第3話 リアル王子、紀月様
「—――ということで、天根家のご案内は以上となります」
「……あ、ありがとうございましたぁ~」
メイド服に着替えたのち、夜見さんはわたしに天根家をすみずみまで案内してくれた。
だ、だけどあまりにも広すぎて……。
なんかところどころにSPっぽいのもいたし、とんでもない家だ。
歩きすぎて疲れているわたしとは逆に、夜見さんはさっきとまったく様子が変わっていない。
“慣れ”とはこういうものなんだろうか。
「それでは今日はここまでです。夢生さん、これをどうぞ」
私服に着替えて部屋から出たところで、夜見さんが渡してきたのは1枚の紙。
受け取ってさっそく見てみるけど、なんだか難しい文字がいっぱい書かれてて、内容はよくわからない。
「それは雇用契約書です。つまりは、夢生さんが天根家専属メイドとして働くことを約束するものになります」
「え……わたし、もうここで働くことになったんじゃないんですか?」
今日これだけのことをしてまだ決まっていなかっただなんて予想外すぎて、わたしは思わずたずねた。
すると夜見さんは変わらない優しい表情で告げる。
「はい。あの手紙は仮契約となり、本契約はそちらとなります。今日天根家に来たことで気が変わったようでしたら、もちろんこの話は白紙にしていたいただいてかまいません。ご決断はすべて夢生さんにゆだねます。私たちはどちらへ結果が転がったとしても、それを拝受するのみです」
え、えーと、うーんつまり……?
「簡単に言うと、天根家で働くことは夢生さんが決める、ということです」
「な、なるほど」
すごいわかりやすい。
じゃあ、わたしの意見次第なんだよね。全部。
お母さんの役に立ちたい。それは本当。だけど……正直、不安もある。
小学生のわたしが、ちゃんと働けるのかってことだ。
「あ、あの!」
「はい」
わたしが呼びかけると、夜見さんは返事をする。
「……わたしを使用人に指名したという、“紀月様”に、会えませんかっ?」
わたしが一番気になっていたこと。それは、“紀月様”が誰なのかということと、なんでわたしを選んだのかということだ。
それを聞いてはっきりさせないと、わたしは決められない気がする。
「承知いたしました。ではまた明日の夕方、天根家へお越しください」
夜見さんは驚いている様子だったけど、あっさり了解してくれた。
約束をしたわたしは契約書をランドセルに入れ、天根家を後にする。
薄暗い空には、早くも一番星がまたたいていた。
そして2度目の、天根家っ!
“紀月様”が果たして何者なのかがわかるんだ。ちょっと怖いけど、どんな人なんだろうっていうわくわくもある。
どんな感じかな? ザ・社長!! みたいな感じだろうか。
ドキドキしながら昨日と同じように玄関ドアをノックし、天根家へ入る。
すると、また昨日と同じように夜見さんが立っていた。
「それでは、紀月様のお部屋へご案内いたします」
昨日とはまったく違う道へ進み、着いた先はエレベーター。
中に入って夜見さんが押したのは、一番上のボタン、3階。
というかその他にもいっぱいボタンあるんだけど……。1階から下へのボタンがちょっと多い気もしなくもない。
あっという間に3階に到着し、エレベーターを降りた先に広がっていたのはすごい光景だった。
壁はほとんどすべてガラス張りで、お庭がよく見える。
それにとんでもない広さ。開放感があるっているか……家じゃない、ここ。
すぐ近くの不透明なガラス扉の前で、夜見さんはなにやらインターホンのようなものを操作し始めた。
ピッと音がしたと思ったら、ウィーンと左右にガラス扉が開いた。
おおっ、ここが、“紀月様”のお部屋……っ!
高鳴る心臓。期待値は膨らむ。
さあ、わたしはここで、真実を聞くんだ!
そう意気込んで瞬きした瞬間、目に飛び込んできたのは—――!
「紀月様、例の方を連れてきましたよ」
「ああ、ありがとう。夜見」
回転するいすに腰かけ、こっちへ振り向く“紀月様”。
……その、姿は。
……え?
わたしの頭の上にハテナマークが浮かぶ。
なんと、姿は想像していたよりもずっと子ども。
わたしとちょうど、同じくらいの年齢の男の子だった。
こ、これが“紀月様”っ!? 社長は!? 大人じゃないのっ!?
だけどこの人から、とてつもない王子様オーラを感じるっ。
「あ、えと、こ、こんにちばんわ!あなたが紀月様ですかっ?」
衝撃すぎて戸惑ってたら変なあいさつ付きで聞いてしまう。
「そうだけど」
なんだか怖い雰囲気の紀月様はいすから立ち上がり、こっちへ近づいてくる。
一歩後ずさろうとしたけどすぐ後ろには夜見さんがいて、に、にげられないっ!
「……お前が逢瀬夢生、か」
距離約20センチ。わたしより少しだけ高い身長と大きくてきれいな瞳が逆に怖い。
さっきのわくわくではない心臓の音が妙にうるさく感じる。
「き、紀月様はなぜ、わたしを使用人に……?」
この状況で本来の目的を忘れなかったわたしのことを誰かほめて〜っ!
紀月様はわたしの顔をまじまじ見つめるのを止めて、少しだけ離れた。
「俺はお前がいいからだ。逢瀬夢生」
り、理由になってませ~んっ!!!
なんてツッコミたいけど、それはさすがにまずいのでとどまる。
「俺は逢瀬夢生の力を必要としているんだ」
「ひ、ひつよう?」
その言葉に、わたしはぴくりと反応する。
紀月様はなんでもないようにうなずいた。
「そうだ。だから、お前を使用人に採用—―つまりスカウトしたわけだ」
紀月様と目をおそるおそる合わせる。
その瞳が、うそをついているようには見えなかった。
……わたしが、必要?
どこの誰だか知らないわたしのことを、どこの誰だか知らない紀月様は必要としてくれている。
普通だったらありえない話だけど、なぜかわたしは、その言葉を信じてみたくなった。
ぎゅっと、両手を握りしめる。
「わ、わたしの存在が、必要とされているのなら」
—――わたしは、天根家で働きますっ!
気が付けば、そう口にしていた。
わたしはホンモノの契約書にサインをして、正式に天根家の使用人として働くことが決まった。
ちなみにあとから知ったことだけど、紀月様は天根主彦会長の孫らしい。つまりは、ホンモノの王子様のようなもの。
するとますますわたしが選ばれた理由がわからない。
今日は、メイドとしての初仕事。またあの制服を着るのかと思うとちょっとだけ恥ずかしいけど。
でもそのうち慣れてくるよね!!
わたしが働くのは、放課後の2時間。小学生だし時間は限られている。
お母さんが労働なんとか法に引っ掛かるんじゃないかとかって心配していたけど、天根家は国から認められた独自のルールがあり、使用人の労働もその管理下にあるため大丈夫らしい。
それを聞いたお母さんは安心した様子でわたしのことを応援してくれた。
さあ初日!!やる気に満ち溢れたわたしが制服を着て初めにやってきたのは、天根家地下1階のとっても大きな調理室。
たくさんの人がいて、この人たちみんな働いているんだなあと思うと、すごい。
「今日から入ってきてくれた逢瀬さんよ。私は料理長の永瀬。よろしくね」
「はい!みなさん、よろしくお願いしますっ!!」
総勢30人はいるであろう人たちの前で紹介され、わたしは緊張しながらも頭を下げた。
「じゃあ逢瀬さん。まずはこれを着て、私についてきてね」
優しそうな雰囲気の若い女性、料理長の永瀬さんがわたしにエプロンを渡してくれる。
エプロンを着ながら向かったのは、一番奥の大きな流し台。
そこには、大量のお皿が積まれていた。
「しばらくは皿洗い中心ね。もう少し時間がたったら、買い出しなんかもお願いするかも」
「はい、分かりました!」
返事をすると、「じゃあよろしくね」と永瀬さんはさわやかな笑顔を残し、忙しそうにその場を去っていった。
調理室はまるで、最近授業でやった戦場のようにせわしなく人が動く。
わたしはその雰囲気に圧倒されながらも、エプロンのひもを後ろできゅっとしっかり結んだ。
よし!わたしも仕事、がんばるぞ!!
「はあ、づっがれだ~」
約2時間後。わたしの労働時間は終わり、メイド服から私服に着替えた。
皿洗いってだけなのに思ったよりハードで、次々と洗い物が来るからやってもやっても終わらないんだよね。
もう指がふやふや。なんだか方もこった気がするし。
毎日働いているお母さん、毎日こんな思いをしているんだなあと、自分がその立場になって初めて分かった気がする。いつもお母さんに思っている“お疲れ様”の重みが増した気がした。
わたしは自分の手を見つめながら、初めてメイド服を着た日に着替えた部屋―――通称「メイド部屋」を出た。
……出た、ときだった。
「……えっ!?」
ドアの前に、なんと紀月様がいたのだ。
びっくりして声を上げると、紀月様に手で口を塞がれる。
「だまれ」
なんでこんなところに紀月様が?だってここは、使用人棟といって使用人以外は立ち入り禁止なのだ。
王子様の紀月様がこんなところに居たらまずいんじゃない?
「っ、~っ」
反抗すると手は離され、代わりにドンッとわたしの姿を隠すようにドアに手のひらを打つ。
こ、これは……。
心当たりがある構図。まさか自分が経験することになるとは。
しかもあのときは気が付かなかったけど、紀月様って顔がすごくきれい。つまりはイケメン。
サラサラの長い前髪からのぞく瞳……なんて、意識すると、は、恥ずかしくなってくる!
「おい、逢瀬夢生」
「は、はひっ」
真っ直ぐ見つめられ、わたしは捕らえられたように視線を動かせなかった。
「聞いてくれ」
「な、ななな、なんでしょうかっ?」
紀月様は一呼吸置いたあと、衝撃の言葉を口にした。
「―――お前の本当の仕事はメイドじゃない。――夢を改変する、ドリームチェンジャーだ」
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