第5話 異変
そんな眠気を振り切った後の朝の思考は中々に深々としていた。
と、何か説明するように彩夏が口を動かしている様子が窺える。
「そんなわけで綾部家が……。平夜、聞いているか。いや、聞いていないな。平夜は聞いている風を見せていても、聞いていない節があるから困ったものだよ」
「結、ちゃんと人の言っていることは聞くもんだよ?」
額に掌を当てながらやれやれと彩夏は呆れたため息をつく。
今日間は歳があまり変わらないと言いつつ、いつも上から目線で物を言う節がある。それは真面目な性格ゆえであり、不真面目と言えば語弊があるが、決して今日間ほど真面目ではない私に対しての世話焼きである。
言われて気分が良いものではない。けれど、自分が悪いので今回も反論はできない。こんなやり取りを毎度しているから、私も悪びれないようになってしまった。
「もう一度話そう。これは最近になって顔を出した話、まあ噂程度なんだがな。綾部家に関わる問題だ」
「綾部家の問題ということは、それを解決したら報酬は弾みそうね」
「結、それがそうでもないんだよ。今回の件は陰陽御三家が揺るぐかもしれない一大事件になり得る可能性があるらしい」
棒読みで浮かれたことを口にすると、反対に今日間は訝しく言った。
大袈裟だな、と私は茶を一口頂く。
陰陽御三家が事件を起こしても、生まれてから一度たりとも揺らいだことなど記憶にない。揺らぎそうになったことはあったけれど、やはり変わることはなかった。それだけの信頼と強さと歴史を持っているからである。
今日間もそれは知っているはず、とんでもないスキャンダルでも目にしたのだろうか。
私が不真面目に考えていると、彩夏がその全容を切り出した。
「綾部家はまず自身の敷地の結界を強化している。更に、儀式的なことをしていたと報告も上がっている。なにせ、裏が総動員で動いてるもんだから、情報もそれなりに上がる」
「綾部家が何か企んでいるということかしら」
彩夏が頷いて首肯した。
確かに二人の言うように妙な話だ。巨大な名家にはそれなりに強固な結界が張られているのが普通だが、結界を強化することは珍しい。何か行動を起こす時、くらいしか見られない背景だ。加えて儀式となると、ますますきな臭い話になってくる。
彩夏いわく、儀式は一般に宗教的なものと社会的なものと神秘的なものの三つに分かれると言う。宗教的な儀式と、神秘的な儀式は似ているようで、かなり違いがある。
宗教的な儀式は名の通り、宗教が絡んでくる。神聖なものや人間たちとの交流などが主になる。神秘的な儀式は通常の人間では不可能な、異能力を持つ者が行う特別な行為だ。
例をあげるとすれば、魔術師ならば儀式を通して強力な魔術を放つといったイメージだ。
「ご明察。ただ、私的な考えだが、少なくとも私は悪巧みではないと考えてる」
「それには僕も同じ考えなんだよ。悪巧みなら結界を強く張る、なんてわかりやすいことしないだろう」
「そうかしら。これから戦争でも始めるなら、結界を強くすることはあり得る話よ」
洒落にならないことを口にした。
二人の反応は薄い。驚愕とは程遠い、呆れたような無反応だ。
「現実的じゃないね。結、それ本気で言ってる?」
「言ってたらこんなに冷静にしてないわ」
律儀なことに、私の冗談に対して疑問符でしっかり返してくる。その確認は不要だが、いちいち真面目に突っかかってくる辺り、明月今日間の性格が都度垣間見える。
「平夜なら大抵のことなら冷静に対処すると思ってたが、買いかぶりすぎていたかな」
「そうね」
不敵な笑みを浮かべながら、彩夏は平夜結という冷たい女に茶化す言葉を入れた。
冗談を上手く返さずに彼女の発言を否定することもなく、二つの意味でご期待に応えられず、私は適当な一言で受け流す。
「話が脱線したが、悪巧みでないなら何か。結界を張るには二つの使い方がある。一つは外部からの攻撃の遮断だ。そしてもう一つはわかるか?」
「さあ、結界なんて、いつの時代も守ることに使っていたわ」
「守る。それは正解だよ結。ただし、運用方法、守るの使い方が違うんだ。推測でしかないけど、内部から外部への害を遮断するための結界だと彩夏さんと結論付けているんだ」
結論が出ているから得意げに今日間は言い放つ。
けれど、その結論には根拠が足りない。確かにあり得ない話ではないが、裏付ける根拠のピースが一つも揃っていない。つまりは憶測の域に過ぎないと言うこと。
「単純に儀式の邪魔をされたくないから結界を張っただけ、その線はないの?」
「その線も考えられる。どちらにしても御三家の一つが問題を抱えている現状。かなり裏が騒がしくなる」
彩夏のやつれ顔も、会話中に何度見たか。
裏が慌ただしくなっているのは間違いないらしい。もっとも、そういった人間と交流するのは彩夏の役目で、私とは無縁の世界だ。
人間嫌いと言えば強ち間違いではない、私の性格。だから、ややこしい人間関係は御免であった。
「神降ろしの類の場合は厄介ね」
私はポツリと呟く。
神降ろしとは、妖や怪異などを人間の儀式によって召喚させることだ。神とついているが、実際に神を降ろしてきたことはない。
「あ、そういえば彩夏さん。何人か偵察に行ったわけですよね?」
「七名。そのうち五名は軽傷を負っている。不思議なのが、軽傷だけで済んでいるところだ。名家でもない人間が、綾部家に向かい、軽傷で済むのは興味深いな」
「それも包めて、綾部に害意はないと根拠づけているわけね」
一応彼らの結論に至った経緯には納得だ。
綾部が本気を出せば、その辺の術師など瞬殺に等しい。
二人の言葉から察するに、今回の件、明月家は絡んでいないと見た。
「それにしても、仮に僕らの推測が当たっていたとして、どうして外部に害を出さないようにしているんでしょうか。他者に協力をも求めればいいのに」
「守る。その言葉は一括りにはできないのだよ。本当に守りたいのはね、綾部家という信頼と地位なのかもしれない。仮に他者に協力を求めると、それは自分たちではお手上げだと言っているようなものだ。だから、守るなんだ」
解説に恍惚したのか、はあ、と今日間は呆け面で頷いた。
彼は真面目で、あらゆる人の考え方を蓄積する傾向がある。まるで、自身は幻で、己の考え方を持っていない赤子のような、そんなイメージが時折過る。
どれもこれも、彼の考え方は他人に左右されすぎていた。最近になってこそ彼は己の考えを言うようになったが、三年前の出会った頃は、そんな感じだった。
三年で成長が見える、逆に言えばそれ以前までは成長が止まっていたような、勝手な妄想と印象だが。しかし、一つだけ例外がある。
私、平夜結のことだけは、自身の思慮を隠すことなく見せている。だから、本当の彼の姿は私以外に見せていないように思えた。酔った考えだ。少し、思考の与太が過ぎたか。
「一通りの状況はわかったわ。そして、私に何をしろと?」
「結には一先ずは偵察に行ってもらう。偵察なら僕にも勤まると思ったんだけど、彩夏さんから無理はやめろと言われてね。僕はまあ結局足手まといというわけさ」
明月家の血縁関係を知らない私だが、明月の家でも今日間が落ちぶれている扱いのことは薄々感づいている。そうでもなければ、こんな事務所に入らないだろう。
さて、話は変わるが私は偵察とやらをしなくてはならないらしい。今夜の仕事は決まりだ。昼間から仕事をすることは滅多にない。夜の方がメリットが多いからだ。まず視認性が悪くなると、そのぶん動きやすくなる。私は視覚が優れているので、視認性の悪さを受けずに済む。普通に人通りが少ないことについてもやりやすい。
「ねえ。結は守る側と守られる側、どっちにいたい?」
今日間が突拍子のないことを言い出した。
だから、その解を冷たく吐いた。
「どちらにもいない。私は独りで十分よ」
と。ある意味、自分を守るという意味では守る側なのかもしれない、と少し考えてみた。
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