第47話 ロレンツォ・ロッシにお支払いされたし

〈暴雪竜〉オキニクス。それがこの異常気象を引き起こしている存在の名だ……と、その若い祓魔官エクソシストは言った。

 ロレンツォは合点がいった。ドラゴンという連中はいつの世も気まぐれに現れては、そこにいるだけで環境ごと大きく変えてしまう。


「勝てる……のか?」


 ロレンツォが思わず呈した率直な疑問に、少年は笑って答えた。


「先ほどは仕留めるなどと豪語してしまいましたが、追い払うだけでも任務達成ではあります。今は強烈な息吹ブレスで煙に巻かれて散り散りになってしまったため、これから再度集まって決戦、という感じですね。勝てますよ。勝ちます、が……できればあなたに、我々の武運を祈っていていただきたいのです」

「儂に?」

「はい。といいますのも付与エンチャントしましたその炎、私が死ぬか意識を失うと、消えてしまうようになっていまして。この危険な環境が維持されている間は点けっぱなしにしておきたいわけです。そしてオキニクスがいなくなれば天候が戻り、初夏の陽気に照らされ、じきに雪は溶け去る。そうなればあなたにも安全にお帰りいただけるという寸法ですね」


 言いながら少年は立ち上がり、コートの裾を整えた。


「私の魔力のことならご心配なく。吸血鬼ゆえ狭義において無限でありますので。さて、ではそろそろ行かなくてはなりません。いただいたお食事、本当に美味しくて、元気が出ました。ありがとうございます」


 少年が颯爽と立ち去ろうとするので、ロレンツォは慌てて呼び止めた。


「待て……お前さん名前は?」

「名乗るほどの者ではありません」


 踵を返す少年だが、扉を開ける前に、横顔で振り返る。


「我々吸血鬼は、よく用いる使い魔から蝙蝠こうもりに喩えられます。かつては夜の王との誉れを受けながら、この魔族社会においては翼のある鼠に過ぎないということですね。炎を帯びる私はさしずめ〈火鼠ファイアラット〉とでも名乗っておきましょう」

「ダサいのう……」

「では、そうですね。敵味方を恣意的判断にて峻別し、おおむね物理法則を無視できるこの炎から、〈専断フィアット〉で通すとします」

「五十歩百歩じゃのう。両方覚えておくとするわい」

「フフ。あいにくネーミングセンスには自負がなく……このあたりでお暇させていただきます。またどこかでお会いしたいものです」


 挨拶もそこそこに漆黒の翼を広げて、いまだ衰えぬ吹雪の中へ飛び出していく彼の背中を、ロレンツォは見送るしかなかった。




「……それからしばらくして雪が止み、覗いた晴れ間が広がったあたりで、上着に宿っていた炎が消えた。タイミングからして彼奴あやつが死んだのでなく、頃合いと見て任意で解除したのじゃろう。そう思っていたんじゃが……後に発せられたこの件に関する教会の広報には、ハルバラの勇者たちと称して、動員されたチームのメンバーが年齢・任地併記で紹介されていたのに、彼奴と思しき十五歳前後の少年の名は載っていなかった。果たしてあれは儂が見た、夢幻の類だったのか、それとも……」

「……あるいは亡霊かもな」


 ロレンツォの語りを遮り、〈執着スティック〉とか呼ばれているツナギの筋肉男がそんなことを呟くので、ロレンツォと〈鬼火ウィスプ〉のお嬢ちゃんの眼が〈亡霊ファントム〉を向いた。


「いや、こいつのことじゃない。そいつはいわゆる〈しろがねのベナンダンテ〉の一員だったんじゃないかって話だ」

「というと、秘密部隊の……実在するのか?」

「おそらくな……奴らは公にできない〈夜〉の案件に動員される。一方で〈昼〉の通常任務においても、危険な役目に回されることが多いと聞く。その勇名は轟くことなし、闇から闇へと蠢く亡霊なり……といったところか」


 訳知り顔で語る〈執着スティック〉の脇腹を、しかめっ面の〈亡霊ファントム〉が肘でつつく。


「なんでお前がそんなこと知ってんだ」

「〈輝く夜の巫女〉から聞いた」

「もう結婚しろよ」

「だからしようとしてる」

「そうだった……」


 がっくりと項垂れる〈亡霊ファントム〉を放置して、〈執着スティック〉はロレンツォに向かって話を締め括った。


「こっちのことだ、気にするな。つまり、その〈専断フィアット〉なる少年に相応の実力があるなら……なんのことはない、今もミレイン市で祓魔官エクソシストをやっていることは想像に難くない。そういう話だ」

「そうか……彼奴あやつが元気ならいいんじゃが……」


 なにが確定したわけでもないものの、気に病んでいたことが多少なりとも寛解したことで、ロレンツォは自ずと深く息を吐いている。

 一方の〈亡霊ファントム〉は頭を抱えたままこぼす。ロレンツォにもなんとなく趣旨が理解できてきた。


「〈巫女〉案件の最初の依頼主がよ、確かこう言っていたんだ。『彼女は我々五人それぞれに対し、世に珍しき宝の入手を課した』……なるほどね。ロレンツォ爺さんがしてくれた話は『火の衣』……『火鼠の皮衣』なるものが実在するというエピソードとしては成立する……その話の中ではな。だがじゃあいざ実物を持って来いと言われると、それは原理的に不可能となる。当たり前だ、特殊な性質を持つのは、布じゃなく炎の方なんだから」

「ははあ……どうやらお前さんたち、こいつをダシに一杯食わされたようじゃな?」


 ロレンツォが〈火鼠の皮衣〉を持ち上げつつからかうと、〈執着スティック〉が肩を落として言った。


「そのようだ。俺は性懲りもなくまたあの女に担がれたらしい。あるようでない、ないようである……そんなものを求めるより、裂けば血の出る肉を追う生活に潔く戻るとしよう」

「決意表明がやたらと物騒なのを除けば、丸く収まりそうで良かったぜ」

「いいの? 本当に本物を探せばあるかもよ」

「それこそ雲を掴むようなものだろう。市内にあるというから探したんだ、そこまでする気はない。お前たちが思うよりも、俺はかなり気が短いぞ」

「なんの宣言なんだよ……悪ぃな、俺らもこれ以上はどうしようもねぇ。なにより……」


 内輪の話が終わったようで、〈亡霊ファントム〉が改めてロレンツォに話しかけてくる。


「あんたの大切な思い出を聞いちまったからには、とてもじゃないが盗めねぇ。悪かったな、爺さん。これで窓を直しといてくれ」


 そう言ってテーブルの上に、どこが出所とも知れぬ札束を無造作に置いてくるので、ロレンツォは顔をしかめた。


「どうせ盗みで得た汚い金じゃろう。受け取るわけあるかこんなもん」


 怒らせるつもりで吐いた台詞だったのだが、ある程度予期した答えでもあったようで、怪盗〈亡霊ファントム〉はマスクの下で冷静に笑い、あっさり引っ込め別の紙片を取り出した。


「だよな……なら、こっちならどうだ? これは俺の友達が知らんおっさんから貰ったものだ」

「より胡散臭くなったんじゃが!?」

「だが少なくとも盗みで得てはいない。そら、こうして裏書もきちんとしたためる。あんたの思い出に付ける値としちゃ、カスみてぇな額で申し訳ねぇけどよ」

「待て、まだ受け取るとは一言も……」

「いい話を聞かせてもらった礼だ。俺の気持ちだと思ってくれ。夜分に失礼した、慰謝料だとでも……じゃあな爺さん、邪魔したな」

「ちょ、おま……」


 返事も聞かずに、言うだけ言って、気づけば奴らは消えている。

 勝手な連中だと苦笑しながら、ロレンツォは紙片を検めた。


「銀行小切手か。額は……一、億……!?」


 なんとも現実味のない話だ。裏があるに違いないと、ロレンツォは文字通りの裏面を見る。

 案の定というか、裏書には門外漢であるロレンツォでも一目でわかる瑕疵があった。



“ジュンプージ”にお支払いされたし。ジョルジョ・パニーノより

“ファントム”にお支払いされたし。“ジュンプージ”より

 ロレンツォ・ロッシにお支払いされたし。

“ファントム”より



 なるほど、裏書が一人目から三人目まで連続している。これならロレンツォに正当な権利が発生する。

 間に妙な異名が挟まっていなければの話ではあるが。ジュンプージというのはファントムが言っていた、彼の友達の渾名なのだろう。


 ジョルジョ・パニーノなる人物からよくわからん奴二人の手を経てロレンツォのものになることになる。どう考えても正式な小切手としてまともな効力はない。

 だが〈亡霊ファントム〉はこれを「俺の気持ちだ」と言った。世間で怪盗と呼ばれ騒がれる男が、玩具のお金同然の紙クズを渡して満足するとも思えない。


「……そうか」


 たとえば今後〈亡霊ファントム〉がさらに名を上げたら。あるいは奴の友達だというどこぞの悪ガキが、あるいはジョルジョ・パニーノなる人物が物凄い偉業を成し遂げたら。この小切手にはとんでもないプレミアがつき、取引価格は一億程度が小銭に思える額まで吊り上がる可能性がある、そういうことか?

 もちろんその場合、直ちに現金化することはできない。そういうことがあるとして、それがロレンツォが生きている間に起きる保証も当然ない。


 ただ、これがロレンツォの遺産として残り、孫子の代まで受け継がれれば、いずれは思わぬ幸運を運ぶかもしれない。

 すべてが希望的観測に過ぎない。だからこそ奴は「気持ち」だと言ったのだ。


「フン……さすがは怪盗、夢見がちじゃのう」


 くだらん、と口では切り捨てつつも、ガキの気持ちを無碍にするのも憚られ、仕方なく引き出しに仕舞い込むロレンツォ。

 テーブルの前に戻ってきた彼は、用意したはずのないカップが置いてあるのに気づいた。


「……?」


 湯気を立てる中身を眼と鼻で検めると、どうやらホットミルクのようだ。おそらくあのお嬢ちゃんが固有魔術で錬成したのだろう。


「これでも飲んで昂った神経を鎮め、早く寝ろとな……? 夜中に叩き起こしくさったのは誰の仕業じゃい」


 つくづく苦笑が漏れる。得体の知れない女が入れた得体の知れない飲み物ではあるのだが、今夜はもうそんなことをいちいち気にしていられないほどめちゃくちゃだった。

 飲食物を粗末にするのも気が引ける。毒など盛るメリットもないだろう。口を封じようにもあのマスクの効果なのか、ロレンツォはすでに三人の風体をほぼ忘れてしまっている。


「……普通に美味い。逆に怖いのう……」


 飲んでみたが、特に体に異変はない。本当になんだったのだろう。夜中なので寝ぼけて見た夢とでも思いたいが、テーブルに置かれている品がそれを否定する。

 持ち出した栄光の手、置き去られた小切手、そして……。


「〈火鼠〉、か……生きてりゃ今は、十七か、十八か、そんなもんかのう……?」


 元気でやっているだろうか?

 美味いものを食ってるだろうか?

 今、幸せなのだろうか?

 側には誰かいるのだろうか?


「もう一度会えたなら、今度こそ言いたい……助けてくれてありがとう」


 ロレンツォには妻も子もいない。

 だから、勝手な話なのだが……。


「儂の……小さな救世主よ」


 彼のことを考えると、いつもは険しいロレンツォの顔が、自然と綻んでしまう。

 ロレンツォは彼のことを勝手に、孫のように思っているからだ。

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