第6話〈紫紺の霧〉へいつでもどうぞ

 カネモッテーラの動向こそ〈亡霊ファントム〉へ繋がる端緒となるのではと踏んだセルゲイは、相棒のアズロラとともに奴を尾行し、怪しい店を突き止めるまでは上手くいった。

 だが水煙草屋〈紫紺の霧〉の店主は頑なで、セルゲイを胡散臭そうに見返すばかりだ。


「自分がなにを言ってるかわかってるのかい、お兄さん? あの男はこの店の流儀に反したってことだ。そっちのかわいいお連れさんと一緒にうちの用心棒に裏でボコボコにされたいって、そういう意味でいいのかい?」

「や、やだ、かわいいだなんて……♡」

「おいアズ、照れてる場合じゃないぞ」


 綺麗なお姉さんに褒められて浮ついた相棒を諌めつつ、セルゲイは店主を追及する。


「その用心棒が奥へ引っ込み、なかなか戻ってきませんね。ずいぶん不用心ではないですか? 本当はカネモッテーラを奥へ通し、丁重にもてなしているのでは?」

「カネモ……っていうのが、あの男の名前なのかい? 知らないよ、無礼な客の素性なんかさ。それよりそっちの方が詳しいみたいだ、教えてくれないかね? 奴をボコして、身分を確認する手間が省ける」


 埒が明かない。だがこの店の用心棒がさっき引っ込んでいったニット帽の男一人なら、押し通ることはできそうだ。

 二人して席を立ち、奥へ踏み込む寸前で……店の出入り口から声が掛けられた。


「どうしたの、ナゴねえ? なんだか揉めてるようだけど」


 セルゲイは目を疑った。アズロラに視線を送ると、彼女が口の形で「似てる」と言うのがわかる。

 桃色の髪の、少し身長差のある姉妹。連中が着けていたファントムマスクに特殊な作用でもあるのか、人相風体の詳細がまったく記憶に残っていないのだが、それでも〈亡霊ファントム〉の仲間である山猫姉妹に、目の前の二人は似ている気がする。


 しかしもしそうなら、こうしてわざわざ話しかけてくるはずが……まして喧嘩越しで絡んでくるはずがないのだ。

 そういうブラフの可能性も当然あるが、いずれにせよ確かめる方法が一つある。


 姉妹の姉の方が露骨に顔をしかめ、妹は姉に抱きついて伺いを立てる。


「ていうかよく見たらそいつら、祓魔官エクソシストじゃん。わたし嫌いなんだよね、教会の犬ども」

「お姉ちゃん、こいつらやっちゃう……?」

「おー、いいね、やっちゃおうよ」


 物騒な発言に反応するのは、セルゲイとアズロラよりも店主が先だ。


「おいおい、まさかこのまま店ん中で暴れる気じゃないだろうね?」

「大丈夫だって、ちゃんと威力抑えるから」

「そういう問題じゃ……」


 姉妹は聞かない。すでに魔術の発動前兆がある。アズロラが慌てて止めるふりをし、セルゲイもそれに同調する。


「ちょ、ちょっと待って、落ち着いて!」

「そうだ、やめろ。俺たちに敵意はない」


 口ではそう言いつつも二人の本音は「早よ撃て、それで明らかになる」である。

 果たして願いは叶い、姉の方がセルゲイへ、妹の方がアズロラへ魔術を発射する。


「ぐふっ……!」


 見極めるためあえて受け、カウンターに背中から突っ込んで半ば減り込むセルゲイ。それはいいのだが……。

 おかしい。姉が放ったのは重力系、妹が放ったのは雷霆系の魔術だった。カネモッテーラの屋敷で使った、おそらく錬成系のものとはまったく属性からして異なる。


 どれだけ姿形や物腰を偽装できても、そこだけは変えられないはずなのだ。

 二人が再起し次の一手を探る前に、背後から降りてくる声があった。


「サービスは悪い、客層は悪い……」


 二人が振り向くと、カネモッテーラが口元に当てたハンカチを離し、滲んだ血を見せてくるところだった。


「おまけに用心棒は貧弱とくる。見ろ、鼻血を出させるのが精一杯だったぞ、貴様の猿は」


 店主に向かって毒吐いたカネモッテーラは、ふとセルゲイとアズロラに気づいた様子で、憤怒の形相に拍車がかかる。


「……なんだ? 貴様らはあの役立たずの犬どもではないか。まさか私を尾けていたのではあるまいな? 教会に入れる苦情が足りなかったようだな、大人しく市民に尻尾を振っていればいいものを」


 鼻を鳴らしたカネモッテーラは、不機嫌極まりない様子で出ていく。


「まあいい、こんな店には二度と来ん。気晴らしのつもりが台無しだ。どいつもこいつもこの私をコケにしおって、今に見ていろ……!」


 荒々しい足音を聞き届けた店主が我に返り、顔を歪めて髪を掻き毟る。


「ああもうめちゃくちゃだ! こっちの台詞だ、あのデブ……どいつもこいつも……」


 そうしてセルゲイとアズロラを睨みつけて、ヒステリックに叫ぶ店主。


「あんたたちもさっさと出てってくんな! 教会には正式に抗議させてもらうからね、弁償程度じゃ済むとは思わないこった!」


 仕方なく従う二人に続いて、姉妹も帰ろうとした様子だったが、背中に店主の声が降る。


「レフィ、エリー! なに退散しようとしてんのかね!? あんたたちは片付けるんだよ!」

「げっ」「なんで……?」

「なんでもクソもあるかい、あんたたちが散らかしたんだろうが!?」


 ガミガミ始まる説教に巻き込まれないよう、這う這うの体で店を出た二人は、一区画ほど歩いたところで足を止め、顔を見合わせて意見を交わす。


「どう思う?」

「グレーってところか」

「だよね……じゃあ、無理にでも奥に押し込むべきだった?」

「いや……もし〈亡霊ファントム〉が二階に潜伏していたとしても、店でトラブルが起きた時点で、とっくに脱出していただろう」


 セルゲイは橋の桟にもたれて一息吐き、空を見上げてぼやく。


「奴の住処ヤサでも探れるかと思ったが、そう上手くはいかないらしい」

「結局は現行犯で押さえるのが、一番確実かつ手っ取り早いってことだね」

「そうなるな」


 しかしそれはそれとしてあの店、あの姉妹、そしてカネモッテーラを張り続けても損はないだろう。

 怪盗〈亡霊ファントム〉を捕まえるのはこの俺だ……セルゲイはますますその意気が強まるばかりだった。




「災難だったね、あんたたち」


 店を破壊したのはそうなので、実際に片付けこそさせつつも、ナゴンはレフレーズとエロイーズに労いの言葉をかけていた。


「しかししらばっくれるためとはいえ、あんたたち妙なキャラを作るもんだね」


 レフレーズは「教会嫌いのチャキチャキチンピラお姉ちゃん」、エロイーズは「お姉ちゃん大好きな指示待ちサイコ妹」という感じであった。即座に芝居を再開し、レフレーズの二の腕にしがみつくエロイーズ。


「お姉ちゃん、あいつ食っていい?」

「おーいいよいいよ、やっちゃいなよー」

「設定が無駄に濃いんだよね……」

「そういうナゴ姐も、演技上手かったよねー」

「それ言ったらカネモッテーラもね。使い魔で応接室の様子見てたけど、話はまとまったようだから、疑いを逸らす手助けをしてくれたんだろうさ」


 ふとレフレーズは箒を持った手を止め、頬に指を当てて首をかしげる。普段のアンニュイな物腰に戻ったエロイーズも同意する。


「にしてもあの二人組、結構鋭いねー」

「偶然にしてもここを嗅ぎつけられるとはね。今後はあんまり出入りしない方がいいかも」

「大変だね通い妻も」

「そうそう……えっ?」


 惰性で相槌を打ってしまったエロイーズを、ナゴンはニヤニヤしながら眺めている。


「は……わ、わたしは全然そんなんじゃないんですけど……!?」

「あんたはほんと強情だねぇ。認めちまいな、認めたら楽になるよ、レフィみたいに」

「うふふ。わたしは寝ているヒョーちゃんに、エロエロドスケベ行為を仕掛けるのがこの店に来る目的だよー」

「認めすぎでしょお姉ちゃんは!?」

「なにを認めるって?」


 いつの間にか降りてきていたヒョードに声をかけられ、ビクッとなるチューベローズ姉妹。わかりやすく手櫛で髪を整えながら澄まし顔をする二人の気持ちに、実際のところヒョードはどれくらい気づいているのだろうというのが、目下ナゴンの興味の矛先であった。


 しかし変に口を挟むのも、他者ひとの恋路を邪魔することに含まれるだろう。そしてこの三人の繋がりは、色恋だけで済ませられるものではない。すぐにいつもの調子を取り戻したエロイーズとレフレーズは、好奇心の宿る青玉色の眼でヒョードを見つめて問う。


「なんでもないわよ……で、どうだった?」

「面白そうな話かなー?」


 ヒョードリックは凛々しく微笑み、上着の裾をはためかせてみせる。こいつは仕事着が全身タイツなのもあり、こうして普通の服に着替えてくるだけで、まあまあ格好良く感じるのがずるいガキだ。


「ああ、大仕事になりそうだぜ。お前ら、手伝ってくれるか?」


 答えは口にするまでもないようで、連れ立ち出て行く三人を見送り、ナゴンが口にするべき台詞は、いずれにせよ一つしかない。


「またのご利用を♫」

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