第34話 害意

 嵐が嗤う小雨の中、私は夜に差し掛かる中で廃港へ向かう。

 綾部家に行って得られた情報はかなり有益だった。

 犯人は紬。そう希咲に言われたので、やっと確信が持てた。

 精神状態が悪かった紬だが、どうやら今は行方不明らしい。

 精神状態の悪化の原因は、彼女の時間を少々遡らないといけない。

 希咲から知らされたのは、今に至るまでの刻の話だ。

 

 十年前。


 桜が舞い散る、春の季節。

 陰陽の気が乱れ、綾部が動いていた一件があったそう。この一件は綾部だけに留まらず、広い範囲で裏が動いた。当然、私も動いた記憶があった。

 事件の全容は、単純に陰陽の気が乱れただけなのだが、それに伴い膨大な量の怪異が出現した。


 その際、紬はまだ五歳。当然だが戦力にはならず、綾部の屋敷で兄である幸人に守られていたらしい。希咲はその頃既に戦力になっていたため、幸人と一緒に紬を守る役目を貰っていたという。


 数日後の夜、怪異の出現が治まった、事件の終わりを告げる時刻。

 紬の前に一人の女性が現れた。

 その女性は桜色の着物を纏い、紬を襲う。

 希咲では相手にならず、幸人が善戦するも彼は血を流した。

 紬を守るために血を流し、着物の女性を退ける。しかし、幸人は意識不明、現在も病院で昏睡状態にいるようだ。


 紬にはこの事件をきっかけに、異能の力が発現したらしい。

 自身ではコントロールできない、異能力。

 トリガーは、桜色を視界に入れることらしい。人間には不快な情報により、冷静さを失くすという機能がある。つまり、幸人が倒れたその瞬間、桜色が視界に目一杯あったと思われる。


 異能の類でも陰陽の気は乱れ、綾部家は混沌とした状況にあった。

 そこで、トリガーである桜色を見えなくする、色彩を紬からなくす選択。もう一つは記憶を操作する、藤堂家と協力する二つの選択肢。

 色彩のない世界にするには心苦しかったため、綾部は後者を選択した。

 最善手は打ったが、藤堂から記憶を取り戻す可能性の忠告をされ、紬は屋敷から出すことはなかった。補足だが、彼女の体に異常があったのは、術の対価のようなものらしい。

 しかし、最近になってミソフォニアという、まだ全てが解明されていない症状を発症。


 紬の場合、過去のトラウマの事件の時に聞いた音、それが不快な感情や記憶を蘇らせるトリガーとなっている。体の異常が治ったのは、その症状による副作用だろう。

 そこで儀式を行い、藤堂が特定の音階を聞こえなくなる術をかけた。

 音の認識も脳科学の問題であり、得意分野である藤堂の力により可能であった。

 その引き金となる音は、金属音の甲高いものらしい。

 既に察することも出来るが、紬が私を見て怯えていたのは、金属音を聞き過去を思い出したためだ。幸人を昏睡状態にさせた女性の面影が私にあったのだろう。


「そんな感じよ」

「そうか。彼女にそんな事情があったとはな、知らなかったよ」


 携帯電話から大人びた声が向こう側から聞こえる。

 彩夏の対面している時と、電話越しとの会話の時はギャップが激しい。

 姿なければ本当にしっかり者のような人間だが、あのずぼらな姿を見るとダメな大人のお手本みたいである。

 一通りの紬の事情を彩夏に説明し、私は妙な突っかかりを尋ねた。


「紬は桜色に敵意を、あるいは殺意を持っている。そういうこと?」


 色に殺意を持つとは、よくわからないが。

 尋ねると彩夏が、ああ、と一つ置いて話し始める。


「紬のそれは多分、害意だ。殺意は人の命を奪おうとすることを指す。一方で害意は他に対して害を加えたいという意図、感情を指す。そのままの意だな。ただし、殺意との違いは意図的ではないことにある。感情の高ぶりなどによって引き起こされるものだ。それでは殺人衝動に近いと思われるが、彼女は現に一人も殺していない。視界に入った桜色だけを害とみなし、視界外へ排除しているだけだ。これは殺意でも敵意でもない害意だろう。平夜が狙われている理由は、記憶に潜む女性とやらが平夜に似ていて、無意識に追っているうちに害意を毎度抱いているだけだ」

「キョーマがいると感嘆しそうなほど、流暢に解説ありがとう」


 私にはさっぱりだけれど、要するに殺したいと思っているわけではないようだ。

 似ているが、微妙な違いがある。

 けれど、視界外に排除するために異能の力を使うと、やがて殺人が起きてしまうだろう。


 私が今日間を殺そうとした昨晩のように。


「あんなに割り切っていたわりに、彼のことを口に出すんだな」

「別に。癖になっていただけよ。ただ、それだけ」

「……そうか。平夜、綾部紬を殺す気だろう? まあ、精々頑張るといい」

「ええ。今回は少し頑張らせてもらうわ」

「平夜、君にはもしかすると未来を選ぶ選択権はないのかもしれない。枷により決まった未来しか歩めないのかもしれない。選ぶのは、彼の方かもしれないな」

「それはどういう?」


 プツリ。

 通話が終了した。

 私には未来を選ぶ選択権がない、その通りだ。枷により誰かを殺すことは決まっている。彩夏の言っていた彼、とは誰の事だろうか。

 今日間のことなら、どういう意味なのだろうか。私の未来を彼が選ぶとでもいうのか。


「わけがわからないわ」


 歩いて、歩いて。気づけば深夜になっていた。

 そして、廃港はすぐ目の前に広がっている。

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