第23話 いや三十一はおっさんだろ(正論)

 このような仕打ちを受ける謂れはない。まるきり地獄の刑罰だ。

 しかし泣き言を垂れたところで、セルゲイの身を刻む剣林がなくなるわけではない。


 なんとか毒を寛解するのにかなりの体力を要した今の彼は、〈亡霊ファントム〉や〈鬼火ウィスプス〉は言うに及ばず、お世辞にも動きが速いとは言えない〈髑髏クレニアム〉が操る土人形たちが相手ですら、追いつけ追い越せ、良い勝負で競走が成り立つ程度という体たらくだ。


亡霊ファントム〉たちを普通に追いかけたいのは山々だが、間違いなく途中で土人形たちに捕まって終わる。

 人形どもを振り切るための紛れを得るべく、なんか変な場所……たまたま目についた『立ち入り禁止』と書かれた危険エリアに突っ込んだのだが、どうにも墓穴を掘ったらしい。


 学生たちや来園者たちを、遠ざけるよう配慮してあるわけだ。魔族たちの再生能力も絶対のものではない。

 しかし葉が刃の草木を植えまくり、いったいこのエリアではどういう研究をしているというのか!?


 完全竜化変貌で全身に鱗を発現し皮膚を守ってはいるが、体重がかかる足の裏は靴を貫かれすでにズタズタ、木々が揺れるたびに落葉するため、油断していると眼球をスパッといかれかねない。鱗もたまに切れ味の良いものや当たりどころの悪いものがズバッときては出血させてくる。今この消耗は看過しにくい。


 土人形たちはというと、纏っている偽制服の端々が浅く切れ、内容物と思しき砂がわずかずつ溢れている程度だ。

 時間をかければ機能停止に持ち込めるのだろうが、間違いなくその前にセルゲイがダウンする。


 内部循環込みでも距離を保つのが精一杯だ。やがてセルゲイは走るのをやめた。


「観念したようね」


髑髏クレニアム〉が囁くが……残念、その逆だ。

 振り返り様に外部放出。疾風息吹ゲイルブレスが轟いて、剣林弾雨を食らわせる!


 息吹も魔術と同じく魔力による現象だ、それ自体は土人形たちが纏っている偽制服に無効化される。

 だが暴風が吹き飛ばす木の葉はその限りではない。無数に舞う実体斬撃が木偶どもを苛み、深く刻んで血の代わりに砂を大量に流させる。


 一定の減衰を強いたところで、土人形たちは次々に萎み、ただのゴミ袋と化していく。

 人形使いのセオリーに反して、〈髑髏クレニアム〉は舞う土煙に乗じて身を隠すことなく、美しい立ち姿を無防備に見せたままだ。


 無言で対峙する二人のうち、先に口火を切るのは女の方だった。


「仕方ないわね。私の披露しましょうか」


 なんだと……!? ではさっきから操っている土人形は種族能力の方なのか!? それとも固有魔術にの基本技、あるいは覚醒しているなら覚醒する前の……。

 と思考は加速するがセルゲイは対処法を得るには至らない。さっきから彼女が土人形たちを操るのに使っていたのと同じ、不可視だが魔力感知によって把握できる糸……つまり魔力そのものでできた糸を網状に差し掛けられ、できるのは「俺の体を直接操るつもりか!?」という危惧までだった。


 そしてそれも的外れ。振り払おうにも魔力の塊ゆえ霊体のように透過してしまうのに、ある段階を過ぎると「締め付けられていく」という過程を経ず、「拘束されている」という結果だけすでに出力された後である。


 雨氷を帯びた蜘蛛の巣が、空中に白く輝いて浮かび上がるように、魔力の糸が実体のある網として完成するにあたり、伝播してくる冷気に蝕まれて凍えるセルゲイに、できることはなくなっていた。

 遠のく意識の中、〈髑髏クレニアム〉の囁く声を聞き届けるのが精一杯だ。


「お疲れ様。お眠りなさい、神父さん」




 失神したセルゲイを見下ろしつつ、結構ヤバかったかもしれない、とカンタータは反省せざるを得ない。

 レフレーズからファントムマスクとともに借りたこの氷冷系の魔石は、固有魔術の属性を誤魔化すために一度は使う予定だったが、逆に使わされた感が否めないのも事実だ。


 教皇庁の認定部門に正式登録されているカンタータの固有魔術は識別名を〈鋼線裁縫ワイヤーステッチ〉、金属製の糸を高い精度で操るという錬成系のものである。

 だが彼女の真骨頂は、蜘蛛精アラクネとしての生体物質として生成する、魔力吸収の性質を持つ黒い糸を「横糸」とするなら、数実体の土人形を同時並行で生成・制御できる魔力の糸が「縦糸」……この二つなのだ。


 自分で整理していてすらややこしいのであるから、身バレ防止の偽装としては十分だろう、と納得しておくカンタータ。

 おおむねそれは事実だろう。実力で対処し切れる範囲での話ではあるのだが。


「おー、やってんな」

「!?」


 まったく気配に気づけなかった。遅ればせながら身構えるカンタータを前に、その男は気遣わしげに声を掛けるという別次元の余裕を見せてくる。


「おっと、待ちなよ。ただの賊にしちゃ、お前さんあまりに複雑すぎる感情を発散してる……おじさん人狼だからな、そういうのはわかっちゃうんだ。ってちょっと待て!? 誰がおじさんだって!? 俺はまだ三十一だぞ!?」

「いえ、あなたが言ったのだけど……」


 逆立つ黒髪、悪相に長身、極限まで鍛え込まれた肉体……ここにいるはずはない、五年前にミレインへ、〈銀のベナンダンテ〉として飛ばされたはずなのだ。しかし見間違えようがないその姿を、カンタータはおっかなびっくり同定する。


「ベルエフ・ダマシニコフ……なぜあなたが、ここゾーラに?」

「俺を知ってんのか……ん? なんかお前、見たことあるような……なんだ? 変な感じだな……そのファントムマスクか、認識阻害の原因は」


 さすがに鋭い。さらに強まる警戒を感じたようで、ベルエフは慌てて手を振る。


「落ち着け、引っ剥がすつもりならとうにやってる。こりゃまず俺のスタンスからだな。手っ取り早く言うと、本部研修ってとこか。曲がりなりにも管理官マスターとしてやってるもんでね、それなりの経験やら教養やらを積ませないとってのを、お偉いさんたちがたまに思い出すようで、こうしてミレインから戻されたりもするわけよ。今日はゾーラ大学に客員として招かれてたんだが、例の予告状があったろ。大学側にやんわり依頼されただけで、教会側から正規の命令を受けてるわけじゃねえ。おじさんのことは、金持ちの家の庭に放たれてる番犬とでも思ってくれりゃいい。絶対噛みつくってわけじゃねえってこった」

「……とはいえこのまま私を逃がせば、立場を危ぶめるでしょう」


 少し考えたベルエフは、おもむろに提案してくる。


「こうしよう。お前をこのまま放っておけば、仲間と合流するだろ。おじさんそこまでついていき、一網打尽の大漁だ。合理的な行動でありながら、お前らにも俺をボコすチャンスが生まれる。一挙両得だろ」

「そんな無茶苦茶な理屈を拵えてまで、あの子たちを見てみたいの?」

「当たり前だろ。世紀の怪盗一味なんて、そうそう間近で会えるもんじゃねえよ」

「物好きね……せいぜい反逆の意思ありと見做され、銀の鎖を締め上げられないよう、自分で勝手に気をつけなさい」

「お優しいこって。お優しいついでに一つ頼みたいんだが」

「なに?」

……俺にもやってくんねえ? さっきから足の裏が痛くて痛くてよ」


 剣樹ひしめくこのエリアに立ち入るにあたって、カンタータは足の裏から鋼線を錬成して伸ばし、直接地面を踏まないようにしている。

 自前の頑丈さで無理矢理押し通り、血だらけながら平然としているベルエフに、彼女は宣告する。


「嫌よ。ベナンダンテのあなたには相応しいでしょう、そのまま責め苦を受けなさい」

「冷たいねえ。別にどっちでもいいけどよ」


 一見ヘラヘラしているが、この男もまだまだ新たに得たいものがあるのだ。おそらくは……まだ手の中に残っている、大切な存在を守るために。

 だったら自分もそうすべきだと、カンタータは改めて気を引き締めた。

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