第3話 スター・グレー・サファイア

 ゾーラ市内某所。エキゾチックな美女が経営する水煙草屋の二階に、人豹ワーパンサの少年ヒョードリック・ドガーレが入り浸っている宿がある。

 ただしこの名は孤児である彼が自身に付けた名で、ドガーレという家名は存在せず、当然天涯孤独の身である。


 財を成そうにも貯め込むための家すらなく、銀行からの信用など夢のまた夢。

 得意の盗みで得た金は、別にそうしたいわけではないのだが、パッと使ってしまうのが常であった。


「……」


 だが今回カネモッテーラから得た二つの指輪は、ヒョード自身に扱いの裁量権があるにも関わらず、早々に売っ払おうという気にはなれなかった。かと言って自分で身に付けるわけでもない。

 意外なことにサファイアは水洗いが許される宝石の一種である。ぬるま湯に浸けて柔らかいブラシで丁寧に磨き、手持ちの中で一番上等な布で丹念に拭うと、青玉は元の輝きを取り戻した。


「こんなもんかな」


 窓際で太陽の光に照らして確かめているヒョードの後ろに、不意に立つ気配があった。


「で、結局それがどうして、カネモッテーラの過剰な自意識ということになるの……?」


 声と共に覗き込んでくる横顔からは、彼女の体に染み付いた固有魔術の、蜂蜜のような匂いがした。

 やや癖のある桃色の髪を、その日の気分によって複雑に編み込んでいる、眠そうな眼をした小柄な少女である。


 彼女の名前はエロイーズ・チューベローズ。ヒョードの幼馴染であるチューベローズ姉妹の妹の方だ。

 ヒョードは指でサファイアを弾き上げてキャッチしながら、聞き齧った話を開陳する。


「カネモッテーラはデブで貧乏なガキだった。それを理由にいじめられたので、いじめてきた連中を見返そうと、カネモッテーラは努力したわけだ。そしてカネモッテーラは金持ちデブになった」

「……実はカネモッテーラには想いを寄せてる相手がいて、金持ちになったはいいけど、その相手には振り向いてもらえなかったとか、そういう話?」

「いや、そうじゃない。カネモッテーラはモテたいわけじゃない。カネモッテーラはむしろ、デブな自分を気に入っている。奴の望みはただ誰にも舐められない男になることだ」

「じゃあその望みは叶ってるんじゃない? その宝石を返り血だらけにして雑に扱ってたのも、『こんな端金で買った屑石、ダメになったところで痛くも痒くもない』ってアピールなわけでしょ」


 もう一度弾き上げてキャッチしながら、ヒョードはゆっくりとかぶりを振った。


「それが少し違うんだな。カネモッテーラは、ただ金持ちになりたかったわけじゃないんだ。両手にゴテゴテ指輪を嵌めて、それで気に入らない奴をボコボコに殴り倒すような、やっべぇ奴になりたかった。誰にも奴には逆らえない、対面しただけで震え上がる、そんなおっかねぇ金持ちになりたかったんだ。

 だがそんな『暴』も『威』も、ゾーラだけに限っても、上には上がいくらでもいる。そんな過剰な自意識を諌めて、飛ぶ鳥を落とす勢いを衰えさせるためには、たったこれらだけ奪えば事足りると、奴の幼馴染はわかってたんだな。実際、今その通りになってると聞く」

「つまり今回の依頼は、狙いの品を手に入れるとか奪い返すとかでなく、盗んで失わせる……それ自体が目的だったってことなのね」


 怪盗〈亡霊ファントム〉は窃盗を生業としている。気まぐれに金持ちの家を襲って好みの品をちょろまかすし、仮面を被っていない時の素のヒョードも日常的に手癖が悪い。

 そしてときどき依頼を受けて、ビジネスとしての盗みを働くこともあった。義賊と呼ぶには明確な見返りを受け過ぎているので、調達屋とでも呼ぶべき働きを行なっているのだ。


 報酬次第でなんでも請けるというわけではない。ヒョードの中にあるロマンという美学を参照し、怪盗を名乗るに恥じない盗みかどうかは常に検討している。

 なので普段は、騙し取られた形見の品を取り返したいとか、名作を価値もわからぬ蒐集家の死蔵から解放するとか、ロマン溢れる仕事の成果として、一定の現金を支払ってもらっているのだが、今回カネモッテーラから奪った二つのスター・グレー・サファイアは、そのまま現物支給の報酬として、ヒョードの手に残る形になったのだった。


 持ち前の器用さで台座から外し、裸になった二つの石を眺めて、ヒョードリックはニヤリと笑う。


「宝石言葉は『暁の吉報』……芸術性や知性を高める、だったか? まさに奴にとっては、これらを盗られたのが運の尽きだったわけだ」

「といっても、実際に宝石や貴金属に、本当にそういう作用を示す魔力が含まれてるわけじゃないけどね」

「でもー、たった一週間で彼の事業が傾き始めたっていうのはー、霊的なものを感じちゃうよねー」


 横から割って入ったおっとりした口調に振り向くと、もう一人の幼馴染が長い脚を組んで、窓枠に腰掛けている。

 彼女はレフレーズ・チューベローズ。エロイーズに比べると少し背が高く髪が長く、垂れ気味の眼が優雅に笑い、大人びた雰囲気を纏っている。


 猫系獣人らしい身軽さと柔軟さで、ふわりと跳躍した彼女は、エロイーズとは反対側の、ヒョードの隣に着地してくる。

 彼女の体にも固有魔術の甘い匂いが染み付いていて、無造作に距離を詰められるたび、いかにガキの頃からモテまくりのヒョードといえど、いささか気後れしてしまう。


 エロイーズがヒョード越しに、ジトっとした眼でレフレーズを睨んで言った。


「お姉ちゃん、距離近すぎ……」

「あれーエリーちゃん、嫉妬かなー?」

「やめろお前ら、そういうの。最近仲悪いぞ」

「そうでもないわよ。わりと昔からこんな感じだし……」

「そうだっけ?」

「それに別に喧嘩してるわけじゃないんだよ。まあ昔はヒョーちゃんの前では、こういうやりとりはしなかったかもね」

「気安くなったのは嬉しいが、過ぎるのも困るんだよな。ほら猫ちゃんたち、いいものあげるから手を出しなさい」

「あんたも猫みたいなもんでしょ……」

「いいから」

「にゃーん♫ うふふ。お手ー♡」

「お姉ちゃんほんと素で照れずにそれできるのある意味尊敬するわ……」

「どういう意味かな!? 遠回しに恥知らずって言ってない!?」

「はいはい揉めない揉めない」


 すでに鎖を繋ぎ、ペンダントにした二つのサファイアを、二人の前に差し出してみると、まさにびっくりした猫のような表情になった。


「これ……わたしたちに? いいの?」

「すごーいヒョーちゃん、太っ腹だねー」

「まぁな。俺が持っててどうなるもんでもねぇしよ。良かったら着けてくれよ」


 途端にレフレーズが恍惚の表情となり、眼が蕩けた怪しい輝きを放ち始める。


「な、なるほど……フフ……これを首に巻き付けて、わたしたちを調教しようってつもりなんだね……? ヒョーちゃん、性癖キッツいなー」

「いや普通に使ってください」

「冷めた反応やめて!?」

「お姉ちゃんの性癖がキッツい……」

「妹にそれ言われるのもっとキツいよ!?」


 レフレーズはどことなくエロい雰囲気をしているが実際にエロい。こいつがこうなのはいつものことなので、特に気にしないヒョード。


「偶然だが、お前らの眼の色に結構似てるから映えるんじゃないかと思ってな」


 にわかにエロイーズの眼が据わり、顔が紅潮して荒い息で喋る。


「そ、それはつまり……ハァ、ハァ……お前らのその綺麗な目ん玉を片方刳り貫いて、代わりにスター・グレー・サファイアを象嵌しろって、そ、そういうこと……!?」

「違ぇよ!? 発想が猟奇的すぎるだろ!?」

「エリーちゃんよくそれでわたしの性癖にどうこう言えたよね!?」


 ちなみにエロイーズの方は大人しそうに見えるが、実際はムッツリなだけで姉より変態である。気をつけた方がいい。


「ま、まぁ、つっても、デブの成金が着けてた指輪から作ったペンダントだ。お前らの綺麗な胸元を飾るには相応しくねぇかもしれねぇな」

「なにその言い方エッッロ」

「山猫ちゃんすぐ発情するよな」

「でもー、ヒョーちゃんが丁寧に洗ってくれたからー、それで上書きされるっていうかー」


 とろんとした眼で言っていたレフレーズだったが、ふと真顔になり、ヒョードと一緒に妹の方を見る。

 案の定エロイーズはさらに一段階斜め下に来た。


「……ちょっと待って? デブの成金が指に装着していたものを、わたしたちの胸元に飾るっていうのは、なにか危険な意味が……」

「はいストーップ! なんか怖いんだよ、お前の妄想!」

「なんでわたしの妹こんなふうになっちゃったかなー?」

「言っとくがレフィ、お前も充分ドエロだぞ」

「ずるい……なんでお姉ちゃんだけヒョードに褒められてるの……!?」

「なんでお前はドエロを褒め言葉だと思ってんの!? チューベローズ家の教育なんか根本的におかしいぞ!?」


 ともあれ怪盗〈亡霊ファントム〉の日常は、このように大変彩り豊かなものなのだった。

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