第18話 アラサー女子、魔龍と戦う その2


 噴出した火柱の勢いが徐々弱まって終息に向かう。

 辺り一面は焼け野原となり、大地を這うモンスターたちは物言わぬ亡骸と成り果てていた。

 残るは空を飛べる複数のグリフォンとリンドブルムたち、それに魔龍のみとなった。


「グゥ、なんということかッ」


 歯噛みする魔龍。それもそうだ。あれほどの軍勢が一分と経たずに壊滅したのだから。精神的ダメージを受けないほうがどうかしている。

 また驚愕すべき点は他にもあった。


「魔力で作ったのか。これほどの業火を……」


 炎というよりは灼熱のマグマ、いや紅炎と言うべきか。それをたった一瞬で作ってしまうのだ。魔族から視点でも常軌を逸している。


「あ、あの女は⁉」


 死んでいるはずがない。正気を取り戻した魔龍が視線を落とし、翔子が立っていたところに焦点をあてる。当然、ドレスの女が立っている。

 しかし様子が変だ。


「……髪が紅い光を放っている?」


 薄紅色だった髪の毛が真っ赤に燃えるように発光している。さらによく目を凝らすと。


「瞳の色も紅く変わっている、だと――」


 紅いドレスに紅く発光する髪に青色から緋色に変化した双眸、そして彼女の周囲を舞っている羽根のような形をした魔力の残片。

 ここまでの特徴があれば、誰であれその正体に勘づく。

 魔族は口を開けて大声で叫んだ。


「まさか――か!!」

「あら。ようやく気づいた?」


 翔子が肯定した。


「貴様ァァ。どうしてダンジョンに⁉⁉」

「わたしがどこにいようと勝手じゃない」


 それもそうだ。


「ヌゥゥウウ……魔族殺しめェェエ。ここ数年、表舞台に姿を現してないと聞いていたが、よもやダンジョンに潜伏していたとは――なんと狡猾な女だ!」

「狡猾? ――ってそれ、アンタが言えた義理?」

「ググッ……」


 冷たく言い返され、魔龍が押し黙る。人質を取ろうとしてモンスターを操り、失敗すれば自身は空を飛び、配下をけしかける。よいところがひとつも見当たらない、絵に描いたような小物。

 だがいかに口論で負けようとも関係ない。ズラせばよいのだ、論点を。


「フフッ。確かに貴様は強い、化け物だ! しかしなぁ。空を飛べるのか?」

「空?」

「そうだ! いかに強かろうと飛翔できなれば我にダメージを与えることは難しいはずだ」

「そりゃ、そうよね。だから?」


 再度訊き返す。魔龍は自信たっぷりに言った。


「上空から攻撃し続ければよい!」


 さらに上昇し、相手が跳躍しても攻撃が届かない位置に移動してから魔龍が両手を突き出す。


「なぶり殺しにしてくれるわ!」

「はいはい。そうですか」


 投げやりに相槌を打った翔子が跳躍した。その速度はすさまじく、数秒で魔龍よりも上空に到達する。


「なんだとッ!!」


 見上げる立場となり、顔を上げた魔龍が腕を構え直して狙いを定め、


「喰らえ!!」


 手のひらから彼女に向けて高威力の黒いエネルギー弾を放つ。


「ハッハッ、さすがに空中で軌道は変えられまい」


 と思った矢先。翔子は右手のひらで炎を噴射、その反動で体を左側に大きくずらし、攻撃をいとも簡単に躱した。

 それだけにとどまらず、空中で数度側転してから体勢を整え、空中でピタリと制止する。

 落ちる気配はない。つまりは。


「浮遊⁉ 貴様、空を飛べるのか……?」

「そうだけど。――この程度、相応の魔力と制御力があれば、どうにでもなるじゃない」

「あ……」


 自身と同じ技術を使えば、浮遊などわけない。これほどの猛者ができないと考えるほうが間違いである。しかし魔龍は納得がいかない。


「ならば、なぜあのとき、空を飛ばなかった! 我は空中に逃れたのだぞ!」


 初交戦時、勝ち目がないと悟った魔龍は空へ逃げた。飛行能力を持つなら空を飛んで追撃できたはず。けれどアラサー女は追ってこなかった。

 さらに99階層で様子を窺っていたときも大ジャンプこそあれど、飛行するような光景は見られなかった。

 こうした理由から魔龍が翔子が空を飛べないと考えていたのだ。


「別に空を飛んで、追いかける必要性を感じなかったし」


 実際、面倒なだけだった。


「我は魔族ぞ! アガルタの民なら常識のはず!」

「黒いドラゴンなんてどこにでもいるじゃない。ほら。そこのドラゴンも黒色でしょ?」


 近くを飛んでいる黒いリンドブルムを指さして言う。魔龍が額に青筋を作った。


「そこのドラゴンと変わらんだとォォオ。この魔力量を以てしてもか!」


 魔龍が体中に力を込める。刹那、魔力が周囲に拡散、重い衝撃が大気を切り裂く。


「ギャアアア!!」


 取り巻きのモンスターたちが魔力の奔流に貫かれ、血反吐を吐いて白目を剥きながら地表へと落ちていく。キングベヒモスなどは赤子のようなもの。絶対的な力だった。


「どうだ⁉⁉」

「うん」


 魔龍が発する魔力を肌で受けた翔子は、顎に手をやりながら答えた。


「すごいほうだとは思うけど。――それがどうしたのって感じ」

「💢💢💢」


 真顔で言ってのけるアラサー。魔龍の怒りが限界を越えた。


「ヌォォオオオ!! 許さん、許さんゾォォオ!!」


 激昂した魔龍が両手からを黒い魔力の塊を連射した。


「カァァアア!!」


 闇の魔力が凝縮された圧縮弾が翔子めがけて高速で飛んでいく。


 一発一発の威力が地球人の作る巡航ミサイルに相当し、生身の人間が一発でも受けたら防御に長けた熟練冒険者でも大ダメージを負う。それが秒間で何十発も放出されるのだ。恐怖でしかない。


 しかし相手はあのアラサー女子。


「連射なんて芸が無いわね」


 軽口を叩いた翔子が、片手から魔力そのものを噴射して真横に高速移動する。圧縮弾に追尾機能はなく、虚しく空を切り続けた。


「チッ!!」


 舌打ちした魔龍が翼を大きく上下させて相手を追走し、先に移動した翔子との距離を詰めていく。純粋な飛翔速度は魔龍も負けてはいない。


「空戦で我に勝てると思うな!!」

「へぇ」


 ようやく翔子に勝るかもしれない部分を見つけ、滾る魔龍。そのまま彼女の後方をキープして、今度は頭の角から雷撃を放つ。

 翔子はそれを体を捻って回避。魔龍に視線を飛ばして手のひらをかざす。

 射線を読んだ魔龍は翼を器用に使って体をずらすと同時に出の早い遠距離攻撃を叩き込む。

 彼女は攻撃を断念し、斜め後方に飛び退った。足元を黒い弾が駆け抜ける。その軌跡を翔子は黙って眺めていた。

 魔龍がほくそ笑む。


「クックック。これならば」


 このまま遠距離攻撃で撹乱し続ければ必ず隙ができる。そこをついて大技を放つ。そのような目論みを立て、魔龍は距離を保ちながら雷撃や圧縮弾を交互に織り交ぜて攻撃をしかける。

 教科書通りの戦法。意外と強か。


 アルトたちを相手に魔王様プレイをしていた存在とは到底思えない、切り替えの速さ。人種と同等の知能を持つ魔族ならではだろう。


 翔子はそれら一つひとつを目で追って、ギリギリのところで避ける。一連の動きを何度か繰り返したところで彼女がため息をついた。


「意外とみみっちいのね。その有り余ってる魔力を使ってさ、もっとデッカイの放り込んでくればいいのに」

「フッ。その手には乗らんぞ」

「?」


 首を傾げるアラサー女。


「とぼけるでない」


 魔龍が続ける。


「貴様は空中では我より早く移動できん。だから大技を誘って、こちらの隙を突こうと考えているのだろう? 見え見えだぞ!」


 ババン、と指摘する魔龍。翔子がしかめっ面を作って反論した。


「それはアンタのほうじゃない? 細かい攻撃で隙を作って大技を撃とうって考えてんでしょ。教科書通りよね。誰かに習ったの?」

「口数の減らん女だな。どんなにうるさかろうと空中にいる限り、我の有利は変わらんよ!」


 翼を持って生まれたぶん、空中戦においては一日の長がある。翼を持たぬ者に負ける道理はない。

 話を聞いた翔子の口角がスッと持ち上がる。


「本当にそうかしら? 実はわたしのほうが速いかもよ?」

「――ハッタリだな。もしそうなら、我の攻撃を掻い潜って反撃するはず。出来ていないのが、なによりの証拠! ハハッ、どうだ図星だろう!」

「あぁ。それね」


 翔子が納得したように笑ってから続けた。


「アンタをって考えてたのよ」

「……ナヌゥ⁉」


 魔龍は目を丸くして間の抜けた声を上げた。


「人間にとってはね、ダンジョンってのは貴重な資源。むやみやたらに壊すべきじゃないの」

「いやいや。すでに遺跡が焼け野原になっているではないか⁉ 下を見ろ、下を!」


 真下に広がる紅蓮地獄の焼け跡を指さして、魔龍が声を荒げる。


 確かに辺り一面真っ黒で、太古の息吹を感じる柱はもちろん雑草ひとつ残っていない。地面をキャンパスにして黒い絵の具でも塗りたくったのか、と言わんばかりの惨状だ。


 あー。頬を指でポリポリと掻きながら翔子が言い訳する。


「ここの遺跡は大丈夫よ。貴重な植物とかキノコとか生えてなかったから」

「植物? キノコォォオ⁉ ――なぜ、キノコなのだ!」


 一歩譲って植物ならまだわかる。月の輝きを映す花や虹色に輝く花などは希少価値が高く、高値で取引されるからだ。

 しかしそのような価値を持つキノコは少なくともこのダンジョンには存在しない。魔族が疑問を呈するのも頷ける。

 翔子はあっけらかんとして語った。


「えっ、だって。料理に使えるから」

「……ハァ?」


 もはや理解の範囲を越えている。魔龍の思考が停止しかけるが、すぐにハッとして。


「わ、わかったぞ! こちらの気を散らす作戦だな! こざかしいぞ、レッドフェザー! その程度の策で我がやられるとでも――」

「んじゃ、体で教えてあげる」


 相手のペースに付き合いきれなくなったアラサー女子は、体を前のめりにした。予備動作を読み取って、魔龍が翼をはためかせようとする。次の瞬間――。


「――遅い」


 まるで瞬間移動したかのように翔子は相手の懐に潜り込んでいた。


「ッ――!!」


 声がした方向に慌てて魔龍が視界を下げようとしたとき、すで彼女は攻撃モーションを入っており。


「チェストォ!」


 気合の入った掛け声とともに畳んだ右腕から鋭いボディブローがバキバキマッチョな腹筋に叩き込まれる。

 鱗を越え、皮膚を越え、脂肪を越え、筋繊維を越え、内臓を越え、背骨を越えて――衝撃が体外に飛び出る。


「ガハァアッ!」


 目ん玉が飛び出るほどの破壊力。下腹部が小便小僧しそうだ。まだ胴体に穴は空いてない。変わりに体が見事なくの字に折れ曲がる。

 もちろんこれで終わりではない。


 一発入れた彼女は、腹筋から左太ももに移動、そこを足場として肩まで跳び上がり、再度ジャンプして体をひねって真横に傾けた。

 クルクルと横回転してながら、やがて魔龍の視界を飛び越えて――。


「チェェストォォ!!」


 回転によって思いっきり反動をつけた芸術的ゲンコツが脳天にお見舞いされる。バゴォォン、という怪音が鳴り響いた。


「グゥァァアアッッ!!」


 魔龍は高速で落下していき、衝突とともに黒い大地を割りながら大きな穴を穿った。


「ツァァアアッ……」


 腹と頭から今まで感じたことのない激痛が全身を駆け巡り、意識が飛びかける。


(早く起き上がって距離を――)


 心で声を発した。でなければ死ぬ。必死だった。ものすごく必死だった。朦朧とする意識の中、藁を掴む思いで隆起した岩に手を伸ばす。

 だがしかし。まだまだ終わりではない!!

 天よりアラサー女子が怒涛の勢いで突っ込んでくる!!!


「チェチェチェストォォォ!!!」


 それは、両脚をピッタリとくっつけたとても綺麗なドロップキックだった。あえて例えるならば、超絶ド級の人間バンカーバスター!!!


 天変地異を想起させる即死級の一撃が魔龍の腹部を捉え、深層の大地にかつてないほどの砂埃を立ち上らせて激しく揺り動かす。


「サァッ――三段、活用ォォォオオオ!!!⁉⁉⁉」


 意味不明な絶叫を上げ、魔龍は地面の奥底へと埋まって行った。

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