第2話 アラサー女子、キングベヒモスをワンパンする その2


 その頃、不気味に嗤う空の下を冒険者たちが走っていた。後方からはキングベヒモスが迫ってくる。


「ハッ、ハッ――クソッ! どうしてこうなった!!」


 先頭を走るリーダーの大剣使いが悪態を吐く。二十歳前後でそれなりにハンサムな顔立ちをしているが、恐怖によって表情を醜く歪めている。

 他のメンバーも同様で、取り繕う余裕もないようだった。


「ハァ、ハァ――ッ」


 徐々に魔法使いの速度が落ちていく。仲間の大盾持ちが「ヒナタちゃん、しっかりしろ!」と肩越しで鼓舞するも、彼女との距離は開く一方だ。

 大剣使いが指示を飛ばす。


「おい、誰かなんとかしろ!」

「んなこと言ったってよぉ! お、おい明美、弓で援護しろよっ」

「はぁ⁉ なんで私がそんなことッ――てか、そういうのは盾の持ちの役目でしょ!」

「俺は今、忙しいんだよ!!」

「それは皆、同じでしょ!!」


 誰もリーダーの命令に従おうとはせず、逃げながら口喧嘩を始める。そうこうしているうちに魔法使いの娘が転倒した。


「あ、う……っ」

「チッ――」


 舌打ちしたリーダーの大剣使いが、身を翻して彼女の救援に向かった。しかし数歩歩いたところで足が止まってしまう。


「デカすぎんだろ……」


 視界の先にいたのは目視でも体高15mを越える巨大な塊だった。

 全身が異常発達した筋肉に覆われ、大きな爪と四本の角を持ち、口から飛び出た犬歯がその凶暴性を如実に表している。

 尻尾を含めるとその体長は70mに達し、それが揺れるだけで木々がなぎ倒されていく。王者を名を冠するにふさわしい風格だ。

 獲物の動きが止まったのを確認にし、ベヒモスの王も速度を落とす。やがて彼女の正面でピタリと歩みを止め、ギッと睨みつける。


「あ、あ……っ」


 ヘビに睨まれたカエルの如く、体が震えて声が出ない。後方いる仲間たちも恐怖でまともに動けずにいる。


「グオオオオオオオオオオオ!!」


 キングベヒモスが雄叫びを上げた。外敵への威嚇または勝利のアピールのつもりなのだろう。


「ひ、ひぃ――」


 魔法使いの娘は目に涙を溜め、青葉山ダンジョンに足を運んだことを後悔した。

 できることなら数時間前に戻りたい。心から願うも、現実は変わらない。

 咆哮を終えた魔物は、獲物を見据えてから右腕を振り上げて、そのまま叩きつけようとする。


「いやああああああああああああああ!!!!」


 死を覚悟した少女が両手で頭を抱えてうずくまった。


『ああああああ、もう終わりだああああああ!!』

『にげてええええええええ!!』

『死亡シーンとか見たくないーーーーーー』

『ひき肉とかいやだあああああああああああ(涙)』


 誰もが一つの命の終わりを悟った。キングベヒモスだってそうだったはずだ。

 その寸前――。


「美少女になにやってんだあああああああああああああああああ!!!!」


 王者の背後で人影が舞った。そして、


「チェストォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!(グーパン)」


 咆哮とともに拳が王者の後頭部に思いっきり叩きつけられる。

 頭蓋骨が砕けて脳みそがシェイクされる音を伴い、キングベヒモスの顔全体が地面に思いっきりめり込んだ。

 それだけにとどまらず衝撃が駆け巡り、周囲の地面が数十メートル四方にひび割れて隆起する。


「きゃあっ!」


 余波に耐えきれず少女は後ろにすっ飛んでいった。巻き起こる砂埃の中、何が起こっているのかわからず、少女は四つん這いになりながら辺りを見回す。

 そこに人影が近づいてくる。視界が悪くよく見えなかったが、距離が近づくに連れて相手が女性だとわかった。しかもジャージを着ている。

 そう、少女を救った相手とは――。


「怪我、なかった⁉」


 ジビエ料理店店長その人だった。


「へ……? 女の人? ――ジャージ……⁉」


 少女は目を点にしてつぶやいた。それもそうだ。ここはダンジョンの深層、Sランク冒険者でも装備をガチガチに固めてから挑むエリアである。

 そんな場所をジャージで歩くこと自体あり得ない話だった。


「あぁ、これね、動きやすいのよ」


 翔子はニカっと笑ってみせた。いや、そうじゃなくて、少女が口を開こうとしたとき、キングベヒモスの姿が視界に入る。


「う、後ろにベヒモスが――」

「大丈夫。もう死んでるから」


 慌てる少女をなだめるように翔子が言って聞かせた。キングベヒモスは顔を地面に埋めたままピクリとも動かず、すでに絶命していた。


「あ、アナタが、やったん、ですか……?」

「これくらい朝飯前よ。あはは!」


 翔子が頷いた。霧が晴れていくにつれ、彼女の後方にいた仲間たち次第に何が起こったのかを理解してきたようで。


「キングベヒモスが倒れてるだと⁉」

「まじかよ、最強格のモンスターだぞ!!」

「あの女が倒したってわけ⁉ 嘘でしょ、ジャージなのに⁉」

「ジャージで悪かったわね!」


 翔子が弓使いの女のほうを睨む。気まずくなった盾使いが彼女を非難した。


「お、おい! 明美、せっかく助かったんだから余計なこと言うな」

「はぁ、なによ偉そうに! 大体、アンタが配信目的で青葉山ダンジョン1階層を探索しようとか言い出さなかったら、こうはならなかったよの!!」

「いやいや、お前だってバズるかもしれないって張り切ってたじゃねえか!」

「おい、ふたりとも喧嘩はあとにしろって――」


 リーダーが静止に入ろうとした瞬間、近くの茂みから大型の狼レッドガルムの群れが飛び出してきた。

 魔狼の急襲に対応できず、なすすべのない三人。続く惨劇を予想して少女が咄嗟に目を閉じた。その様を見やった翔子は、斜め後方を一瞥しつつ口角を釣り上げた。


「心配ないわ」


 発言を後押しするように二本の烈風の刃がレッドガルムへと飛翔、彼らの体を切り裂いた。戸惑う魔狼たち。さらに斧が飛来し、怯える魔狼の脳天を潰す。

 ときを同じく、翔子の後方からシルヴィアとカリーナが前線に躍り出た。


「ふたりとも、あっちは任せた」

「「了解!」」


 翔子の指示を受けたふたりは三人を守るように陣取り、群がる魔狼たちを蹴散らしながら安全なところへ彼らを誘導していく。


「さて、わたしのほうも」

「へ……?」


 有無を言わさず、翔子は少女を抱きかかえ、真横に飛び退る。直後、黒い火炎が地面を大きく揺らした。

 攻撃の飛んできた方角に意識を移せば、禍々しい斑点模様をした大きな黒獅子が佇んでいるのが窺える。


「か、カースキメラ!!」


 キメラ系統最上位種の姿があった。次から次へとやってくる上位種たちに少女の顔が再び恐怖で満ちる。そのような状況にあっても翔子は。


「生意気ねぇ、駄猫風情が」


 軽口を叩きながらステップだけで遠距離の魔法攻撃を連続回避する。


「ほらほら、どうしたの? これじゃ、運動にもならないぞー」

「ガァァァァァァ!!」


 挑発されたキメラは怒りに任せ、距離を詰めてきた。その機会を逃さず、翔子は少女を左腕に抱えたままダッシュで駆け寄り、キメラの顎を左足で蹴り上げた。

 ドン、という異音とともに顎が砕け、弱点の腹を晒す。翔子は迷わずに右拳を突き出した。


「オラァァァ!!」


 腹を貫くどころか背中から血と骨、臓物が飛び出し、余波で胴体がちぎれる。


「ガァァッ――!!」


 瞬殺される最上位種。別の意味で少女の顔が恐怖に染まった。

 戦闘も終わり、シルヴィアたちと合流するべく、彼女を両手に抱きかかえたまま翔子が踵を返す。


「ふんふんふーん♪」


 鼻歌まじりに深層を歩くジャージ女子。震え声に少女が尋ねた。


「あの、あなたは一体……」

「あ、わたし? わたしはね」


 翔子が続けた。


「料理店の店長よ」

「え、料理店⁉ 店長⁉」

「そう。この下の階層にあるの」

「えっ、ええ⁉」


 理解が追いつかず、戸惑うことしかできない。その際、少女は後ろに配信用ドローンが浮遊していることに気づき、あっと声を上げた。


「あ、あのすみません。配信、切ってなくて!」

「え、ってことは今、配信中なの?」

「は、はい。すみません! 今、停止させますから!」


 翔子の腕から降りた少女はドローンのスイッチを切るべく、スマホを確認した。しかし画面を見て、固まったように動かなくなってしまう。それもそのはず。


「同時接続数、三百万人!! えええええええ⁉⁉ こんな数字初めて……」

「それってすごいの?」

「すごいなんてもんじゃないですって。だって三百万人がリアルタイムでこの配信を観ているんですよ!!」

「マジで⁉ ちょっと見せてっ」


 スマホを覗き見ると、ものすごい勢いでコメント欄が流れていた。


『【速報】深層の王者キングベヒモス、ジャージの女にワンパンされる!』

『ついでにカースキメラも瞬殺www』

『ヒナタちゃん、救助成功!!』

『ヒナリンよかったあああああああ!!!!』

『誰だか知らねーけどTUEEEEEEEEEEEE!!』

『ジャージ様、マジグッジョブ!』

『SUGEEEEEEEEEE!!』

『あなたが神か、神なのか⁉⁉』

『「前髪」より強い?』

『「前髪」なんて相手にならんわwwwwww』

『史上最強の女、爆誕www』

『Hey brother, is this the new anime PV?(やあ兄弟。これは新しいアニメのPVかい?)』

『海外ニキ参戦キタ!』

『バズるぞぉ〜、バズるぞぉ〜!!』

『今のうち、スクショ撮っととこ』

『早速、掲示板立てられてるんだけどwww』

『祭りじゃあああああああああ!!』


「あらら、お祭り騒ぎじゃないの!」


 翔子が嬉しそうに言った。一方、ヒナタと呼ばれる少女は申し訳無さそうに。


「ほ、本当にごめんなさい! こんなことになるなんて思ってなくて」

「いやいや、気にしなくていいわ。むしろ、好都合かも」


 そう呟いて、目線をドローンカメラに合わせた翔子はVサインを繰り出した。


「彼女は無事保護したから安心して。わたしは『青葉山ダンジョン』、幻の100階層にある料理店『レッド・フェニックス』の店長!

 おっきな湖畔にウッドテラスを構えた、自慢の店舗なの。皆も機会があったらぜひ食べに来てちょうだいね! イエイイエイイエーイ!! ピスピース!! あっはっはっはー!!」


 屈託のない笑顔とともに繰り出される見事なまでの勝利宣言。これがのちに語られる『アラサー伝説』の幕開けになるとは。

 このときの翔子は夢にも思わなかった。

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