第22話 アラサー女子、料理を振る舞う その2


 扉をくぐって入店する。


 陽の光を取り込んだ店内はとても明るく、窓が開け放たれていることもあって、心地の良い開放感を放っていた。


 アスファルトに囲まれた都会では、滅多にお目にかかれない空間を前にヒナタが「うわぁ」と感嘆の声を漏らす。


 そのタイミングで店舗左側のカウンターから白いコックコートを着こなす女性が出てきた。

 彼女はヒナタの正面に立ち、西洋の料理人っぽくお辞儀した。


「ようこそ、ヒナタ様。ジビエ料理店、レッドフェニックスへ!」


 快活な表情を全面に押し出すアラサー女子。店長の翔子だ。


「あ、店長さん! あのときは助けていただき、本当にありがとうございましたっ」


 彼女の姿を見るなり、ヒナタが深々と頭を下げた。 


「いやいや、あれくらいわたしにかかれば朝飯前よ!」


 アッハッハ! と高笑った店長。

 あっという間にメッキを剥がれる。その着飾らなさがヒナタの顔を少しだけ笑顔にした。


「もうちょっと演技してもよかったんじゃないかしらね」「姉御には難しいだろうさ」


 やれやれと肩を竦める店員ふたり。

 翔子は「あら? 顔見知りなんだから硬すぎても萎縮しちゃうでしょ。ねー、ヒナタちゃん」と少女に問う。


「そ、そうですね」

「あれ。メガネかけてる? この前はかけてなかったよね?」

「あぁ。これは変装用です。……ちょっとだけ顔が知られているので」


 メガネを外していそいそとサコシュにしまう。


「ふーん。そっか」


 深く追求せず、アラサー店長は彼女をテーブルまで案内した。

 大窓からオーシャンビューならぬレイクビューが一望できる特等席だ。風は吹いていないが、そのぶん穏やかな湖面を眺められる。

 席についたヒナタが疑問を口にする。


「あの。ここってモンスター、出ないんですか?」

「この店の周辺には強力な結界が貼られているからモンスターは入ってこれないの。それにもしなにかあれば私たちで対処するから。心配しないでね」

「はい」


 返事したヒナタが窓の外に目をやり、空と湖面を交互に見やって「外の写真、撮ってもいいですか?」と質問した。


「もちろんよ」


 翔子が答えると、ヒナタはスマホを出してパシャパシャと写真を撮る。


「メニューはこちらにお任せということで、今回はジビエ料理のフルコースを用意させてもらったわ。さっそく準備するけど、よろしいかしら?」

「はい。お願いします」

「飲み物はどうする? そっちは表のジュースとかになっちゃうけど」

「あぁ。水で大丈夫です」

「わかったわ。シルヴィア。お水、よろしく」


 ヒナタの要望を聞いた翔子はカウンターの中に戻っていった。

 指示を受けたシルヴィアが手を洗ってから、おしぼりとグラスに入った水をお盆に乗せてテーブルに運び、そっと置いた。

 渡されたおしぼりで手を拭いて水を一口飲む。飲みやすくもキレのある水だった。


「美味しい。これは深層のお水ですか?」

「いえ、アガルタから持ってきたものです。もっといえばエルフの里で汲んだ魔素が染み込んだ水ですね。浄化処理を施しているので、体調不良を起こすことはありません」

「エルフの里⁉ ……すごいなぁ」


 この時代の授業では、世界史の中にアガルタの歴史も盛り込まれており、生徒たちはアガルタについても授業で習う。

 エルフの里は魔法使いの聖地に数えられている。魔法使いのヒナタにとっては憧れの土地だ。


「お気に召していただけたようでよかった。おかわりはありますので、いつでも言ってくださいね」

「ありがとうございます」


 水を飲みながら、また外の景色に目をやる。これほどの景色、高級リゾート地にも引けを取らない。

 いや、他に建物がなく喧騒も聞こえないぶん、さらに貴重かもしれない。ヒナタは窓の奥に広がる風景に釘付けとなっていた。

 五分後、シルヴィアが一品目を運んでくる。縁が広く、底の凹んだ白い皿に盛り付けられた薄黄色の液体。


「こちらは『ダンジョンコーンの冷製スープ』になります」

「えっ、冷製スープ? ここってフレンチとかイタリアンなんですか?」


 一応、メニューを確認したが、冷製スープなんて存在していなかった。ヒナタが目を点にする。


「特にそういう括りはありませんけど、今回は特別ということで」


 シルヴィアがほくそ笑んだ。


「店長いわく、今日のコンセプトは『イタリアンっぽいコース料理』だそうです。ヒナタさんは洋食お好きでしょ。配信チャンネルのプロフィールに書いてあったので、参考にさせていただきました」

「そうだったんですか。すみません。お気を使わせて」

「いえいえ。さて――」


 コホンコホンと咳払いしてからシルヴィアが料理の説明を始めた。


「こちらのお料理ですが、その名前の通りダンジョンコーンが使われております」

「ダンジョンコーン。たまにダンジョンの森に生えているとうもろこしですか?」


 ダンジョンの森に群生しているやや小ぶりなとうもろこし。それがダンジョンコーンである。

 正確に言えばコーンに近い穀物であり、本物のコーンではない。

 黄色い粒と白黒した粒が半々の割合で混在しているため、正式名称は『ダンジョンテオシント』となっているが、面倒なので皆、ダンジョンコーンまたは迷宮とうもろこしと呼ぶ。


「はい。地球の物に比べると色合いが悪く、甘みも少ないと言われていますが、それは成長の過程で蓄える魔素の性質に影響されるからです。

 今回使用するダンジョンコーンはここ隠しエリアで採れた物のみを使っております。発色がよく、癖のない良質な魔素を含んだ味は地球の方も気に入ってくださると思います。どうぞ、お確かめを」

「わ、わかりました」


 丁寧な説明を受け、期待感を膨らませたヒナタがスプーンでスープをすくって、口へ運ぶ。

 液体が舌に乗った瞬間、スッと甘みが立ち上り、鼻孔をくすぐってから数秒で雪のように消えていく。

 口当たりもよく、食道を液体が通るときも滑らか。

 あぁ。ヒナタが小さくつぶやいてから。


「甘くて滑らかで――美味しい」


 スープ類はいつも冷凍食品で済ませる。

 どのメーカーも味が濃くて美味しいのだが、口の中に味が残りがちで食べているうちにクドさを感じることがあった。しかし、このスープにはそれがない。

 食べて数秒で波が引くように旨味が薄れ、次を運んだときも一口目と大差ない感動を得られる。


「味がしっかりしてるのに。クドくない」


 冷凍食品もそうだが、現代の食品は化学調味料が多く入っており、味が単一的になりやすいという特徴がある。翔子の出すものにはそれがない。

 おそらく、そういった類の物が入っていないのだろう。手の込んだ料理を提供する高級料理店のようだ。


 ヒナタは無言でスープをすくっては運ぶを繰り返した。

 冷凍食品ではこの味は出せない、そう思いつつスープを飲んでいると、いつのまにか液体がなくなっていた。


「あっ。もうなくなっちゃった……」


 コース料理は一品の量が少なく、大食漢でなくても簡単に平らげることができる。


「次をお持ちします。少々お待ちを」


 シルヴィアは皿を持って厨房に下がっていった。カリーナは厨房内で翔子の手伝いをやっているようで、外には出てこない。

 暇な時間は外の景色を眺めていればよい。ヒナタは頬杖をつきながら湖を見つめる。


「綺麗だなぁ」


 ホッと息を吐く。こんなに落ちついた時間はなかった。無意識にため息が出てくる。

 約十分後。シルヴィアが料理を持ってきた。

 香ばしい麦の匂いのするふっくらとした料理だ。


「こちらは『ダンジョンイモのフォカッチャ』です。オリーブオイルに浸してお召し上がりください」


 テーブルに四つに切り分けられた小ぶりなフォカッチャだった。

 こちらもダンジョンに群生しているイモを使った物だ。


「パン。焼き立て……」


 焼き立てのパンなど何年ぶりだろうか。

 確か体調を崩す前の母親と一緒にベーカリーに行ったとき以来だ。

 過去を想起しながらもヒナタは、一緒についてきた香草入りのオリーブオイルにパンを浸していただく。


「あ、美味しい!」


 焼き立てホカホカに加えてほどよい塩味にもちもちとした食感、それに苦みの少ないまろやかなオリーブオイル。

 すべてが絶妙に調和していた。


「こちらのイモもコーン同様、この階層で採れたものです。クセが少なく、地球の方にも食べやすいかと思われます」

「はい。確かにイモの味がします。あと、このオイルも美味しいです。これもダンジョンで採れた物を?」


 パンもおいしいが、オリーブオイルが絶品だった。

 少女の質問にシルヴィアが答える。


「そちらのソースはオリーブオイルと香草を混ぜて作った物になります。オイルにはイタリア産の種の入っていない品物を使用しており、香草も地球産の物を使っております」

「そうなんだ。オイルって今、高いのに……」


 気象の変化により、オイルの不作が続く昨今。これほど良質なオリーブオイルは相当、値が張るだろう。

 それを知るヒナタは申し訳なさを覚えた。


「店長の計らいですから」


 小さくウィンクしたエルフが一言だけ述べて口を閉じる。表情からは気にするなという意図が読み取れる。


 ヒナタはこくんと頷き、パンを食べた。

 米よりパン派な彼女にとって焼き立てのパンはテンションが上がった。

 冷凍や宅配ではここまで熱々モチモチとはいかない。出来立てならではの特権だ。そのおかげかあっという間に完食した。


 食器を下げ、シルヴィアが厨房に戻る。

 ひとりになれば、今度はその景観が少女の心を和ませる。いつもなら食事時、スマホを握って暇を潰していたのだが、今はそんなことはない。

 ただボーとしていた。


 そうしていると三品目がテーブルに到着する。

 角切りになったナスとトマトが和えられた料理だった。


「三品目は『ダンジョンナスの冷製カポナータ』です」

「カポ、ナータ……?」


 聞き慣れない言葉に首を傾げるヒナタ。シルヴィアが説明する。


「店長が言うには夏野菜を使ったイタリアの料理みたいですね。今回は油で揚げたダンジョンナスを地球のトマトと玉ねぎに合わせた一品のようです。程よく酸味を効かせているそうですよ」

「そうなんですか。じゃあ、さっそく」


 ヒナタは角切りにされた野菜たちを刺して食べる。


「すっきりした味」


 ナスもトマトもそこまで珍しい食材ではないが、少量の酸が入ることで引き締まった味になっている。

 冷製であることも相まって、夏にピッタリの前菜だ。


「酸味があって美味しいです」


 ヒナタはあまり時間をかけずにカポナータを食べ終えた。食は細いほうだと自負があったが、美味しい物を口に含んでしまうと、食欲が止まらなくなる。

 不思議と恥じるような感情は沸いてこなかった。期待感が勝っていたからだ。

 シルヴィアが食器を下げて戻っていく。

 その後ろ姿を見送ったヒナタは水を含んでからホッと息をついた。


(あのひと、料理上手なんだなぁ)


 カウンターの向こうでテキパキと動きをこなす翔子を眺めつつ、内心で吐露する。キングベヒモスに続き魔龍を倒したと聞いたときは「戦いの化身」かなにかだと考えていた。

 もしくは「異世界の英雄」のような存在で戦いに特化したスペシャリストなのだと勝手ながら想像していた。

 そのため、これほど料理に精通していたとは夢にも思わなかった。ひとは見かけによらないものだ。

 十分ほど経つと四品目が運ばれてくる。パスタ料理だ。

 加工肉、緑色の細切り野菜やキノコらの具材が赤いソースをまとい、上から粉チーズがふんだんに振りかけられている。

 そう。これは日本人なら誰でも知っているあの料理だ。


「こちらは『カリュドーンのソーセージとダンジョンキノコのナポリタン』になります。自家製ケチャップをふんだんに使ったパスタ料理となります。

 正式にはイタリア料理ではないそうなのですが、ヒナタさんは以前、配信でナポリタンがお好きだと語っていたと記事で目にしましたので。お出しさせていただきました」

「あ、そうなんですか――ってカリュドーン⁉ あの猪ですか⁉」


 ヒナタが驚いたように尋ねた。


「はい。よく上層でも見かけるあの猪です。凶暴ですが味は悪くなく、アガルタでも親しまれている食肉です。

 ただ、ダンジョンで出てくる個体は味がよろしくない傾向にあるので、地球の方々にとってはあまり印象がよくないですよね」

「ええっと。……まぁ」


 申し訳無さそうにヒナタは答える。


 正直なところ、ダンジョンのモンスターはあまり味がよくない。


 十分、食べられる味なのだが、どこか癖があって敬遠されがちだ。豚や牛、鶏など優秀な家畜の充実した日本においてはどこまでいってもの位置づけであって、マイナーな食品――いや、はっきりいって『ゲテモノ食材』の扱いを受けている。


 ジビエ料理店であることは重々承知していたが、いざ目の前にすると身構えてしまうものだ。


「ですが、このカリュドーンはこのエリアで捕れた個体。私もいただきましたが、脂が乗っていて美味でしたよ。どうぞ、騙されたと思って」


 シルヴィアが、手を差し出して食べるように促した。


「は、はい。わかりました……」


 今までの三品が普通すぎて薄れていたが、ここはジビエ料理店。モンスターの食材を使った料理が本命なのだ。

 それを思い出した途端、彼女の顔から笑顔が消えていく。けれど、あの店長が作ったのだ。味は大丈夫だろう。

 ヒナタは改めて料理に目を落とす。


(どこをどう見てもナポリタンだ)


 薄い赤色のソースをまとったパスタの上にジビエのソーセージを始めとした具材が乗っており、粉チーズがかかっている。

 全体的に高く盛られているが、料理は成人男性の二口から三口ぶんだ。コース料理っぽさがある。


 ナポリタンは日本発祥の創作パスタであり、本家イタリアには存在しない料理だ。当然、イタリアのコース料理で出てくることはほぼない。

 今回はコースは「イタリア風コース料理」なので問題はないが、ひとによっては難色を示すだろう。

 いつまでも足踏みしていられない。


 意を決し、フォークに手に取ったヒナタはパスタをクルクルと巻き付けて口元に運び、音を立てずにいただく。

 直後、ケチャップの煮詰まった濃厚な味と具材たちのハーモニーが旨味の大爆発を起こす。


「んー、美味しいっ!」


 ヒナタは続けた。


「このお肉、ジューシーですね。地球と遜色ないというか」


 カリュドーンの肉は油が乗っていて、食べやすかった。

 よく噛むと、ときおりふっと獣の匂いが香るが、気になるほどではない。むしろ個性になっている。


「とあるアガルタの美食家が言うには、良質な魔力が通った餌を食べるとその肉も美味しくなるそうです」

「そうなんですか」


 ヒナタが続けた。


「ダンジョンキノコって聞きましたけど、どんなキノコなんですか?」

「小ぶりなキノコですよ。現物をお見せしますね」


 ヒナタの食いつきを見たシルヴィアが冷蔵庫からキノコを取り出し、小皿に乗せてテーブルの端っこに置いた。


「あー、ブラウンマッシュルームみたい」

「地球ではそのような名前なんですね。このキノコはアガルタにも生えていまして、皆料理に使うんですよ」

「へー。そうなんですか」


 関心したように頷いて、またパスタを口に含む。

 ナポリタンは麺を焼き付けるように調理をするので、焼きそばのイメージに近い。パスタを使っているが、あえてボイルオーバーさせてモチモチ感を出すという技法もある。

 ヒナタが食べているパスタも冷凍食品よりモチッとしており、噛んだときの食感も独特だ。

 ケチャップも自家製を使っているため、尖った酸味はなく、むしろ甘みが目立つ。ソーセージの旨味、玉ねぎの甘み、ピーマンの苦みも味を引き締めるポイントだ。


 以前タケルたちに連れていかれた有名喫茶店のナポリタンが一番だと思っていたが、このナポリタンはそれをやすやすと越えていった。

 彼女がナポリタンを完食すると、空になった皿をお盆に乗せたシルヴィアが「次はメインのお肉料理になります」と伝えて下がっていった。


「今のがメインじゃないんだ」


 まだまだ腹にも余裕がある。もう二品くらいならいけるだろう。そのように判断を下してから水で口を潤した。

 待っている間、ヒナタは厨房に目を向ける。

 翔子はコンロでフライパンを動かし、カリーナは皿と盛り付けを準備していた。シルヴィアもメモを読みながら料理の説明文を暗唱している。


 厨房は戦場である、と言われるようにその作業は過酷だ。

 したがって彼女らの表情は真剣そのもの。


(カッコいいなぁ)


 三人の中でもテキパキと作業をこなす店長の姿に少女の目が惹きつけられていた。ジュウっと肉が焼ける音がして、香ばしい肉の匂いがヒナタの下にも届く。


「あ、いい匂い」


 思わず声が出る。香ってくる匂いに不快感はない。

 気になった少女は軽く背を伸ばして、厨房を覗こうとするも手元までは見えない。それが彼女の期待感を膨らませた。


 少ししてシルヴィアがメインディッシュを運んでくる。

 底の浅い白皿に断面が見えるように並べられた二切れの肉。そう、これは――。


「お待たせいたしました。店長イチオシ『キングベヒモスのヒレステーキ』となります」

「キングベヒモス⁉ これがですか⁉」


 あの凶暴無比の怪物が美しい料理となって目の前に現れる。

 ヒナタは目をギョッとさせながら料理に目を落とす。


 皿に盛られた肉は見事なロゼ色で、火もしっかり通っている。まかないで好評だった赤ワインのソースがかけられ、黄色いソースも追加されている。

 付け合せの野菜もダンジョンで採れた葉物野菜が添えられており、料理に華を添える。


「うわぁ。美味しそう――」


 口元を抑えて目を輝かせる少女。

 ナポリタンの感動を視覚だけで吹き飛ばす王者のヒレ肉。やはり肉料理はすごい。

 シルヴィアが笑いながら付け加える。


「使われているこのヒレは地球で言うところのの部位に相当します」

「ふぇぇえ、シャトーブリアン⁉ とっても希少な部位じゃないですか⁉」

「そうですね。ですが、キングベヒモスは大型のモンスターですので、一体から大量に捕れます。ご安心を」

「は、はぁ……」


 困惑するヒナタ。

 シャトーブリアンと聞けば誰しもが同様の態度を取るだろう。


「ソースは、コクのある赤ワインソースと自家製マスタードソースです。どうぞ」

「は、はいっ!」


 シャトーブリアンなんて初めてだ。

 緊張する両手でフォークとナイフを握って持ち上げる。

 微かに震える手で、フォークを肉に突き立て、食べやすい大きさになるよう、ナイフを入れる。

 驚くほどさっくり切れた。


「柔らかい」


 食べる前から肉の上質さがわかる。

 息を飲みつつ、ヒナタは肉を口まで運び。そのまま咀嚼する。


「――ッ!!」


 ヒナタの顔に衝撃が走った。


「美味しい!! え、すごいッ――」


 もはや説明不要。柔らかくて旨い。二種類のソースも想定通りの働きをしている。少しの過不足もない。完成された一品だった。


「こんな美味しいお肉、初めて……」


 飲食店のレベルも年々上がっており、上質な肉料理を出す店舗も増えた。

 ヒナタも何回か配信で食レポを行ったことがある。配信許可を出す高級店で提供された肉料理の味はピカイチだった。

 しかしこの肉の旨さはそれを遥か凌駕していた。


「お気に召しましたか?」

「はい!」


 元気に返事をして肉を切り分ける少女。その顔は笑顔そのものだ。

 シルヴィアは邪魔にならないように数歩下がって、彼女が食べ終わるまで無言を貫く。

 少女がヒレ肉を食べ終わるまでそう時間はかからなかった。


「次はデザートになります。お飲み物をお出ししますが、コーヒーでよろしいでしょうか?」

「お願いします」

「かしこまりました」


 下げられていく皿を名残惜しそうに見送り、ヒナタは一息ついた。そして、裏向きで伏せられたスマホを目にして。


「あっ。写真撮ればよかった――」


 配信をしないにしても写真に収めておけば、いずれ活用できたはず。

 けれど、そんなことはもうどうでもいい。舌が満足しているからだ。外に広がる景色もずっと眺めていられる。

 彼女は地平線に意識を投げつつ、デザートが運ばれるのを待った。


 少ししてシルヴィアが厨房の外に出てくる。

 こげ茶色の粉がかかった黄色いクリーム、間に挟まれる黒い液体が浸ったスポンジ。これはイタリアの代表的ドルチェのだろう。


「こちらは『コカトリスの卵を使ったティラミス』となります」

「コカトリスですか。あの出会い頭に石化させてくるっていう――」


 恐る恐るヒナタが訊く。シルヴィアが頷いた。


「はい。そのコカトリスです。かなり危険な相手ですが、その肉は美味とされ、肝臓類は秘薬等に使われます。

 羽毛にも石化を含む状態異常への耐性があり、爪やくちばしも武具に使われ、骨も漢方薬に重宝されるなど活用に困る部位はありません。

 中でも卵は味が濃く、長寿の品としてアガルタの王族にも献上品として選ばれるほどです」


 コカトリスは黒い羽毛に覆われた大きな鳥型のモンスターだ。

 体内に石化の猛毒を生成する器官を持っており、それを目や口から放射して敵を獲物を捕食する。

 その容姿は黒柏鶏によく似ており、地球の冒険者からも『黒い鶏』と呼ばれている。


 コカトリスの体はそのすべてになにかしらの使い道が存在していて需要がある。しかし、性格は凶暴かつ排他的で、縄張りを荒らす者に容赦しない。

 毒に対する装備を整えてからではないとまともに勝負にならず、熟練冒険者であっても無策では絶対に挑まないとされる。

 もっとも、そんな凶暴なモンスターもここの店長の相手ではないのだが。


「今回はその卵を使ってティラミスをお作りいたしました。当店自慢のスイーツです」

「ご説明ありがとうございます。いただきます」


 解説を聞き終わり、ヒナタはティラミスを口に運ぶ。

 濃厚な卵黄が絡まった艶のあるクリームソースを上質なコーヒーが染みたフィンガービスケットが上手に包み込み、口の中で料理を完成させる。


「んー。美味しい〜♪」


 思わず言葉が口を衝いて出る。スイーツ嫌いの女子が少数派であるようにヒナタも甘いお菓子を好物としている。

 さらに生クリームが惜しげもなく使用され、その濃厚っぷりに拍車がかかっている。その味は専門店にも引けを取らない。

 まさにティラミスクラシコ私を天国に連れて行って。その名に恥じない旨さだった。


「ごちそう様でした」


 ヒナタがシルヴィアに小さく頭を下げた。彼女の小顔は笑顔に満ちている。

 入店直後とは大違いだ。そこに帽子を外した翔子がやってきた。


「ヒナタちゃん、お料理どうだった?」

「びっくりするほど美味しかったです。全部、店長さんが作ったんですよね⁉」

「そうよ。すべてわたしが作りました」

「すごーい」

「あははっ。このくらい朝飯前よ!」


 へっへーん。過去イチのドヤ顔を披露して、アラサー女子はヒナタと向かい合うよう席につく。

 そしてニヤついた笑みを元に戻し――。


「その。少し――お話ししない?」


 静かに尋ねた。

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