第11話 大山猫をにゃめんにゃよ

 その二つ名を耳にしたカネモッテーラが振り返り、親友を訝しげに見た。


「ああ、そうだな」

「彼女は教会の重鎮だと聞いたよ。僕の記憶が正しければ……ダイブ、君は教会嫌いを標榜していたはずだけどな」


 やや痛いところを突かれたようで、カネモッテーラの表情が曇る。


「……私もたまには己の信条を裏切る。それがどうかしたか?」

「それくらい特別な相手だと考えていいかな? つまり、君が彼女に惚れ込んだというのなら、僕は当然なんの文句もない。しかし……」

「いいや、私は彼女を愛してなどいない。少なくとも今のところはな。だがもとより……」

「威を得るためにやむなし……ってことかい? 本当に君は昔からそればかりだ」


 椅子に座りながら静かに語っているだけなのに、ムカシッカーラの全身から、肌で感じられるほどの怒りが湧き起こっているのがわかった。


「君は傲慢すぎる、それも出自などに関係なく生まれつきの気質として。自分を信じすぎているんだ。僕からすればそれは羨ましい性質でもあるけど、度が過ぎているのも否めない。生き方を変える気にはならないかい、ダイブ?」


 やがてそれは彼の肉体に影響し始め、椅子が軋んだかと思うと、轟音を立てて砕ける。

 立ち上がるムカシッカーラは膨張する上半身の筋骨で上着が裂け、分厚い皮膚がダブついていた。


「君はよく知っているだろう。僕の家はゾーラ近郊でも有数の金持ちで、地元に顔の効く名士だった。役人も議員もみな父にひれ伏し、母が微笑むだけでほとんどの貴族は意見できない。教会ですら容易く手出しできない水準のボディガードを大勢囲い、逆らう奴は袋叩きだ。

 だがすべて失ってよくわかった。失っていいものばかりだったとね。『権』も『威』も『財』も『暴』も、下らないまやかしだ。幸せに生きるってのはそういうことじゃないんだよ。たった一つだけ譲れないものさえあれば、ごちゃごちゃと身を飾り立てる必要はない……僕なんかより君の方が、よほどそのことをわかっていると思っていたのに」


 肉体活性で見かけの体格を小さく抑え込んでいたのだろう。いや、密度を下げることで相手と同じ大きさになり、対等の立場だと視覚的に示したかったのかもしれない。

 なぜなら対峙するカネモッテーラも、獣化変貌に伴って少し膨らみ、ただでさえ巨体なのがさらに圧力を増しているからだ。


「なにが言いたい……とは言わん。言いたいことは明瞭だが、言行不一致とはお前らしくもないな」

「君もそう言ったように、僕もたまには己の信条を裏切る。今夜は久々に『暴』の出番だ」


 ムカシッカーラの口元を堅い髭が覆い、上顎から長い牙が生え降りる。

 カネモッテーラの胸に短いひれが生え、額からは螺旋状の巨大な角がそびえ立つ。


「そういえばお前と殴り合ったことはなかったかな」

「そうだね。いい機会だ、その捻じ曲がった根性ツノを叩き直してあげよう」

「見ての通り私は誰より真っ直ぐだ!」

「いいや、今から歪むのさ!」


 人海象ワーウォーラス人一角ワーノーファルの、二メートルを軽く超える巨体同士が真正面から衝突する。

 やるなとは言わんが、せめて屋外でやれ!


「「!!」」


 案の定、ただ渾身のパンチが互いに突き刺さっただけなのに、攻撃というより事故に近く、獣人基準で言うとふわふわにゃんこでしかない猫系の三人は、衝撃波だけで足元が揺らぐ。

 互いに吹っ飛んだ二人はもんどり打って転がり、カネモッテーラは廊下を少し滑る程度で済んだが、壁に叩きつけられたムカシッカーラの頭上には、彼自身の作品である鉄器が雨あられと降り注ぐ。


「……」


 幸い運は良い方のようで、あまり重いものに当たらずに済んだ彼は、傍らに落ちた鉄の皿から、フラつきながらも立ち上がるカネモッテーラに目を移す。そして言った。


「……勘違いしていないかい? 僕らももう若くない。気持ち良く殴り合って引き分け、健闘を讃え合うとでも思っているかな?」


 ムカシッカーラは巨大な牙で彼自身の上腕を切り付け、流れ落ちる血を鉄皿に注ぐ。

 なんだ? なにをしている? なにを目的とする自傷なのだ?


 答えはすぐに示された。いくら巨体の獣人といえど、死ぬのではという量の血をなみなみと満たし、明らかに顔色が悪くなりつつも、ムカシッカーラは不敵に笑う。

 その理由もすぐにわかった。命を投げ打って秘策を繰り出しているのではない。体を正常に動かすため、後からいくらでも補填してくれるからだ。


 誰が?


「形象は玉貝、属性は鉄!

 第四十一の悪魔バルゼス、我に憑依せよ!」


 にわかに暗黒物質が立ち込めたかと思うと、ムカシッカーラの体に吸い込まれ、それをそのまま纏うように、皮膚の上に黒光りする金属の層が築かれた。関節の動きを阻害しない、薄く覆う鎧のようなそれを、ムカシッカーラは満足げに眺める。


「こうなるのか……悪くない」

「ジーン、貴様、なにをしておる!?」


 問いつつ再度殴りかかる、カネモッテーラの叫びへも、簡潔な答えが返された。

 互いの突きで相打ちするのは先ほどと同じ。ただし今度はカネモッテーラだけが拳と口から血を溢し、ムカシッカーラは無傷である。


 硬さは防御力であり、同時に攻撃力だ。獣化変貌したカネモッテーラとムカシッカーラの体格はほぼ同程度。カネモッテーラが顕著な固有魔術の一つも持っていない限り、一方的にムカシッカーラにリンチにされて終わるだろう。

 横から誰かが助けなければ。なのでムカシッカーラはカネモッテーラを視界の中心に収めつつも、ヒョードたち三人に向かって言った。


「さあ、あまり時間もない、邪魔立てしないでもらおうか!」


 その発言を耳にするや否や、怪盗〈亡霊ファントム〉は脱兎のごとく駆け出して、元来た方へ跳ね戻り、共同工房シェアアトリエの長い廊下を突っ切って入口から脱出し、長いまっすぐな並木道を辿り、完全に姿を晦ました。




 精神世界で悪魔を屈服させるのに忙しいためそんな場合ではなく、またそんなつもりもなかったのだが、ムカシッカーラは思わず笑い声を上げてしまっていた。


「あははは! とんでもない腰抜けだな! まさか〈亡霊ファントム〉という二つ名は、あの逃げ足の速さから付けられたものなのかい!?」

「くっ……」


 反論できず正面から殴りかかるしかないカネモッテーラの姿が……不意にムカシッカーラの視界から消えた。

 仮面山猫姉妹が踊り出て、二人がかりでカネモッテーラの巨躯を掴んで、体捌きで横様に投げ転がして退けたのだ。


「別にあんたがボコられようが殺されようが、どうでもいいんだけど……」

「依頼主がいなくなっちゃったら、依頼自体が立ち消えになっちゃうからねー」


 そうして代わりに対峙してくる姉妹に、構わず排除しようと両手を伸ばすムカシッカーラ。

 迎撃として姉妹が繰り出したのは、姉の方は白、妹の方は金色の、直径一メートルほどの輝くリングだった。


 なんだこれは、と思う暇もなく接触すると同時、悪魔の力で硬い金属層を纏っているムカシッカーラの掌が、ギャリリリリ! と凄まじい音を立てて削られ弾かれた。

 職業柄もあってムカシッカーラは即座に理解する。あのリングは循環する噴出水流ウォータービームだ。一見静止しているように見えるが、それはあまりに高速で回転しているからだろう。


 しかも受けた衝撃からして、ただの液体ではなく研磨剤が込められている。出力こそ単純なものの、やけに構造が複雑な能力だが……ムカシッカーラには思い当たる節があった。

 液体の生成と制御が彼女たちそれぞれの固有魔術で、研磨剤の混入が二人に共通する種族能力、これで間違いない。


 それは始祖の名をそのまま種族名に採用しているという珍しい種族である。始祖の名をリュンケウスといい、これは「大山猫の眼を持つ者」を意味する。

 その大山猫人リュンケウスの特徴の一つに、大山猫石リュンクリウムと称される物質の生成が挙げられる。


 いわく、大山猫の尿は排出されると凝固して、燃えるような輝きを放つ石になる……が、正確には「尿」ではなく「体液全般」が真相と聞く。

 すなわち、汗、涙、涎、血など……あるいはそれらを錬成系等の魔術によって変成した物質からも生成可能ということになる。


 そして大山猫石リュンクリウムは伝承では柘榴石に似ているとされる一方、鉱物学では電気石がそう呼ばれることがあるのだが、どちらも研磨に用いうる硬度を持っている。

 悪魔の金属といえど破られかねない……と、ムカシッカーラが警戒を強めたところで、ふと姉妹が臨戦態勢を解いて左右に退き、奇術師の助手がするように、真ん中に空けたスペースへ注目を導くようなポーズを取る。


「……!」


 示されたまっすぐに伸びる廊下の向こうでは玄関扉が開け放たれていて、屋外には夜の闇が広がっている。

 そこからやってくる者がなんなのかを、ムカシッカーラは知っている。


 しかしなぜか彼はそれを、獣化変貌した自分よりも遥かに巨体を持つ怪物だと錯覚せざるを得なかった。

 まるでおばけの来訪を恐れる、無垢な子供のように。




 ヒョードリックは思考自体は速い方だと自負するが、なにぶん決断が遅いとも自認している。

 しかしたまにすこぶる冴えている日があり、その一つが今夜であったのは幸いだった。


 ムカシッカーラのこの場での行動目的はカネモッテーラを叩きのめして生き方を変えさせることのようだ。

 ムカシッカーラの体表に築かれた金属装甲は強度は相当なものだが、重さの方はさほどでもなさそうだ。

 そしてどうやらこの悪魔だかなんだかによる強化には時間制限があるらしい。


 それらの情報を得ると同時、ヒョードは躊躇なく踵を返し外へ飛び出す。生憎彼は獣人の基準ではヒョロガリで、近接格闘はお世辞にも強いとは言えない。

 ただし速さは重さだ、助走をつけて一撃限りなら話は変わる。なにも言わずに甘えて申し訳ないが、姉妹が時間稼ぎをしてくれるはずだ。


「ふう」


 と言っても数秒の話。並木道の途中で急停止したヒョードは、すぐさま工房に向き直って、吐き整えた一息を置き去りに、再びトップスピードに乗る。

 左右の街路樹がギャグのような勢いで飛び去る。過集中で狭窄する視野が工房内に突入して、一番奥に立つムカシッカーラを捉えると同時、ヒョードは前方へ向かって跳躍した。


 なけなしの全体重と、たっぷりの加速力を、両足に乗せて放つ跳び蹴りは……ただし強硬な破壊を志向せず、両脚のしなやかなバネにめた力を、柔らかく押しつけるように打撃する。

 衝撃の内部浸透とか、そういう話ではない。今の状態のムカシッカーラは、かなり硬いが、さほど重くはない。痛みも傷もダメージも与えられずとも、ブッ飛ばすだけなら可能という、ヒョードの目論見は当たった。


 ただし速さは重さだ。ムカシッカーラはヒョードの超スピードのドロップキックを受けて、吹っ飛んでいる間だけ擬似的に

 その「重さ」と硬さで工房奥の壁を破壊し、建物の裏手にスッ転がって滑っていってもらうという目論見もまた当たった。


 優雅に着地を決めたヒョードは、無言で指折りカウントを取る。

 両脇ではエロイーズとレフレーズが、特に意味もなく両腕を上げるかわいいポーズを取っている。


 もちろん格闘技の試合ではないのでダウンもノックアウトもない。もとよりヒョードたちのパワーで、奴を倒すことなど考えていない。

 ただ相手の貴重な強化タイムを、吹っ飛ばされて起き上がり戻ってくるという、無意味な時間で浪費させるのが狙いだ。


 仲間に時間稼ぎをさせてやることが、まさか更なる時間稼ぎだとは思うまい。

 結果、十七秒を数えて、再び姿を現したムカシッカーラは、比喩ではなく憑き物が落ちていた。

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