第45話 照らすは栄光なり

「なんとか撒いたみてぇだな……」

「だねー」


 一瞬作った隙を突き、セルゲイを置き去りにして逃げ去るヒョードとレフレーズだったが、オスティリタが追ってくる様子はない。

 あれで諦めてくれるといいのだが。帰り道で襲われないことを願うばかりだ。


 とっさに本来の目的地方面へと逃げることができたのも幸いだった。

 安全を確認し、指を鳴らして〈執着スティック〉を喚ぶヒョード。


「〈怨念マリス〉とはカタがついたか」

「いちおうな。お前は大丈夫だったか?」

「久方ぶりによく眠れた。今はあまり良い気分ではないが、目的の輪郭がよりくっきりと浮かび上がった心地だ」

「なにがあったかは訊かないでおくねー」

「それがいい」


 話しながら走り続けているうちに、目的地である民家へ到着した。

常設隊レギュラーズ〉が教えてくれた「火の衣」の所持者は、名をロレンツォ・ロッシ。


 普通の名前だ。人間時代から使われている、普通の名前を持つ魔族は、特別な資質を生まれ持っていないゆえ、そう名付けられる傾向がある……らしい。

 もっとも後天的に化けているケースも多々あるので、油断していいわけではない。


「ちょっと失礼……」


 ロッシ邸の窓を極力静かに割り、こっそりと忍び込む〈亡霊ファントム〉〈鬼火ウィスプ〉〈執着スティック〉。

 相手は爺さんだ、耳が遠くて聞こえない可能性に賭けてもいい気もしたが……すぐにその考えを捨てなければならなくなった。


「「「!!」」」


 静かに進む三人の顔を、掲げられた蝋燭の光が照らし出したからだ。

 見つかった……だけならまだ良かった。燭台ではない。それは


「どうした盗人ども。この家にはなーんも金目のものなんぞありゃせんぞ?」


 暖炉のある部屋、ここはリビングのようだ。奥から片手で杖を突いて現れたのは、全身を赤い鱗に覆われた小柄な男だった。

 人蜥蜴リザードマンはこの時代には珍しい、日常生活に使う通常形態が人貌形態ではない……人間時代で言うところの「異形」「人外」に属する種族の一つだ。


 だから差別の対象になる、ということはほとんどないが、一方で人蜥蜴リザードマン猪鬼オークは、特別な資質を生まれ持たない者が多い。

 一方で彼らは武具や道具を使うのが上手いと言われる。たとえば今ロレンツォが掲げているのは人間時代から存在した有名な呪具、「栄光の手」というやつだ。


 絞首刑に処された者の手を乾燥させて酢漬けにし、同じ死体の脂肪から作られた蝋燭を設置する。

 これに火を灯すと、これを提示された全ての者どもを動けなくするという。


「「「……」」」


 今まさに三人ともがそうなっている通りだ。手足はもちろん瞬きも喋ることすらできない。

 首も動かせないのでヒョードは振り向いて確認もできないが、仮に〈執着スティック〉の視線が相手と合っていても、相手の至近に高速移動したところで、体が動かないのではどの道意味がない。


 ヒョードの固有魔術なら手を破壊することはできるだろうが、火が飛び散って大惨事になること請け合いだ。ただでさえ堅気に手を出すのは気が引けるのに、家を燃やすのは忍びなさすぎる。

 完全に詰んだ……もしこの場にレフレーズがいなければの話だが。


「さあどう料理し……えっ?」


 勢い込んで啖呵を切ろうとしたロレンツォだったが、「栄光の手」を掴む己の右手が、にわかに濡れる感触を訝しんだだろう。

 これもまた広く知られている通り、「栄光の手」に灯された蝋燭の火は、牛乳によってのみ消すことができるのだ。


 固有魔術を発動しながら、きっと彼女はウィンクしている。

 見るまでもなく確信しつつ、ヒョードは動くようになった体を、ジジイに向かって駆動する。


 まったく同時に〈執着スティック〉が、〈亡霊ファントム〉の傍らに到達している。

 抜く手も見せぬ早業で、ロレンツォから火の消えた「栄光の手」を引っ手繰る〈亡霊ファントム〉。


「ぬう……!」


 その拍子によろけたご老体を、屈んだ〈執着スティック〉が優しく受け止めた。

 ロレンツォは抵抗するかと思いきや、従容としてため息を吐くばかりだ。


「……やれやれ。泥棒風情に気遣われるとは、儂も衰えたもんじゃの」

「たまにはいいこともするものだな」


 こちらはこちらで殊勝なことを言いながら、ロレンツォを勝手に運んで、近くの椅子に座らせる〈執着スティック〉。

 行儀悪くソファの背もたれに腰を預けつつ、ヒョードは話を切り出した。


「手荒な真似をして悪かったな、爺さん。だが俺たちはどうしても、他の誰にも知られずに、あんたが持ってる『火の衣』を手に入れなきゃならなかったんだ」


 対するロレンツォの反応は、訝しげに眼を眇めるというものだった。


「『火の衣』……? なんじゃいそれは?」

「もちろんタダでとは言わねぇ、言い値で買わせてもらう。よほどめちゃくちゃな金額でさえなけりゃ、一週間あれば用意できると思うぜ」

「……貴様、最近噂の〈亡霊ファントム〉じゃろ? 予告状を出す気障野郎だという」

「ああ、その気障野郎だ。後出しになって悪いんだが、今回は諸事情あって、予告状ではなく誓約書を書かせてもらう。一週間経ってもあんたの提示した金額を用意できなきゃ、誓約書を教会に持って行ってくれ。お察しの通り、俺は自尊心と承認欲求の塊だ。契約一つ履行できず笑い物にされるというのが一番堪える。だからあんたが提示した金額を必ず……」

「だから、『火の衣』というのはなんじゃ?」

「……金の問題じゃねぇってことか? そうだ、〈執着スティック〉、お前が目的を果たしたら、『火の衣』もお前の所有物の一つになるよな? つまり貰うんじゃなく借りるって形なら……」

「おい聞け、名無しの〈亡霊ファントム〉、それともお前は耳無しか? さっきから言うとるじゃろ。その『火の衣』とかいう代物がなんなのかわからんことには、手放すもなにもない、儂が持っとるものなのかも判然とせんわい」

「なんだって……?」


 おかしい。〈常設隊レギュラーズ〉から上がってきた報告は、ロレンツォが「火の衣」らしきものについて、近所の住民たちに話していたというニュアンスだったはずだ。

 あるいはロレンツォ自身はなにか別のものとして認識している、ということだろうか? それとも、真価を理解せずに所持しているとか?


 困惑するヒョードの代わりに、レフレーズがロレンツォに「火の衣」について説明してくれている。

 やはり要領を得ない様子の彼に、〈執着スティック〉が付随する逸話である不尽木ふじんぼくについて語ると、老いた蜥蜴はようやく手を打った。


「ああ! もしかして、あれのことか!? 確かに自慢したことはあるが……」


 だが興奮したのは一瞬のことで、浮いた腰をすぐさま落ち着けるロレンツォ。


「……ちょっと待て。だとしたらどうやらお前さんは勘違いしておるな。

 まず……あれは儂の大切な思い出の品じゃ。いくら積まれようと譲ることはできん。

 そしてそもそも、あれはおそらくお前たちが求めとるものとは性質が違う。

 口で言われても納得できんじゃろう。これもなにかの縁じゃ、見せてやるからついて来い」


 そう言って椅子から立ち上がったロレンツォは、無防備に背中を見せ、杖を突いて奥の部屋へ歩き始めた。

 三人は顔を見合わせるが、結局は彼に従う。


「ほれ、こいつじゃわい」


 ロレンツォの寝室の壁に掛けられている黒い布らしきものを、彼は杖で示した。

 そのまま杖で引っ掛けて取ろうとするので、代わりに〈執着スティック〉が下ろして、ヒョードとレフレーズの前で広げてみせる。


「これは……」


 予想していたのとだいぶ違った。おそらくは雨風に打たれたらしき損傷で、ボロボロに破れたり綻んだりしてはいるが、奇妙なほど汚れがまったくない。燃えたり焦げたりという痕跡もない。

 ここまでは「火の衣」の要件に合致するが、多少擦り切れていても、見間違えようがない。それが元はジュナス教の祓魔官エクソシストが着用する、黒い制服であることは、ヒョードたちの眼からすると、火を見るよりも明らかだったのだ。


 ……いや、まだそういう特殊な布で織られた制服である可能性もなくはない。そういえば、カンタータが自分の作った土人形に、偽制服を着せて戦わせていたっけ。たとえばものすごく火に弱い祓魔官エクソシストのために特注で作られた耐火制服だったりとか……。


「ここではさすがに飛び火が困る。試していいから、居間に戻るぞい」


 三人が微妙に納得していないのに気づいたのだろう。問題のブツを〈執着スティック〉に預けたまま、元来た廊下を引き返すロレンツォ。

 リビングに戻ると、テーブルの上に置きっぱなしになっていた「栄光の手」を脇に退けて、推定「火の衣」を広げさせて言う。


「さあ、お立ち合い。古来より詐欺も手品も、あるいはこうして本当に証明しようという場合であっても、要諦は決まっておるな。仕込みの可能性を排除するため、場に元からあるものは使わない。誰か火種を持っておらんか?」


 唐突な流れにまごつく三人に対して、ロレンツォはあくまで冷静だ。


「けっして燃えないのなら、逆に言うと火ならなんでも同じこと。魔術でも道具でもなんでも構わんわけじゃろ。ほれ」

「あ、なら俺が」


 固有魔術を最小出力で手元に発動し、何度か火花を起こして調整している間に、横でロレンツォがレフレーズに囁くのが聞こえた。


「お嬢ちゃん、消火準備を」

「は、はい」


 結果を確信しているのだろう。しかしそれを先入観とは思うまい。

 火を近づけた制服の成れ果てが煙を上げて、燻り、着火するのをヒョードは見た。


「ダメだ!」

「ほいさ!」


 これでも判断の早さには自信がある。即座に見切りをつけて叫ぶヒョードに答えて、レフレーズが固有魔術を発動、比喩ではないミルキーウェイが奔流する。

 が、それよりさらに一瞬速く〈執着スティック〉が大柄な体でボロ制服に覆い被さっていた。


 即座に空気を遮断することによる窒息消火法だ。結果、彼は火だけでなく乳からも制服を守ることになった。

 テーブルと床同様にびしょ濡れになりつつ、体を起こした彼はロレンツォに苦言を呈する。


「思い出の品をシミだらけにしたいのか? 水をかけるにしても、ここまでボロボロでは乾かすだけで劣化する。俺たちが言うのもなんだが、大切なものなら大切に扱え」

「すまんの。お嬢ちゃんの能力なら、確実かつ手っ取り早いかと思って。だがこれでわかったじゃろ。これ自体はただのボロ切れに過ぎん。ただこれに関してあったことをそのまま話したエピソードが、あらぬ謂れを誤解させたというのも理解できる。まったく根拠がないわけでもないんじゃ。まさに火のないところに煙は、というやつかのう」

「……その謂れってのを、良かったら聞かせてもらえねぇか?」

「話せば長くなるんじゃが……」

「あんたさえ良ければ」


 ロレンツォ含めた全員が、いつの間にか各々椅子に腰を下ろしている。

 ロレンツォは完全に気を許した様子で煙草に火を点け、軽く一服吹かしながら、三人の顔を順に見て笑う。


「フフ、そう畏まるな泥棒ども。お前さんらの耳に、これの噂が届いた理由を考えろ。親戚や知り合いやらに、儂がことあるごとに吹聴しておるから……要は儂が話して楽しいからじゃ」


 今度は深く吸い、天井に向かって紫煙を吐き出して、その中に思い出を見るように、ロレンツォは訥々と語り始めた。


「あれは二年ほど前のこと……お前さんたちが街からあまり出ないなら、知らんかもしれん。当時……そうだな、祓魔官エクソシストやその候補生だった者に聞けばわかると思うが……。

 麗らかな初夏じゃった。降るはずのない雪に降られたせいで、独りで狩りに出ていた儂は、凍えて死にかけとった」

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