第11話 アラサー女子、「前髪」に喧嘩を売られる その2
ジャージ女子が激昂する最中、99階層の中部では「女神の前髪」の関係者たちが配信の準備を進めていた。
彼らの周囲には対モンスター用の強固な結界が貼られていて、襲撃から身を守りながら作業を行った。
「電波増幅器、設置完了しました」
「よし、起動しろ」
指示を受けた技術部門のスタッフが、自作した魔法陣の上に置かれたキューブ型のブースターに魔力を注ぐ。呼応するようにブースター表面に掘られた幾何学的な模様に沿って光が駆け巡る。
光がキューブ全体にいきわたると、システムが立ち上がって周囲の電波が増幅され、各々が持っているスマホがネットに接続できるようになった。
「動作良好。安定して回線の接続を維持できてます」
「ふむ。上々だな」
銀髪の男がほくそ笑んだ。そこにフルメタルプレートの仲間がやってくる。
バケツのような兜で素顔を覆い隠し、背中にはピカピカに磨き抜かれた大きな盾、腰には両手持ちのメイスが据えられている。
その装備からシールダーと推測できる。武具のランクは同じジョブと思われる「陽炎」の盾持ちより遥か上だろう。
バケツ男は銀髪の隣に並んでから口を開く。
「こっちの準備は完了だ。いつでも出れる」
「わかった」
銀髪はアナログの腕時計を見た。
「あと一時間を切ったか。いよいよ、始まるぞ。俺たちの伝説が」
「お前も思い切ったことをやるよな。あのジャージ女に喧嘩売るなんて」
「アンチを黙らせるにはそれしかなかった」
関東出身の冒険者パーティである彼らは実力こそあれど度々炎上を経験してきた経緯を持つ。
主にリーダーたる銀髪のビッグマウスな発言と所作が原因だが、仲間たちの奇行もその一因になっているとされる。
「話が本当なら連中はこの下の階層にいるんだろ? もし配信中に凸されたらどうするつもりだ?」
探索もしくは戦闘中にあんな腕力の持ち主に突撃されたら配信どころではない。バケツ男の懸念はそこにあった。
そのように問われ、銀髪は不敵な笑みを浮かべた。
「相手次第だな。が、心配はいらない」
「なぜだ?」
「フフ……」
男は終末色の空を見上げて言った。
「俺のほうが強いからだ」
「お前、キングベヒモス一撃で仕留めたことあったか?」
「……通常種なら一度だけ」
銀髪がボソっと呟く。
「それでよく勝てるなんて言えるよな」
キングベヒモスと通常種とでは大きさに三倍近くの差がある。
それだけではなく攻撃力、防御力、スピード、魔法耐性――そのすべてが通常種を遥かに凌ぎ、まったく別物といっても過言ではない。バケツ男が呆れるのも頷ける。
冷たい視線を浴びせられた銀髪は、心外と言わんばかりに反論を行う。
「根拠がないわけではない」
彼が続ける。
「映像を観たがあの女は一度も魔法を使わなかった。おそらく生粋のフィジカルギフテッドだ。その手の戦い方は熟知している。
魔法や技術で翻弄すれば、やがて隙が生まれて大ぶりになる。そこをカウンターで仕留める。――フフッ、我ながら完璧な作戦だ」
銀髪が自画自賛した。
フィジカルギフテッドとは生まれつき非常に高い身体能力を備えた人物を指す。それに加えて、体内の魔力循環速度が速く、効率的に体内エネルギーを消費できるという特徴を持ち、もともと高い身体能力を底上げできる。
戦闘においては、その頑丈な体と魔力循環機能を活かせる接近戦を好む傾向がある。
確かに配信中、アカネが魔法を使ったシーンは映っておらず、襲いかかってくるモンスターたちをすべて素手で粉砕していた。それを理由にこの男は彼女をフィジカルギフテッドだと断じた。
身体能力が高いだけならそこらの物理攻撃を得意とするモンスターたちと同じ。搦め手を使えばなんとかなる。そういった発想だった。
根拠を聞いたバケツ男は肩を竦めた。
「それ以前に冒険者同士の戦いはご法度だろ?」
「わからんだろ。相手が一方的に襲ってくる可能性もあるんだからな。フフッ」
文句を言いにやってきたジャージ女と口論の末に戦闘へと発展、得意のフットワークから終始優勢に事を運び、華麗に返り討ちにする。
そんな妄想で彼の脳内は埋め尽くされていた。
「……オレはモンスターとしか戦わないからな」
バケツ男が断りを入れてからこの場を離れ、他ふたりの仲間たちのところへ向かった。銀髪は顔を動かさず、空を睨み続ける。
思えば、話題作りのために仙台を訪れ、最難関ダンジョンの攻略に取り掛かった。有志たちからの情報提供もそうだが、惜しげもなく対策用の装備とアイテムを導入してボスを倒してきた。
結果は上々。アンチもてのひら返し、広告料とグッズ収入、それと素材の売買で費用を差し引いても大儲け。皆がチヤホヤしてくれるはずだった。
ところが、実際はすべての話題をジャージ女に掻っ攫われ、アンチは活性化して引くに引けない状況に陥った。
日頃の行いに問題があるのは明白だが、反省する銀髪ではない。
「見ていろアンチども、それにジャージ女。すべてを手に入れるのはこの俺、アルト様だ!」
恨みを込めてそう宣言した彼は、腰から愛する両手剣「ネオス・カリバー」を抜き放って天に掲げた。
それから銀髪ことアルトは仲間たちのところに戻り、配信用ドローンを起動。マイクテストを行ったのち、スタッフたちを深層から離脱させて、そのときを待つ。
◇◇◇
一方、その頃。レッドフェニックスでは――。
「うおおおおおおおおおおおお!!!!」
アカネがひとり厨房に入って食材と調味料を確認していた。
「酒のあて、作らずにはいられないッ!!」
「なんだか、おかしな方向に行っちゃったわね」
「だな」
ふたりがカウンターの外から暴走するアカネを眺めている。というのも。
――アイツら全員、しばく!!
大声で叫んで、外に出ていこうとする彼女だったが「店の評判が落ちるぞ」「ヒナタちゃん、呼べなくなるわよ?」とふたりに諭され、泣く泣く断念。大好きな料理を作ってストレスを発散しようとしているのだった。
冷蔵庫に顔を突っ込みながらアカネが声を張り上げる。
「ベヒモスの肉も飽きたなぁ……。ふたりとも! ダンジョン羽毛トカゲは食べれるっけ?」
「ええ。大丈夫だけど」「問題ない」
「オッケー! ふたりは休んでていいからね!」
そう告げたアカネは、中からもも肉らしき物体、にんにくと生姜を取り出してキッチンボードに置く。鶏肉を生板の上に乗せ、ドリップをペーパーで拭き取って一口大に切り分けてボウルに移す。
そこに醤油、塩、酒、砂糖、すりおろしたにんにくと生姜、黒胡椒、鰹節、粉末しいたけ、無化調顆粒昆布ダシを加えてしっかりと揉み込む。こうすることで旨味を肉の中に入れ込むのが狙いだ。
次に片栗粉と薄力粉を入れて肉をコーティングに施し、ラップをして冷蔵庫で寝かせる。さらに中華鍋をささらで洗い、水気を拭き取ってコンロの上にセットした。
肉に下味が染み込むまでシルヴィアたちと雑談で時間を潰し、二十分ほど漬け込んだ肉を取り出して次の工程に移った。
肉の水気を拭き取り、衣を付け直して中華鍋に肉が浸る量の油を注ぎ込んで点火する。温度計を確認しつつ温度が160度を越えた辺りで肉を順次投入していく。
パチパチと肉が音を立てて、厨房から香ばしい匂いが漏れ出す。
「ふんふんふーん♪」
最初は衣を定着させるために肉を動かさず、数分ほど待つ。
衣の定着を確認後、バットに開けて少し休ませ、温度を180度まで揚げてから再度投入。一分ほど揚げて油を切れば完成である。
出来上がった物を大皿に盛り付け、レンチンしておひつに盛り直したご飯とともにテーブルに置いた。
こんがりきつね色に揚げ上がった物体が山のように積み重なっている。そう、出来上がった料理とは。
「ダンジョン羽毛トカゲの唐揚げ、完成よ!」
日本の国民食「唐揚げ」である。
「んっ。いい匂いね」
手うちわで香ばしい匂いを嗅ぎながらシルヴィアが言った。
「でもこれだけじゃないのよね〜!」
なにやら顔をニヤけさせたアカネは、冷蔵庫から透明な液体の入ったペットボトル数本とロックアイス、棚からウィスキーを持ってきた。
「お、今日はウィスキーの水割りってヤツか? ん?」
ペットボトルが目に止まり、カリーナが首を傾げた。よく見れば、内部で気泡が立っていた。
「それがちょ〜と違うのよねぇ」
人数分のコップを用意したアカネが立っているふたりを席につくように促す。
ふたりが席につくと、アラサー女子はグラスに目一杯の氷を詰め込み、バースプーンでくるくるとかき混ぜ始めた。
「なんでかき回すんだ?」
「グラスを冷やすためよ」
氷をかき回すことでグラス自身を急速に冷やすことができる。そこに底から二本分程度の量のウィスキーを注ぎ、ペットボトルの蓋を捻った。プシュっと音を立てて、中の液体が微量ながら噴出する。
ここまで来てもカリーナはピンとこないようだった。隣のシルヴィアがクスと笑いながら「これはね、炭酸水って言うらしいわよ」と教えた。
ふーん。よくわからんという顔のままだったが、基本的に半獣人の少女は「アカネの作る物はなんでも美味い」と思っているので、余計な口は挟まず、静かにドリンクの完成を待った。
氷の隙間から炭酸をゆっくりとグラスに流し込み、バースプーンで底の氷を軽く持ち上げる。炭酸がふわっと鼻腔をくすぐった。
「よし、これで完成よ」
アカネがドリンクをカリーナの手元に置いた。
「味見してみて」
「おう」
言われた通り、カリーナがその液体をグイッと飲む。キンキンに冷えた炭酸とウィスキーの風味が同時に押し寄せ、乾いた喉を瞬時に潤す。半獣人の目が見開かれた。
「ウィスキー特有の風味が緩和されてて、いい感じだな。ジュースみたいでうめぇ。これはなんつー飲み物だ?」
「ハイボールっていう日本の庶民に人気の酒よ。唐揚げと相性バツグンなのよね」
「だから作ったのね」
「そう! 嫌なこと忘れるには酒が一番。でもお酒って気軽には飲みにくいでしょ。人によってはアルコールが苦手なんて場合もあるし。それを解決するのがハイボールのようなお手軽に飲めるお酒ってわけ」
アカネはシルヴィアの分を作ってから自分のハイボールを用意し、グラスを天高く掲げた。
「野郎ども、飲むぞーーーー!!」
「「おー」」
一時はどうなるかと思われたが、なぜか料理に走り、いつの間にか酒のあてとオシャレなドリンクが用意されていた。
正直、困惑を隠せないが、酒が出てくれば楽しむ以外の選択肢はない。
酒好きアガルタ人ふたりは、互いに呆れ笑いながらもアカネに付き合ってグラスを持ち上げた。それを口元に近づけ、三人はゴクゴクと喉を潤す。
「これ、飲みやすくていいわね」
「一気に飲むと生き返るなぁ……」
「くぅぅぅ!! やっぱハイボールは正義!!」
テンション爆上がりのアラサー女子は勢いに任せてハイボールを飲み干した。
「飲むぞー! 飲むぞー!」
当然、一杯で足りるはずがない。
覚悟ガンギマリ女は精密機械のような手さばきでハイボールを作っていく。その勢いに圧倒されながらも、シルヴィアが目の前に鎮座する主役に目をやった。
「……これがあのモンスターの肉とはね」
さて、酒のあてことダンジョン羽毛トカゲの唐揚げ。見た目はごく普通の飲食店で出てくる唐揚げである。
しかし、使われている食材の生きている姿を知るシルヴィアは複雑な表情を浮かべた。
生前の彼または彼女は、全身を羽毛で覆われた爬虫類と鳥類のミックスしたような容姿をしている。体長は尻尾を含めて三メートル、体高は成人男性と同程度まで成長する。
二足歩行の雑食であり、モンスターの肉から果物、野菜まで食べ尽くす。知能も動物レベルで見ればそこそこ高く、嗅覚もよい。地球の冒険者からは「ダンジョンのハイエナ」とも称される。が、その容姿はハイエナとはとても似つかない。
アガルタ人なら誰でも口にする機会があるが、シルヴィア自身一度も美味だと感じたことがない。アカネの腕を疑うなど微塵もありえないが、やはり箸先が鈍る。
「オレは食うぞ」
エルフに反してカリーナは食べ慣れているといった様子で唐揚げを頬張った。
噛んだ瞬間、カリッという音を伴って旨味と含んだ肉汁が口の中にジュワと溢れた。一口二口と咀嚼していく。
そして、肉をゴクリと飲み込み、上からハイボールで一気に胃袋へ押し込む。一息ついた半獣人の少女は一言、
「うめぇ」
と口にした。
「この酒との相性が抜群だ」
「でしょ、でしょ! 恐竜だってね、わたしの手にかかれば美味に早変わりよ!」
肉と酒を交互に味わいながら高笑いするアカネ。
彼女の言うダンジョン羽毛トカゲとは、地球で言うところの中型の「恐竜」だ。今食されている種類は冒険者の間では「デイノニクス」と呼ばれる。
地球上では絶滅した恐竜もダンジョンの中ではそれなりに見かける。大型の恐竜も存在していて、種族としての戦闘力は決して低くない。だが凶暴なモンスターや魔法を行使できる冒険者たちに狩られてしまい、覇権を取るにはいたらなかった。
そのため食肉になりやすく、味は鳥肉に近いのだが、若干の野性味が足を引っ張り、アガルタでは家畜と比較して一段劣るとの評価を下されている。
美味しそうに頬張り続けるカリーナを見て、彼女も唐揚げを一口食べた。すると、肉汁の洪水が口の中に押し寄せ、舌を包み込んだ。
「美味しいっ。でも複雑な味わい――これ、なにを入れたの?」
ジビエ特有の野性味を抑えつつ、奥底から複数の香味と旨味が押し寄せてくる。自分の知らない味を体験し、すかさずエルフがアカネに尋ねた。
三杯目のハイボールを作っていたアラサー女子が、手を止めて顔を上げた。
「ん? そんなに変わった物は入れてないわよ? 醤油、塩に臭み消しの酒、にんにくと生姜に黒胡椒。それと複数のおダシ」
「おダシ?」
「スープストックみたいな物かな」
「えぇっ、これが⁉」
比較的薄味を好むエルフも味の補強する目的で野菜ダシを取ることがある。しかしながらここまで複雑な味わいは出せない。
「この唐揚げには地球のカツオっていう海の魚、海藻の昆布、粉末にしたしいたけっていうキノコの三種類のダシを使ってるの。
だけど本当のダシは手間暇かけて取るものだから、これは簡易的ではあるんだけど、ウチは和食専門店じゃないからね。いい味するでしょ?」
「そうね。初めてこの肉を美味しいと思えたかしら」
「マジ? うれしーぞぉ♪」
胸を張って自慢げに語るアカネ。
本格的なダシを用意する時間はなかったが、地球で市販されているダシもクオリティが高く、家庭レベルであれば十分であるといえる。
「今日は宴じゃー!! あのクソったれな冒険者たちのことなんか忘れてやるぅ! WRYYYYYYYYYY〜〜〜!!」
滝のような大粒の涙を流しながら奇声を発してハイボール&唐揚げ、通称ハイカラを決めるアラサー女子。はたから見ればただのおっさんである。
「オレは美味い飯と酒があればそれでいいぜ」
カリーナがよそったご飯の上に唐揚げを乗せて同時に頬張る。
「お、白米とも合うな」
「味変でレモン汁をかけても美味しいのよ? あとで持ってくる!」
「頼んだ」
「もう呑気なんだから」
ストレス発散と称して酒を楽しむアラサー店長。もはや自分が楽しむために飲食店を開いているとしか思えない。
普段、ストッパーを務めるクールな半獣人の娘も美味しそうにバクバクご飯を食べ進めている。
その団欒を絵に描いたような雰囲気にシルヴィアは笑うほかなかった。
「ん。シルヴィア、どしたの? 口に合わなかった? サラダでも作ろっか?」
「いいえ、そんなことないわ」
この店を取り巻く状況はあまりよろしくない。
100階層に追加の転移魔法陣を設置できず、専門家を呼ぼうにも99階層のボスは姿を現さず、おまけにイキったライバーから意味不明と煽られる始末。
問題山積で先行きが見えない。しかし、
(うーん……大丈夫かな)
今の彼女を眺めていると、どうにかなりそうな気がしてくる。
エルフは微笑んで唐揚げを頬張った。
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