第1話 アラサー女子、キングベヒモスをワンパンする その1


「どうして――」


 二◯六◯年、宮城県仙台市。

 度重なる悲劇を乗り越え、東北の地方都市は大きな変化を遂げ、今や日本を代表する大迷宮都市となった。


 主なダンジョンは初心者、中級者向けの「花京院ダンジョン」。中級者、上級者向けの「秋保ダンジョン」。そして東北三迷宮の一角に数えられるEX迷宮「青葉山ダンジョン」がある。


 全99階層からなるとされる青葉山ダンジョンは上層から下層に至るまで凶暴なモンスターで溢れ、深層に至っては神話に名を連ねる者たちが跋扈しており、一流冒険者でも死を覚悟するほどだ。


 だが本当のところ、このダンジョンにはさらに下の100階層と呼ばれる場所が存在する。そこは暗紅色に染まった空ではなく、汚れひとつない蒼穹が広がり、様々な植物が生い茂る楽園のような世界だ。


 しかし、その実態は魔境を生き抜いたモンスターや未知の生命体がひしめきあう蠱毒であって、日々争いが絶えない。


「客が――」


 そんな天獄の一角にある巨大湖の湖畔に不自然な人工建築物が建っている。人間サイズに調整された二階建ての建物だ。


 全体が木造で作られており、室内には人が八人ほど掛けられるカウンターと数組のテーブル席、奥には厨房が設置され、美しい湖を一望できるウッドデッキがある。

 内装からして飲食店だろう。雨風ひとつ受けた形跡がないことから、ごく最近建てられたようだ。


 きっとここの店長はこの景観の良さに惚れて、居を構えることにしたに違いない。他に建物らしき物はなく、独占状態。そこだけ見れば悪くない判断だった。


 たったひとつの問題を除いて。


「来ないのよーーーーーーーー!!!!」


 客のいない店内でエプロンを着た赤髪の女が叫ぶ。


「私の見立ては完璧だったはずよっ。景色は最高、競合相手もいない、なんなら人工物もない! 美味しい食べ物が出てくるところがあれば、絶対にウケる。

 満員御礼、即日完売、売り切れ御免、利益はウハウハ、追加で美少女雇って、幸せまっしぐらのはずだったのに――」


 彼女は大きく息を吸った。


「なんで閑古鳥ィィィィイ⁉⁉」


 ギィィィヤァァァァァ!! 顔を歪めに歪め、女性とは到底思えない汚い絶叫を響かせながら彼女は天井を仰いだ。

 その見た目は二十代後半、アラサーと言っても差し支えない。癖っ毛のある薄紅色のミディアムヘアーと透き通るような青い瞳を携えた綺麗な顔立ち、スラッとした体型だが胸はそれなりに大きくて手足も長い。

 一般的に美人と評される人物だろう。……性格はさておき。


「あらあら。また始まったのね」

「みてえだなぁ」


 魂の咆哮を耳に入れ、外にいた女性店員たちが店内に戻ってきた。


 ひとりは緩い雰囲気をしたスタイルの良い金髪碧眼のエルフで、黒と白を基調とした露出の控えめなメイド服を着こなしている。

 もうひとりは執事風の制服に身を包み、黒みがかった短髪の茶髪と竹を斜めに切ったような獣耳を持つ中性的な容姿をした半獣人だ。どちらもこの料理店の制服と思われる。


 ふたりの見た目は十代後半。人間基準でいうところの高校生と大学生の中間くらいの印象だ。その容姿は整っていて、人間のアイドルと比較してもなんら遜色はない。

 エルフの少女が店長に歩み寄った。


「まぁまぁ翔子ちゃん、落ち着いて。ここの店長さんでしょ? もっとしっかりしなきゃ、ね?」

「うわーーーん、シルヴィアァァァ!」


 店長こと翔子は、まるで幼子のようにシルヴィアの懐に飛び込み、がっちりと彼女の体をホールドした。


「誰も来ないよぉぉぉ! 。゚(゚´Д`゚)゚。」

「はいはーい、よ〜しよし。いい子、いい子〜」

「あうあう〜( ;∀;)」


 美少女の優しい言葉と軽いハグ、それと豊かな谷間に癒やされて翔子が柔和な笑みを浮かべる。


「うへぇ〜、美少女は最高だぜぇ〜(*´∀`)」


 シャンプーと柔軟剤の匂いに鼻腔をくすぐられ、思わず本音がこぼれた。女性の情けない姿を目撃し、もうひとりの店員が額を押さえる。


「おいおい。姉御を甘やかしすぎだぞ、シルヴィア」

「いいじゃないの、カリーナ。翔子ちゃんだって頑張ってるんだから」

「そうよ、そうよ! わたしだって努力してるのよ!

 メニューの選定、コストを安く抑えるための根回し、防犯対策の結界、周辺にいるモンスターの駆除、えーと、それからそれから……」

「いや、そこじゃねぇんだよ。頑張るとこ」


 カリーナがため息をついた。


「そもそも姉御。ここをどこだと思ってんだ?」

「え? どこって? そりゃあ青葉山ダンジョン100階層でしょ」

「そうだ。しかも冒険者内でも幻とされる『隠しエリア』だ。つまり――」


 半獣人の少女は咳払いをして翔子を見据え、


「公には存在が知られてない。だから誰も来店できるわけがないんだよ」


 バシッと指摘した。


「ガァァァァァァン!!」


 ぐうの音も出ない正論を受け、彼女の口から魂が抜けそうになった。


 何を隠そう、この場所はダンジョンの深層、それも一般には認知されていない「隠しエリア」である。加えて最難関とされるEXの称号を冠するダンジョン。

 インフラ整備も進んでおらず、階層間の移動を担う転移魔法陣すら自力で作製しなければならない。

 そのような場所の隠しエリアとなれば一般人はおろか、一流冒険者であっても足を運ぶのは困難を極める。


「そ、そんなのわかってるわ! でも、ここ以外に考えられなかったのよ!」


 シルヴィアから離れた翔子は必死になって持論を展開し始めた。


「湖が一望できて、食材が豊富なのは当然だけど、この階層は餌が良質だから生息しているモンスターの味がいいのよ。

 変な臭みとかエグ味がないから下処理もラクだし!」

「それは知ってる。アガルタ出身のアタシらが目を見張るくらいだからな」

「普段、食べない魔獣でもすごく美味しいものね」

「そこにわたしの腕が合わされば絶対、名店になるはずだったのよ!! なのにオープンして一週間経っても客がない!

 食材だっていつまでも置いておけないし、冷凍するにしたって、鮮度が落ちるからなるだけ避けたいし、うぐぐぐぅぅ〜」


 彼女が提供する料理は『ジビエ料理』といい、狩猟で手に入れた獣肉を指す。この場合、使われるのは魔物の肉だが、広義的には問題ない。

 加工や消毒等の処理がされている流通品とは異なり、人の手が入っていない肉は消費期限は短い。

 なんとかせねばならないのだが、今後の方針が固まらずに翔子は頭をかきむしる。


「姉御の腕は認めるよ。でもな、これっばかりはどうにもならないさ」


 カリーナは肩をすくめてから壁に背中を預け、スッと腕を組んだ。

 両目を閉じて知らん顔を決め込むのだが、あーでもない、こーでもないと問答を続けている翔子を見かねたようで。


「……なんとかならねぇか?」


 シルヴィアを一瞥して小声で尋ねる。

 よくぞ聞いてくれました。そう言わんばかりにエルフの少女が満面の笑みを浮かべた。


「そう言われると思って、ちょっと考えてきたことがあるのだけれど――興味ある?」

「あるーーーーー!!!!」


  ◇◇◇


 シルヴィアの言葉に従い、戦闘用の服に着替えた一行は、自前で用意した魔法陣を利用して一つ上の99階層にやってきた。

 100階層とは打って変って真っ赤な空が空間を支配し、大地を進む者に多大なる緊張感を与える。

 しかし、一行はプレッシャーなど感じておらず、呑気に案内役のシルヴィアを先頭に目的地を目指していた。


 先ほどの制服とは異なり、シルヴィアは緑をベースとしたドレス風の防具に細身の長剣を携えている。

 相方のカリーナは関節部分を金属のプロテクターで保護しつつ、ノースリーブの上着とハーフパンツ、黒いブーツを履いており、背中には背丈より大きな長斧を背負っていた。

 その出で立ちはアニメや漫画でよく見かける女性冒険者の装備そのものだった。


 一方、翔子は紅いジャージと長靴、そして背中をすっぽりと覆うサイズのバックパックを背負っている。

 まるで裏山にたけのこを取りに行くおばあちゃんのような格好だ。


「で、なにをするつもりだ?」


 カリーナが問う。


「えーとね」


 足を止め、振り返ったシルヴィアがポーチからスマホを取り出した。


「うん、なんとかつながる。ここでこの感度なら問題ないわね」


 ひとりつぶやく彼女。気になったカリーナがスマホの画面を覗くと、大手配信サイトのメイン画面が映っていた。


「まさかライブ配信か?」


 怪訝そうな顔で問われたシルヴィアが「そうよ」と回答する。直後、翔子がえー、と声を上げた。


「この前、配信したとき、まったく信じてもらえなかったじゃない」


 配信業が依然、大きな盛り上がる現代において、企業はもちろん個人事業主またはこれから事業を起こそうとしている個人が、宣伝にライブ配信を選択するのはごく自然のことだった。

 翔子もオープン前にライブ配信を行い、店舗や隠しダンジョンについて宣伝した。しかし。


『100階層? 噂話だろ』

『そんなエリアあるわけがないだろwww』

『嘘乙』

『調子乗んな』

『その映像、どうせ加工でしょ。今どきCGなんて簡単だよ?』

『仮に100階層と店舗が実在したとしても怪物の肉とか臭くて無理だろ』

『ゲテモノ食いとか罰ゲームすぎる』

『そんなことより、後ろのエルフとウ◯娘は誰よ? すっげー気になるんだけど』


 といった批判と冷やかしを浴びせられ、激怒した翔子は早々に配信を打ち切った。今、思い出しただけでもむしゃくしゃしてくる。


「またあんな目に遭うくらいならやらないほうがマシよ!」

「今回はオレも姉御に賛成だ。実在を証明しようにもCGを疑われちゃ、否定のしようもない」


 珍しく翔子の援護にカリーナが回った。

 彼女の言う通り、配信したところで視聴者に虚偽を疑われてまともに取り合ってもらえない。この点をどうにかしない限り、ネットを使っての宣伝は逆効果になる。

 ふたりの意見に頷きつつ、シルヴィアが沈黙を破った。


「わかってる。だから今回はやり方を変えようと思うの」

「「やり方……?」」

「そ。やり方」


 少女が笑みを湛えた。


「私たちだけで証明できないなら、他の人に証明してもらえばいいのよ」

「あー、そうか。冒険者を100階層まで案内して飯を食わせれば」

「実在を証明できる」


 シルヴィアがほくそ笑んだ。


「なるほど! さすがわたしのシルヴィア! 頼りになるぅ〜〜」

「はいはい。褒めるのは成功してからにしてね」


 目を輝かせる翔子を適当にあやしたエルフの少女は、画面をスワイプさせてライブ配信一覧を開いた。

 ずらりとサムネイルが並び、そのどれもがダンジョン配信タグのついたもので、件数はざっと数百を越える。まだ十四時だというのに驚くべき盛況ぶりだ。

 彼女は慣れた手つきで指を動かし、やがて目当てのサムネイルを見つける。


「あ、やっぱり。深層まで来てるわね」

「あん? 冒険者パーティか?」

「最近、関東からやってきた冒険者パーティの『女神の前髪』通称、『前髪』って呼ばれているわ」


「ん……女神じゃねーのか?」


 カリーナが首を傾げた。


「女神ってことは美人がいるの⁉」


 案の定、翔子が飛びついた。名前からして美少女冒険者パーティに違いないと踏んだのだろう。ところが映像を追いかけても女性が映る気配はない。

 シルヴィアは気まずそうに告げる。


「んとね、このパーティは男性だけよ。だから女神とは呼ばれないんじゃないのかしらね」

「はぁああ⁉ 紛らわしいわ!!」


 会う機会があったら絶対しばく! ガルル、と喉を鳴らす翔子。カリーナは「なるほど」と合点がいったように手を叩いた。


「でも彼ら、かなりのやり手なのよ。他のパーティと合同とはいえ、91階層まで来れるのだから」

「91階層? あそこ、強いヤツいたっけ?」


 翔子が尋ねる。


「ゴルゴーン、アークハイドラ、イービルゲイザー、コカトリスにバジリスクが跋扈する状態異常モンスターの巣窟ね。階層内も毒に犯された危険地帯よ」

「モンスター自体は大したことないから対策すればそこらの冒険者でもなんとかなるでしょ」

「そう言えんのは姉御だけだよ」


 カリーナが呆れ笑った。


「他にはいないの? 例えば、凄腕美少女冒険者パーティとか」

「そんな連中いんのか?」

「……探してみないことにはなんとも」


 合致する配信を探すべく、シルヴィアはランキングを更新した。画面が切り替わり、急上昇ランキングが入れ替わる。

 そして、一位のサムネイルが彼女の目に飛び込んだ。


「ん? Bランク冒険者の配信……? 99階層――え、相手はキングベヒモス⁉」


 驚いたシルヴィアがサムネイルをタップする。

 流れた映像は四足歩行の黒い巨獣に追い回される冒険者四人の姿だった。

 装備も簡素で一流冒険者のそれとは性能が遥かに落ちる。普通のダンジョンならまだしも深層では焼け石に水。まず生きては出られない。

 本人たちにとっても予想外だったらしく、画面端のコメント欄も騒然としている。


『ぎゃー、ベヒモス種最強格のキングベヒモス!!!!』

『ついさっきまで1階層だったじゃねーか!』

『罠型の転移魔法陣を踏んじまったのか⁉⁉』

『いや、ランダムに発生するポータルだよ、きっと!!』

『やべええええええええええーーーー』

『どうすんのさ!!』

『近くに腕の立つ冒険者はいないのか!!』

『99階層でなんて誰も配信なんてしてねーよ!! 一番近くで91階層の「前髪」だ』

『もう終わりだ……』

『ヒナリン逃げてーーーーー!!!!』


 どうやらこのBランク冒険者パーティは運悪く99階層に迷い込んでしまったようだった。 


「……どこからか迷い込んじゃったってわけね」


 阿鼻叫喚のコメント欄を眺めつつ、翔子が顎に手をやる。


「このままじゃ持たない。今から行って間に合えばいいんだけど――」


 そう語った直後だった。

 配信用のドローンのカメラが麻色のローブをまとった少女を捉える。クリーム色のセミロングヘアーにあどけない瞳を宿した童顔の冒険者。

 その容姿を一言で例えるのなら――。


「美少女――」


 翔子の表情が一気に引き締まった。


「シルヴィア、彼女たちのいる場所はわかる?」

「ここから北東にある森林地帯――たぶん『呻きの湖』の近くかしらね」

「了解よ。ちょっと行ってくる。ふたりもついてきて」


 言うなり、翔子はふたりの前から姿を消す。

 彼女たちの周りに砂埃が立ち込め、前方からモンスターたちの叫び声、いや断末魔が聞こえ始める。


「うお。姉御のヤツ、いきなりエンジン全開かよ!」

「やる気みたいね。これならなんとかなるかも。カリーナ、私たちも急ぐわよ」

「わーてるっ」


 翔子のあとを追うようにふたりも全力で走り出した。

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