幽霊の悪戯
杉森
ただの「くせ」
僕はよく物をなくす。一種の「くせ」であり、ただの「くせ」、そして行き過ぎた「くせ」だ。
最初は些細な事だった。机の上に置いておいた鉛筆や消しゴムがなくなった。幼稚園や小学校にいたときはしょっちゅう文房具をなくして怒られていた覚えがある。先生から渡された保護者用の紙なんかもなくしていた。そのせいで遠足はほぼ行けたことがない。挙げ句の果てにはランドセルがなくなったりもしていた。もうその頃には親に呆れられていた。どれだけ怒られても、親から嫌味を言われても、反省しても、注意していても、どんどんと僕の周りからは物がなくなっていった。自分は、たぶん注意が足りないのだろう。歳を重ねるごとに性格は変わるし、自己管理能力もついてくる。そう大人たちからは言われた。いつかは物を失くさなくなる。僕はそう信じた。だがこれがただの性格の問題ではないと気付き始めたのは中学に入ったあたりだった。
相変わらず僕は物をなくしていた。新しくもらった教科書はもらって二日後には消えていた。新しい靴なんかも三日後には下駄箱から忽然と姿を消していた。これまで文房具などは買ってから短くて一、二週間でなくしていたはずだ。親はもう理解してくれていた。どうしようもないのだ。中学に入ってからはもう一週間以内に数十個の物がなくなっている。どんどん「くせ」が出るペースが速くなっている気がする。周囲は笑っている。変な個性ではあったがとにかくよく物をなくすせいで目立っていた。ほんの少しばかしだが自分の奇妙な「くせ」に感謝までしてた。おかげさまで注目も浴びた。一つの笑い話になるのだ。親には少し申し訳ないが。そんな呑気なことを言っていたのも束の間。この世の中は容赦なく、残酷だ。この「くせ」に全ての人間関係が一瞬で壊された。
学校から下校する生徒たちの姿が道を埋め尽くす。僕は親友とも言えるサクと一緒に家路につく。
「なんで僕ってすぐ物無くすんかなあ。今日も新しいノートを無くしたし。ネタにはなるけど、出費がすごいんだよね。」軽く僕は呟き、道を歩いた。
「すごいよね。ほんと。幽霊にでも取り憑かれてじゃない?」
そう彼は冗談を吐いた。まだ彼と出会って半年しかたっていないがそんな気はしない。彼が結局一番僕を理解してくれていると思っている。
「怖いこと言うなよ」僕は笑った。
「本当に言葉通り消えちゃうの?何処かにおき忘れたとかじゃくて。」サクは僕の空っぽのカバンを叩きながらそういった。
「いつも言ってるだろ。急に消えるんだ。今日のノートなんて昨日買って机の上置いといたら朝消えてたんだぞ。」
「なんか対策できないの?」
「まあ着てる服とかなくなんないしずっとポケットに入れとくとかかな」と僕は適当に答えた。
「じゃあこれポケットからださないでね」と言って彼は新品の財布を僕の手のひらにそっと置いた。
「いいの?ていうかなんで急に?」と喜びつつも不思議に思った。
「今日誕生日じゃん。忘れたの?」そう彼は言った。言われてみればそうだ。プレゼントもすぐなくしてしまう。そのことは周囲の人も知っていた。だから親からも小さい頃しかプレゼントは貰っていなかった。友達からなんてなおさらない。自分の誕生日を忘れかけていた。だから涙が出るほど嬉しかった。
「、、ありがとう。」なかなかに照れくさい。
「絶対なくさないでね」
次の日、財布は消えていた。本当に何もかもなくなってしまう。言われた通りにポケットに入れて寝た。なのに消えた。次第に焦りで体が支配されていった。40度はあるんじゃないかと疑うぐらいに体が熱くなった。このまま燃えて灰になりたくなった。胸が高鳴る。朝食なんて忘れてカバンも持たずに学校へ走った。サクに会うためだと思う。僕は謝りたかったわけでもない。何を話していいかすらわからない。ただこの圧倒的理不尽な「くせ」に対する自分の無力さなんてものを見せたいのではないだろうか。外は静かな朝の光に包まれていたが僕の胸はうるさい。教室に入った。サクと目が合った。彼は一瞬で察した。それでも近寄ってきた。
「僕、昨日いったよね。絶対なくすなって。ねえ。どこやったの。」
彼に問い詰められた。
「いや本当に僕はポケットに、、、、」
言い訳をしたかった。でも言葉が出ない。そしてサクは何も言わずに自分の席に座った。この日は一言は喋らなかった。罪悪感で押しつぶされそうだ。規則性なんてものはなかった。何が「きている服は消えないから大丈夫」だ。この「くせ」は気まぐれ。大切なものは全て奪う。
何をしてもうまくいかない。かけがいのない友情が芽生えても、この「くせ」のせいで全てが壊れてしまう。友情が消え失せるのもこの「くせ」が奪い去っているからなのかもしれない。サクは学校に来ない。僕のせいだ。彼がプレゼントをくれた時の彼の笑顔は脳裏に焼き付いている。
サクが学校に来なくなって数日たった。僕はまた教室に入る。前までクラスメイト達はうるさいと感じる程僕に声をかけていた。だが今では距離を感じる。軽い挨拶しかされない。何日経っても僕はまだ立ち直れない。サクは本当にいい友達だ。もう一回話して仲を戻したい。自分勝手ではあるがそう思った。サクはあの日以来学校に来ていない。だから今日彼の家に行って直接話してみようと思う。内容なんて考えていない。ただ一回彼と話がしたい。担任の先生が蒼白な顔で教室に入ってきた。彼の表情はコンクリートのようにピキっと固まっていた。そして重苦しい沈黙が教室を覆った。
「朔太郎くんがこの頃学校に来ていないのは気づいていると思います。彼はここ一週間ほど行方がわからないそうです。昨日、ご両親の方が警察に捜索願を届け出て、今朝学校に連絡が来ました。事情を知ってる方、なんでも構いません。私に話してください。」
そう告げた。クラスメイト数人はギョロっと化け物を見たかのような目で私を見た。私は頭が真っ白になった。理解が追いつかない。サクが行方不明?一体どういうことだ。家出をしたのだろうか。どこに行ったのだろうか。そんな浅はかな考えが頭をよぎった。だがもうその時点で僕は確信した。クラスメイトの目は間違っていない。僕は怪物なんだ。僕がサクを消したんだ。
あれから数年経った。僕は一歩も外に出ていない。人が怖い。というより自分が怖い。あの日以来、僕は人を見るのが怖くなった。親ともまともに話していない。僕と関わったもの、僕が大切にしているものが次々と消えていく。挙げ句の果てには見知らぬ人の存在さえ消してしまうのではないかと思った。部屋にはもう何もない。家に引きこもり始めてから毎日のように部屋からものが無くなっていった。ベッドや机など次々と消えた。そして最近になって全てなくなった。部屋のスペースを埋めているのは自分だけだ。寝て起きて食べて寝る。この暮らしを永遠と繰り返している。だがこんな生活を送っていても親だけは励ましてくれた。僕のために毎日3食のご飯をドアの前に置いてくれる。僕はこれのおかげで生きている。彼らはこの「くせ」をずっと見てきて支えてきてくれた。この親からの愛だけはまだ残っている。
部屋の前にはいつも通りご飯があった。でもいつもと違う。ケーキだ。メッセージが添えられている。
「16歳の誕生日おめでとう!頑張ろう!」
そう書いてあった。親は引きこもってから毎年こうやって誕生日を祝ってくれる。最近は部屋から全てものが消えたせいか絶望に押しつぶされそうになっていた。本当に救われた気がする。僕は顔をぐしゃぐしゃに濡らした。気づくとドアの前で足音がする。まだ親がいる。3年ぶりに言葉を発した。
「あ,りが、、とう。」
そう言うとドアの前で崩れ落ちる音がした。
朝、いつも通り朝ごはんをまった。いつまで経ってもこない。半日はまった。それでもこない。一時間ほど遅れるなんてことはあったが、これほど長い時間来なかったことは一度もない。僕は恐る恐るドアを開けて周囲を見渡した。人の気配がしない。考えるのをやめた。僕の心臓はキツく絞められた。脳は焼かれるように熱くなった。これまで無くしたもの、サクとの思い出、財布。いろんな情報が頭に流れ込んできた。そして僕は部屋を飛び出し、家中を奇声を上げながら走り回った。本当の怪物にでもなったようだ。もう自分ではわかっている。わかっているのに探した。裸足で家を飛び出した。ただただ走り回った。自分が何年もの間、外に出ていないことなんて忘れたように。暗い夜の中、自分の足跡だけが響く。そんな行先も見えないどうしようもない暗闇の中に素早い光が入り込んだ。僕はその光を見て止まった。駅に向かった。そしてまたホームで立ち止まった。ホームは閑散としている。まるで僕を避けているようだ。冷たい風が僕の背中を押した。体を傾けた。
僕はまだ意識があることに驚いた。あの時僕は身を投げたはずだ。だがそれ以上に驚いたのは意識を冷静に保っていることだ。家から人の気配がなかったのを感じ取ってから僕はもう死んでいたはず。人間の正常な意識なんて持っていなかったはずだ。なのに今ものすごく正確にそして落ち着いて物事を考えられる。そしてふと自分の体に目がいった。透き通って見える。言葉通りだ。怪物の次は幽霊か。僕はもう人間じゃない。だから人間の意識なんてものはもう持っていないんだ。そもそも人間の意識とはどういうものだったか忘れてきた。自分がどんな人間だったかも忘れてきた。僕は笑った。笑ったのなんていつぶりだろう。幽霊が本当にいてそれに自分もなるなんて滑稽だ。そう思って試しに目の前にいた少年のおもちゃをひょいっと持ち上げた。彼は驚き困った表情をしていた。面白い。楽しい。彼の困った表情が笑える。そう思いこの少年にいたずらを続けた。
この少年が誰なのか、気づくまでに16年かかった。
幽霊の悪戯 杉森 @urara_iis
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