デットエンドリコレクション:アライブ

鈴代羊

第1話・ 人類最後の夜 前編

 空は暗く濁っていた。

 まるで、力のままにペンキの入ったバケツを真っ白なキャンバスにかけたみたいだ。

 乱雑に塗りつぶされた灰色の雲が、無音に包まれた街を覆っていた。

 遠くから、カーカーと鴉の鳴き声が聞こえてくる。

 ーー耳障りだ。


「天気は最悪だし。街もボロボロ」


 一人しかいない街中を歩いていた少女が、溜息を吐くほど呆れてから毒づく。

 少々汚れているが緑色の長髪。淡黄たんこう色のツリ目。

 若々しく整った顔。

 首や両腕に巻かれた包帯が彼女のトレードマークの役目を担っている。

 頭にはキャスケットを被り、マウンテンパーカーの下にコンプレッションウェア、カーゴパンツに脚を通し、コンバットを履いている。

 左手には、非常食や救護キットなどを入れているバックを所持している。

 獣に襲われても大丈夫なように、肩にライフルを担いでいる。

 腰には、短機関銃を携えている。

 いつ何時、何が起きようとも対応できるように、バックには色んな物を揃えている。


 今も炎が燃え上がる骨組みの横を通る。

 燃やされる鉄骨や木の匂いを嗅いだ瞬間に思い出す。過去の罪を。

 大事なモノを燃やした罪を。

 今でも焼けた骨や肉、鼻にこびり付く鉄の匂いが漂っている感覚が時々する。

 罪悪感に駆られるような匂い。本来なら自殺してもおかしくない程の、感情のままに暴れ出したい程の、私の罪。

 その時、一筋の涙が流れる。

 もう、とっくに涙は枯れたと思ったのに。

 私も、まだまだ覚悟が足りないのかな。

 少女は、しかめっ面を浮かべる。

 それは過去の罪の悲しみか、過去の自分への怒りか。

 ギィィィ。

 少し尖った歯が軋むような音を立てる。


「フンッ」


 道に転がっている石ころを思いっきり蹴り飛ばす。石ころが、錆びている郵便ポストの中に入る。

 カラン、と錆びた金属の欠ける音が辺りに響く。三秒ほどしたら、音は止まった。

 横を通る時、ポストを蹴り上げる。甲高い音を立てて、根元から折れる。

 涙を指先でぬぐう。

 もう、私は泣かないから。

 貴方の為にしか、泣けないから。


 スッ、と音が立つ程に、少女はすぐに落ち着いた。

 二重人格を疑うほどの切り替え。

 罪を忘れることはない。もう、罪を償うには、これしかない。

 いずれ、死にゆくんだ。後悔は何も残さないでいこう。

 私の罪を償えられるなら、もし、許されるなら。それならば、私は善者ではなく、悪者になることで。

 この手で、この心で、この世界で生き延びた全ての人間を殺しましょう。

 そして最後に、私は自らの刃で、この罪を背負った身体を斬り刻みましょう。

 身体中の血が抜けるまで、貴方が許してくれるまで、私は斬り刻みます。

 許されるなら、叫び声を上げることを、涙を流すことを、許してはくれないだろうか。

 感情を表に出すのが苦手な私の、私の犯した罪を償う、私のやり方で。

 私が唯一、この世で愛した者よ。

 もし、私が地獄ではなく、貴方のいる天国へ行けたのならば、私は何よりも深く、何よりも清き愛情で、貴方を抱きしめましょう。



 先程まで漂っていた過去の匂いが、罪の匂いが、霧のように消え去る。

 罪悪感と自分自身への憎悪が過ぎ去ったら、現状への愉悦が底から迫り上がる。


「ククッ」


 口角が上がり、邪悪な笑みがこぼれる。

 吸血鬼の牙のように鋭い歯が、月光によって照らされる。

 哀れに折れたポストに、蔑みを含めた視線が向けられる。


「チッ」


 つまらなそうに舌打ちをしてから、少女は歩を進める。

 先程まで遠くで鳴いていた鴉たちが、目の前に突き刺さっている信号で羽を休めている。

 その鴉たちの中に嘴に何かを咥えている奴がいた。

 月光を頼りにしながら、目を凝らしてみる。

 目玉だった。それも、まだ小さい子供だった。

 血によって赤くなった目玉が月光に照らされ、燐光を輝かせる。

 パン。

 沈黙を貫く音が、夜に響き渡る。

 ドシャ、と音を立てて、鴉が落ちる。

 銃弾が撃ち込まれた左目から右目に抜けて、口に咥えていた眼球が転がる。

 煙を立てる銃をしまうと、少女はゆっくりと歩き出す。

 腰のバックからナイフを取り出し、鴉の首に一太刀お見舞いする。

 ブシュゥゥ、と噴水のように鮮血が飛び散る。

 逆手に持ち替えたナイフを胴体に刺す。肉を突き刺す感覚が手に広がる。


「フフッ」


 無惨な死骸を見下ろし嗤う。愉悦に満ちた目と口角は歪み、頬は赤く染まる。

 転がる頭を鷲掴みにし、脳髄をむしゃぼる。

 脳を麺のように啜る。

 ボタッ、頭が地面に落とされる。

 そして、用済みの烙印を押されるように、振り下ろされた足が、鴉の頭をグチャグチャに潰す。

 トマトを潰した時のように、残った血が赤い花を咲かせる。

 次は胴体を持ち上げる。

 胴体を両手で引き千切りながら、赤く染まった口を内臓に突っ込む。

 フルコースのうちの前菜とスープを口にし始める。

 食道を脳と同様に啜り食べ、胃は咥えながら食べ、肝臓は噛みちぎりながら食べ、賢臓は二口で食べ、十二指腸は啜ると噛むを繰り返して食べる。

 口の中に腹を潤す肉と、喉を潤す血の味が広がる。

 メインディッシュに、最も美味な心臓を。

 血で満たされている鴉の胴体から持ち上げ、両手に収まっている心臓を眺める。

 グチャッ。

 口が限界まで開いて、血が垂れる。

 血塗れた牙が、薄く照らす月光によって輝く。


「ハァ〜ムッ」

 

 ジュルッ、口中に血が肉汁のように広がる。

 少女は取り憑かれたように、心臓に噛みつきムシャムシャと食べる。

 顔を上げた時には、口周りは赤い血に染められていた。

 今だに、信号は点滅していた。赤く点滅している信号の先を見渡す。

 街から離れたところにある小高い丘の上に、たった一つだけ窓が開いている古びた家が建っている。

 それを視界に入れると、少女の目が鋭くなる。飢えに飢えた獣が、弱りきっている獲物を見つけた時のように。

 どうやら少女は、その家を目指しているようだ。

 視線を丘の家から、目の前にそびえ立つ瓦礫の山へと変える。

 瓦礫の山の頂上は、一枚の大きな鉄板が家のある丘に続いている。

 たった一つの橋、

 瓦礫の山は、大きな災害にあったであろう家屋が無造作に押し倒され、潰れて、重なって、そして約三十メートルほどの高さに形成されていた。

 少女は、瓦礫の山を登り始める。

 登るたびに瓦礫が崩れ落ち、足場がどんどん少なくなっていく。

 更に鋭く尖った金属などが飛び出ており、少し触れただけで、肌に突き刺さったり、掠ったりする。

 いつか瓦礫の山が崩れて、全身を空中に放り投げられて、全身が打ちつけられ、全く動けないほどボロボロになって、崩れ落ちてきた瓦礫に押し潰される。

 そんな想像をする。あまりにも無様な最後。

 自分がその光景を見たら、笑ってしまうような最後。裂けるほど口角を上げ、歯を剥き出しにして、背を限界まで反り、最初で最後の嘲笑を高々と上げる。

 死ぬかもしれない状況に、愚かで無様な幻想をみる。

 獲物を狩りにきた者として、あまりにも愚かなことだ。

 瓦礫の山を登り終える頃には、腕から血が少し流れていた。全身を見ると、足やお腹にも同じように血が出ていた。


「……痛い」


 痛覚快感を感じたことにより、口角が少し上がる。頬が赤くなる。

 少女にとって、痛覚は快感。あまりにも危険な劇薬。

 少女の感情も、思考も全身に感じる痛覚快感と愉悦が支配する。

 腰のバックから消毒スプレーと絆創膏を取り出す。消毒スプレーを傷口に噴き付け、絆創膏を傷口に貼る。


「……」


 ため息をつき、目の前で橋になっている鉄板を見る。

 横幅二メートル、縦幅五メートルの鉄板が、無造作に掛けられていた。

 揺れを起こすとイケナイから、重い鞄は瓦礫の山の頂上に置いていく。

 必要な物だけを持っていくか。

 腰のバックを付け直す。

 下手すると鉄板が落ちてしまうかもしれないから、ゆっくりと歩き出す。

 ま、それで死ぬのも悪くないかもしれない。

 ギシギシ、と音を立てながら、鉄板の橋を渡る。

 橋を渡り終え、更に小高い丘を登る。

 丘を登り終えると、少女は手を膝につく。

 流石に、瓦礫の山と小高い丘を続けて登るとなると、登った後の疲労感は山と大差はない。


「はぁ……はぁ……」


 袖で顔にかいた汗を拭う。

 いや、私の体力がないだけかもしれない。

 少女は荒い呼吸を整えて、家の敷地に入っていく。

 ガンッ、と少女がドアを蹴っ飛ばして開ける。右手に持っているライトを点ける。

 辺りを照らしながら土足のままズカズカと入って、辺りをつまらなそうに見ながら、子供部屋とキッチンらしき場所に移動する。

 実際つまらない物ばかりだった。溶けてくっついた玩具に、燃えカス同然の老人の杖、溶けた調理器具などの物たち。

 使える状態だとしても、調理器具だけが今のこの世界には必要。

 いや、やっぱり必要ないかもしれない。

 私には、ナイフもあるしね。

 前に軍人から奪ったコンバットナイフを思い出す。

 ……そういや、さっき鴉を解体するのに使ったな。


「はぁ……」


 そんなことを考えながら、少女はため息を吐き、また移動する。

 廊下には、色んな物が散乱してた。雑誌に段ボール、膝くらいの高さの棚。

 それらを踏み越えたり、蹴散らしながら歩を進める。

 廊下をまっすぐ進んだドアを開けると、リビングに出た。

 リビングには、人が三人ほど座れるソファがあり、前に設置されたテーブルには、一冊の本が置かれてあった。

 手にとって確認してみると、灰色の古びた裏表紙。同様に表紙も古びており、角には茶色の革が貼られている。背は所々ほつれているが、金の糸で装飾されていた。

 表紙に書かれている題名は、文字が掠れていて、よく読めない。

 よく分からないが、この本は日記だと思う。


 ボロボロの白色のカーテンが、風ではためく。

 突然の風に帽子が飛びそうになる。それを手で、どうにか抑える。

 最初は、優しかった風も時間が過ぎていくにつれ、どんどん強くなる。

 壁に立て掛けられている古びた時計の針が軋む音をたてながら、日付が変わったのを告げる。

 ゴーンゴーン、と鐘の音が、薄灰色の満月が浮かぶ真夜中の荒廃した街中に鳴り響く。

 不気味に暗く永遠に寝静まった街には、鐘の音に文句を言う者は、もういない。夜泣きする赤ん坊は、もういない。夜勤終わりに、家へ帰る者は、もういない。

 というか、その帰る家すら、もう無いんだけどね。

 さっきの鐘の音も瓦礫が落ちて、鳴っただけ。

 

 ただ、無人で建物すらない街に、それを遥か遠くから月が、太陽から分けて貰った明かりで照らすだけ。

 あの日から変わることのない、いつも通りの光景が広がっているだけ。


「時間を知らせても意味はないわよ。この街には、私しかいないから」


 少女は、悲しそうに呟いた。いつの間にか溢れていた涙を手で拭う。

 その時、風が止んだと思ったら、バッと更に強烈な風が吹き付ける。


「っ……!」


 風が強く吹いたことで、手に持っていた古びた本が開き、ページがめくられていく。

 風によってめくられていくページは、どれも汚れや染みが付いている。

 ページがめくれたのは、ほんの一瞬で、風が止むのと同時に、とある写真が飾られているページに止まる。

 そこには、幼い少女、古びた少女型機械人形、椅子に座って眠る老人、黒く棘々しいコートを羽織り深く帽子を被った男、翡翠ひすい色の目をした黒猫、傘で顔を隠す青年、奇妙な面を被った少年、鎖に繋げられている忠犬が家族写真のように寄り添って撮られていた。

 いや、寄り添ってはないな。

 写真はツギハギだった。

 燃えたり、破いたり、切ったりした写真が、無理やり家族写真のように貼り付けられているだけだった。

 その写真の隣に、こう綴られていた。


 これは、そのモノたちの生と死の物語。


 その一文を見るに、これは日記ではなく記録資料と言ったほうが、正しいだろう。

 もう一文、掠れているが、どうにか読んでみると。


 今から、全ての物語の始まりを共に見届けようじゃないか。


 まるで、誰かが私のことを監視しているような、ゾクゾクとした感覚がする。

 これから起こるであろう劇(喜劇? それとも悲劇? それか奇劇かな)に口角が自然と上がる。


 その時、写真の前にもう一ページあるのに気づく。

 全ての物語の始まりーーその言葉を見てから少女の手は、本のページをめくることを止めなかった。


 ここから先は、後戻りは出来ない。十分な覚悟を持って、過去に向き合い、繰り返される悲劇を見届けるがいい。


 この本の最初に綴られた文章は、不思議と掠れてはいなかった。奇妙に思いながら、少女は本のページをまためくる。


「朝日は見たいな」


 少女は、皮肉ったような表情でそんなことを口にする。

 

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