第8話 わたしの学校

 天根家のメイドとなって一週間が経った。

 そのあいだメイド以外にもたくさんのことがあったけど……まあ、誰かの役に立てたならこれくらいどうってことないよね!!


「ねえ、夢生」

「どうしたの? お母さん」


 夜、リビングで宿題をしていると、台所からお母さんが声をかけてきた。


「……学校の事なんだけどね」


 エプロンを着たお母さんがやってきて、わたしの隣に座る。

 ……学校のこと。わたしには、わたし“たち”には、思い当たることがある。


「南小、6月で廃校になるでしょう?」

「……うん、そうだね」


“廃校”。それはつまり、学校が無くなるってこと。

 わたしの通う南小はもともと各学年2クラスとかしかなくて、人数がとっても少ない。

 今年で創立120年を迎える校舎はかなり老朽化が進んで危ないから、取り壊しとか、一部をドラマや映画の撮影などに使われる計画が進んでるんだって。

 しかたないとは思うけど、やっぱりずっと過ごしてきた校舎とお別れするのは寂しい。

 ……だけど、それだけじゃなかった。


「今日学校からメールが来て、通う学校の希望を提出するようにって。夢生」


 ずっしりと重いものが心にのしかかって、わたしはうつむく。


「お母さん、わたし、いやだよ」

「……夢生」


 校舎とお別れも寂しい。だけどわたしには、もっと寂しいことがあった。


「……だって、みんなと違うところなんだよ」


 ぎゅっと折りたたんだひざを抱える。

 わたしが6月から通う学校は、同じ学年の子たちが誰もいない学校なんだ。北小っていうんだけどね。

 地区とか、距離とか全部考えてのことなんだろうけど、一人ぼっちはどうしても受け入れられない。

 人と仲良くなるのは苦手じゃないよ。でも、がんばってがんばって積み上げてきたものをすべて消されるような気がして。


「……夢生」

「ごめんなさいお母さん、わがままいって。……わたし、宿題やらなきゃ! それはちゃんと、考えるよ!」


 わたしは切り替えるように顔を上げて、姿勢を正して机に再び向かう。


「夢生、お母さんから、もう一つ話があるの」

「え、なに?」


「……香凌こうりょう学園に、行くのはどうかしら」

「……え?」


 頭に入ってこない宿題のドリルを閉じて、わたしはお母さんのほうを見る。

 こうりょう、がくえん?


「昨日ね、天根家の夜見さんという方から、お電話を頂いたの」

「夜見さん……」


 繰り返すと、お母さんがうなずいた。


「南小と天根家は、距離があるでしょう? だから毎日大変なんじゃないかって。もし夢生が6年生になっても天根家で仕事をしていて北小に通うことなったとしても、遠いのは変わらないし」


 だからね、とお母さんは続ける。


「天根家から、夢生が香凌学園に通う話が出てるの。もちろん絶対じゃないけど、考えてほしいって」

「お、お母さん。そもそも、香凌学園ってどこ?」


 わたしはとつぜんの相談に驚きながらもたずねる。


「家からも天根家からもだいたい20分くらいある私立の小中高一貫校だよ」

「し、しりつ……いっかんこう……」


 次々と知らない言葉が出てきて頭がこんがらがる。

 う〜ん、だけど、つまりは……家からも天根家からも近い学校に、わたしは通うかもしれないってこと?

 でもそれなら、来年から北小に通うことと変わらないんじゃ……。

 天根家と南小が遠いのは大変だな〜と思ってたけど。


 お母さんは目を細めて、優しく笑った。


「知り合いの誰もいない学校がいやだという夢生の気持ちは、訊いてあげられないかもしれないけど……。この話は、夢生の好きなほうを選んでいいからね。夢生がどっちを選んだとしてもお母さんは夢生の力になるから」


 そっと背中に触れられた手から、温かさがじんわりと広がっていく。


 正直どっちも不安だという気持ちはある。でもお母さんのことを考えると、香凌学園ってところに入学したほうがいいんだろうなと思う。

 北小に通うことについてわたしはさんざん自分の意見を言っちゃったし、そろそろちゃんと考えないといけない。


 20分くらいならその倍時間をかけていた南小より全然近いし、その点ではお母さんに心配をかけなくてもいい。

 香凌学園にしたら、本当に知り合いが一人もいなくなっちゃうけど……。

 お母さんを少しでも安心させることができるなら、わたしは……。


 まだ決まったわけじゃないから、とりあえずは、夜見さんに話を聞いてみよう。


「ありがとう、お母さん」


 わたしはそうお礼を言って笑った。




 次の日。放課後、いつものように裏門から天根家に入ると、玄関には夜見さんが立っていた。

 めずらしい、なにかあったのかな?


「夢生さん、お待ちしておりました」

「え、わたし、ですか?」


 まさか自分だと思わなくて思わず聞き返すと、夜見さんは変わらない優しい笑顔でうなずいた。


「仕事の前に、少しお話が」

「話……ですか?」


 もしかして、香凌学園のことかな。

 わたしは夜見さんにつられ、玄関に入ってすぐ近くの一室へ案内される。

 テーブルをはさんで座ったところで、夜見さんが口を開いた。


「先日、夢生さんの学校についてお母様にお話をさせていただきまして。夢生さんはもう、ご存じですか?」

「あ、はい! 聞きました」


 やっぱり学校の事みたい。

 もしかしたらなにやらかしてクビにでもなったのかと思ったけど……よかった。

 わたしは小さくほっと胸を撫でおろす。

 ……いや、よくはないんだけどね!? 学校のことだって、結構重要な話だし。


「まだご決断はされていないとは思いますが、もし香凌学園に通うようであれば、学費などは提案したこちら側が全額免除させていただきます」


 学費……って、学校に通うお金のことだよね。

 香凌学園に通うことへのお金の心配はいらない。

 お母さんがこの話を聞いているかどうかは分からないけど、かなり大切なことなんじゃないかな?


 わたしの気持ちはますます、香凌学園へかたむいた。

 いつも頑張ってくれてるお母さんに、余計な負担はかけさせたくないもんね。北小を選んでも結局知り合いがいないことも本当だし、それなら香凌学園を選んだほうがいいことが多い。


「夜見さんっ!!」


 わたしは勢いで立ち上がってしまう。だけどそんなことはどうでもいい!


「はい」



「わっ、わたし、香凌学園に入ります!」



 まるで告白でもするかのようにドキドキしながら伝えると、夜見さんは少しだけためらった様子でほほえんだ。



「そんなに早く決断していただかなくても。もっと時間をかけて……」

「わたし、もうすぐから6月から通う学校の希望を出さなきゃならないんです。だけど、一番は、早く決めてお母さんを安心させてあげたいんです!」



 心からの気持ちを言うと、夜見さんは今度はいつもの優しい顔で目を細めた。


「……分かりました。天根家にはそう伝えておきます。……だだし」


「え……ただし?」



 なにか、条件とか……?

 いやな空気を感じながら、わたしは腰を下ろした。

 すると夜見さんは、真剣な表情でこう告げた。


「香凌学園に編入するには、簡単なテストを受けてもらうことになります。ある程度はこちらが請け負い難易度は下がりますが、それでもテストは必要だと、香凌学園から」


 て、てててテスト……っ!?

 転校するのに、テストが必要なの!?

 思わぬ衝撃的な事実に、わたしはショックを受ける。

 勉強……苦手ってわけじゃないけど、得意でもない。

 ど、どどどうしよう!!


 するとさらに夜見さんは、とんでもないことを言い出した。



「香凌学園から編入テストについての日程も一応来ておりまして……」


 夜見さんがテーブルの上に置いたタブレットをのぞき込む。



「急ですが、試験は来週の4月最終週の火曜日になります。つまりは、一週間後です」



 わたしは目を見開いたまま、言葉を失った。

 こんな急展開、あっていいのっ!?

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