第3話

「どうしたん日乃江。なんかぼーっとしちゃってさ」

あたしは溜め息一つ吐いて、視界を青空から桃香に向けた。

「新人、入ってくるかなって。そう思ってさ」

「大丈夫でしょ」

そう呟き、サンドウィッチの包装を剥がす桃香の横で、あたしは紙パックの野菜ジュースにストローを挿した。

「その根拠はどこからくるんだよ」

「んー、うちたちがドッジボール部に入ってるのが証拠?」

は?と、あたしは桃香をみた。

「うちらだって、まさかドッジボール部に入るなんて思わなかったでしょ?だからうちたちが予想だにしてなかった『まさか』が起きるよ」

あたしはジュースをちまちまと飲みながら昔のことを思い返す。


高校一年の冬。もうすぐ二年生だという時期に大事件が起きた。

急な全校集会。なんだ、なんだ。という声の中で『自殺者がでた』だの『爆破予告があった』だの、いろいろなうわさが飛び交った。

だが蓋を開ければ、自殺者だの爆破予告だの他人事、ひいては非日常の話ではなく、高校生活という日常によりかかってくるものだった。

コミュニケーション向上のための部活動強制加入。校長のながったるい話の中で、そのワードだけがあたしの頭に残った。

「大変なことになったねぇ」

他のみんなが授業もままならないほど動転しているというのに、桃香は普段と変わらず間延びした口調でそう言う。

「気楽だね。なんか当てでもあんの?」

「んー、今のところはないよ」

んだよ。と、あたしは頬杖をつき若干、学級崩壊している教室内を見渡した。

「今のところ――は、だよ。放課後ちとせと戍亥たちを誘って、部活巡りしようと思ってるんだけど日乃江はどうする?」

あたしは返事代わりにため息を一つもらした。

放課後体育館へとつながる廊下、そこの自販機前で待っていると、やかましい足音が聞こえてくる。

「日乃江!」

汀がそう声を張りながら、こちらに突っ込んできた。

その後ろから続くように凪が突っ込んでくる。

無邪気、意気衝天。そう捉えればいいのかもしれないが、同い年と考えるとどうも戍亥たちの行動はどこか幼稚、痛くみえてしまう。

「はぁはぁ――私の勝ち!」

「ぜぇぜぇ――もう一回!」

「外走ってこい」

わかった!と本当に走りに行こうとする汀の襟首を掴む。

「部活みにいくんじゃねえのか?」

部活!と二人が声を上げる。

それから桃香とちとせを待つが一向に現れない。

「――既読もなし。あたし帰るからもし桃香が来たらそう伝えて」

「ええ、一緒に部活見に行こうよ!」

「行こうよ!」

おまえら本当に同じ高校二年生だよな?そう思いながら汀と凪の腕を振りほどく。

「わーったよ。屋上見に行って、そこに桃香とちとせがいなかったら帰るからな」

確信はないがちとせ絡みということはたぶん、屋上にいるはず。と、あたしは空き缶をカゴへと放り投げ屋上へと向かう。

屋上への扉を開けると、茜色の広漠な景色が映った。

そんな景色の中、茜色よりも薄く頬を赤く染め上げながら、ちとせが篳篥を吹いている。

曲目はわからない。唯一自信を持って吹ける、と言っていた越天楽なのか、それともはたまた別の曲なのか。

どちらにせよ、あたしはここに来た理由を忘れるぐらい聞き入ってしまっていた。

ちとせが止め手を吹きあげ、肩で息をしたところで、ようやく本来の目的を思い出し、ちとせとその前で呑気に拍手している桃香の元へと歩き出した。

「おい」

苛立ちを隠さず二言に込めた。

「あ」

「おまえな――」

相も変わらずな友人をみて怒る気力が失せてゆく。

「篳篥練習したいって、私が言ったの。ごめんなさい、時間を無駄にさせて」

ちとせが割って入るなり謝ってきた。

「気にすんな。んじゃ、あたし帰るから」

「えー!部活見に行くんでしょ」

「もうどこもやってねえよ」

屋上から外をみると、グランドを使っていた部活がトンボ掛けをはじめている。

「うーん、これは完全にうちの失態だねぇ。帰りにうちがなにか奢るから、それで手を打ってくれないかな?」

わかった!と戍亥たちが声を上げる。

「お金出す、私も。責任、巳之口だけじゃない」

「いやいや、今回は本当に誘っておいてすっぽかしたうちの責任だから」

階段を下っていく途中、体育館がまだ明るいことに気が付いた。

「日乃江どうかした?」

「いや、なんでも――」

「あ、まだ明るい!まだやってるかも!」

かも!と戍亥たちが軽い足取りで、階段を駆け下りてゆく。

あたしは大きく溜め息を吐いた。

「あはは、ごめん」

「追いかける?戍亥たち」

私はもう一度体育館の方をみた。残っているのはバドミントン部かはたまた演劇部か。

気怠い。そう思わせるような足取りで、体育館へと向かう。

体育館の前へと来たが、しんっと静まり返っていて、とても部活で人が残ってるようには思えなかった。

――工事か点検でもしてんのか。

そう思い中を覗くと、隅っこの方に戍亥と数人の先輩が談笑していた。

汀がこちらに気づき、手を振り叫ぶ。うるさい声が体育館に響く。

「こんにちは。うーん?こんばんは、かしら?」

顔に違わず綺麗な声の先輩がふふ。と笑う。

あたしはとりあえず「こんにちは」と返し、腰を下ろした桃香にあわせて、恥じらいもなく胡座を掻いた。

「日乃江!日乃江!先輩たちドッジボール部なんだって!」

「ドッジボール部、ですか」

ドッジボールなんて言葉いつぶりに聞いただろう。

「ドッジボールかぁ。小学生以来だなぁ」

そういう桃香の隣で、ちとせが小さくこくりと頷いた。

「その小学生がやってることを、大真面目にやってるのが私たちです」

茣蓙の上で茶を啜る先輩がそう言った。

「いや、あんたは不真面目でしょ」

これがいつものやりとりなのだろう、綺麗な声の先輩が「ふふ」と笑った。

「あの――」と碌な考えてもないのに言葉だけが先走る。

「おい、お前たちいつまでいるつもりだ」

ちょうど見回りに来た先生のおかげで、あたしの言葉はなかったことにされる。

正門前、先輩たちと別れるときにウルフカットの先輩にこう言われた。

「明日の放課後も部活をする予定だから、気になるようだったら来るといい」

戍亥たちは「はい!」と答え、ちとせは一瞬間を置いてうなずく。わたしはなんとも言わなかった。

「桃香はどう思う?」

「うーん、いいんじゃないかなぁ」

相も変わらず適当な友人の言葉に、自然とため息が出た。


次の日、学校へと行くとまるで駅前のビラ配りのように部活の勧誘が行われていた。

人込みを縫いながら下駄箱へと向かい、靴を履き替えていると自販機の前に昨日のウルフカットの先輩がいた。

――勧誘、しているわけじゃないのか。

何をしているのか気にはなったが、無視して教室に向かう。

昨日と打って変わって、教室の中は部活動の話題で盛り上がっていた。

先輩がカッコイイだの、ストレス発散にいいだの、そんな黄色い声が響く。

あたしはそういう気分にはなれなかった。

二年生に上がったらバイトして金稼いで、気になっていたプラモを組む、そんなちっぽけなあたしの目標が脆くも崩れたのだから。

「ひどい仏頂面だねぇ」

桃香が前の椅子の背もたれに前屈みで垂れながら言う。

「一夜にして鯨幕から紅白幕に変わってんだ。そういう顔もする」

「確かに今日の騒がしさはお祭り騒ぎだねぇ。もしかしたら、みんな食わず嫌いなだけだったのかも。ほら、よく聞かない?最初は反対だ―て言ってたのに、いざはじまってみたらさも賛成してました、みたいな話」

「それ桃香自身の話?」

「うちは元より中立派」

「中立、て。無関心の癖に騒ぎ立てる一番メンドイ奴の立ち位置じゃん」

ひっひっひ。と変な笑い声を残して、桃香は自身の席へと戻っていく。

部活か――改めてそんなことを考えていたら午前中はあっという間に過ぎた。

ふぅ。と軽く吐いた溜め息は、がらんとした教室に溶けこんでゆく。

昼飯を買いに教室をでると廊下を駆ける音が。

「日乃江ー!」

他人の振りをしたところで意味はないのだが、無視して先を進む。

「日、乃、江ー!」

次が読めたあたしは、壁によりかかるように半身になって汀の突進を躱す。

「危ないだろ」

「えへへ、ごめん!それよりお昼だよ!お昼!」

ああ、昼だな。とあたしは歩き出す。

「一緒に食べようよ!桃香もいるし午後どの部活見に行くか決めようよ!」

「悪いけど今そういう気分じゃないんだ」

「わかった!でも部活見学は一緒に行こうね!」

あたしは返事を返さなかった。

購買部に向かうと人だかりができていた。手際よく部員が捌いているが、並ぶのも億劫になり、なんとはなしに屋上へ。

春や夏なら屋上栽培で採れた野菜を買うこともできたが今は冬。

それに、いやに腹の減っている今のあたしでは、野菜を買えたとしても何の足しにもならなかっただろう。

寒さゆえか屋上に人影はなかった。いや、一人いた。

小鳥が啄ばむように、ちとせがサンドウィッチを食べている。

ちとせもこっちに気づいたらしく、小さい手を振ってみせた。

「ごはん?これから」

「いや、飯は食った」

あたしはそういうと、ちとせの隣に座り込んだ。

「食べて、よかったら。作りすぎちゃって」

ちとせらしい可愛げのあるピクニックバスケットをこちらにみせてくる。

確かに、ちとせにしては作りすぎな量のサンドウィッチが入っていた。

「こんなにどうした?戍亥たちにでも作ってきたのか」

ちとせが首を振る。

「体力をつけようと思って。ないから体力、わたし」

「――部活のためか」

うん。と、ちとせが小さくうなずく。

「ちとせには篳篥があるんだから、音楽研究部に入ればいいんじゃない?」

「やるなら、一緒がいい。部活、みんなで」

「そう」

あたしはバスケットからサンドウィッチを一つ手に取る。

「ちなみにだけど入ろうと思ってる部活あんの?」

「ドッジボール部。いいねって昨日、帰りに戍亥たちが。どう思う?寅谷」

「あたしは、別に」

戍亥にちとせがいいと思っているなら桃香もきっと同じだろう。ということは必然的にドッジボール部に入部することになるのだろうが、それに対してあたしはどうとも思わないというか、熱意的なものが湧いてこないというか。

「サンドウィッチおいしかった。ごちそうさん」

「うん。また、放課後」

小さな小鳥が飛び立った後も、あたしはベンチから寒空をぼうっと眺めていた。

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