第14話 俺がお前を信じてるから

 無事につり橋を渡り、その後もライトを頼りにしながら進んでいく。

 だんだんと目が暗闇に慣れてきて、ものの形くらいなら分かるようになってきた。

 それで、わかったことがある。

 ここは、なにもなくなんかない。

 真っ暗闇にいろんなものが浮かんだ、本当に夢を混ぜ合わせたような世界だ。

 ときおり話し声なんかも聞こえたりして、まるでお化け屋敷みたい。

 ……お化け屋敷より、やっかいかもしれないけど。


「今のところは、特になんの問題もないな」

「そうだね。でも、そろそろなにかヒントが欲しいなあ」


 芭由ちゃんのときみたいに、分かりやすいのがあれば……あのときとは状況が違うけど。

 さっきから考えているようなそぶりをしていた紀月くんが顔を上げた。


「ヒントになるかは分からないが……そういえば、影を浄化する呪文があったような気がするんだ」

「えっ!? それすごい重要じゃないっ!?」


 さらりと紀月くんが言った言葉に、わたしはツッコむ。


「ああ。たぶん、単に忘れてるだけだと思うけど」

「紀月くんのそういう“呪文”って、誰に教えてもらったの?」


 ふと疑問に思って、たずねてみる。


「……そういえば、夢生には言ってなかったな。前に、夢の中“で夢生をパートナーにしろ”っていうお告げがあったって言っただろ。俺も姿を見たことはないんだが、そのお告げをするのが、“夢の最高管理者”と呼ばれる人なんだ」

「夢の、最高管理者?」


 なんだか難しい言葉……。


「ということは、その人に呪文や夢への入り方を教えてもらったの?」

「そういうことになるな。俺がドリームチェンジャーになった日の前の夜に初めてお告げがあって、そこで俺の右の手のひらに印ができた。契約書も、パートナーについてのお告げを訊いた次の日の朝、机の上にあったものなんだ」


 つまり紀月くんも、ある日とつぜんドリームチェンジャーになったってこと?

 何の前触れもなしに……あ、そのお告げってものがあるのか。


「そしたら、いつから紀月くんは夢を改変しているの?」

「小4の3月だから、ちょうど2ヶ月くらい前だな。夢生とあまり大差はない」

「えっ、そうなんだ」


 なんだか意外だ。いろいろ教えてくれて慣れてるみたいだったから、もっと長い期間やっているものだと思っていたから。

 でも、ちょっとうれしくなった。

 紀月くんって、わたしなんかよりずっと遠い人って感じがするから。実際、生活環境なんて正反対だろうし。

 だから、共通点みたいなのを見つけられて、そういう気持ちになったんだ。


「出会ったことないが、この世界に俺たち以外の改変者ももちろんいるだろう」

「へえっ、会ってみたいかも!」

「会ってどうするんだ」

「え~と、あいさつして、おたがいにがんばりましょうって励まし合うとか!」


 わたしは提案するように人差し指を立てる。


「相手が、夢生みたいに良心的だといいな」


 紀月くんが微笑んだ。―――そのとき。



「もう、あんたなんか知らないっ!」


 暗闇の中から、気にせずにはいられないほど大きな声が耳に飛び込んできた。


「なんだろう……」


 一つずつ改変してる暇はない。分かってるけど、わたしは立ち止まってしまった。

 紀月くんも足を止める。

 辺りをライトで照らしてくれるけど、奥のほうまでは光が届かなくて正体は見えない。


「大嫌い通り越して、失望だから」


 今度は怒った声じゃなくて、冷たい声が聞こえてきた。

 誰が誰に言ったのかは分からない。だけど、誰に言っても言われても、悲しい言葉だ。

 ……進まなきゃ。こんな夢、早く終わらせないと。

 わたしは再び足を動かす。


 ――あれ。


 数メートル歩いたところで、隣に足音がないことに気が付いた。

 振り向くと、その足元だけを照らすライトが見える。

 紀月くんは立ち止まって、どこか遠くを見ていた。


「っ、どうしたの?」


 わたしは戻って声をかけると、ハッとしたようにこちらを見た。


「……ごめん。いこう」

「まって」


 遮るように、踏み出そうとしたその足を引き止める。


「わたしじゃ頼りないかもしれないけど、なにかあったら話してっ。紀月くんまで悪夢を見ちゃったら、嫌だよ!」


 考えてみればわたし、紀月くんのこと何も知らない。

 だからパートナーとして、もっと知りたい。

 悪夢なんか、見ないように―――。


「……わかった」


 数秒後、少しうつむきながらそう答えてくれた。

 そしてそっと口を開く。


「――“失望”って言葉に、思い出があるんだ」

「おもい、で」


 でもきっとその“思い出”は、紀月くんにとって楽しいものじゃないことはなんとなくわかった。


「俺、兄がいるんだ。中2の。今朝見ただろ、生徒会副会長」

「……あ、響星様」


 確かに朝、全校集会で見た。

 あの人、親戚じゃなくてお兄さんだったんだ。


「……兄は、俺と違って優秀なんだ。勉強も運動もできて、優しくて、慕われる存在。父さんからも期待をかけられて。……言われたことがあるんだ、4年前の小学校の入学式の日の帰りに。“お前には失望した”って」


 紀月くんの顔はうつむいていて見えない。だけど、声から苦しそうなのが伝わってくる。

 失望した、なんて言葉を、家族に言われるなんて、どんな気持ちなんだろう。

 きっとわたしじゃ、想像もつかないよね……。


「俺は兄に、引け目とか劣等感とか、そういうのがあるんだ。でも、それ以前に……俺は、期待されないことや二度と俺には向けられない視線も悲しいんだと思う」


 期待されない、向けられない視線。

 もし、お母さんがわたしのことを、まるでいないみたいに接してきたら。……唯一信じられるお母さんが。

 すごく、すごく悲しいよ。

 胸がきゅっと苦しくなる。

 ……紀月くんはずっと今まで、そういう気持ちで過ごしてきたのかな。


「……でも俺には、依悠もいるし夜見だっている。それに夢生も……ってなんでお前が悲しそうな顔をするんだよ」


 そう言ってふっと笑う。

 わたしは、返す言葉が見つからなかった。

 でも、それでもいい気がする。


「えへへ。じゃあ行こうか! 急がないとだよっ!」

「ああ、そうだな」


 わたしたちはまた並んで歩き出す。

 まだまだゴールは見えない。

 まあ、ゴールがあるのかも謎だけど。

 苦しんでいる人たちを一秒でも早く助けなきゃ。

 でも暗闇の中走るのは危ないよね。さっきみたいに、とつぜん谷が! なんてことがあるかもしれないし。


「あれから、特に障害物も見当たらないな」

「そうだね〜。真っ暗だけど、さっきよりもずっと見えやすくなった気がするし、この調子で影の浄化のヒント、見つからないかなあ」


 どのくらい歩いたのかは分からないけど、かなりの距離だと思う。

 わたし、運動は苦手だけど体力だけはあるから、疲れてないよ!

 紀月くんは、きっと運動得意だよね。芭由ちゃんの夢で走ったとき、すごく速かったもん。


「……そういえば、夢生」

「どうしたの?」


「……なんで、とつぜん香凌学園に編入してきたんだ」

「…………エッ」


 足だけ動かしたまま、他の動きが止まる。

 そ、そんな、朝はパンとご飯どっちだった? みたいなノリ!

 でもその様子だと、紀月くんは知らないってことだよね?

 同じ学校なんだし、夜見さんが伝えてくれてるものだと思ってたけど。


「いや、別に事情があるなら無理に言わなくていい。ごめん」

「あっ、ううん! そんなことないよ!」


 謝られてしまったので、わたしは必死に否定する。


「香凌学園に編入したのは、学校帰りに天根家に行くとき前の学校より距離が近いからとか、あとは、前の学校が今年の5月いっぱいで廃校なんだ。だから、早めに新しい学校を決めなきゃなかったんだ」


 わたしはそのままの理由を話す。

 だけど、紀月くんはなんだか微妙な顔をして、こんなことをたずねてきた。


「今更かもしれないが、向こうにも友達はいるだろ。転校は寂しくなかったのかよ」


 ……寂しく、なかったか?

 そう聞かれると……。


「香凌学園に決まる前は悲しいって思ってたけど、いざ転校してみると……わたしの中ではあっさりだったな。寂しくないよ! 紀月くんもいるし、依悠くんとも友達になれたし。これからクラス全員とも仲良くなれるって思ったら、楽しみだよっ!」


 わたしは胸のあたりで両手を握る。


「そうか」


 紀月くん、今度は笑ってうなずいてくれた。

 わたしもにっと笑顔になる。


 ……寂しくないのは、間違いじゃない。本当のこと。

 じゃあなんで、寂しくないんだろう。転校ってみんな、寂しくなるはずのものなのに。

 その理由をわたしは、知っているんだ。



「あ。あそこなにか、おかしいよねっ?」


 指をさした先には、谷のようなくぼみがある。

 紀月くんが腕を伸ばして、ライトで奥まで照らす。

 すると数メートル先に、予想通り谷が見えた。

 わたしたちは谷の前まで来て、立ち止まる。


「……あれ、つり橋ないよね?」


 さっきみたいにあるのかなって思ったけど、そんなものは見当たらない。

 谷は割れ目のようにどこまでも続いていて、よけることはできなさそう。


「え~、どうしようか」

「……これを、渡ればいいんじゃないか?」


 紀月くんが目の前を照らす。

 さっきみたいな頑丈なつり橋じゃない。そこにあったのは、谷の向こう側まで続く細くて壊れそうな石の橋っ!

 わたしの背筋はヒュッと凍る。


「えっ、まさか、これ渡るのっ!?」

「それしか方法がなさそうだし。この細さだと一人分しか通れないだろうし、一列になって進むか」


 と言って、何の迷いもなく石の橋を渡り始めた。

 夢の中って、なんでこんなに過酷なのーっ!

 どきどきする心臓を押さえて、わたしも渡り始める。


 足を踏み出すたびに、ガコッと橋がくずれていく。

 さ、サバイバルすぎるっ!

 唯一の救いは、暗闇で谷の底が見えないこと。

 だけど反対に、橋のゴールも見えない。

 紀月くんの照らすライトだから、わたしからは見えないんだ。

 

「大丈夫か、夢生」

「だっ、だだだだいじょーぶーっ!」


 震える声で、少し先を歩く紀月くんに向かって叫ぶ。

 いや、ほんとはすごい怖いけどっ!

 でもそんなことは言ってられないよね。

 悪夢や影の引き起こす悪いことや被害に比べれば、なんてことない。

 慎重にしばらく歩いていると、差が開いてしまってもう見えなくなった紀月くんの声が聞こえてきた。


「夢生! 渡りきれたぞ!」

「えっ、ほんとっ!?」

「ああ!」


 よかった。ちゃんとゴールがあって、たどりつけたんだ。

 今度は、わたしの番だよね。

 ぎゅっと両手を握って、続きを歩く。

 さっきよりももっと橋が崩れている気がしなくもないけど……。最後まで、持ってくれるかな。


「夢生!」


 そのとき、奥のほうに光が見えた。

 これって、ゴールに近づいてるってことだよねっ?

 もうすぐだ。渡りきって、悪夢と影からみんなを救いに―――。


 と思ったそのとき。

 足元の石にヒビが入った。

 そして後ろからすごい大きな音がして。

 わたしはまさかと、冷汗をかく。


「夢生っ!!」

「わあっ!」


 石は崩れ、足場がなくなる。

 待って、待って……!

 わたしは考える暇もなく、慌ててわたしより先の崩れていない石のくぼみを掴む。


「夢生!」


 わたしを呼ぶ声と同時に駆け寄る足音が聞こえてきた。

 目の前が、明るく照らされる。


「えっ、紀月くん……っ!」


 ……戻ってきてくれたの? 危ないって、分かってるのに。


「掴まれっ」


 そして、手が差し出される。

 だけどそのとき、脳裏にあの映像がよぎった。


 ―――……あれは、年長さんのとき。わたしは、お父さんと二人で出かけたんだ。

 商店街を回ったりして……遠くじゃなくて近所だったけど、それでも、いつも忙しいお父さんと一緒にいれたことがうれしくて。


 だけど、あのとき……。


『ごめんな。すぐ帰ってくるから』


 ずっと繋いでいた手がとつぜん離されて、約束したのに、そのままお父さんは帰ってこなかった。


 ……それからずっと、さけてきた。お母さん以外の人と手を繋ぐことを。繋ぐと、思い出してしまうかもしれないから。最近はなかったから、すっかり忘れていたけど。


 それだけじゃない。わたしは、わたしは……人を信じるのが怖い。

 友達だと思っても、ある日突然手を離されてしまうかもって、疑ってしまって。

 手を離されないようにって、頑張ってきた。

 だから、転校だって寂しくなかったのは、それが理由。

 でも本当は、そんな自分が嫌いなんだ。“友達”だって思いきれていない自分が。わたしだって、信じたいのに。信じられない。



「……ごめん、ごめんなさいっ……」

「なんで、夢生が謝るんだよ」


 わたしがうつむくと、優しい声が降ってきた。

 それが今は、苦しい。


「だって、わたし、紀月くんのこと、信じられないから……。その手を、信じられないからっ」


 握力もあんまりないわたしの手は、そろそろ限界だ。


「……わたしのことはいいよ」


 これ以上めいわくかけるわけにはいかない。

 だから。


「きっと落ちてもなんとかなるよ。だってここは、夢の中―――」


「そんなこと、絶対にさせない!!」


 紀月くんの大声が、わたしの言葉をさえぎる。


「俺たちバディだろ。一人が欠けたら、だめじゃないか?」


 一人が欠けたら……だめ……。

 わたしをまっすぐ見つめる視線が頭に刺さる。



「お前が俺を信じられないなら……夢生は絶対手を離さないって―――俺がお前を信じてるから!」


 わたしはハッとして顔を上げる。

 すると、紀月くんと目があった。

 その表情は力強くて。

 ……離さないって、信じてくれているんだ。わたしを。

 正直、まだ怖い。手のひらが震える。


 だけど、紀月くんがわたしを信じてくれるなら。

 わたしは、その手を離さないっ!

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