第17話 望まぬ想い

 私の殺意は過剰になった。斬っても、斬っても殺せない枷のせいで。

 傷口を押さえつける今日間を、私は不敵な笑みでゆっくりと追いかける。彼が痛みに耐えながら小走りする速度と、私の歩行は同じ速度だった。


 そうして、気づけば林道の中にいた。

 石畳と緑を繰り返し歩く。

 ぱしゃり、音が鳴るのは雨水と彼の血が混ざった淡い赤色の液体だ。


 命の尊さを嘲笑うかのように踏みつけ、小雨の中を進む。


 こんなにも薄暗いけれど、雨雲から顔を未だ出している月は美しく、彼の居場所を隠さないように世界を照らす。ただし、月の光は太陽の光を反射しているだけのものであり、黄色のそれはただ傍観しているだけであった。


 今日間は既に限界を迎えているはずだ。常人が傷を負って、それを舐めまわすような秋に差し掛かった寒さの小雨に耐えられるはずがない。夜の雨はつららのような危うさを持つ。それなりに移動して、体力も残りわずかだろう。


 意識が朦朧としている。


 かなり歩いたせいで、殺意が徐々に薄くなり冷静さを取り戻しつつある。

 これだけ思考できているのだから、自我の崩壊から解放寸前であった。

 今日間を斬らなくてもいいかもしれない、そんな淡い期待はすぐに消え去った。


 限界を迎えた今日間が、立ち止まった。

 その瞬間、無意識にナイフを取り出し彼の右足に投げつける。


「グ――――ッ」


 今日間の顔が強張った。

 膝をつく彼に赤が近づく。


 着物は既に血に塗れ、髪の毛にすら浴びている。

 苦痛は死よりも恐ろしいものかもしれない。

 死ねば痛みは消えるが、死ぬほどの痛みをずっと抱く方が余程の地獄である。

 それを今から私はしようとしている。


「キョーマ、覚えてる?」

「な、にを?」

「もしも、あなたを殺そうとしたら。そう前に言ったはず」

「そうだね。撤回はしない。僕は君を恨まない。君は僕を殺さない」

「そう……。私は、あなたを殺すかもしれない」

「それは無理だね。そういう呪い、だろう?」


 余裕の微笑みはもう見飽きた。

 苦痛に耐えかねた人間は、自害を選ぶ可能性だってある。仮に私が苦痛を与え、彼が自害した場合、それは私の罪だ。私が殺したことと同じである。


「それじゃあ、あなたが死にたくなるまで、……私はキョーマを殺し続けるわ」


 彼は目を見張った。

 それは私に初めて恐怖した瞬間だったのかもしれない。

 サッと左足をナイフで斬りつけ、倒れ込む彼に私は更に近づいた。


 彼に抵抗の二文字はない。それすらできないほど弱っている。

 彼の黒瞳は死を受け入れたような、生きることを目指していない、言わば感情が入っていない感じだ。


 ふらふらとした動きで彼にのしかかり、刀の刃を握って今日間の首に先端を近づける。


 彼は私の手を握った。


 温かい。

 それだけを感じる。

 彼の手に付着している血が私の手を伝い、更に刀の銀を伝い、やがて刃先から彼の首に垂れる。


 抗っている風ではない。

 だから、私はいつの間にか再び泣いていた。

 涙が頬から落ち、やがて今日間の頬に伝った。


 望んでなんかいない。


 望むはずがない。


 愉悦など何一つ感じない。


 けれど殺したい。


「私はあなたを殺したい。だけど殺したくない。この感情は一体、何なの?」


 誰にあてた言葉でもない。

 強いて言えば自問自答だろう。

 今日間からの言葉は、やはり他愛無いものであった。


 私の問いの解ではなく――、


「結、君はいつも綺麗だね」


 こういうどうでもいい言葉が、今日間は、私は好きなのだ。

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