第11話 太陽みたいな男の子

 どきどき。

 わたしの心臓の音が体中に鳴り響く。


「じゃあ、先生が呼んだら入ってきてね」

「はいっ!」


 先生が教室に入ってから、わたしは『5年C組』の札を見上げる。

 さっき先生による説明が終わって、これからC組の新しいクラスメイトとして自己紹介するんだ。

 教室の中からは話し声が聞こえる。

 き、緊張するけど……頑張らなきゃ!

 赤いランドセルの肩ひもをぎゅっと両手で握る。


「じゃあ、入ってきてください」


 来たっ!

 大きな声が廊下まで聞こえ、わたしは確信する。

 とりあえず、えっと、名前と前までいた学校……とかを言えばいいかな。

 ああ、自己紹介くらいちゃんと考えておけばよかったよ〜っ!

 ……まあ、なんとかなる!!


 わたしはドアのへこみに少し汗ばんだ手をかけて、がらりとスライドした。

 ぐっと息をのみ、前へ踏み出す。

 教室の中に入り、そのまままっすぐ教卓近くまで来て止まり、前を見た。



「じゃあ、自己紹介お願いできますか?」

「はいっ!」


 わたしは先生の言葉にうなずき、口を開いた。

 ―――そのとき。



「あっ!!」


 新しいクラスメイトがこちらを見る中、わたしはそのうちの一人と目が合う。

 びっくりして、声を出してしまった。


「逢瀬さん、どうかしましたか?」

「あっ、えっと、いえ! 大丈夫です!」


 わたしは先生に慌ててごまかした。



 ――な、なんで紀月くんが……!


 一番後ろの廊下側に、なんとあの紀月くんがほおづえをついてぼーっとこちらを見ていたのだ。

 え、この学校の生徒だったってこと!?

 わたしの頭は軽くパニック状態で、頭は真っ白だ。


「え、なんだろー」

「なにかあったのかな?」


 ちらほらと声が上がる中。



「ねえ、きみ、今朝の夢生ちゃんだよねっ?」


 窓際からひとつ隣の一番後ろの席の子が、にこっと笑ってそう言った。

 あの明るい茶髪。今朝の……って、親切な男の子! 同じクラスだったんだ……!


「はいはい、みなさん騒ぎませんよ」


 先生がなだめる。

 その雰囲気が、教室の、わたしのはりつめていた何かをふっと緩くした。

 緊張ももうしていない。

 わたしはすうっと息を吸った。



「南小から来ました、逢瀬夢生です! 好きな食べ物はオムライスで、好きな色は紫です! よろしくお願いしますっ!!」



 ぺこっとおじぎをすると、わあっと拍手が起こった。


「こちらこそよろしくね~」

「なかよくしよ~!」


 そんな声が聞こえ、わたしはうれしくなる。

 よかった……っ!


「じゃあ、窓際の一番後ろに席を用意してあるから、あそこに座ってくださいね」

「はい!」


 空いてるのは、今朝の男の子の隣だ。

 わたしは自分の席まで行って、机にランドセルを降ろす。


「では、朝の会を始めます。今日の日直さんは、前に出てきてください」


 静かになった教室で、先生がそう言う。

 必要な中身を取り出したランドセルは、とりあえず床に置いておくことにした。

 そして席に座ったとき。

 ぽんぽんと、肩を叩かれる。

 見ると、男の子が手をこちらに伸ばしていた。


『よ、ろ、し、く、ね』


 そうゆっくり口パクして、にこっと笑いかけてくれる。

 うれしくなって、わたしも笑ってうなずいた。

 そうだ。あとで名前聞いて、ちゃんとお礼も言わないと。


 ……だけどそれともう一つ、わたしにはやらなきゃならないことがある。

 ―――紀月さん、あなた、なんでここにいるんですかっ!

 いや、この学校の生徒だからだろうけど!




 朝の会が終わって、ばたばたと教室が騒がしくなる。

 さて、どうしようかな……と思ったら。

 わっと机の周りに人が集まってきた。


「逢瀬さんよろしくね!」

「夢生ちゃんって呼んでもいい?」

「好きなアイドルとかいるの~?」


 わっと机の周りに人が集まってきた。


「ええっと……もちろん夢生ちゃんって呼んでいいよ! 好きな呼び方で呼んでくれるとうれしいな! アイドルは分かんないなあ。好きな遊びはドロケイだよ~!」


 なーんて答えていたら、あっという間に休み時間が終わって、一時間目のチャイムが鳴ってしまった。

 バラバラとみんなが席に戻っていく。


 この調子じゃあ、今日は話しかけられないかもなあ。

 わたしは机の中に入っていたやたらと大きな紙袋から、一時間目の社会の授業で使う教科書を取り出す。


 ……ん? まって。

 わたしは天根家のメイドだよ! 紀月くんについては、会えるチャンスなんてたくさんだよ!

 いや、たくさんではないかもしれないけど……。

 そうして、香凌学園での最初の授業が始まった。



 放課後。

 ふう、とわたしは小さく息をついた。

 今は帰りの会が終わって、みんな帰るところ。

 休み時間中はずっと質問攻めで、一週間分くらいしゃべった気がする。楽しかったけど。


 でも、問題はまだ残ってる。

 私はランドセルをしょった。

 今日中に、男の子にお礼を言って、名前を聞かなきゃ。


 わたしは教室の端っこのほうで誰かと話す男の子の姿を見つけた。

 それで、もしよかったらお友達に……!


「あのっ!」


 近づいて、そう、声をかけたとき。


「あ、夢生ちゃん!」


 男の子が振り向いて、わたしを見る。

 そしたら、男の子の話し相手と目が合ってしまった。


 なんと、話していたのは紀月くんだったんだ。

 な、なんでそんな微妙な表情を!

 じゃなくて!!


「あの、今朝はありがとうっ!」


 わたしは頭を下げる。


「ううん! 夢生ちゃんが、無事に着けてよかった!」

「ありがとう! あの、それで、名前なんていうの?」


 わたしは一番聞きたいことを言う。

 すると、男の子は元気そうに笑った。


「おれの名前は、日生依悠ひなせいはる! 出席番号は29番! これからよろしくね!」

「こちらこそ、よろしくね!」


 日生依悠くん。

 なんだか太陽みたいに明るくて、初めて会ったわたしに声をかけてくれるくらい優しい子だなあ。

 わたしのことは下の名前で呼んでいるし、わたしも下の名前で依悠くんって呼んだほうがいいかな?

 なんて考えていると。


 キーンコーンとチャイムが鳴った。

 時計を見ると、ちょうど3時。

 まずいっ、いつもこの時間は学校を出てるよ!

 4時からの仕事に間に合わない。


「二人とも、また明日っ!」


 わたしはあいさつしてから教室を駆け出す。

 学校から天根家までいつも45分くらいかかるんだよね。

 着替えとか移動も含めると、ギリギリなんだ。



「おい夢生っ!」



 後ろから、とつぜん名前を呼ばれた気がした。

 そしたら足音が近づいてきて、がっとわたしは左腕を掴まれた。

 手首から感じた熱。そのとたん、ぎゅんっと心臓が変な音を立てる。

 一瞬脳裏に、なにかの映像が浮かび上がった。




『え~、もう行っちゃうの?』


 辺りに見えるものが、今よりずっと大きい。


『ごめんな。すぐ帰ってくるから』

『うーん、わかった!』


 わたしは大きな手のひらを離す。

 小さく、遠くなる背中を、ただ眺めるだけ―――。




「っ、はあっ」


 止めていた息を吐くように呼吸をする。

 左手にもう熱はない。

 代わりに、ドキドキと激しく騒ぐ心臓が苦しい。


「お前、大丈夫かよ」


 振り返ると、心配そうな顔の紀月くんがいた。

 追いかけてきた、のかな。

 わたしはその姿に、ふっと我に返る。


「だ、大丈夫だよ。うん。もう、行かなきゃ!」


 わたしはごまかすようにわざと元気よくそう言った。


「待て」


 踏み出そうとすれば、止まるように言われる。

 今度は、うでは掴まれなかった。


「俺たち、これから行く場所が同じだろ」


 するとわたしを追い抜いて、さっさと歩き出した。

 ……そうだ、もう、時間気にしなくていいんだっけ。

 わたしの、いろんなことが起こってあわただしい一日目が終わろうとしていた。

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