「死者」

 生まれてきた意味を知ることに、果たしてどのような意味があるのだろうか。

 僕にはそれが分からない。

 それを知ろうとすることが、さも素晴らしいことであるように吹聴されるだけで、僕の心臓は索条で締め付けられる。

 『たいした意味など無い』などという、悲観的な意見を持っているわけではない。

 僕はただ分からないだけなんだ。

 未知とは恐怖であり、人間は恐怖という感情に支配されると身動きが取れなくなる。

 僕が生まれた意味は──


     *


◇国立新日本未来青少年ホール◇


 ここ、国立新日本未来青少年ホールは、首都統合の記念に建築された、大型コンベンションホール。

 新日本未来青少年タウンと呼ばれる大規模施設群の中に存在し、その象徴の一つとなっている。

 国……もとい首都と強く密接した施設であるため、国立、都立の教育機関が、式典などで用いる機会も多い。

 国立大学法人・国立新日本大学付属高等学校の卒業式も、この場で行われていた。


「ご卒業、おめでとうございます。部長」


 一年生・君口快太は、花束を自身の部の先輩に手渡した。

 式典は既に閉会し、今は卒業生たちが募る想いを共有し合っている時間帯。

 快太は一年生ながら、わざわざ一人の先輩のためにこの場までやって来ていた。


「……ありがとうございますわ。快太君」

「そんな寂しそうな顔しないでくださいよ。

「いつまでミスコンの時のことを引っ張るのでしょう? 快太君は……意地悪な後輩ですわね」

「意地悪な先輩に言われたくはないですね」

「うふふ」

「フッ」


 男女の関係にあったわけではないが、この一年間で、二人はお互いのことを深く理解し始めていた。

 そう、それでもまだ段階だった。

 別れの時というものは、恐ろしく早く訪れる。


「こんにちは。雪代野乃さん」


 花束を受け取った矢先、彼女──野乃の前に、一人の少年が現れる。

 光を失った瞳をしているが、刺すような視線をぶつけてきている茶髪の少年だ。


「……どなたかしら?」

「え? 知らない人なんですか?」


 快太はてっきり野乃の知り合いかと思ったが、どうやらそういうわけではないらしい。

 知り合いでないのに卒業式で声を掛けてくるというのは、あまり考えにくい状況だろう。


「……初めまして女王様。いや……『名探偵』と呼ぶべきかな?」

「……『ご主人様』でもよろしくてよ?」

「少し付いてきてもらえないかな?」

「嫌ですわ。はしたない。まずは名を名乗るべきではなくて?」


 若干野乃は苛立っている。隣にいる快太が、まるで何の反応も見せていないからだ。

 自分が、見知らぬ男子に声を掛けられているというのに。


「僕の名前なんて、知って得するものでもない。とにかく来てくれないかな? 向こうで……事件があったらしい」


 それを言われると気になるのが、雪代野乃という女。

 彼女が『名探偵』と呼ばれる所以は、女子高校生でありながら、何度も警察から表彰状などを貰っていることに由来している。

 ちなみに『女王』と呼ばれる所以は、数ヶ月前の学園祭におけるミスコンで、歴代最大得票数を得ての堂々一位を獲得したからだ。


「事件か……行きましょうよ。雪代部長」

「もう部長ではありませんわ」

「じゃあ雪代さん。折角優秀な貴方の頭脳、使わないのはもったいない」


 快太にそう言われると、もう野乃に引く理由はなくなる。

 この世界の誰一人としてその事実を知らないが、彼女を何かへと突き動かす最大の要因は、この君口快太という少年にあった。


     *


 ホールから少し離れた場所。卒業式の喧騒から若干遠ざかった場で、また別の喧騒が空間を埋め尽くしていた。

 人混みの傍には、三階建てのオープンモールが歩道に面して立地しており、モールの通路から下の人混みの方を覗き見ている者も、複数存在していた。


「……あれは……」

「!? ぶちょ……雪代さん! 待って下さい!」


 快太はその人混みの原因に気付き、前に出て野乃の視界を塞いだ。

 人混みは、明らかにその原因からかなり距離を置いて出来上がっていた。

 しかも、見えにくいにもかかわらず三階から下を覗く者が複数いる事実から鑑みて、彼らが原因がそこにある。

 それが何かしらのイベントなら、音でそうだとすぐ分かる。しかし、周囲には不安を煽るようなざわめきしか存在しない。

 人混みが見つめるその先には──


「……自殺……」


 快太の対応よりも先に、野乃はその事実に気付いていた。

 見なくとも、人混みが囲む間には人間の肉片が飛び散っているのだと優に想像できる。


「何があったんですか?」


 快太は近くにいた人物にそう尋ねた。


「ああ……飛び降りだよ。三階から……。十五メートル以上あるからな……。近付かない方が良いぜ、お二方」

「どうなっていますの? 快太君。どいてくれないかしら?」

「……人の形を残していない。貴方が見るべきじゃないですよ」

「あら? わたくし意外と見慣れていますのよ? 快太君は知らないのかもしれませんけれど……」

「俺が見せたくないんです」

「……」


 自分を気遣ってくれていると思うと、これ以上強くは言えなくなる。

 嬉しいような残念なような溜息を吐くと、野乃は先程声を掛けてきた男子の方へ体を向ける。


「悪趣味ですわね。何が事件ですか」

「……警察や救急車が来るまで、まだ少し時間が掛かる。貴方なら、場を収められるかと思って」

「……そういうことなら、素晴らしい人選ですわ。ねぇ、快太君?」

「へ?」


 野乃は快太に対してニッコリと笑みを向けた。

 要するに、彼にその役目を担ってほしいという無言のジェスチャーだ。


     *


「警察が来るまで近寄らないでください! 危ないですよ! 三階から覗かないでください!」


 快太は声が大きく、注目を浴びるのに慣れている。

 現場保存という目的を達成するくらいなら、彼にとって難しい依頼ではない。


「……頑張るね。彼」

「そういう人ですのよ」


 野乃と先程の茶髪の少年は、警察らが到着するまで奮闘を続ける快太を、傍から観察していた。


「……ところで。あの自殺した人……誰だか分かるかい?」

「? そんなの知る由も無いでしょう? まったく知らない他人でしょうに」

「本当にそう思う?」

「……どういう意味ですの?」


 すると、茶髪の少年は懐から一つのボタンを取り出した。

 明らかに、衣類から何らかの理由で取れてしまったボタンだ。


「これ、何か分かる?」

「……貴方、まさか……」


 同じタイミングで、快太がこちらに戻って来た。

 どうやら警察と救急車が到着したらしい。


「どうしました?」

「……快太君……」

「?」


 茶髪の少年は、何故か少しだけ笑みを向けながら、そのボタンを快太にも見せた。


「君は分かるかい? これが何か」

「……ん? え? それ、うちの制服のボタンですよね? 取れちゃったんですか?」


 しかし見たところ、少年の制服からボタンは取れてはいない。

 だとすると、一体誰の物になるか……。


「…………かしら?」


「え!?」


 野乃は眉をひそめて無言の圧をその少年に向けた。

 彼女が何を言わなくても、隣の男が先に言うべきことを言ってくれる。


「だ、駄目じゃないですか! 勝手に取ったら!」

「……彼は、どうやらうちの生徒だったらしい。このボタンは、彼が飛び降りると同時に僕の所に飛んできたんだ。さて、雪代さん。君は……彼のことを、『知らない他人』と言ったね? でも彼はうちの生徒なんだ。僕らと……無関係とは言えなんじゃないかな?」

「仮にそうだとして、わたくしにどうしろと? まさか、わたくしの知り合いだとでも仰りたいのかしら?」

「今日は卒業式。大問題だよこんなの。もし僕ら卒業生の中からこんなことをしてしまった人が出たことが公になれば、今後後輩たちにも迷惑が掛かる。そこの彼にもね」

「え?」


 快太は全く何が何だか分かっていない様子だが、その脳内は意外にも思考で埋め尽くされている。

 そして、野乃の方も当然、その倍くらいは思考が働いている。


「……せめて、何があったか知るべきなんだ。彼が死んだ理由を……僕らが卒業してしまう前に」


     *


 茶髪の少年の意見は、どう考えても自己中心的なものだった。

 仮に自殺者が野乃たち卒業生の同級生だったとしても、その動機を彼らが調べる意味は無い。

 そう。意味は無いのだ。


「参ったなぁ……誰に何を聞けばいいのか……」


 快太は野乃に言われた言葉を思い返す。


 ──「二手に別れましょう」

 ──「え!? またぶちょ……雪代さんは。どうせ俺に、一人で色々聞いて来いって話ですよね? 分かりますよもう」

 ──「いえ。わたくしが一人で行動しますわ。では……快太君をよろしくお願いしますわね?」


 そうして野乃は、初対面の男に快太を任せてしまった。

 その時の茶髪の少年の表情は快太も見ていないが、自分と同じ様な疑問を抱いていたことだろうと、快太は考えた。


「……あの」

「? 何かな?」

「えっと、名前……聞いていいですか?」

「……さっきも言ったけど、僕の名前なんて知っても意味は──」

「意味ならあります。俺が貴方を呼べるようになる」

「それに何の意味が?」

「会話が楽にできる」

「それに何の意味が?」

「え? いや、楽に会話できる方が……都合良いじゃないですか」

「それに何の意味が?」

「…………目的を達成できる。貴方の目的を……ですよ?」

「……たま

「え?」

「玉木……しゅんすけ


     *


 快太は茶髪の少年──俊介の名前を聞いて、突然ハッとっしたようにして自分のすべきことを思い至った。

 まだ自殺事件のことを何も知らずにいる卒業生たちに、彼は同様の質問を繰り返した。


「クラスメイト? ああ……いたよ。いたいた。みんないたさ。それがどうしたんだ?」


 一人の男子はそう答えた。


「君、一年生? うちのクラスの人なら……うん。いたよ。もちろん。それくらい見てたし」


 一人の少女はそう答えた。


「覚えてないな。それが何だ? ……え? な、何言ってんだ? 怖い奴だな……」


 そう答えた者が立ち去ると、俊介は眉間に皺を寄せながらあることを快太に尋ねた。


「……今の質問……どういう意味かな?」

「……『意味』を聞くのが好きですね。俺はただ、『俺の後ろに誰かいますか?』って聞いただけじゃないですか」

「…………」


 先程の相手に質問した時……いや、今も、快太の後ろには俊介がいる。

 それが意味するところは──


「どうでした? 快太君」


 どこからともなく野乃は現れた。

 快太は溜息を吐いて彼女を迎える。


「……『どうでした?』じゃないですよ。何してたんですか? 雪代さん」

「『雪代先輩』でもよろしくてよ? フフ……わたくしはただ、調べ事をしていただけですわ」

「何を?」

「その前に、彼の質問に答えてあげましょう?」


 快太は頭をひと掻きしてから、俊介の方に体を向け直す。


「……最初に現場に着いた時、俺達は三人組だったのに、俺に『何があったんですか?』と聞かれたおじさんは、俺達のことを『お二方』と表現した。まるで……俺ともう一人の人物しか見えていないかのように」

「……」

「申し訳ないんですけど、俺はさっきまで飛び降りた人が誰だったのかを調べて回っていたんじゃない。ただ質問した相手の視線を見ていただけなんです。……全員、俺にしか視線を向けなかった。そしてさっきの三年生の反応。もう分かる。あんた…………人間じゃないな?」


 俊介はそう指摘され、フッと笑みをこぼした。


「……よく分かったね」

「生憎と、俺はそういう超常現象の類に理解があるタイプなんだ。自慢じゃないけど……」


 幽霊か、それとも幻覚か。とにかく『玉木俊介』という人物は、野乃と快太にしか見えていない。

 快太はそのことに気付いて、最後の質問相手に確認を取っただけだったのだ。


「……ちなみに。わたくしは、先程まで現場に戻っていたのですわよ? まあ処理は大体終わっていたようですので、話も聞かせて頂きましたわ」

「流石先輩。警察に顔が利く」


 野乃が警察から簡単に話を聞ける立場の存在だとは知らなかった俊介は、ここで少し目を丸くしていた。


「……知らなかった。いや、でもそれもそうか。『探偵』と『刑事』は、関わりがあって当然だもんね。ドラマなら」

「まあわたくしが大いに特別なだけかもしれませんわね。残念でしょうけれど、わたくし、もうあの自殺した人物の名前をお聞き致しましたの。身分証が落ちていたらしくて」

「……そっか」


 少しだけ残念そうな表情を見せたが、俊介はそれでも受け入れていた。

 恐らくは、自分のこれまでの人生の全てを。


「────貴方でしょう? 玉木俊介さん」


 この場の誰も、最早その事実を聞いて驚愕することはなかった。

 ただ、俊介はまだ質問を続ける立場にある。


「……まるで、見切りをつけていたかのような態度だね? 明らかに……僕とあの遺体の姿は違っただろうに」

「あら? わたくし遺体を見てはいませんわ。どうだったのでしょう? 快太君」

「俺も衣服が見えないレベルだったんですけど……まあ、飛び散っていた髪色は……別でしたね」

「……そう」

「なら……快太君だっけ? 君は、どうして僕が自殺した本人だと聞いて驚いていないんだい? 雪代さんは持ち前の勘ですぐに気付いたから驚かないのかもしれない。百歩譲って霊の類を恐れない性格だとしても、君は……もう少しくらい、驚いてくれても良いんじゃないかな? 一般人ならさ」

「……これはまた生憎なんですけど、俺も割かし一般人じゃないんです。テレビや雑誌にも結構出てますし。……あ、いやそれは関係無いか。まあでも……一般人でも、予想していたことなら驚かないでしょう?」

「……どういうことだい? 予想なんて……出来るはずが……」


 野乃は、快太の言葉を聞いて安堵していた。

 実は彼女の方は、快太と同じタイミングで俊介が幽霊のような存在だと勘付き、その時点で結論だけ先に予想出来てしまっていた。

 ただしこれは、彼女が特異な頭の回転を誇っているからそうなるだけ。

 しかし彼女は、快太なら自分と同じ結論に辿り着くと信じていた。


「いやいや! 名前を聞いた時点で分かりましたよ! だって……

「!?」


 そんなことがすぐに分かるのは、恐らくこの学校で快太だけだ。

 これは、快太の持つ、誰にでも出来るが誰もやらないだけの、特別な力。


「つまり、名前が本当なら貴方は嘘を吐いていたことになる。でもその制服やボタンは本物だ。加えて俺と先輩にしか見えないわけだし、貴方の存在が幽霊か何かなのは間違いない。だとしたら何故俺達の前に姿を見せ、自殺者について調べてほしいというようなことを言ったかって話になるわけで……。まあ、予想は出来ますよね? 貴方自身が自殺した人物で、うちの学校の元生徒だってことくらい」

「……………………」


 俊介は唖然として言葉を失ってしまった。

 一方の野乃は、とても嬉しそうな表情を見せている。


「フフ……学校の生徒の名前を全員分覚えているのなんて、貴方だけですわよ? 快太君」

「いやいや覚えてはないですよ!? でも、存在しない名前くらいはすぐ分かるでしょう?」

「いえ。普通は分かりませんわ」

「そ、そっすかね……」


 首を傾げた快太を見て、俊介はようやくこの男が野乃と同じ様に常人ではないということに気付いた、


「…………そうか。君は……そういう人間なんだね」

「え?」


 突然、

 流石の快太も、これには驚いて一歩後ろに下がった、


「……玉木さん。貴方はどうして……あんな真似を?」


 もう消えそうになっているのだと勘付いた野乃は、最後かと思ってその質問をした。


「……分からない。何も分からなくなったんだ。ごめんね。君達の卒業式と被っているとは思っていなくて……申し訳ないことをしたと、死んでから気が付いた。OBとして、君らの大切な時間を奪ってしまった」

「……貴方は、何かを知りたかったから、その姿で現れたのでしょう? わたくしに……何かを明らかにしてほしかった。違いますの?」

「……僕のことを知ってほしかったのかもしれない。雪代さんの名前はテレビで見て知っていたからね。でも僕は……快太君の名前は知らなかった。同じテレビに出ているとしても、見ていなかった」

「あ、いや、その、俺が出た番組はそんなアレではなかったので……その……はは……」


 俊介は優しく首を横に振った。


「……違うよ。僕が知ろうとしなかったんだ。でも、君は違う。……もしも、もしも僕がもう少し早く、君のような存在に会っていたら…………いや、それは今更か」

「玉木さん……」

「さようなら。迷惑を掛けて……本当にごめんね」


     *


 何事もなかったかのように、卒業式の場は解散してしまった。

 ホールと自殺現場が離れた場所にたったことも起因しているだろう。

 人が一人亡くなっても、関係の無い者には最後まで知られることはない。


「……雪代部長」

「何なら名前で呼んでも良いんですのよ?」


 快太と野乃も、もうこの場を去ろうとしていた。

 去ってしまえばそれは、二人にとっての暫しの別れということにもなる。


「……俺は、きっと忘れないし、何ならこれから調べますよ。玉木さんのこと」

「……そういうことなら、わたくしも力を貸しますわ」

「……あれ? でも、雪代さんはもう卒業ですよね? じゃあどうやってやり取りを……」

「……そろそろ、連絡先を聞いて来てくれても良いんですのよ?」

「あ。そういえば俺、なんか怖いから先輩の連絡先聞かないようにしてたんですよ。俺の連絡先を悪用される気もしてたし」

「あらあら快太君。酷いですわね」

「……でも、今は何も怖くないんです。だから教えてもらえますか? 貴方の連絡先を」


 野乃はその言葉を、一年以上前からずっと欲しがっていた。

 彼女の返答は決まっている。答えるまでもない。

 しかしもしかしたら、こうして連絡先を交換しても、快太とは疎遠になる可能性があるかもしれない。

 だが、きっと、このやり取りには意味がある。

 未知への恐怖は期待に変わり、彼との過ごしてきた日々を思い返すだけで、野乃は自分の生まれてきた意味に辿り着ける…………気がしたのだ。


「……馬鹿」

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