File4 the last day

 よく晴れた夜だった。

「今までで一番遠いところまで歩いてみよう」

 そんな俺の提案で、日が落ちると同時に残りの酸素ボンベを背負って旅を始めることにした。

 最後に、理想郷らしい場所が見られたらいいなと思ったからだ。今まで見たものといえば、岩と砂と枯れかけた植物くらいだ。いちおう色の薄い植物はあるらしいから一目見ておきたかった。

 変わり映えしない景色の中、遠くまで、ずっと遠くまで歩いた。二人とも疲れていて、口数は少なかった。

 ……やっぱり、理想郷という言葉はまやかしだったのかもな。

 続けざまに遭った裏切りに、過去の自分の浅はかさに、横を歩く少年の不憫さに、涙が出てきそうだった。

 そのとき、不意に遠くの方に、青々とした森林が現れた。

「……⁉」

 無表情で淡々と歩いていた七星くんは、目を見張ると立ち止まった。

 俺もあまりの緑色に圧倒されて歩みを止めた。

「シャングリラにも、これだけの植物があったんだな……」

「……そんな……違う……シャングリラの植物は、葉緑体が少ないから色素が薄いんです。ここまで緑色が強いわけがない……いや、ここ百年で変わった可能性があるか……だとしても……」

 なにかぶつぶつ呟いていると思ったら、七星くんは突然走り出した。

「ちょっ、おーい! あんまり走ると酸素が無くなるぞ!」

 そう言いつつも、俺も考えるより先に走り出していた。

 シャングリラについて俺はあまり詳しいことは知らない。七星くんが言ってた葉緑体がうんぬんみたいなこともよくわからない。だけど、何かがおかしい。と、直観的に感じた。

 前を走る七星くんの背中を追って森を駆け抜ける。草が茂っていた。木の実があった。虫がいた。動物か何かが通るような物音がした。

 どうしてだろう。目にする何もかもが、

 ……なんで。なぜだ。今まで虫も、動物だって見たことがなかった。なのに。どうして。

 その答えを知るのが怖かった。

 木漏れ日に目を細めた。森を抜ける。夜が明けようとしていた。昇ってきた朝日がまぶしくて、反射的に目をつむってしまう。

 目を開けると、そこには。


 

 

 海があった。


 

 

 海面はただひたすらに、静かに凪いでいる。

 朝の日光を反射してきらきらと輝いていた。

 波が寄るたびにかすかにざあっと海が鳴る。

 どこからか野鳥のさえずりが聞こえてくる。

 砂浜は白くて、海と空は驚くほど青かった。


 ここまできれいな海を見たことがなかった。


 シャングリラに海があるはずがない。それくらいは俺も知っていた。

 

「ここは……」

 直観が確信に変わる。口にするのが怖かった。

 

「ここは、この星は……

 

 ……なんてことだ。俺は、俺たちは、今までずっと……。

 

「……ふふ……あははっ……ははははっ……」

 ずっと黙りこくっていた七星くんが、せきを切ったように笑い出した。

「……僕ら、馬鹿みたいですね」

 肩の力がすとんと抜けた。

「はは……本当だな」

 それからしばらく、二人で海を眺めていた。

 ……俺はずっと、地球に還りたがっていたんだな。

 地球に未練なんて残さず、覚悟を持ってここにきたはずだった。

 それなのに……家族に、友人に、会いたくなってしまった。

 ……百年の時を超えた今、もう会えないというのに。

 本当に馬鹿だ、俺は。

 なんだかんだ、地球は俺の大切な故郷だったんだ。

 そのとき、酸素ボンベが赤いランプを灯して警告音を発した。酸素が尽きかけているようだ。

 最後に一度深呼吸をして、そっと酸素マスクを外す。恐怖と緊張で、無意識に息を止めていた。

「っは……」

 胸いっぱいに、空気を吸い込む。

 爽やかな潮風の匂いがした。

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