「信者」
……さて、ここはどこかしら?
両手首が縛られて、柱に縄で括りつけられている……。
周囲には薄汚れた壁が見えるだけで、他には何も無い。閉じ込められているようですわね。
「スー……」
埃っぽい。普段使われている場所ではないのでしょうけれど、まあ取り敢えず、建物の一室であることに間違いはありませんわね。
……はて。このわたくしが、何故このような状況になっているのかしら。
まあ焦ることはありませんわ。何故ならわたくしですもの。こうして囚われていることくらい想定内のはず。
こうして一時的に何があったか思い出せなくなることすらも、きっとわたくしならば想定しているはず。
……ですわよね? 雪代野乃。
──そう。わたくしの名前は雪代野乃。名花もたじろぐ美しき女子高校生。
あと、株式会社『雪代グループ』代表の娘で、公安委員会委員長を務める衆議院議員の孫だったりしますけれど……まあ、それはどうでもいいですわね。
さて、それくらいのことは覚えていますわ。問題は今、何故わたくしはこの場で拘束されているのかということ。
思い出されるのは……ふむ。部室での……『彼』とのやり取り……かしら……。
*
◇新日本大学付属高等学校 超能力研究会部室◇
「嫌です」
そうそう。そう言われたのを覚えていますわ。
彼の名前は、君口快太。同じ高校に通う、二個下の一年生の男子。
重要なのは、彼が断わった内容ですわね。
「何故ですの?」
「いや、当たり前じゃないですか。そりゃまあ俺は『本物の超能力者』ですし? 正直自分の身は、自分でいくらでも守れますよ? でも嫌です。理由は……面倒だから」
「……あらそう。もったいないですわ。貴方宛てですのに」
……ああそう。手紙……手紙が届いたんでしたわね。差出人は確か……『
確か講演会だかを開くとかで、本当に『本物の超能力者』である快太君に、出演を依頼したいというような内容だったかしら。
フフ……うちの部に送った結果、公安の方とお友達であるわたくしに、彼宛ての手紙を見られてしまうだなんて、可哀想に。
わたくしがそれを受けて彼らのことを調べないはずはなく、快太君も騙されてのこのこ出るような雑種ではありません。
彼らの真意が快太君に危害を加えることだということくらい、すぐに分かってしまいましたわ。
必要なのは快太君の安全確保と、彼らを捕まえるに足る十分な証拠。
……思い出してきましたわ。わたくしは、彼らの講演会に出席したんでしたわね。
それもわざわざ、今着ているような高校の制服のままで。
「捨てといてください。雪代部長」
彼に言われて、わたくしは確かに手紙を捨てましたけれど、講演会の日程と場所はしっかり覚えておきましたわ。
この時から既にわたくしは、直接ご機嫌を伺いに行こうと考えていたわけで。
「良いんですの? ギャランティも大幅に見込めますのに」
「この前テレビ出た時に結構貰えましたから。今年いっぱい分のお小遣いは足りてます」
「あらあらお小遣いだなんて……欲がありませんのね」
「俺はお金より、こうして誰かと些細な会話を送ることの方が大事だと思ってます。その時間が奪われるのは嫌ですね」
「……そんなにわたくしとの会話が楽しいのかしら?」
「? 誰とだって楽しいじゃないですか」
彼はそんな人。傍から見たら、彼が超能力者だなんてきっと気付かない。
いや、むしろ彼のことを別の能力者だと思うのでしょう。こんなにいとも容易く、人の心を温かくしてくれる…………それが、彼のもっとも最たる能力……。
ま、この時のわたくしは、ちょっとだけガッカリしてしまったのですけれど。
……そんなことはどうでもいいんですわ。それより今、この状況をどうするか。
*
……で、何故こうなったのでしょう?
講演会に出た後で……何があったのかしら?
取り敢えず、状況を再確認。
今、わたくしは柱に手首を縛られている状況。ここは使用形跡の残されていない、建物の一室。
狭い壁に覆われた部屋で、天井は高い。
窓は高い位置にある排煙窓だけ。外の様子は背伸びしても見えない。
……天井の大きな換気扇。普通の住宅で使われるような物ではありませんわね。
柱の傍にある配管も、目につく位置にあるのは妙。
ここは人が住む場所でも、デスクワークをするような場所でもない……。
……工場? 使われなくなった廃工場かしら。
見たところ使われなくなってからはまだ、数年も経過していないようですわね。
最近都内で閉鎖された工場で、宗教法人である天倪教が利用できるような……。
……天倪教と通じている、パーソンホールディングスの食品加工工場。
講演会の会場から三十キロメートル先にある、一年前に閉鎖した
講演会の会場から先の記憶があやふやなのは、そこで頭を打ったか薬を盛られたかして、何者かの手でここに運ばれたからでしょう。
排煙窓から差し込む光が無いことから、日は落ちていると見て間違いない。
講演会が終わったのは午後五時過ぎで……午前中に頬に塗った保湿クリームが渇いてない以上、日は跨いでいない。
わたくしの潤う肌を考慮すると、六時から九時の間である可能性が高いですわね。
……しかしまあ、数時間も眠っていたとは考えにくいし、箕浦工場なら一時間足らずでわたくしを運べる。
目覚めた傍に攫った連中がいないのは、わたくしをここに運んでから、上にその連絡をする必要があったから。つまりわたくしはまだ、ここに連れて来られたばかり。
なら、六時台が妥当ですわね。
…………で?
そんなことが分かっても、たいした意味はありませんわ。
それよりも記憶を取り戻すとしましょう。
確かわたくしは……講演会場に行く前に……。
*
◇都内某所 雪代邸◇
「……冗談でしょう? お嬢様」
そうそう。そう言われたんですわ。
彼の名前は
「良い考えだと思いませんの?」
「思いませんが……」
「わたくし、ワクワクしてきましたわ」
「どうか考え直して頂けないでしょうか……? お嬢様にもしものことがあれば、旦那様に顔向けできません……」
「あら保身?」
「はい」
「……素直ですのね」
わたくしは優しく微笑みましたけれど、ちょっとイラっと来たのを覚えていますわ。
まあでも、北倉は優秀なので。多少の無礼は許しましょう。
それでわたくしは確か…………。
「本気ですか? ……ご自身が、囮になるだなんて」
あー……そう。そういう感じでしたわね。
天倪教という宗教団体は、『人間は天の定めに従って生きるべきである』という考え方を持つ方々。
彼らは、天に仇なす恐れのある『超能力者』の快太君を良く思っていないのだと、公安の方から聞いたのですわ。
そしてわたくしは独自に、彼らが快太君の超能力を消滅させるための、明らかに人倫にもとる科学実験計画を企てていたことを知ってしまった。
今回は回りくどい誘拐計画だったので難を逃れましたけれど、次からは強引になるかもしれない。
そう思ったわたくしは………。
………何故、彼の為にこんなことをしてしまったのかしら?
「良いじゃない。わたくし、ワクワクしてますわ」
「……彼の為ですか?」
「……」
癪なことに、北倉はわたくしの目の前で溜息を吐いていましたわ。
「……そういうことなら、責任は私が取ります。ただ、これだけは言っておきますよ? 彼はきっと……喜ばないと思います」
*
北倉はずっと昔からわたくしのことを見ていたからか、わたくしのことを良く理解してくれていますわ。
しかしそもそもわたくしだけではなく、彼は元々他者の性格思考を読み取る能力に長けている。
快太君のことも、わたくしより理解しているように見えて、わたくしは何だかちょっと…………いや、そんなことは今はどうでもいいのですわ。
今大事なのは──
──────────────何も無いですわね。
「起きたか。雪代野乃」
おやおや、ようやくお出ましですのね。
「こんばんは。下っ端の雑種さん? あらあら見た目までお揃いで……雑種極まれり、ですわね」
「な、何だと……」
「落ち着け」
三人の白い服の成人が、わたくしのいる部屋に入ってきましたわね。
挨拶しただけで怒るなんて、美しくない人ですわ。
「……フン。まあいい。お前を人質にして、君口快太を呼び出すことにした。お前があのガキと同じ部の女だということは分かっている。ついでに雪代グループの代表を脅して、金も入りそうだ。クク……護衛も無しに我々のもとに現れるとは、警戒心が薄いんじゃないか? お嬢様」
「左から四番目」
「は?」
「貴方はステージの上で左から四番目にいた男性ですわね? 顔を隠しても無駄ですわ。その人差し指と中指を弄る癖……下品だと思って見ていましたもの」
「き、貴様……」
「そっちは右から三番目にいた、会長様のご挨拶の最中に欠伸をしていた男性ですわね? 気だるげな猫背で分かりますわ。良くないですわね、上司の話はしっかり聞かないと」
「な……お、お前! 欠伸って……」
「え!? い、いや、だって最近割り当てられる仕事が多くて……」
「会長様に、告げ口しちゃいましょうかしら」
「ば、馬鹿やめろ!」
「いやそもそも! 会わせるわけがないだろ!」
「……そして、さっきからずっと黙っている貴方。いい加減……わたくしを放置するのは止してもらえるかしら?」
そして三人目の彼──北倉は、顔を隠していた布を取って、わたくしにちょっと不愉快そうな視線を向けている……のは、気のせいにしておきましょう。
「お前は!?」
「誰……!?」
二人の信者の方々は、何も出来ずに北倉にのされてしまいましたわ。
流石、このわたくしの執事。
「……お嬢様。怪我を……」
「あら? 別に、どこも痛くはありませんわ」
「頭を殴られていましたが?」
「見ていたの」
「見ていろと貴方が言ったのです」
「そうでしたわね」
何にせよ、これで現行犯。彼らは仮に快太君やわたくしを攫っても、自分たち天倪教が疑われることはないと思っていたのでしょう。
実際、会場から少し離れた場所で、誰にも見られないように誘拐されましたし。
もっとも、初めからわたくしに注視している者が背後にいたことには、気付かなかったようですけれど。
しかしまあ問題は、天倪教はこの末端を切るだけで、これからも快太君を狙う可能性があるということかしら。
逮捕者が出れば目立った行動は出来なくなると思いますけれど……こればかりは、先のことは分かりませんわね。
*
そしてわたくしと北倉が外に出ると……待ち構えている連中が。
「……流石は雪代野乃。君も……消すべき対象ですかな」
白い服を着た信者の方が、いーっぱい。
その中心にいる若々しいお爺様は、天倪教の会長様ですわね。申し訳ありませんが、名前は殴られて忘れましたわ。ごめんあそばせ。
「北倉……これは?」
「え、あ、あのぅ…………すみません。私もつけられていたようです……」
「まったく……」
しかしこれは想定内。わたくしの考えた六通りのパターンの内の一つ。
北倉は何故かわたくしが危険な目に遭った時だけ、こういうポカをやらかすドジになるのですわ。
普段は完璧超人なのに……もったいない。
「……冷静だね。随分と」
「わたくしを消すのは損失ですわよ? この世界の」
「……駄目だよ。優秀過ぎる人間などいらないんだ。世界はもっと……単純で、愚かで、醜い者で溢れ返るべきなんだ。そうでないと天は……我らを救ってはくれない」
「弱者のフリをして信者を騙す演技、今はしなくても良いのでは? 貴方は強者側ですのよ」
「……本気でそう思っているんだよ……」
「なら貴方は、身の丈に合った生活をすべきですのよ。人を率いる貴方は充分……天に仇なす恐れがある」
「…………そうかもしれんね」
彼の意見はどうも、同調したくありませんわね。
だってそもそもわたくしは何の能力もない人間ですし。それに快太君だって……わたくしは、ただの一人の男の子として……。
……だから! もう! それは良いから!
「お嬢様。申し訳ありませんが、五つ目のパターンです」
「ええ。まあ何でも良いでしょう。こんな状況、たいして問題は──」
ズンッ
唐突に、わたくしたちの目の前にいた信者の方々が、会長様と共に地に伏せる。
まるで重力に押されているかのようなこれは、『念力』と呼ばれるそれに近い……。
こんなことが出来るのは────彼しかいない。
「……信じてたのになぁ」
彼が現れると、会長さんは自分がどれだけ弱者の側にいるかを理解した様子で、その名を恨めしそうに呟く。
「君口……快太……」
そして、わたくしも。
「……快太君……」
一瞬、怒られる可能性が頭を過ったわたくしは、必死に彼の前でいつも作る表情を見せる。
わたくしも、彼の前ではとてもとても矮小な弱者。
でもそれは、彼が強者だからではなく、ただシンプルに……。
「あらあら。夜遊びするには場所が悪いですわよ?」
「ホントそうですよ。ねぇ部長。それに北倉さんも。無茶はしないと思っていたのに……」
「え!? わ、私の名前を覚えておいでで……」
「? そりゃ覚えますけど。北倉歩さんですよね?」
「……一度しか名乗ってないのに……」
それも、彼の優れた能力の一つ。
……いや、何でわたくしが誇らしげにするんですの。
「……信じてたんですよ? 馬鹿な真似はしないだろうって」
「……フフ。もしかして、わたくしのこと……嫌いになりましたかしら?」
「? いや別に。俺はただ、部長や北倉さんに、危ないことしてほしくなかっただけです。……大丈夫でしたか? 怪我は……」
「……」
頭の様子を探ろうとした彼の手を、わたくしは上手いこと微笑みながら避け続ける。
だって、今のわたくし、埃塗れで汚いですもの。
「……北倉さんは?」
「え!? わ、私ですか!? それはもう全く何も! というかお嬢様の方がな──」
「北倉ッ!」
殴られたことを話したら、もっと怒られるかもしれない。
……なんて、子どもみたい。
でもきっと、彼は怒らない。ただ心配するだけで、それは別にわたくしだけに対してというものではなくて……。
「……化け物……」
会長さんのそんな言葉を聞いて、わたくしはつい微笑みを解いてしまった。
けど、逆に快太君は笑ってる。
「安心してくださいよ。貴方の信じるものだって、同じような化け物じゃないですか」
「……我々の何が分かる? 君は一体、何を信仰している……?」
「『信仰』? 俺は別に……。ああ、でも、俺はみんなのことを信じてますよ。だからあなた方も、頑張ってやり直してください。罪を償って、改心するんです。俺はそう信じてますから」
「…………」
化け物だと思っていた相手の、優しさに溢れた笑顔を見て、この会長さんはどう思ったのかしら?
超能力なんていうのは彼の持つ付属品。
わたくしはそんな彼と共に過ごすことで、彼の身に降りかかる脅威を、彼に近付けまいとしたかった。
でも結局、彼はこうして自分から出てきてしまう。
わたくしはそんな彼の…………『信者』だったり、するのかもしれませんわね。
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