛居先輩の半歩後ろを歩く。
「いやぁ、お互い良き友人を持ったものですね。ちょっと用事があると言えば簡単に抜けさせてくれる。と、そんな良妻の真似してないで隣に来てくださいよ。話しづらい」
あたしは歩を速め、牛居先輩の横についた。
顔つきで言えば、汀や凪よりも幼い顔に夕日が差す。
「用事がある、というのは嘘なんですか?」
「いやいや、ありますよ。あなたと話す用事が――なんて、そんな気の利いたことを言える先輩ではないので。ああ、用事ならちゃんとありますので」
完全にもてあそばれてる。だが、なぜだろう悪い気はしなかった。
「あの、あたしはこっち方面なので」
「そですか。では、そちらに行かれる前に、泥船の渡し賃を払ってもらいましょかね」
午居先輩の視線の先には餅菓子屋があった。
「――やはり、みたらしですかね。日乃江はどうしますか?」
「あたしは大丈夫です」
決して重くはない財布から小銭を取り出す。
やっと帰れる――そう思ったのだが。
「日乃江、あなた、お金に困ってますか?」
牛居先輩が怪しい勧誘の謳い文句のようなことを言ってきた。
「ああ、怪しい勧誘とかではないので。そですね、欲しいものとかあったりします?」
「それ聞いてどうするつもりです?」
思わず当たり散らすように返してしまったが、牛居先輩はあっけらかんとしていた。
「どうするかは、返答次第ですね。もしや日乃江は物欲がなかったり?」
「いや、あたしにも欲しいものぐらい――」
「あるんですね?では行きましょう。ああ、怪しい勧誘ではないので」
ふふ。と、みたらし団子を片手に、牛居先輩が歩き出す。
『行きましょう』とは言われたが『ついてこい』とは言われてない。だからこのまま帰ってしまおうかと思った、のだが。
あたしの好きにしろ。とでも言うように牛居先輩は、振り返ることも、足を止めることもなく、歩き続ける。
あたしは頭を掻くと、ゆっくりと後を追った。
先輩の後を追ってついた場所は、小さな社がある神社。その神社の、これまた小さな社務所に牛居先輩が入ってゆく。
中から手だけが伸びて、くいくいとあたしを呼ぶ。
「――失礼します」
とりあえず、そう言っておけばいいだろうと、中を覗く。
「ここまで来たんです、とっとと入ってきなさいな」
「あの、先輩の用事ってバイト、ですか?」
「いえ、私はれっきとした御神子ですので」
牛居先輩がお茶を啜りみたらし団子に齧りつく。
「言いたいことがあればどぞ」
「あ、いや別に」
そですか。と先輩が奥の箪笥から、御神子の衣装を取り出し、あたしに被せてきた。
「ふむ、少し小さいですかね」
「あの、一体なんなんですか?」
「質問の受付期間は過ぎたのですが、まあいいでしょう。御神子のバイトでもどうかと思いまして」
いやいや。と、あたしは首を振った。
「え?どういうことです?」
「さっきから疑問ばかりですね。あなた、お金に困ってるのでしょう?ならここでバイトなんてどうかと思ったのですよ。暇な時に来て、時給千五百円代の日払いでどうです」
牛居先輩が冗談で言ってるのではないのなら、はい、喜んで。と言える。だけど――。
「――どうして、あたしにそこまでしてくれるんですか?」
「少し考えればわかるかと。あなたと私の接点なんて、一つしかないでしょうに」
確かに一つだけだ。
「ドッジボール部のことですか?」
「ご名答。早い話が御神子のバイトで釣ろう、ということですよ」
「――どうして、そこまで熱を持てるんですか?」
思わず出てしまった言葉に後ろめたさを感じる。
牛居先輩は茶を一口啜ると「ふむ」と頬杖をついた。
「私もどちらかと言うと、あなたと同じですよ?特段部活に熱があるわけがない。ただ、日本には『踊る阿保に見る阿呆』という素敵な言伝がありましてね、私はそれに乗っかたんですよ。懇たちが阿保なことをやるなら、私も斜に構えてないで阿保になろう、と。熱なんて要らないんですよ、不安を盾に生きるぐらいなら阿保に生きる方が楽しい、とは思いません?」
牛居先輩が茶を飲み切りケラケラと笑う。
――不安を盾に、か。
大学が、就職が、と、かこつけて部活なんてしてる場合じゃないと頭ごなしに拒絶していたけど、部活に当てる時間で勉強や資格を取得するのか、となると、あたしはやらないだろう。
一年の時と変わらず、雑誌読んで、ネットサーフィンして、プラモを組む、そんな毎日がまた待ってる。
一瞬、意識の外に追いやっていた牛居先輩はもう笑っておらず、慣れた手つきで御神子の衣装に着替えていた。
あたしはこの場でどうすればいいのか分からず、とりあえず抜け出す口実を作る為、端末を起動する。
桃香たちから連絡が来ていた。喫茶店で話し合うらしい。
口実としてはこれ以上なかったが、きっと話と言うのは部活のことで、ドッジボール部のことだろう。
ここ最近、夏の蚊のようにドッジボールが付きまとってくる。
あたしはため息を漏らした。
「ま、ゆっくり考えなさいな若人。あ、ちなみにあなたがどんな部活に入ろうが、御神子のバイトは受け付けますので」
ふふ。と笑う牛居先輩を後目に神社を出る。
『行くよ』そっけなく桃香に三行で返して、とぼとぼと陽が落ちた道を行く。
「ああくそ!」と道端の石を側溝に蹴り落とし、あたしは走り出した。
息も切れ切れに、駆け込んだあたしに対して、桃香は「どうしたの?」という言葉と共にタオルを渡してきた。
「――なるほどね」
「戍亥とちとせは?」
「中で待ってる」
戍亥たちと合流し、適当に注文を済ませ「さて――」と桃香が切りだす。
「改めて、部活動についてなんだけど。日乃江はどうしたい?」
「どうしたい、てなに?あたしになにしろと」
「ああ、ごめん言葉が足らなかった。いやね、ちとせが全員が納得できる部活に入ろう、て。うちらは――察しの通りなんだけど日乃江はあまり、て感じだったから」
「全員が納得できる、なんてのは無理だろ」
あたしはそう言うと、頭の中を整理するために水を一口含んだ。
「だからさ、ドッジボール部でいいよ」
「無理してる?ごめん、日乃江」
ちとせが申し訳なそうに謝る。
「別に無理なんかしてないから。それにもう、他の部活動見学に行ったりするのはダルイ」
そうだね。と桃香は笑う。
次の日。放課後、全員揃って久末先輩に入部届を渡した。
久末先輩は目を丸くしたかと思うと、微笑んで入部届を抱きしめる。
「よろしくね。みんな」
「日乃江」と桃香の間延びした声で、遠くに飛ばしていた意識が戻ってくる。
「なんか縁側に座ってるおばあちゃんみたいな顔してたよ」
「うるせえ」そういってすぐ、漫画なら『ドドド』というオノマトペ、アニメなら土煙が後ろに上がってそうな足音が聞こえてくる。
「――もっとうるさいのが来やがった」
「日乃江!桃香!こないだの一年生、和たちが部活に入るって!」
「どう、どう」
突進してくる汀の頭を桃香が押さえつける。
「ね?『まさか』が起きたでしょ?」
「そうだな。それに、これで部員が12人を超えた」
「試合!試合できる?」
かもな。と出た言葉は自分でも驚くほど欣快を帯びていた。
「ほら、昼休み終わるぞ」
あたしはジュースを飲み切り汀の頭を掴むと、クイッと向きを変え歩き出した。
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