第20話 準備万端? オーケーベイビー?

 セルゲイが元来た通りを戻っていくと、遠巻きに見ていたアズロラが拍手してくる。


「よくできまちたー。バブバブー」

「お前はいったい俺をなんだと思ってるんだ」

「コミュニケーション能力が赤ちゃんレベルのクソバカ真面目君。そのせいでカネモッテーラさんから顰蹙ひんしゅく買ったの忘れてないよね?」

「その節は本当にすまなかった。いつもありがとう」

「え、な、なに急に……」

「日頃の感謝を伝えただけだが」

「ずるいよ、眼鏡も存外似合うし……」

「それはなんの関係が……いや、そうなのか。なら普段からかけて……」

「ダメ、普段はかけないで」

「俺はいまだにお前がわからないぞ」

「わたしだって君のことがわからないよ」


 お互い様ということで、この話は打ち切り、アズロラは手紙の内容に言及する。


「いやーやっぱリューちゃんはすごいよねー。惚れ直した? 惚れ直したんでしょ?」

「惚れ直した」

「……」

「痛……いっ……なぜ無言で蹴る……? お前が訊いたから答えたのに」

「よーし、パトロールはいったんしゅーりょーってことで、本庁へ帰りましょー」

「アズロラ、俺はお前が今機嫌が良いのか悪いのかすらわからない。これは由々しいぞ」


 怪盗〈亡霊ファントム〉の仕事は早い。その日のうちにゾーラ大学付属植物園に『お化けの木をいただきに参ります』という、なんともロマン溢れる予告状が届いたらしく、そしてなぜその情報がセルゲイとアズロラまで伝わったかというと、上司に直接教えられたからだ。


「えーと……あんだけ利いたふうな説教垂れておいて、私も今更こういうことを言いたくないんだが」


 上層部との板挟みで、部下に示しがつかないことに頭を抱えるアイアンテは指令する。


「結論から言うと、今回に限って、こないだのアレは撤回。普通に亡霊ファントムを踏ん捕まえてくれて良し!」


 当惑しつつも訊くべきことは訊くセルゲイ。


「俺としてはもちろん、願ったり叶ったりではあるのですが……理由を伺っても?」

「ゾーラ大学の成り立ちを知ってるかな。元は人間時代に当時の教皇が出した勅書によって、聖職者の養成機関として設立された。そこから色々と学部が増えていったんだけど、要するに教皇庁が管轄しているんだ」


 アズロラが考え深い顔で口を開いた。


「つまり……上層部うえの方で意見が割れたと?」

「その通り。〈亡霊ファントム〉がこれまで教会の関連施設をほとんど狙って来なかったというのも大きいね。悪徳神父の私邸とか、腐敗した修道院が被害に遭うことはあったが……大きな声では言えないものの、膿を出してくれてるような場合が多いので見過ごされていた。だがゾーラ大学も植物園も、普通にちゃんとやっているはずなんだ。なにか〈亡霊ファントム〉の中で基準が変わったのか、もう教会自体を堅気とは見做さなくなったのか……いずれにせよ疎にして漏らさず派が一時的に優勢になったわけで、普通に応援要請されて君らを配備することになったわけ。オーケーベイビー?」

「承知致しました」

「違うだろ、返事は『ベイビーオーケー』!」

「絶対おかしいと思います」

「オーケーベイビー!!?」

「べ、ベイビーオーケー……」

「ベイビーオーケーですっ!」

「よーしよしよし良い子だお前たち。これ以上私の胃が痛まないよう配慮してくれると助かるのだがああああお腹痛いよおおおお」


 最終的に本音を隠せなくなったアイアンテをどうにもできず放置し、退室した二人は足早に回廊を歩きながら小声で話す。


「すごいね……アイさんには悪いけど、本当にリューちゃんが書いた通りになったよ」

「ああ、さすがだ」

「惚れ直したんでしょ?」

「惚れ直し……て、ない」

「なんで惚れ直さないのよ!?」

「もうどうしたらいいんだ俺は」


 アズロラはいつにも増してやる気の様子だ。


「とにかく、これでまた〈亡霊ファントム〉と対決できるわけだね」

「正確にはチャンスがあるだけだ。もしかしてこれが最後の一回かもしれないし……同僚の誰かが確保してしまうかもしれん」

「今回は教会の威信を賭けての、大規模配備だそうだからね」

「だがもちろん誰が捕まえようと同じことだ。手柄を取られたなんて駄々を捏ねることはしないさ、誇りに思うだけだ」

「偉いねー、大人になったねー」

「それがお前でもだ」

「ふぁっ!?」

「なんの驚きなんだそれは。可能性として充分ありうるに決まってるだろうが」


 どういう心理状態なのか、アズロラは涙まで浮かべている。


「セルゲイくんがわたしのことをそんなふうに思ってくれてたなんて……」

「お前は俺がお前のことをなんだと思ってると思ってたんだ」

「都合のいいクソチョロ幼馴染かと」

「もっと自分を高く評価しろよ。それだと俺がものすごい下衆野郎みたいになるだろうが」


 ステンドグラスから降り注ぐ夕焼けの陽光に手を翳し、セルゲイは眩しさに眼を細めた。


「もっとも期待はしているがな。俺と奴は同じ糸の両端を握り、互いに引き合うのだ」

「あっごめんそれは素直に気持ち悪いかな」




 一方その頃、ヒョードたちもゾーラ大学付属植物園襲撃の計画を立てていた。


「思い立ったが吉日ってことで、早速今夜参りますって予告しちまった。悪ぃな」


 使い魔の蜘蛛の向こう側で、むしろ笑うカンタータ。


『ありがたい限りだわ。一日でも早い入手をと望んだのは私だもの』

「気っ風の良い姐さんだぜ。聖女ってのは全員そうなのか?」


〈紫紺の霧〉開店前ゆえか、ガルサは暇そうに椅子をガタガタ鳴らしている。


『嬉しい評価だけど、それは〈亡霊ファントム〉の方よ。でも、あなたが予告状を出すのって……』

「もちろんロマンだけの話じゃねぇ。たとえば今回なんか、俺たちは改めて昼間図鑑で調べただけの植物を、広大な植物園の中から見つける必要がある……もちろんあると仮定しての話なわけだが。しかし相手はそのことを知って警備なんかを配置しているかな? こんだけ堂々と、予告状まで出してるのに? セルゲイは真面目な男のようだが、いくらなんでも『ファントムにお化けの木について教えたのは僕です』までは言うほどのバカじゃあるまい、つーかそうだとしたら組織の一員としてヤバすぎる」


 もちろん目的のものを闇の中でも自ら見つけ出す程度の夜目と鑑定眼は養っている。

 どちらかというと、警備をどう突き崩すかを考えた方が良さそうだ。


「にゃんこちゃんたちは来れそう?」

「行けたら行くよー」

「そうかー」

「いやいや嘘よ嘘。にゃんこちゃんたちは二人とも今夜はバイト休みです」

「えーでもわたし嫌かもー。植物園って虫いるでしょー、虫嫌いー」

「レフィは苦手なもん多いなぁ。猫だから仕方ねぇか」

「猫だからで許される範囲広すぎでしょ、でも二人だとさすがにキツくない?」

「俺行こうか?」


 みんなの注目を集め、ガルサは気まずそうな様子を見せた。


「レフィに用心棒頼むってのもいいんじゃね」

「えー、なにそれ助かるー」


〈紫紺の霧〉の営業時間中にガルサが外出するときは、レフレーズかエロイーズ、または二人ともに用心棒の代行を頼むことが多い(ヒョードのときもある)。

 ナゴンは戦ったら結構強いので、要らないと言えば要らないのだが、そこはシスコンゆえである(となぜかガルサは自慢げに言う)。


「お前らがいいんならそれでいいけどよ。いや待て……そうだな、ちょうどガルサに頼みたいことがある。俺も助かる」

「えーわたし要らない子なのー?」

「自分で嫌って言ってそれなのがほんと猫なんだよなぁ」

「部屋入れたった次の瞬間出たがる感じ」

「それ」

「じゃこの三人ってことで……」

『いいえ、四人よ』


 今度は使い魔の蜘蛛に注目が集まる。


『さすがに私は現地集合ってことで頼むわね』

「いや、それは……〈暗殺聖女〉が手助けしてくれるってのは、もちろんありがてぇがよ……いいのか?」

『〈亡霊あなた一味たちという非合法に縋った時点で、私自身が手を汚そうが汚すまいが同じことよ。教会という組織にさしたる思い入れがあるわけでもないし、最悪の場合は私一人で逃げるけど構わない?』

「わざわざ現場までついて来て体張ってくれる依頼主に、『僕らのために殿しんがりやってください』とはならねぇだろ。お互い好きにやろうぜ」

『好みの方針だわ。だけど、できれば……』

「レフィ、お前の仮面貸していいか?」

「いいよー」

『話の早さすごいわね……』

「あと予備の魔石あったよな? 固有魔術の属性誤魔化す方のやつ」

「あるよー。まさにこういう状況を想定してるやつー」

「よし。カンタータ、あんたの能力で……」

『普段使ってない、教会に認知されてない使い方を組み込んで戦えば身バレを防げるのね?』

「そっちも話が早いぜ。可能か?」

『教皇庁の認定部門は、私の基本技を固有魔術だと誤認してるわ。本領は別に二つある』

「頼もしいにも程があるだろ」


 実務面は大枠が決まった。現場で微調整していくしかないだろう。あとはロマンの話だ。


「カンタータのことはなんて呼ぶ?」

『あ、そうか。私ゲスト怪人なのね』

「カンタータさん理解早すぎない……?」

「ロマンを解する女だーカンタータさん」

「今週の悪役は大物だぞ」

「〈蜘蛛スパイダー〉」

「ガルサくんこれ身バレ防止策なのよね」

「そうだった。しかも普通すぎる」

「〈精魂スピリット〉」

「うーん……」

「〈悪霊フィーンド〉」

「〈亡霊ファントム〉とついにしようとするのを意識しすぎてる感がある、そんなでなくていい」

『〈髑髏クレニアム〉』

「それだっ!!」


 本当ならデザイン合わせた新しいファントムマスクを発注したいところだが、そんな時間がないことが惜しまれる。


『そういえばレフィさんとエリーさん、最近の報道で〈鬼火ウィスプス〉って呼ばれてるみたいね』

「あーそれな……ちょっと不評でな」

「なんかねえ、わたしたちがヒョードの添え物みたいじゃない?」

「ねー。『ファントムガールズ』とかよりマシだけどさー」

「正直に言うけどな、それお前らが気まぐれで居たり居なかったりするせいだろ。いつも三人揃ってたら三人組として認識されるわけで」

「そうか〈亡霊ファントム〉の近くに居たり居なかったりするから〈鬼火ウィスプス〉なんだな……」

「ぶー」「むー」

「ねこたちふきげんですね。ま、今回はエロイーズが〈髑髏クレニアム〉より活躍するのを目標にしたらどうよ?」

「任せなさいよ! 警備全員薙ぎ倒して、余裕でお化けの木全部引っこ抜いて帰ってやるわ!」

「その意気だぜ。さて……」


 仕事の時間だ。おふざけはここまで。

 三人と蜘蛛は〈紫紺の霧〉を後にする。


 怪盗の衣装は平服の下、ファントムマスクもまだ着けない。

 偽りの姿を脱ぎ捨て、正体を露わにするのは犯行直前なのだ。


 ゾーラの街は眠らない、夜間の外出を咎める者などいない。

 風を切って歩くヒョードとエロイーズの少し後ろを、ニット帽を目深に被ったガルサがしずしずとついてくる。


「狙った獲物は逃がさない」……その謳い文句だけは嘘であってはならない。

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