第2話・人類最後の夜 後編

 一ページ目。

 二千三十七年六月二日の記録。


 今朝、会社に出勤するために向かった駅で売られていた朝刊の一面を抜粋。

 北東の監獄国家〈クラテリア〉と南西の軍事国家〈ミサラクタ〉の軍事協定が樹立。

 双国の首相は『互いに軍事力を分かち合い。国際指名手配犯や国際テロを巻き起こす犯罪組織の確保と壊滅を目的に掲げて、長年にわたる議論の末、今日こんにちの軍事協定樹立に至った』と話している。

 この一大ニュースに近隣諸国は、軍事に関しては遅れを取っているという点もあり、記者の質問に答える声色にも焦りが見える。

 しかし気持ちを切り替え。

『他の分野で、双国との協定を結ぶ』

 と全ての国が宣言をした。

 今後の双国と近隣諸国の関係に、期待が膨らむ。



 二ページ目。

 二千三十九年四月十八日の記録。


 同じ政治部署の同僚どうりょうからの情報。

 どうやら、無事に近隣諸国も双国と協定を結ぶことに成功したようだ。

 彼によると協定を結んだ国は、交通が発展した〈ステプラネ〉、工業が発展した〈ミラフカチ〉、医学が発展した〈トナコソホ〉、そして経済が発展した〈ベルネカユ〉。

 この四国よんこくと例の双国の協定という一大ニュースは、すぐさま世界中に広がった。

 それと同時に、もう一つ情報が世界に公表された。

 先ほど発表された特殊な設備を取り入れた要塞都市は五月から建築が始まる、と言われている。

 完成した際は、うちが独占取材を勝ち取ってみせる。

 遠い未来で、エース記者になっている自分を想像する。

 必要ないと捨てられる前に、成り上がる。

 底辺からの下剋上。

 

 ……すると、同僚は立ち去る際に、自分に耳打ちする。


「せいぜい噂程度なんだが」

「なんだ?」


 いやな感じを察しながら、言おうとしたことを聞く。


「実は、裏で何らかの兵器を開発してるのではないか、と噂になっているらしい」


 せいぜい噂程度だからな、そう再度言って、同僚は踵を返し自分のデスクへと戻っていった。


 三ページ目。

 二千四十三年五月十四日の記録。


 昨夜未明。

 突如として、弊社へいしゃに一大ニュースが舞い込んだ。

 弊社と言ったが、実際は会社ではなく自分に一大ニュースが舞い込んだ。

 なんと、監獄国家〈クラテリア〉にある研究所所長のノーベル医学賞を受賞した科学者であるデノセ・コモロナが暗殺された、というニュースだった。

 ※以下デノセとする。

 デノセと云えば、八年前に発生したステナルウイルスの解析を行い、抗体を作成した実績がある。

 ※ステナルウイルスとは、空気感染、接触感染、飛沫ひまつ感染、経口けいこう感染など全ての感染経路から感染し、発症から一週間以内に苦痛による悲鳴を上げながら死に至る感染症のこと。

 潜伏期間は約二週間。その間に全身にウイルスが広がる。

 合計三週間、感染者は最初の二週間は異常を知らずに暮らし、残りの一週間を藻掻き苦しみながら絶命する。

 あまりの危険性に一類にも認定されていたが、デノセ・コモロナが作成した抗体によって、四類まで引き下げられた。

 デノセは、この件でノーベル医学賞を受賞する。


 そのような輝かしい経歴を持つデノセが暗殺された、というのだ。

 デノセの暗殺に、最初は半信半疑だった。

 なにせ、その訃報ふほうを知ったのは、会社のパソコンに匿名とくめいで送られた三枚の写真と一つの映像の入ったファイルだからだ。

 パソコンにインストールしてあるウイルス対策ソフトに弾かれてないということは、どうやらウイルスは仕組まれていないのだろう。

 マウスを動かし、カーソルを合わせて、送られたファイルをクリックする。

 ファイルを開くと、三枚の写真と一つの動画が表示された。


「まずは、写真から見るとするか」


 壁に掛けてある時計が、日付が変わったことを教える。



 四ページ目。

 二千四十三年五月十五日の記録。

 

 拡大された写真を順番に見ていく。

 一枚目の写真には、研究員と話しながら歩いているデノセの姿。

 二枚目の写真には、一人しかいない研究室で、顕微鏡けんびきょうのぞいているデノセの姿。

 一枚目と二枚目は、ただの盗撮だと思える。 この写真を撮った奴は、デノセの研究所の誰かなのか?

 そんな疑問を持ちながら、三枚目に視線を移す。

 三枚目の写真には、研究室の床で口から血を出して、うつ伏せに倒れているデノセの姿。

 所謂いわゆる、遺体が床に転がっていた。

 まるで、刑事事件で警察官が現場に残された証拠になり得る物を見つけた時に撮るような写真だ。

 デノセの遺体は、両目が飛び出していた。しかも、地面に倒れた時に片目が潰れているようだ。

 まさに、目を背けたくなる悲惨な光景だ。

 しかし、自分も記者の端くれ。

 成り上がるためにも、スクープは逃さない。どんな凄惨な現場にも足を運び、何らかの証拠になり得る写真を撮る。

 そうやって、記者として成り上がってやる。

 グッ、と胸の前で拳を作り、気合を入れる。よし、最初はこの遺体が写った写真を細かく見ていくか。

 ーーいや、明らかに気合を入れて明るくいこうとしてるけど。実際、目の前には人の死体の写真があるんだぞ。

 記者として成り上がる前に、人としてどうにかなりそうだ。

 気を取り直して、改めて写真を観察する。

 それは、最新のカメラで撮ったのだろうか綺麗な写真だった。


「いやいや、何を感動してるんだ、俺は。この写真に写っているのは、人の死体だ……。綺麗だなんて思ってはいけないモノなんだ……!」


 ……しかし、これを撮った人はどういう真意を持って、この遺体を撮り、新聞社に送ったんだ……?

 それに普通の人が遺体に近寄れるか?

 普通なら、誰かしら遺体を見つけて、警察に通報してるはずだ。

 そうじゃなきゃ、あまりにもおかしい。おかしすぎる。

 まさか犯人が、犯行に及んだ直後に撮影してから、その後、新聞社に送信したのか?

 そしたら何故そんな面倒な事を……撮影してる間、誰かに見つかってもおかしくはない。こんな行為は、意味を成さない気がする。

 不利な状況を作るだけ。

 しかし、近くに犯人がいないとしても、監視カメラをハッキングして撮影も出来る。

 どれだけ悩んでも、撮影した理由が分からない。


「……クソっ」


 つい毒づく。

 落ち着こうとして、呼吸をする。

 気を取り直して、写真をもう一度見てみる。

 手に持っていたコーヒーカップを落としたのだろう。床にコーヒーが溢れ、デノセの着ている白衣に染み込んでいる。

 コーヒーに毒薬が混入させられたケースか?

 それとも、また別の殺害方法か?

 口と目からしか血が出てないことや目立った外傷がないことから、刃物などで切られたり、鈍器で殴打されて死亡という線はなし……か。

 よく見ると、足から下。つまり、デノセが歩いてきたであろう床にも血が付いていた。

 それも、引きずったような跡が付いていた。

 ん?


「なんだこれ? 金庫か?」


 デノセの死体の先には、一つの金庫らしき物が鎮座していた。

 その金庫は、もしかしたらの予想だが、成人男性の身長より高いように見える。

 なぜ? 研究室に金庫が……?

 拡大してみてみると、金庫には暗証番号を入力するためのパネルと、内部の温度を示す温度計があった。

 この時の金庫の内部温度は……一度。

 何らかの薬を保存しているのだろうか。それなら、これは金庫ではなく、薬を保存するための冷凍保存庫か。

 ますます、謎が増えていく。

 なぜ? デノセは冷凍保存庫の前でなくなった?

 なぜ? 足から下のも血の跡があるんだ?

 この事件、いったい何が原因だ?


 とりあえず映像の方も見よう。何か、重要なことが映ってる可能性がある。

 どんな映像が流れるか、分からない。

 もしかしたらデノセが暗殺される瞬間を収めた映像かもしれない。

 ゴクリッ、固唾と共に息を呑む。

 恐怖と好奇心が頭の中を支配する。

 カーソルを再生ボタンに移動させる。

 これから何が流れるか分からない……ほんの少しでも緊張をほぐす為に肩の凝りを取ろう。

 両腕を組んで、息を吐きながら、手のひらを上に向けて、上に伸ばす。腕を上げた時、少しだけ後ろにそらすようにする。

 そして、それを十秒間キープする。

 最近、残業で身体を動かす機会があまりなかったのもあり、全身の骨が音を立てる。


「ふぅ……」


 軽いストレッチと深呼吸をして、覚悟を決める。


「……よし」


 再生ボタンをクリックして、映像を再生させる。



 ここで手記は途絶えていた。

 この出来事には見覚えがあった。

 この記録は……今から五年前に起きた事件の記録だ。

 二千四十三年五月十四日、監獄国家〈クラテリア〉内にて起きた暗殺事件。

 そして、同じ日に別の事件が起こった。歴史に残る大事件が。

 まあ、それは別の記録に映像の内容が書かれているのではないかと、ページをめくろうとした。

 めくれなかった。それ以上ページが無い訳ではない。

 固い感触があるのだ。指で叩いてみると、カタッ、と音がする。

 多分、これは本型小物入れだ。

 数年前に雑貨屋で見かけた事がある。

 どうやら、本の中心部分が小物入れになっているようだ。

 本を振ってみると、カタカタ、と音がする。

 開けて、中を見てみると、一つのビデオテープが入っていた。

 今の時代を考えると、あまりにも昔の代物だ。骨董品こっとうひんとも言ってもいい。

 再生しろ、ということだろうか。

 辺りを見渡して、再生機らしき物を探す。

 目的の物は、すぐに見つかった。

 異様に古いブラウン管テレビにVHSビデオデッキが付いた代物があった。

 現在だと、随行型ずいこうがたロボットから映し出されるホログラムテレビだが、昔はこんな……なんというか無駄むだにデカくて、ゴツゴツとした感じなのか……。

 まあ、昔のことだ。昔の人からしてみれば、これが一番よかった時代なんだろう。

 そう思いながら、テレビの電源をつけ、ビデオデッキにテープを入れ、再生する。


 少し待ってみたら、映像が再生された。

 手持ちカメラで撮影しているのだろう。手ブレが酷い。

 映し出される映像だが、酔いそうになる。

 少し体調が悪くなりかけていたら、カメラが回転し、撮影者の顔が映し出される。

 若々しいシュッとした顔に、黒縁のメガネを掛け、長い黒髪を後ろで結った男が映し出される。

 おそらく、この手記の持ち主の記者だろう。

 息を切らしているようで、男は呼吸を落ち着けてから、話を始めた。


「……最初に映し出されたのは、デノセが研究しているウイルスの特効薬の調合をしていた映像だった。初めは何事もなかったんだが、少し時間が経ったら、デノセが急に胸を押さえ始めたんだ。最初は心臓病を疑った。……しかし、明らかに心臓病とは、違う点があったんだ。それは、デノセの目が……どんどん飛び出していったんだ。そしたら、デノセは何かを知っているようで、調合し終えた薬を持って、冷凍保存庫の方に歩き出したんだ。心臓を押さえながら……口から血を出しながら、目が飛び出しながら……。更におかしいのはこれからだ」


 そうカメラに向かって、男は言う。

 悲惨なことなのだろう。目を閉じ、息を吸って、落ち着いてから話し始める。

 

「なんと、デノセの心臓の辺りにポッカリと穴が空いたんだ。しかも、そこから血は一切出なかったんだ」

 

 ……ポッカリ? 心臓の辺りがポッカリと穴が空く。

 その上、そこから血が一切出なかった……。

 これは、一体どういうことだ?

 何故、心臓の辺りだけポッカリと穴が空いた?

 考えを巡らせていると、男は落ち着くためにもう一度呼吸を落ち着かせてから、こう続けた。


「それに……最後に話しかけられた」


 話しかけられた? どういうことだ?

 少し悩んだが、おそらく犯人が最後に何かを喋っていたのだろう、という決断に至っ。

 男は、その言葉をカメラに向かって、喋り始める。


「よく聞こえなかったが……アイツは、俺にこう言ったんだ。『お前□の全□を壊し□□う』そうアイツは言ったんだ」


 犯人が喋ったであろう言葉を言い終えて、一呼吸した男はカメラに向かって、更に自分の考えを伝える。


「俺は今からすぐに警察に行って、保護してもらうよ。どうせ嘘だろうと思っているだろうが、俺はこの言葉に嘘は全くないと思う」


 男は続けて言う。

 先程より落ち着いてはいるが、内心は全く落ち着いていないのだろう。

 落ち着こうと呼吸をしているが、上手に息を吸えていないようだ。


「なんせ、心臓の鼓動こどうがさっきから落ち着く感じがしないんだ。……本能が死を感じてる、と言ってもおかしくない」


 カメラの向きが戻り、手ブレが大きくなる。

 それに伴い、男の息を吸う音が大きくなる。 

 おそらく建物の外に向かって、走っているのだろう。

 しかし、途中で止まった。カメラに向かって、轟雷のような強い光がーー違う、目の前に存在しているのは光などではない。

 これは……何だ。一体、何なんだ?!

 男の目の前に浮いているのは、白と黒が渦を巻いているような球体だった。

 それを例えるのならば、恐らくブラックホールと例えるのが最適だろう。

 しかし、ブラックホールに有るべきモノが、それには無かった。

 光さえも呑み込む程の強力な吸引力。

 それが、その球体にはなかった。

 吸引力が無いが、ある違和感があった。

 球体の存在しているはずの空間に何も無いのだ。

 辺り一帯の物は、その球体によって弾き飛ばされていた。

 吸引力ではなく、反発力。

 ブラックホールが光をも呑み込むなら、目の前の球体は光をも弾く。

 光を呑み込む天体と光を弾く球体。

 性質が真逆のモノ。

 完全に呆気にとられていた。

 目の前に現れた謎の球体。

 それは命を支配するモノ。


 パンッ。

 銃声に似ている音が近くで響いた。

 ーーあれ? おかしいな……右手の感覚がない。

 そう思い、視線を右手に移す。

 肩は異常なし、肘も異常なし、そして大理石の床。

 目に写った光景。

 否定することが出来ない光景。

 畏怖感が、恐怖感に変わり果てた。

 肘から先がなくなっていた。

 確かな不安と小さな火種恐怖心を抱きながら、後ろに振り向く。


「……あっ」


 つい、声が出てしまった。

 視線の先にあるエレベーターの扉が、赤く染まっていた。

 身体から弾かれた右手が扉に当たって、潰れて、赤くて異臭のする花を咲かせていた。

 視線を球体に戻す。

 風を切る音がした。

 ガンッ!

 金属がぶつかり合う音がした。

 顔を恐怖にひきつりながら、視線を音がしたところに移す。

 道路脇に立っていたポールが、エレベーターの昇降ボタンに突き刺さっていた。

 スッ。


「っ……」


 痛みを頬に感じた。

 手を当ててみると、指先に血が付着していた。

 あの球体がポールを弾き飛ばし、俺の頬を掠って、昇降ボタンに突き刺さった。

 その過程を想像する。

 視線を球体にまた戻す。


「ぁ……あっ、ぁ〜ぁ、ぁァ」


 完全に詰まっている声を上げながら、会社の非常口に向かって、走ろうとした。


「ぅグッ! ……ぇ?」


 地面に倒れた。

 床に勢いよくぶつかった顎に、強烈な痛みが迸る。

 今度は、足の感覚がない。

 どうなっているかは大抵予想できているが、気になってしまったので、その光景を見ることにした。

 いや、見るしかなかった。

 残った左手を動かし、うつ伏せから仰向けになる。

 膝から下の両足がなかった。

 分かってた。どうなっているかは。

 分かっていたんだよ……ちくしょう。

 それなのに……それなのに……!

 その光景を見たことにより、足を弾き飛ばされたことを自覚する。

 顔を更に恐怖でひきつらせる。


「あ……ああああああああああ!!!!」


 口が裂けるほど泣き叫びながら、痛みを全身に感じながらうつ伏せに戻って、必死に左手を動かして、非常口に這いずっていく。

 全身を無理矢理に動かして、死に物狂いで、あの球体から逃げる。

 球体を視界に写さずに。


「うごッふッ」


 弾き飛ばされてきた道路標識が、背中に突き刺さる。

 口から血が吹き出される。

 尖った先端が身体を突き破り、床にも突き刺さる。

 これにより、俺の動きは完全に固定された。

 藻掻いても、苦しんでも、泣き叫んでも、解放されない。解放されることはない。

 もう助からない。

 ーー死ぬしかない。

 そんなことを考えていた時には、身体が弾き飛ばされ、非常口の扉にぶつけられていた。

 ベットリとした赤い液体が、扉の周辺にも飛び散る。


 ドゥン。

 数秒後、一部始終を撮影していたカメラが、吹き飛ばされる。

 壁にぶつかり、カメラが砕ける音。

 それにより、映像を再生していたテレビは砂嵐が流れる。

 六秒ほどしたら、砂嵐は去っていき、別の映像が再生される。

 日付が変わっているのに今だに明るく光っているビル群が、カメラの眼下にある。

 どうやら再生されている映像は、空から撮影されているようだ。

 十秒ほど経つと、先程の男を弾いて、潰した球体がカメラに収められる。

 球体は少しずつ浮上していく。

 ビルほどの高さに到達すると、一瞬だけ、世界が静寂になった。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。


「スゥゥ……」「それじゃ、始めま〜す!」「ズズッ」「カット!」

「さて……今日の投稿どうしよう」


 日付が変わっても起きている人々の声が聞こえる。

 呼吸する人、ライブ撮影を始める人、コーヒーを啜る人、撮影を切る人。

 そのうちの一人である投稿に悩んでいる女性は、窓の外で静止している球体に目を奪われた。

 あれだ。今日の投稿はアレにしよう。

 直感だった。そして確信した、アレだと。

 キャスター付きの椅子から立ち上がり、壁一面に張られた窓に近づく。

 手にしているスマホのカメラで、球体を撮影する。

 SNSを開いて、何アレ? の一言を一緒に撮影した球体を添付する。

 投稿。

 千人以上のフォロワーが、彼女の投稿に反応する。

 「何これ?」「UFO?」「漫画のあれじゃね?」「なんかのドラマのやつ?」


 瞬く間に、いいねと拡散と同時に、コメントが打ち込まれていく。

 何なのか分からずお手上げ状態の人もいれば、あれに似てると画像付きでコメントする人もいた。

 伸びていく投稿に、ご満悦の彼女はもう一度、球体に目を向けた。

 一瞬、球体が脈を打ったように感じた。

 心臓に似ている、似すぎている脈を。


「気色悪い……」


 彼女は呟く。

 球体が脈打つ度に、自身の鼓動も増していく。

 全身に悪寒が迸った。アレは危険だと。

 黒と白が混濁した球体を見詰めていると、時折、少女の人影らしきモノを見る。

 暗闇に化けて出る幽霊のように、ゆらゆらの揺らいでいる。

 球体の中にいる少女が、大きく揺らいだ。


「ッ!」


 全身が恐怖に嘲笑われるように、顔を歪めながら部屋の外に出れる扉を目指して、死に物狂いで走った。

 盛大にガラスが割れた音が響いた。

 弾き飛ばされた破片が、身体中を尖った先端で突き刺す。


「ッッ〜〜!!」


 背中や両腕、両脚に激痛が走る。

 足裏に破片が刺さる。

 更なる激痛に、身体が前に倒れた。

 顔にも破片が刺さる。

 左目に破片が、口中にも破片が、耳にも破片が、おでこにも破片が、頬にも破片が突き刺さる。

 彼女は、言葉にもならないほどの絶叫を上げる。

 全身を引きずりながら、外へ出られる扉に辿り着く。

 右手をどうにか持ち上げ、扉のハンドルに手を掛ける。

 そして、身体を起こす。

 振り向いたら、そこには地獄があった。

 さっきまで座っていた椅子は粉々になり、大きなテレビは圧縮され、コードから漏電していた。


「あ……あはは……あははっ」


 力のない笑い声が、グチャグチャにされた部屋に薄く響いた。

 球体は静止したままだが、様子が違った。

 球体自体は変わらず、その周りに脈打つ光の奔流があった。

 一本、二本、三本、四本、五本。

 太さも明るさもバラバラな光の奔流が、球体の周りを星のように流れていた。

 世界は、また静寂に包まれた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。


 彼女は、もたれ掛かっていた扉と一緒に、外に放り出された。

 静かに吹く風が、彼女の長い髪をなびかせる。

 静止している球体の周りを流れている光の奔流が、球体に吸収されていく。

 光の奔流を吸収した球体は、テニスボールほどのサイズに凝縮された。

 次の瞬間に、彼女の身体は弾き飛ばされてきた建物の瓦礫に四肢を引き千切られるようになって、周辺に警報を彷彿とさせる絶叫を、限界まで開いた口から咆哮のように放った。

 その絶叫も、すぐに弾き飛ばされるようになくなる。

 球体の半径五百メートル内にある建物も、人も、地形も、辺り一帯の全てが球体によって弾き飛ばされた。

 耳鳴りのような音が、辺り一帯に響き渡る。

 球体の反発によって、この光景を撮影しているカメラを載せたヘリも大きく揺れる。

 五秒後、ヘリは安定した。

 どうにか墜落することは、避けれたようだ。

 跡形もなく弾き飛ばされた場所に残ったのは、ただ一つだけーー宙に舞う球体だけ。

 それだけだった。

 撮りたいものを撮れたのか、撮影が終了する。

 撮影された映像は、誰がどう見ようが、あまりにも悲惨なものだった。



 あまりの内容に驚きを隠せない。

 カメラのデータが残っていたのが、とんでもない奇跡だと思える。

 ……突如として現れた謎の球体。

 全てを反発する力。

 自然現象にこんなのが、あるのか?

 いや、あるはずないだろ。

 こんなモノは、何らかの兵器だとしか思えない。


「ふぅ……」


 思考を落ち着けるために息をつく。

 ……駄目だ、思いつかない。

 この話は少し置いておいて、後で考えよう。

 まずは、次のページの話を見よ……ゥ。


「っ……ァアあァアぁァあ!!!!」


 縄で何重にもしばり、握りつぶすように力強く頭を押さえ、脳をグチャグチャにき回すと同時に針を突き刺す。

 そのような痛みが頭に発生する。


「あ、ァあぁアァぁあアぁァ……!!!!」


 燃え上がるような痛みが響く頭を抑え、痛みのあまり床に倒れ、口が裂けるほど叫びながら、苦しみもだえる。

 頭の痛みを少しでも軽減するようにジタバタと足を動かし、辺りの物を蹴り飛ばす。

 痛みは軽減するはずもなく、一向に増幅するばかりだ。

 爪が頭皮を破り、傷口から血が出てくる。

 止まることのない痛みによって、我慢の限界を迎え、頭を抑えていた手を離す。

 ポタポタ、と頭から血が垂れ落ちる。


 少女は目を閉じる。

 子守唄を聴いた子供のように目を閉じる。


 少女は気絶した。

 絵本に出てくるお姫様のように気絶する。


 少女は夢を見る。

 両親と一緒に並んで、仲良く眠る夢を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る