第15話 深層の黒き魔龍 その1


 前髪たちがキングベヒモスと交戦する一方で、隠しエリアの料理店では。


「わたしってホント、天才よねぇぇぇ〜。ヒックッ!」

「かもしんねーな! ウップッ――」


 酔っ払い二組が出来上がっていた。


「もー。ふたりとも、飲み過ぎ」


 万が一「前髪」がここに訪れたときのことを考慮し、シルヴィアだけは酒を控えめに飲んでいた。それでも常人レベルでは飲み過ぎなくらいで、すでに頭が痛くなっていたのだが。


「うー、カリーナもぉ、可愛いから天才よ!」

「あぁん⁉⁉ オレぁ、生まれたときから戦いの天才だぞぉ、姉御!!」

「おーおー♪ おねーちゃんもそぉ思うぞぉ〜」

「だよなぁぁあ! おい、シルヴィア、オメェはどう思うよ???」

「うん。そう思うわ」


 事務的にシルヴィアが答える。


「だってよ!!」「よかったねぇぇ!!」

「「アハハハハッ!!」」

「酔っ払いって、この世で一番なハッピーなひとたちよね」


 馬鹿笑いする店長と同僚に白けた視線を送って皮肉を語るエルフ。そ

 れから少し騒いだのち、カリーナは欠伸をして椅子にもたれかかり、うたた寝を始める。それを見た翔子が「まったく、最近の若いもんはぁ、なっとらんなぁ」と腕を組んでぼやき、そのまま目を閉じてイビキをかいた。


「ホント、なってないわよねぇ〜。最近の若い子たちは」


 寝落ちした両者を見やって微笑んだ彼女は、立ち上がって控室に向かった。


「えーと。確かこの辺りにブランケットがあったような」


 使われていないロッカーの扉を開けると、荷物が乱雑に詰め込まれていた。

 翔子は料理に関連する物以外は雑に扱うので、備品を探すのも一苦労である。パッと見ではわからず、一旦荷物をすべて床に置いていく。荷物の山を崩していくと未使用のブランケットが見つかった。


「あ。あった。これこれ」


 手に取った毛布の封を開けて品物を確認する。やや薄手だが、一年を通して緩やかな気候の隠しエリアならこれで十分だ。

 シルヴィアが毛布を脇に抱えて戻ろうとした。そのときだ。ふと、ロッカーの一番底に眠っていた段ボールに気を取られた。というのも。


「紅い服? ……なにかしら」


 紅い色をした衣服がはみ出していたからだ。形状からしてスカートの裾だろう。なにか思い当たったようにシルヴィアが、毛布を荷物の山の上に置き、両手で段ボールを開けた。

 出てきたのは成人女性用に仕立てられた真っ赤なドレスだった。他にも白いロングブーツや空色に光るブローチが同梱していた。


「こんなところにあったのね」


 笑みを浮かべた彼女はその段ボールをロッカーから出し、畳んだブランケットをその上に乗せて箱ごと持って行った。

 シルヴィアが戻ると、カリーナは机に突っ伏し、翔子は背にもたれかかったまま鼻提灯を出していた。

 鼻水で泡を作るなど、女子としてはあるまじき行為。さすがのシルヴィアも苦笑を隠せなかった。


「みっともないわねぇ」


 かといって起こすのもどうかと思われる。そっとふたりにブランケットをかけて定位置につく。喋る相手がおらず暇だ。仕方なくエルフの少女はスマホをいじった。

 何気なく動画サイトの急上昇ランキングを見ると、一位に前髪たちの配信が君臨していた。サムネイル下部の説明文にはキングベヒモスと交戦中の表示が出ていた。


「遭遇できたのね。けれど、大丈夫なのかしら」


 前髪の戦闘力は高いが、キングベヒモスも神話級の一歩手前に格付けされている。肉弾戦以外の攻撃手段を持たないため、戦いやすいが強大な敵であることに違いはない。

 老婆心からサムネをクリックすると、案の定苦戦するメンバーの姿があった。


 ――ガァァアアアッ!!

 ――うぐッ、お、重いッッ!


 飛びかかる巨獣が放つ右腕振り回しを盾で防ぎ、弾け飛ぶようにローレンが地面をすべっていく。

 数十メートルほど滑って、なんとかバランスを取り、顔を上げると大きく口を開ける怪物の顔があった。


 ――ッツ――!!!!


 ガードは間に合わない。体の芯から震えが走る。万事休すか――。


 ――させるかよぉぉぉおおお!!

 ――ガウァ⁉⁉


 飛んできたアルトが真横から頬に剣撃を叩き込み、攻撃をそらす。

 バランスを崩したキングベヒモスは着地に失敗して転倒。そのまま朽ちて横になっていた石の柱に突っ込んでいった。

 その間にローレンが体勢を立て直し、盾を構え直す。


 ――助かったぞ、アルト!

 ――リーダーの許可なく死ぬことは許さんぞ!


 仲間を一瞥して一喝するアルト。いつになく真剣な表情をしていた。その勇姿に視聴者のファンたちが湧く。


『アルト、ナイスゥゥゥウウウ!!』

『さすアル!!』

『ファインプレーだ!!』

『今の喰らってたらローレン、危なかったな』

『こういうのがあるから前髪のファンは辞められないぜ!』

『アルト、最高!』

『ローレン、助かってよかった〜〜』


 コメント欄が歓喜に溢れる。仲間たちもふたりに追いつき、ローレンを守るように横並んだ。


 ――アナタがいなくなったら私たちの仕事が増える。

 ――フォッフォッフォッ。そうでありますぞ!

 ――すまんな……。


 遠回しな励ましの言葉をもらい、ヘルムの内側で目頭が熱くなる。しかし、今は泣いている場合ではない。

 ――謝るのはまずアイツを倒してからにしろ。


 アルトが睨む先に巨獣の姿があった。敵は立ち上がってアルトらを憎々しげに見つめている。思い通りに事が運ばないことへの苛立ちが感じられる。


『さすがキングベヒモス、王者の風格があるわ……』

『あれとやり合えてるだけで人間辞めてるわな……』

『アラサー店主が異常なだけ定期』

『だよな。アンチは騒ぎすぎなんだよ💢』

『増やしているのはリーダーだがな😛』

『んだと⁉⁉』


 コメント欄で何度目かわからない喧嘩が始まろうとする中、四人は敵の動きだけを注視していた。グルルゥ、と唸って威嚇するも、戦闘開始時のような迫力はない。

 向こうも疲れている。ならば攻めあるのみ!


 ――突撃!!


 号令を掛け、いの一番に吹っ飛んでいくアルトとそれに追従するローレン。その後ろから銃撃と魔法で援護するルイスとヤーティ。

 普段のおちゃらけた姿からは想像がつかない勇猛な戦いっぷりに視聴者の心が揺れ動いていく。


『てか、リーダーの奮戦にちょっとだけ感動してる俺がいるんだが……』

『普段、尊大な演技で不興を買ってヤツとは思えんよなぁ』

『真面目にやれば、配信界でトップ穫れんじゃね? なんかもったいないよな』

『真面目にやっても人気でなかったから炎上商法に切り替えたんだよ』

『ビッグマウスは元からな気もするけどね。でも実力は本物』


「なるほど」


 配信を視聴しながらシルヴィアが呟く。


「人気取りのためにあんなパフォーマンスをしてたのね」


 どうしてあの男はあんなキャラを演じているのか、イマイチ理解できなかったが、コメントが本当ならば合点がいく。すべては売れるための戦略でしかなかった。むろん、本人の性格もあるだろうが。


 体勢を立て直した前髪は勢いに乗り、それぞれの持ち味を生かした戦闘を展開した。銃とムチを使って相手の行動を阻害するルイス、出の早い魔法攻撃で援護するヤーティ、仲間への攻撃を防ぐローレンに隙を見計らい剣舞を叩き込むアルト。

 その甲斐あって徐々に優勢をもぎ取り、キングベヒモスを後ざりさせるところまできた。

 怪物はいたるところから出血しており、傷の治りが目に見えて遅くなっている。

 急所にデカい一撃を叩き込めば勝てる。確信を得たアルトがヤーティのほうを振り向く。


 ――シャドウチェイサーで足止めしろ。口上はいらん。そのあとは俺が決める!

 ――わかったでござる!


 口上を省いた魔法攻撃は威力、持続ともに低下するが、その分発動までが早い。そのため目的に合わせて使い分けが可能となっている。魔法陣を展開したヤーティがセリフを飛ばしてシャドウチェイサーを放った。

 エルダートロールを縛ったときのように無数の鎖がベヒモスへと襲いかかり、体に巻き付いた。


 ――グォォ⁉


 鎖の太さはトロールを捕縛したときより細いため、十五秒も拘束できればいいほうだろう。魔法が当たったことを確認したアルトが全速力で駆け出す。


 ――我が最終奥義を喰らうがよい!!


 配信映えを重視してか、カッコつけた口調に戻し、そのまま大きく飛び上がる。

 全身の魔力を詰め込み、ネオス・カリバーの刀身が煌めく星空のような神秘的を放つ。


『あれが来るぞ!!』

『奥義きたああああああああ!!』

『これで決めろ!!』

『いけえええ、アルトォォォオオ!!』


 視聴者の声援を背中に受け、アルトが叫ぶ!


 ――超魔導剣技、奥義ビックバン☆セイクリッド――。


 これがラストアタックになる。誰もがそのように想像したとき、巨獣の体を黒い影が覆った。

 もちろん、アルトの仕業ではない。それに加えてなにかが降ってくる。直後、衝撃で地面が激しく揺れ動き、その余波でアルトが後方に吹き飛ばされてしまう。


 ――な、なにが起こった⁉⁉


 空中で体勢を立て直し、地面に足をついたアルトが叫ぶ。

 奥義はまだ決まっていないぞ。不発により終息していく輝きを見つめつつ、視線を戻すと、煙の中になにかがうごめいた。

 姿形はベヒモスではない。では一体……?

 煙がゆっくりと晴れていき、次第に状況が明らかとなる。


 ――ド、ドラゴンだと⁉


 視界に入ったのは、キングベヒモスの背中を踏みつけるドラゴンの姿だった。

 体長は三十メートル前後の大型。どす黒い鱗で全身を包み、コウモリのような大翼にヘビのように靭やかな尻尾、発達した両腕部と長い首。極めつけはトカゲのような顔と側頭部に生えた立派な四本の角。絵に描いたような西洋龍だった。

 それだけにとどまらず、覇者の風格をも持ち合わせている。


「まさか、このドラゴンは⁉」


 敵の正体を見破ったシルヴィアが目を剥いた。

 そんな見る者たちをあざ笑うように、ドラゴンが鼻を鳴らした。


 ――我は魔龍「イル・フィアス」。魔に名を連ねる者である。

 ――イル・フィアス……?


 聞き慣れない名前にルイスが戸惑う。

 その態度にあぁ、とつぶやき、ドラゴンはもう一つ名前を挙げた。


 ――地球人だったか。ではこう言い換えよう。我は「バハムート」と呼ばれている者だ。

 ――バッ、バハムートだと⁉


 衝撃のあまり普段冷静なはずのローレンが大声で叫んだ。他のメンバーも同じく、驚愕の目を以てドラゴンを見返している。

 そう。地球、特に日本における最強ドラゴンの代名詞。その名を冠するにふさわしい強大な存在。それがこの魔龍だった。


 ――まったく、あんな海蛇と同じ名前で呼ばれているとは。心外にもほどがある。


 わかってもらえたようでご満悦な様子の魔龍。


 しかしながら地球での呼び名を気に入っていないようで、不満を覚えているらしい。だが、そんなことは重要ではない。


 魔に名を連ねる、という文言はモンスターの貴族たる「魔族」を現す言葉だ。これがなにを意味するのか。冒険者なら理解できる。もし、地上にでも出ようものなら地上が惨劇に見舞われるだろう。


 なんとしてもここで討たねばならないのだが。アルトたちは相手の名前と圧力に臆してしまい、動けずにいる。


 ――なんで、そんな存在がキングベヒモスを……。


 ルイスの呟きを拾った魔龍は、愉快げに此度の行動について語る。


 ――ずいぶん手間取っていたようだったからな。ついつい、手を出してしまったのだよ。すまんな。


 そう言って、魔龍バハムートは瀕死のキングベヒモスの背中から降り、足で蹴って仰向けにして、相手が動けないように左脚で喉仏を踏みつける。


 ――この辺りか?


 狙いを定めた魔龍は右手を伸ばし、手刀を思いっきり胴体に突き刺した。


 ――ギュオォォォオオオ!!!!


 叫び声を上げる巨獣を無視して無理やり体内をまさぐり、なにかを掴んで一気に引き抜く。飛び散る鮮血。手には蒼く光る玉が握られていた。


 ――なかなかいい色をしている。上質な魔石だ。


 言うなり、魔龍は魔石を口の中に放り込んで噛み砕く。その傍らでキングベヒモスがひっそりと力尽きた。


 ――魔石を食べている、のか……?


 驚愕の表情を浮かべ、アルトが魔龍を見上げた。


 魔石はモンスターの核のような存在で第二の心臓とも呼ばれている。

 どのような機能があるか未だに不明な点も多いが、研究の結果、膨大な魔力が蓄えられていることが判明している。


 人間四人に凝視されながらも魔龍は気にする素振りを見せず、ガリガリと音を立てて魔石からこぼれる魔力を味わい、やがて飲み下した。


 ――ん。よい味だった。さてと――。


 魔龍が人間たちに問いかける。


 ――我は今、機嫌がよい。戦うか、逃げるか。好きなほうを選ばせてやろう。

 ――なッ⁉ 


 アルトが声を荒げて言った。


 ――ふ、ふざけるな! オレがたかがドラゴンごときにビビるとでも――ッ⁉


 セリフを言い切る前に溢れんばかりの殺気に体を貫かれ、口を封じられた。


 ――たかがドラゴン、か。舐められたものだ。しかし。やる気は十分とみえる。


 不気味な笑みを讃えた魔龍が軽く跳躍し、一行の正面に降り立つ。もちろん戦うつもりだ。

 このときアルトは自身が失言したのだと悟った。


 ――お望み通り、相手をしてやろう。かかってくるがよい、小さき者どもよ。


 人指し指をクイっと動かして挑発する。瞬間、アルトの頭が真っ白となり、思考停止に陥った。


 ――どうした? 怖くて体が動かんか? フフッ、実にか弱き人間らしいなぁ。ハッハッハッ!


 白くなった脳内に嘲笑をねじ込まれたことで意識を取り戻し、ドラゴンをギッと睨み返した。そして――。


 ――舐めるなァァァァアアア!!!!

 ――待て、アルト!! 挑発に乗るな!!


 ローレンの制止も聞かず、足に魔力を込めて全力で跳躍、魔龍の顔に届く高さまで飛び上がった。


 ――ほーう。


 人間に目線を並べられても魔龍は笑ったまま一歩も動かない。

 今に見ていろ! 歯ぎしりしながら魔導剣士が謳う。


 ――奥義。ビックバン☆セイクリッド☆クラッシュ!!


 今度こそ正真正銘の奥義を発動させ、星空を映した刀身が魔龍を捉えた。


 ――うぉぉおおおおおおおおおお!!


 ありったけの魔力を詰め込み、咆哮とともに振り下ろす。連動するように大きな爆発が発生した。


 ――手応えアリ!!


 攻撃が当たった感触があった。どこに当たっていようともダメージは免れない。

 アルトは勝ち誇ったように声を上げた。ところが。


 ――悪くない一撃だ。

 ――なん、だと。


 爆煙が薄くなるつれ、アルトは知ってしまう。自分の奥義が右手一本で防がれていたという事実に。

 加えて皮膚に多少食い込んで、出血させているだけであって、大したダメージを与えられなかったことも。


 ――クソがぁッ!


 半ば投げやりに魔龍の手のひらを蹴り、そのまま地面に着地する。


 ――これはっ……これは、なにかの間違いだ。


 負け惜しみを言うアルトに魔龍が「それがお前の実力だよ」と返した。


 ――見ろ、これが力というものだ。フンッ!!


 魔龍が力を全身に入れた途端、大気が唸り声を上げ、地面に亀裂が入り、赤な空から無数の稲妻が落ちた。

 AAランクの冒険者であるアルトたちでさえ驚愕するほど夥しい量の魔力が魔龍を中心に放出されていた。


 ――どうした? まだ半分も出してないぞ。

 ――これで半分以下……だと⁉


 もはや桁が違う。人の力で抗うことすらおこがましい絶対暴力がそこにはあった。アルトたち一同は地面にへばりついたまま、魔力の奔流が収まるまで耐えるしかなかった。この時点で力の差は歴然である。


 ――フハハッ! ようやく理解したか。己が実力を。――む?


 そう言いかけたとき、暗赤色の空から赤い光が降り注いだ。

 それは柱のような形で魔龍を包む。


『なにが起こった?』

『攻撃では、ないようですが……』

『どうなってんの⁉⁉』


 騒ぐコメント欄。アルトたちも理解が追いつかない。

 少しして光が消えた。手のひらを開き、光を受けた魔龍はその意味を理解してか、黒い笑みを浮かべた。


 ――ハッハッハッ! どうやら我が、この階層のボスに選ばれたらしい。これは愉快であるぞ!!


 喜びを爆発させ、魔龍が天に吠えた。ダンジョンは自身の管理を行うため、適切な能力を持った者をボスにする。とりわけ巨大なキングベヒモスを討伐したことで条件を満たしたのかもしれない。

 ボスはダンジョンが持つ力を一部を行使できるようになり、階層の支配者として振る舞う。

 魔龍の力を認めたダンジョンは、新たに彼をボスに任命し、共生関係を築こうとしているのだろう。

 ゆえに笑いが止まらないのだ。


 ――つまり、我がこのダンジョンで一番強いというわけだな! これでもう誰にも遅れは取らんぞォ! ガハハハハッ!!


『「速報」青葉山ダンジョン99階層のボスに魔族バハムートが就任!!』

『情報拡散しろ!』

『偉いこっちゃっで!!』

『アルトォォォォオ、早く逃げろぉぉおお!!』


 ファンもアンチも危機感を覚え、メンバーたちに急ぎ撤退を促す。仲の悪い視聴者が団結するほど状況は切迫していた。


 ――ヤーティ、脱出だ!!

 ――御意にござる!


 指示を受けた白装束の男が、自身を中心として大型の魔法陣を展開。そこへアルトたちが飛び込むように集まり、ヤーティが声を張り上げる。


 ――魔力充填完了、いけますぞ!

 ――よし、転移を開始しろ!

 ――ほう。転移魔法陣を作れるのか。やるではないか。


 感心したように語りながら四人を眺める魔龍。転移魔法陣を展開できる魔法使いはそうそうおらず、腕利きの証でもある。魔龍はそれを理解していた。

 だが、深層は魔力の流れが不安定なため、途中で転移先が変わってしまうリスクが生じてしまう。危険な行為であったが、それでも脱出できればチャンスはある。


 ――次あったら必ず討伐してやる! 覚えておくがいいぞ!


 見事なまでの捨て台詞を吐いたところで視界が白一色に包まれる。これで無事、逃げおおせられた。かに思われた。


 ――おぉっと。逃がすとは言っておらんよ。

 ――なっ⁉⁉


 魔龍の言葉が耳朶を打った瞬間、正面から膨大なエネルギーが浴びせられて魔法陣がかき消された。なにが起こったかわからず、唖然とする「女神の前髪」のメンバーたち。

 しかしよく見れば、魔龍が彼らに手のひらをかざしていた。


 ――クックック。


 魔龍が嗤いながら種を明かす。


 ――圧縮した魔力を放出して魔法陣を破壊させてもらったのだよ。

 ――なんと、対抗魔法でござるか⁉


 ヤーティが声を上ずらせた。対抗魔法とは展開状態の魔法陣を壊すことに特化した魔法のことを指す。

 名のある魔法使いの中でも魔力の出力が早く、繊細な魔力制御が可能な者だけが扱えるとされており、非常に難易度の高い技術として知られている。

 打ち消す魔法の種類によっても成否が左右されるため、魔法の知識が高いとは言えないドラゴン族で使える者がいるなど聞いたことがなかった。

 話を聞いた魔龍が白装束の質問に答える。


 ――そんな高度な技ではない。純粋に魔力を差し向けただけだ。このようにな。


 人差し指を向け、魔力を集中させると、エネルギーの塊が宙を駆け抜け、アルトを突き飛ばした。


 ――グゥ!!


 地面を転がされながらも、かろうじて剣を土に突きたてて踏ん張る。視線を落としたまま、アルトは動かない。


 ――ほぉら。このように圧縮した魔力をぶつけるだけでそこらの魔法陣など簡単に立ち消えてしまう。

 エンシェントクラスの魔法ならば難しいが、それ以下の魔法であれば、今のように消してしまえるのだよ。勉強になったかな? 地球の民よ。


 子供に教え聞かせるかの如く、ご丁寧に解説する魔龍。もはや前髪たちを敵として認識していないようだった。


 これほどの魔力量と魔力制御に優れた相手が魔法を扱えないわけがなく、対キングベヒモス用の装備では有利を取れない。それどころか遠距離からの魔法攻撃を連打されるだけで全滅する。


 敗北の二文字が頭を過ぎり、アルトは膝をついたまま立ち上がれなくなってしまった。


 ――か、勝てない……。


 弱音が口を衝いて出る。奥義を片手で防がれ、皮膚を傷つけるので精一杯という状況で、勝てると思い上がるほどこの男は馬鹿ではない。


 ――ア、アルト……。


 諦めが仲間たちに伝播し、一様にうろたえる面々。

 魔龍は高笑いした。


 ――アッハッハッハ! 安心しろ。せっかくのボスになったのだ。ダンジョンが我にどのような力を与えたのか。貴様らで試させてもらう。


 そう宣言して指を鳴らす。すると三十秒も経たずに無数の魔物たちが遺跡へと押し寄せた。

 レッドガルム、デビルボア、ハイグリフォン、レッドキャップなどおなじみの魔物からベヒモス通常種や二足歩行の巨獣エルダーオーガー、イビルバイコーン、黒い鎧をまとった首のない騎士デッドエンドデュラハン、黒色の翼竜ブラックワイバーン等、つわ者たちが魔龍の周囲に集まる。

 しかし、集結した魔物たちを確認した魔龍は、目を細めて不満を漏らす。


 ――集まったのはこれだけか。……ちと物足りんが、初めてにしては上出来か。


 キング系や神話級のモンスターは呼びかけに応じなかった。

 それを見るにボスの能力は必ずしもモンスターを強制的に従わせるものではないのだろう。


 ――我を楽しませよ、人間。


 魔王のようなセリフを吐き、人指でアルトたちを示す。意図を理解した魔物たちが、一斉に彼らへ飛びかかった。


 ――チクショーがぁぁぁああ!!


 満身創痍の体を引きずり、アルトが魔物の群れを迎え撃つ。


「とんでもないことになったわね」


 こうしちゃいられない。乱戦となった遺跡の映像を観たエルフが声を張り上げた。


「大変よ、翔子ちゃ――」


「――強いヤツが出たんでしょ」


 シルヴィアの言葉を遮って、目を覚ました翔子が発言する。

 上階から発せられた魔力を感知したようだった。説明の手間が省けた。エルフの少女は、スマートフォンを彼女のほうに差し出す。


「魔龍イル・フィアス。地球人がバハムートと呼ぶ、魔に名を連ねる者よ。その強さはドラゴン種の中でも五指に入るわ。それが99階層の遺跡に現れたの」


「ふーん、これが……って」


 黒い皮膚とマッシブな体つき、それに厳つい顔つき。翔子が脳裏に数ヶ月前の光景が蘇った。


「あ、コイツ。あのとき逃げたヤツだ」

「あのとき……? もしかして以前ここで戦ったっていう」

「うん」


 翔子が頷いた。


「数発殴って死ななくて、本気だそうとしたらいつの間にか消えていたのよ。まさかひとつ上の階にいたなんてね。それに――体つきが前より一回りもがっしりしてる。魔力量もかなり上がってるわね」


 冷静に相手を観察する翔子。


 99階層を探索中、偶然発見した隠しエリアを見て回っていたところ、休憩がてらに立ち寄ったこの場所で、翔子はロック鳥やフェンリル、ザッハークらに襲撃された。

 相当な猛者たちなのだが、アラサー店主の敵ではなかった。そこへ最後の敵として登場したのが配信に映る魔龍だった。

 相手の攻撃を掻い潜り、翔子は顔や胴体に数発の拳を叩き込み、魔龍を逃亡するまで追い込んだ。

 だが、なぜここまでの力を身につけられたのだろうか。翔子の中で疑問が湧き上がった。

 シルヴィアが心当たりを挙げる。


「わたしたちを監視していたのは、この魔族かもしれないわね。隙を見て魔石を回収して体の中に取り込み、自己強化を図っていたのかも」


 魔石は魔力の塊。それを取り込むことで体内の魔力を増大させていたのではないか。エルフはそのように勘ぐった。

 その推測を聞き、翔子の疑問が解消され、同時に魔龍に対して強い不快感を覚える。


「姑息なヤツ。こんなのが上にいたら客が怖がってこれないじゃない。ただでさえボスがわからないっていうのに」


 シルヴィアがかぶりを振った。


「いえ。ボスはこの魔族よ。ついさっき、ダンジョンに選ばれたの」

「へー。探す手間が省けたわね」


 翔子がテーブルに突っ伏している店員に気を使い、静かに立ち上がった。


「行ってくる。アイツら、そう長くは持たないだろうし」


 おちゃらけた姿はどこへやら。蒼く光る双眸に逃がした敵の姿を浮かべて、一歩を踏み出そうとした。


「待って」


 シルヴィアが声をかけた。


「その格好で行くつもり?」


 視線の先には翔子の着るジャージがあった。パワーアップを果たした魔族を相手にジャージで挑むなど、さすがに愚行が過ぎる。


「だって着替える時間が惜しいし。それにさ、装備が見当たらない」


 バツが悪そうにこぼすアラサー女子。日頃から片付けておけばこのような事態にはならないのだが、そうできないのが翔子という人物である。

 そんな彼女にシルヴィアが先ほど持ってきた段ボールの中から衣服を取り出して、目の前で広げた。

 馴染み深い紅のドレスを目の当たりにした翔子の表情がパアッと明るくなった。


「それ、私の装備じゃん! あったんだ!」

「ついさっき、控室のロッカーに埋もれていたのを偶然見つけたの。これを着れば魔族との戦いも安心ね」

「ありがとう! これで服を燃やされても裸にならずに済む!」

「そういう問題?」

「え? そういう問題でしょ?」


 これから魔族を相手にするというのにこの態度。もはや呆れを通り越して尊敬の念が生まれる。

 エルフの少女が返事を考えている最中、スマホから魔龍の嘲りと冒険者たちの苦戦する声が響く。

 時間はあまり残されていない。


「シルヴィアもついてきてくれる? あの数を相手に、アイツらを守りながら戦うのはちょっと骨が折れるから。……どう?」

「そんなの訊くまでもないでしょ?」


 クスっと笑いながら即答する。嬉しい反面、懸念もある。


「けど四方八方、敵だらけよ。その中をひとりで連中の面倒をみるなんて――」

「誰がひとりだって?」


 ふたりが同じ方向をみやると、欠伸をして背を伸ばしたカリーナの姿があった。


「いつから起きてたの?」


 シルヴィアが問う。


「ボスって単語が出たあたりからだ」


 そう言って、半獣人の少女が椅子を引いて立ち上がり、右肩をグルっと回した。


「酔いは大丈夫なの?」

「この程度、酔っ払ったうちには入らん。――それによ、こういうときに戦わなくて、いつ戦うんだって話だぜ。なぁ姉御?」

「……そうね。店員にこんなことさせるのは気が引けるけど」

「むしろ、そっちが本業だぜ。オレらはな」

「えぇ」


 ふたりの意思は変わらない。死地に向かうとあっても身震いひとつ見せない、歴戦の武人のような美少女たち。

 我ながら良い仲間を持ったな。翔子は感慨深そうに小息を吐く。


「なら遠慮なくお願いするわね。ふたりはアイツら四人を連れて安全圏まで退避して。わたしは今度こそ、あのドラゴンを仕留める」

「了解よ」「おう。任せておけ」

「んじゃ、そういうことで。急いで着替えを済ませてきてね。時間もったいないから、わたしはここで着替える」


 彼女は、躊躇なくジャージを脱いで、ピンク色の下着をさらした。恥じらい云々など関係ない、やりたいようにやるだけだ。

 我が道を征くアラサー女に肩を竦めながらも諌めるようとはせず、ふたりはそのまま更衣室に駆け込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る