「時間旅行者」

◇都内某所 雪代邸◇


 大きな屋敷の小さな居間で、一人の女性が紅茶を嗜んでいた。

 この屋敷の主の娘で、才色兼備の麗しき美女。

 彼女の名は、雪代野乃。


「わたくし、婚約することになりましたの」


 カップの紅茶にスッと口を付けると、傍に立っていた執事の男が愕然とする。


「は……はい?」

「親の意向で。こればかりはもう、どうしようもないですわね」

「し、しかしお嬢様。よろしいのですか……?」

「まるで他人事ですわね」

「え?」


 再び紅茶に口を付ける。飲んだか飲んでないか分からないほど、一瞬のひと時だが。


「わたくしの婚約者は、貴方ですわ。北倉」


 唖然とした執事の男──北倉歩は、動揺で言葉を失った。


「……北倉?」

「ど、どういうことですか!? 私は何も聞いてませんよ!?」

「まあ、貴方の人権の全ては、お父様が握っておりますしね」

「し、しかし……」

「何か?」


 北倉は悩ましそうな眉を見せ、野乃はカップを机に置く。

 長く寝食を共にしてきたものの、二人はあくまで主人と執事の間柄。

 野乃はもちろん、北倉も複雑な感情を持っていた。そして北倉の方がうちに抱えている悩みを、野乃はまだ知らずにいる。


「……この際、告白させて頂きます」

「何を?」


 覚悟を決めた様に、北倉は目をキリッとさせた。



「私は──────────宇宙人なのです」



 とても神妙な面持ちで、静かな言い方だった。しかし、野乃は何も言わず紅茶を一口。


「──……宇宙人なのです」


「はあ。それで?」

「反応薄いですね……」

「別にそれくらい。今更驚きもしないですわ」

「そうですか……」


 一世一代の告白をしたつもりだった北倉だが、当たり前のように受け入れられてしまった。

 この雪代野乃という女性は、それほどまでに幾度となく非現実を味わってきたのだ。

 例えばそう。彼女の後輩の男。どこまでもおおらかなその男は、非現実の代表格。

 だが同時に、彼女にとってはかけがえのない日常の証でもあった。


「……『超能力者』の快太君がいるというのに、逆にどうして宇宙人如きでわたくしが驚くと思ったのかしら?」

「……それもそうですね。いや、ですが、そこは問題ではないのです。とにかく私はこの星出身ではないので、お嬢様と結ばれるわけにはいかないのです。宇宙規定でそう決まっておりますので」

「……北倉。わたくしのことを拒絶したいのなら、ハッキリ言ってくださって構わないですわよ?」

「冗談ではありません。ええ、非常にまずい状況です。本当に。宇宙規定を破ることになれば、私達は罰を受けることになります。これが大変なことでして……」

「一旦落ち着いてもらえるかしら?」


 北倉は分かりやすく焦りを見せていた。それ故、野乃は彼の言っていることが真実だと推測する。

 彼女からすればどちらでもいいことで、北倉との婚約の話を無しにする方面に話を持っていくのも、悪くないと思っている。


「貴方は元々お父様に拾われた身。お父様が想像していた以上に特別優秀だった貴方の正体は、全くもってありきたりな宇宙人だった。まずは……その証拠は?」

「証拠は出せません。宇宙規定により、私は地球人と同様の姿をとり、同様の能力しか使えないように制限されておりますので」

「なのに自らの正体を明かして良かったんですの?」

「地球の言語であれば、どのような発言をしようと規定違反にはなりません」

「……では、貴方が宇宙人であると仮定して話を進めましょう。何故地球人と貴方が結ばれるのが……いえ、それもいいですわね。目下重要なのは、規定を破るとどのような罰を受けるのかですわ」


「…………戻ることになります」


 野乃は紅茶を飲み干した。そしてポットを取り、追加でカップに注ぐ。


「そう。御機嫌よう。今まで大変お世話になりましたわ」

「いえ。『私が故郷に戻る』という意味ではありません」

「あら」


「………………この銀河の、『』という意味です」


 ポットを持つ手が止まった。しかし、こぼすほど冷静さを失ってはいない。

 まだ大して入れていないというのに机に置き戻すと、野乃は北倉の方を向いた。


「……どこまで?」

「ハッキリとは存じていませんが、恐らくその『婚約』の話が出る前までになると思われます」

「意味があるのかしら。時間を戻しても、また同じ未来に向かって行くだけですわ」


 野乃は当たり前のように、『時間遡行』をあり得る話として飲み込んでいる。

 それだけ彼女は、これまでに多くの超常現象に触れて生きてきたのだ。

 その大半は、超能力者である後輩に関係している。


「いいえ。お嬢様。私とお嬢様の記憶だけは、引き継がれます。そうして『やり直せ』というわけなのです」

「宇宙人の方々は影響を受けないんですの?」

「影響を受けるのは、この地球のある銀河だけです。それ以外の全ての宇宙は、何も変わらず膨張を続けることでしょう」

「随分と都合がよろしいですわね……」

「宇宙規定を定めるのは、宇宙全体の情報を統制している、『インフォメーショナル・フォトン・システム』です。……ああ、これは地球の言語で訳した場合の呼び方ですが、要は宇宙の警察のようなものです。彼らは自然科学の分野では、この地球人よりも秀でたところがあります。とにかく彼らの技術ならば、膨張する宇宙の一部を、収縮させることも可能という話なのです」

「……『情報光子機関インフォメーショナル・フォトン・システム』……。まあ、そこはどうでもいいですわ。時間を戻す方法についても、興味がありませんし。気になるのは、……」

「そうなんです。問題はそこにあります。やり直せなければ、もう一度やり直させられるだけです。何度も何度も過去に戻されるうえ、記憶は蓄積し続ける。このループを繰り返し続けると最悪の場合、お嬢様の脳は記憶を保持することが出来なくなり、機能不全に陥ることでしょう」

「まあ怖い」


 全く怖がっていない様子で、野乃は少ししか入っていない紅茶を再び飲み干した。


「余裕綽々ですね……」

「フフ。気構える必要などありませんわ。単純に、お父様に婚約の話を白紙にするよう頼めばいいだけではありませんの」

「! お嬢様の方から言ってくださるのなら──」


「お願い北倉」

「……」


 野乃の父親は厳格なうえ、特に野乃に対しては相当に頑固なところがある。

 無論、拾われた身である北倉には文句など何も言えず、彼の意志を曲げることなど出来ないと思っている。


「……いや、ここはお嬢様から言ってもらわないと……」

「嫌ですわ」

「お嬢様……」


 野乃の方も、自分の意見が通るなどとは思っていない。

 そもそも、最近はあまり会話をする機会がなく、若干だが気まずくなっていた。


「……ま、試しに一回、過去に戻ってみませんこと?」


     *


◇数年前 新日本大学付属高等学校 超能力研究会部室◇


「……まさか……」


 想定通りだが、想定通り故、雪代野乃は驚嘆していた。

 眼前にいるのは、彼女のよく知る人物──超能力少年、君口快太。


「どうしました? 雪代部長」

「……いえ」


 今、彼女には数年先までの記憶がある。つまり彼女は、遠い未来より過去に戻って来たのだ。

 婚約を白紙にせずにいたところ、いつの間にか『ここ』に移動した。

 まるで何の予兆もなく唐突に飛ばされたので、野乃は少しだけ周囲を見渡していた。

 見れば見るほど明らかになる。北倉の話は本当のことだったのだ。


「……失礼しますわ」

「え? もう?」

「……快太君」

「何ですか?」


「………………あまりわたくしに、期待させないでね?」


 首を傾げる快太を置いて、野乃は一旦部室を出ていくことにした。

 彼女は今かなり動揺している。だがそれは、過去に飛ばされたからではない。

 を見て、ざわめく心を制御することが出来なかったのだ。


     *


 学校を出ると、北倉が車と共に待ち構えていた。


「お迎えに上がりました」


 自然な調子で扉を開けられて、野乃は無言のまま車の中に入る。

 だが北倉が発進させようとしたところで、彼女は口を開いた。


「……戻り過ぎでは?」

「……戻り過ぎですね」


 今運転席にいる北倉も、未来の記憶は保持している。つい先ほど、急にこの過去に飛ばされたのだ。彼も野乃と同様に、困惑を隠すのが非常に上手い。


「どういうことですの? まさか、お父様はこの時期からわたくしと貴方を結ばせようと……?」

「あるいは『IPS』も、十分に時間遡行を制御することが出来ないのかもしれません」

「『IPS』?」

「『Informational・Photon・System(インフォメーショナル・フォトン・システム)』の略です」

「……まあ何でもいいですわ。要は、思っていたよりも彼らは苦労なされているということですわね」

「お嬢様の高校時代まで飛ばされたとなると、流石に厄介ですね。私達はこれより数年、既に知っている出来事を繰り返さなければなりません」

「……」

「お嬢様?」


 野乃は小さく溜息を吐いた。

 予定外ではあるが、彼女にとっては想定の範囲内。

 彼女が悩んでいるのは、ということ。

 そして長い付き合いである北倉には、そんな彼女の悩みが容易く理解できる。

 宇宙の規定や時間遡行など、どうだっていい。いつだって、彼女にとって一番の悩みはそこにある。


「……もしかしたらこれは、チャンスなのではありませんか? お嬢様」

「? どういうことですの?」

「どういうことも何も……。……お嬢様。彼と会ったのでは?」


 北浦の言う『彼』とは、言わずもがな、君口快太のことだ。

 つまり何が『チャンス』なのかも、明白な話。


「…………今更」

「今更ではなく、今からなのですよ。お嬢様。今の貴方は、彼とまだ出会ったばかりの頃の貴方です」

「…………」


 野乃は眉をひそめて、外の景色を見るばかり。

 不自然なまでに、周囲には何もない。車も人も動物も。虫も植物も、空には雲さえも見当たらない。

 彼女の選択は──


     *


「部長?」


 野乃は部室に戻って来た。快太は暇をしているようで、まだ部室に残ってスマートフォンを弄っていたらしい。

 野乃は何も言わず、静かに先程まで座っていた席に腰を下ろした。


「どうしたんです? 帰ったと思ったのに」

「帰ってほしかったのかしら」

「い、いや別に。俺としてはどっちでも……」

「……ええ。そうでしょうね。貴方はそういう人ですもの」

「?」

「……」


 ほんの少しだけ口ごもると、それだけで快太は野乃の様子がおかしいことに気付く。

 彼女が普段彼の前で相当に繕っていることもあるが、彼は些細な他者の見た目の変化ならば、すぐ気付ける男なのだ。


「…………快太君の、本当の能力を聞かせてくださいませんか?」


 快太は一瞬大きく目を見開いたが、動揺は見られない。


「何の話ですか? 知っての通り、俺の超能力はいわゆる『念力』のようなものです。好きなものを、好きなように操れる。それだけですが……場合によっては、電気を作ったり火を起こしたりも出来る。部長に対して嘘は吐いてませんよ?」

「……そうでしょうね。貴方はただ、忘れているだけ。けれどよく考えてみてください。わたくしたちの思考も記憶の想起も、全ては『脳』……すなわち、貴方が操る『物質』によって行われていますわ。つまり貴方は……他者の『心』を、自在に操れてしかるべし」


 それを聞くと、快太は驚いて少し声を発した。


「俺が……そんなことを……?」

「不思議ではありませんわ。貴方のことですから、自分の思考を操作して、それを『出来ない』と思い込んでいるのでしょう」

「……」


 快太は顎に手を当てて考え始めた。可能性としては、全くあり得ないものではないのだ。

 彼を研究したことのある者は、皆が口々に言っている。



 ……『君口快太は、力を隠している』……と。



「……部長。俺は……」

「まったく、本当にどこまでも…………優しい人ですわね」

「え?」

「貴方は、自分で自分を律していたのですわ。どうせ悪用なんてしないくせに、その可能性を少しでも減らすために」

「……」

「実際に試してみればすぐ分かることですわ。快太君」

「…………人の心を操る能力を、俺が悪用するために隠していたとは思わないんですか?」

「あら。貴方がそんなことをする人なら、既に念力の方で何かしらの悪事を働いているはずですわ」

「……ハッ。随分信頼してくれるんですね」

「貴方の念力は、それだけで十分脅威ですのよ? こんな脅威を持ちながら悪用せずにいるのなら、他の力は全て、危険だから自身の記憶から削除したと考える方が、どう考えても自然ですわ。ただ念力だけは、貴方が自覚して制御しなければ、勝手に発動して危険を招く恐れがある。故に貴方は、自分の持つ超能力のうちそれだけは、記憶から削除しなかった」

「……なるほど」

「そして……仮にこれが事実なら、わたくしは貴方に是非とも頼みたいことがありますわ」

「? 何ですか?」


     *


 野乃はこの部室に北倉を呼んだ。

 そして、自分たちが未来からやって来たということを快太に伝える。

 宇宙規定を始めとする発端などは伏せたが、それでも快太は話を信じてくれた。


「……へぇ。未来から……ねぇ」

「信じてくださるかしら?」

「ええ。信じますよ。当たり前じゃないですか」

「……」


 頬が緩みそうになるのを必死に抑え、野乃は彼を見つめる。

 胸中の温もりを、気付かれないように噛み締めていた。


「……それで? 俺にどうしろと?」

「わたくしと北倉の、数年先までの記憶を消してほしいのですわ」

「「!?」」


 ここで初めて彼女の目論見を知った北倉は、快太と同じ様に驚いていた。


「……そうすれば、わたくしたちはこの二週目を、存分に楽しみながら生きていくことが出来ますわ」

「……良いんですか?」

「未来を知りながら生きる方が嫌ですもの」

「北倉さんも?」

「……え、ええ。そう……ですね……」


 北倉は野乃に視線を送り、彼女の考えを読んだ。

 ただ、微笑むだけの彼女を見ても何も分からない。

 だが彼女は頗る頭が良く、これまでも多くの困難をその頭脳で解決してきた。

 なので、北倉は黙って何も分からない彼女の考えに乗ることにした。


「……お願いします。君口快太君」

「……分かりました」


 そして快太は、自身の両手を二人の方に向けた。


「雪代部長」

「何ですの?」

「……二人の記憶を消したら、俺もここまでの会話と、覗いてしまった二人の記憶を全部忘れることにします。そうするべきですよね?」

「…………狡いですわね」

「え?」


 快太も記憶を消すのならば、ずっと言いたかった言葉をここで告げることも許されるかもしれない。

 しかし野乃にはそれが出来ない。どうしても。どうしても。

 何も知らずに自分にチャンスを与え、期待させてくる彼に、つい嫌味を言ってしまう。

 野乃は結局、何も言わずにただ微笑んだ。


「ご機嫌よう」


     *


◇数年後 都内某所 雪代邸◇


 大きな屋敷の小さな居間で、雪代野乃は紅茶を嗜んでいた。

 ティーポットは空になっていて、今カップに入っている分が最後の一杯だ。

 執事の北倉は彼女の傍に立ち、たった今衝撃的な話を聞かされているところ。


「婚約?」


「ええ。わたくしと、貴方で」

「嫌です」

「正直ね」

「その…………告白すると、実は私、宇宙人なんです」

「で?」

「反応薄いですね……」

「今更珍しくもない、何とも面白みに欠ける正体ですわね。もしかして、異星人同士では結婚できないという話ですの? ま、わたくしはわたくしで、貴方とそういう関係になるのはどうかと思っていますけれど」

「……昔はそういう規定もあったそうですが」

「昔?」

「はい。宇宙規定というものです。以前まではその中に、『異星人同士の婚約を禁ずる』という旨の一文があったのですが……。何でも罰則が重いうえに、費用が掛かり過ぎるということで……」

「どんな罰則ですの?」

「婚約を取り消させるため、規定違反者を過去に飛ばすらしいです」

「…………なるほど」


 北倉は顎に手を当てて、宇宙規定が塗り替えられた理由を思案した。


「どうやら何度も規定を破り、何度も過去に飛ばされた人がいたようです。地球人との婚約くらい諦めてもいいだろうに、一体何故そこまで……」

「……フフ」


 野乃は最後の一杯となる紅茶を飲み干し、彼方の宇宙の統治者を嘲笑う。


「その誰かの所為で、この銀河を時間遡行させるための費用が尽きてしまったそうで。なので、やろうと思えば私も、地球人と婚約することは可能です。『嫌です』といった理由はただ…………私が、宇宙人なので」

「では、お父様に直接話を付けてくださる?」

「出来ればお嬢様にお願いしたいのですが……。だってほら、お嬢様だってまだ未練が──」


「北倉」


「……申し訳ありません」

「……フフ。とにかく、わたくしは面倒なので、一人でお父様に直談判などしたくありませんわ」

「私も旦那様に拾われた身なので。一人で意見することなど出来ません」

「なら二人で行くしかありませんわね」

「そのようで……」


 最終的に辿り着く場所は変わらない。

 思い思いの複雑な感情を胸に秘め、彼らは再び未来を進み始めるのだった──

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