第35話 殺意vs害意

 そこは波が荒立っていた。

 防波堤は既に機能していないような、波が酷いせいなのか凄まじい勢いだ。今回の荒波で防波堤の機能が壊されたのかもしれない。


 廃港には巨大な倉庫がいくつも並び、使われていない物が沢山溢れかえっていた。

 目立った灯りは特になく、月明かりだけが頼りだった。

 この場所は数年前に放棄され、以来未だ何も手を付けられていない。

 戦闘をするには丁度いい感じの場所。

 そこら辺に散らばるコンテナに背を預け、腕組しながら目を瞑る。

 小雨が落ち着き、雨が止み始めた。

 紬の異能は風、空気を操る力だと思われる。

 

 攻撃方法も、打撃と斬撃の二種類が使われることがわかっている。

 どのような攻撃が来るにせよ、私を殺すことは不可能だ。

 攻撃に徹する場合、過信するくらいが丁度いい。

 その方が心地よく戦えるし、何より殺意に飲まれた私に敗北の二文字はない。


「……退屈ね」


 浅く目を開けそっと息をつくと、白い吐息が見えた。

 まだ秋にもかかわらず、吐息が白く見えるほど気温が低いらしい。


 殺気。


 右手、数十メートル。


 空間の歪みが見え、刀を鞘から瞬時に取り出し、姿勢を変えないまま守りの形を取る。

 顔を狙ってきているので、顔を守るように刀を立てた。

 刹那に血が眼前に舞った。


「ああ。そういえば、風は斬ることが不可能だったわね」


 風は気体であり、刀を持ちいての物理的な手段で防ぐことは不可能であった。

 軽く頬に切り傷が入るが、問題はない。

 浅い傷口は瞬時に治っていく。我ながら気持ちの悪い体質だ。


「綾部紬、殺される覚悟はできているかしら」


 ゆっくり、一歩、また一歩と彼女に近づく。

 視界に綾部紬が入った時、案外彼女が暴走している状態には見えなかった。


「あれ、平夜さん? あれ、私どうしてここに」


 紬の混乱状態の原因は私にある。

 恐らく、無意識に過去の女性と私を照らし合わせ後を追ってきたのだろう。そうして、着物の桜色を見た彼女は冷静さを失い、先程私を排除しようとした。

 彩夏の言う害意が本物だとしたら、今から再び彼女は暴走するはずだ。


「あ、ああ。あああ。あなたが兄を殺した――」


 声と共に風撃がこちらに向かう。

 呼吸を乱し右手で顔を覆う彼女は、酷く冷静さを失っているようだ。

 私は右方へ移動し、コンテナの死角を伝う。

 冷静さを欠いた獣の視力、洞察力は侮れない。故に、こちらは息をも殺して気配を消し、死角を伝って居場所を不透明に。


 相手の視野にギリギリ入るかどうか、それぐらいの位置で接近した。

 鞘からナイフを取り出し、先に投擲。続き、刀を構え加速する。

 一撃目のナイフは風により弾かれるが、二撃目の斬撃は確実に入る。そう確信した瞬間、胴を風の塊に殴られる。


 そのまま、上空へ吹き飛ばされ、体勢を整えようとするが視界が揺れた。紬の指が曲がった方向に風が加速し、宙で二連撃目を食らったようだ。あばら骨が風撃で何本か折れた音がし、倉庫の頑丈な壁にぶちこまれた。衝撃により、激しく吐血する。

 口元から垂れる血を手の甲で拭き取り、冷静に先の手応えに対する違和感の正体を思考。


 確実に刀の斬撃、二撃目は入ったと思ったのは紬の反応が遅れていたからである。

 彼女の様子からして、行動のパターンは二種類。

 考えて実行する意識的行動と、危機感に対し反応する無意識的行動の二種だ。

 後者は多分、紬が纏う風のバリアのようなものが作動しているらしい。

 血が伝う刀を軽く振り、紬と一定距離を保つ。


 直進しても、今回の場合悪手でしかない。実力差というよりは、能力の相性にある。

 守りが効かない、回避でしか対処ができない能力は技術で補うのは難しい。

 不老不死という点を活かしても、紬には殺傷能力が高い力の他、先のような打撃で距離を離す力もある。つまり、不老不死でのごり押しは無駄だ。

 冷静に相手の隙を突くしか、勝機はない。

 前方からの風撃、続き左右の行き場も封じられる。


 身動きが取りづらいのは戦闘に置いてデメリットでしかない。加えて今回は宙に舞うことすら悪手だ。回避の動きすらとれない宙は風を操る紬にとって、格好の餌だ。


 さて、逃げ場を失くした私は、その悪手である空中に飛ぶしか先はなかった。

 前方に飛翔すると、紬は指鉄砲を作る。


「堕ちろ」


 紬は憎悪の声と同時に、冷気を帯びた風の弾丸を射出。

 手の甲、右足の太もも、左足の甲、首筋、脳天。各所から血が噴出する。

 範囲は細くも肉体を貫通するほどの威力を持っているようだが、それは悪手だ。

 紬は私が不老不死なことを知らない、知る余地がないのだ。

 負傷したまま、私は紬一直線に降下。


「お前が堕ちろ」


 威勢よく言ったものの風撃を貰い、固いコンクリートに叩きつけられる。

 体の奥底まで痛みが響くが、この紬が動揺しているチャンス時を逃すわけにはいかない。即座に直進する姿を取り接近。


 次の風撃が来る方向が何となくわかってきた。

 相手の視線、その先から風が来ている。

 タネが分かれば、戦闘を行いやすい。

 紬の視線は右に。私はその方向を見て風の流れを視認。

 華麗に小さく飛んで避けると、接近を続ける。


 文句なしの速度と威力、そして私に向ける正確性の高い風撃を全て避けてこちらの間合いに入った。そのまま刀を振る、これはブラフだ。

 無意識的攻撃を発動させるための罠であり、実際は刀を振るフリをして後方へ退避。


 前方から猛々しい烈風が生じ、私は限りなくその影響を受けないように体を縮ませた。

 治まると、呼吸の有無を言わさずに特攻。

 風撃を放つよりも、こちらの刀を振る速度の方が早い。

 二度目の確信の瞬間は、より殺気立っていた。


 縦に刀を振ると、軽やかに体を反らせて避けられる。舌打ちをして、今度はより確実に斬るため紬の右腕を左手で掴んだ。


 刺す。


 そう意気込んだ刹那に、左手首を風により斬られた。一瞬だ。すぐに再生する。

 けれど、その一瞬のうちに掴んでいた紬の腕は離れ、彼女は踊るように私の背に回った。


 背後、振り返り斬りかかる。

 僅かな誤差だ。先に仕掛けたのはあちらの方であった。紬の右手には空気を集束させたような球体、空間に違和感があり、そこから衝撃波が生じた。


 後方へすっ飛ばされるが、今度は体勢を整えつつ、だ。

 スケートリンクの上を滑るように、コンクリートの上を滑走。

 また紬と一定距離ができ、呼吸を置く。

 今のは空気の塊を圧縮させ、一気に伸張させたと思われる見事な技だ。


「真っ向勝負は分が悪そうね」


 跳ねるように移動し、暗い倉庫に向かう。

 紬の害意は視界外に排除する行為だが、今の暴走状態はその領分を超えている。しかし、紬の中では殺すという意思はなく、ただ単純に視界外に排除したいだけ。ならば、未だ害意であると言っていい。


 倉庫に向かい、こちらから姿を消す。これは相手の状態を上手く活用する行動だ。

 視界に映らなくなったならば、紬の暴走状態は解けるはず。

 暗闇に身を隠し、紬の様子を窺った。


「あ、ああ。私はここで何を? こっち。こっちに行かないと。兄さんを殺した人が……」


 暴走状態の時の記憶はないらしいが、無意識に私が向かった場所にゆたゆたと歩いている。この状態ならば、背後からの奇襲で殺せる。

 紬が倉庫に入った瞬間、常闇に溶けていた私は奇襲する。

 視る、平夜結を。

 殺気でバレたのか定かではないが、確実にこちらに気付いた。


「遅い」


 いくらこちらに気付こうとも、その瞬間に胴を斬られていてはどうしようもないだろう。


 激しく血飛沫がこちらに飛んでくる。

 次いでもう一度斬殺しようとすると、地面がけたたましく揺れた。


 否、もはやそれは地面ではない。まさに嵐。天変地異でも起こったような悍ましい嵐により、倉庫は破砕し、コンクリートの地面は亀裂が入って一つの大きな塊となって宙へ舞う。円形にそれらは回り、上昇しているようにも見えた。


 終わりを見たような気がした。これが更に暴走すれば、やがて本当に終わりが来る。


 殺す。


 殺意をさらに強く持ち、私は宙に舞う倉庫の残骸たちを足場にして、跳ねるように降下を始めた。足裏で強く残骸を弾き、身を紬の方へ持って行く。

 風圧が凄まじい。少しでも力を抜けば、空へ吹き飛ばされてしまう。

 烈風で体の至る所に切り傷が入るが、そんなことを考えている余裕はない。

雨は渦となり、チクチクとした感触がする。

 呼吸をしているのか、今の自分ではわからないほど目の前のことに集中していた。

 見る見るうちに綾部紬が近づく。

 最後の空中を舞う足場。私は力の全てを脚力に預け、彼女の方へ降下した。

 刀を一直線、心臓部をめがけて突き刺す。


「お前を殺す――」


 三度目の確信に、私は紬へ告げる。

 それは死という存在に対する恐怖を味合わせたかったのかもしれない。

 私が想像したこともない、羨ましい存在を味合わせることに多少の嫉妬が籠っていた。

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