日蔭の星
固定標識
第1話
麗しき薔薇の花は黄金比率で渦を巻く。艶やかに朝露でも湛えようものならば、それは森羅万象の瞳を奪う至高の宝物だった。
そんな炎の結晶を支えるのはイバラである。きっと彼女はヤマアラシが逡巡するようなジレンマなど、元から意に介さない。触れ合うこと、慣れ合うことを求めない。孤高の足元のステージは、他者の干渉を拒むように眼を光らせていた。
薔薇からは何者も逃れられない。
美しき紅蓮の渦と、その毒棘の持つ魅力から逃れられない。
だからその葉に視線を落とすものなど──嗚呼、膨らんだ楕円の緑は、風船のように丸い。
しかしどうにも、その形はとげとげとしていて、まるで何者かになりたがっているようにも見えた。けれどもその若い緑の色は、二つの一等星の背景として瞳をすり抜けてしまって、思の網目から落ちてゆく。
例えばそうだ。開闢の火花散る海を見上げて、その背後。
青と黒が完璧に混然とした、夜世の色に魂を奪われる者はいない。
極大の光を放つ二輪の星に隠されて、葉は未だ青い。
青い彼女はかつて考えた。いいや望んでいた。わたしだって、万物の目を惹く黄金の円型に至りたかった。万人を拒む銀の剣を持ちたかった。
けれども彼女は未だ青く。どちらに為れぬまま、今日も光に手を添える。
もっと大きく広がれば、栄光を浴びられるのでしょうか。天の涙、その全てを受け止めてあげられれば。優美な彼女のように、絶対の彼女のように、
ふら、と翡翠の羽が揺れた。目を背けるように揺れた。
いいえ、わかっていました。わかっていますとも。
きっと葉のわたくしが大きく自己を主張しようと、あの二人には敵わない。形ばかりが大きくなっても、その実の矮小さに皆が声をひそめて嗤うことでしょう。
生まれた時から、目の前には炎の結晶と銀の剣がありました。
二人は大層輝いていて、わたくしはその日陰に佇むことしかできなかったし、その光は受け止められませんでした。直視できないのです。蓄えた水分が零れてしまう。
せっせ、せっせと、白い光を吸い込んで、何とか強く美しくなろうといたしますと、なに故か美しく伸びやかに育つのは彼女たちで、わたくしの身は、ずっと青いままでした。
ええ最初は不満に思いましたとも。どうしてわたくしは紅く熟れることができないのでしょうって、どうしてわたくしの棘はこんなにもやらかいのでしょうって、萎れそうになることもございました。
けれども今はもう、いいのです。いいえ、諦めたわけではございません。
もう、わたくしは満足したのです。
花やイバラのように大いなる個性を持たなくとも、わたくしはわたくしとして生きてゆこうと決めたのです。
寂しい生き方だと思ってくださる方はとってもやさしいけれども、こんな、たかが一葉に心を砕いていては、わたくしは貴方様のことが気がかりでなりません。
そうですね、とっても夢のようなことを語ることが許されるのでしたら、わたくしはこんな歌を歌いとうございます。
わたくしは皆さまから期待されておりませんから、何か願われることもありません。こうあってくれ、輝いてくれ、と期待されたりいたしません。
故にわたくしは思うのです。夢と希望みたいに想うのです。
光の方向を眺め続けますと、考え方も、なんだか透明になるみたいで、わたくしはこんなことを想うのです。
もしかしたら、花や、イバラや、葉。という個性や価値観に囚われずに、わたくしを見てくださる方が、この世界の何処かにいらっしゃるのではないでしょうか。
何者になることも願われないのですから、わたくしは何にだってなれます。
わたくしの、なりたいわたくしを好いてくれる方が──なにせ世界は広いのです。
あの丘の向こうには、わたくしの知らない光がとめどなく溢れていることでしょう。
だからわたくしは願います。たった一つだけ願います。どうか、生涯にたった一人でいいから、わたくしを見てくれる方がいらっしゃることを望みます。
それまで長生きしなくてはなりません。光を大きく吸いましょう。それが自分の輝きに繋がらなくっても、運命の出会いまでわたくしは胸を張って生きとうございます。
どうにも最近、涼しくなってまいりましたから
日蔭の星 固定標識 @Oyafuco
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