再会、そして窮地

 うなりをあげる触腕は、大きく狙いを外れて建物の壁を叩いた。

 まるで巨人の斧を撃ち込まれたかのように、土壁が大きく抉れ、日干しレンガの礫があたりに撒き散らされる。今や『ネクロノミコン』の力をその身に宿したアルハザードは、手のつけられないほどに強力になっていた。

 もっとも、そのパワーを持て余し気味のようだ。触腕を振り回すというよりも、触腕に振り回されている、といった方が近い。狙いは甘く、小回りは効かない。だが、その膂力をまともに食らえば、盾の印を結んでいても無事でいられるものかどうか。

 アルハザードが、建物の柱に巻き付いた腕––ダイオウイカのような触腕––を解こうと苦闘している間に、ソーニャは地面からお守りを拾い上げた。異形の魔道士は、馬鹿力で柱をへし折って、触腕に自由を取り戻した。

 ソーニャは武器を用意しようとして、異変に気付いた。

 何か巨大なものが接近してくる。そのことを、ソーニャは音と土埃で知った。

 足の裏に、地面の振動を感じる。地面を沢山の足が踏みつけている。まるで、象の大群が突進のようだ。

「なに……?」

 隣のブロックの建物が、まるで何かに押し除けられたかのように崩れ落ちる。

 濛々たる土煙が舞い上がる。

 その中から、灰色の塊が飛び出してきた。

「ホイエル?」

 それは、ソーニャの頼れる相棒だった。さっき別れたとき、蔵人を探すように言っておいたのだ。

 たしったしっと路地を肉球で踏む長毛猫に続き、土煙のヴェールの向こうから、一人の青年が飛び出してきた。

「クロード!」

 大量の日干しレンガが跳ね回る路上を、よろめきながらこちらへ向かってくるのは、まさしくソーニャがこの冒険の間探し求めてきた最愛の従兄だった。

「はぁ……はぁ……ソ……ニャ?」

 すぐに蔵人もソーニャを認めたらしい。黒い目を丸く見開いている。蔵人の無事な姿に、ソーニャは膝が砕けそうなほどの安堵を覚えた。

 だが、安心するのはまだ早い。

 蔵人の視線が、アルハザードを捉えた。筋骨隆々の怪人は、いまやその片腕を巨大なのたうつ触手の群れへと変貌させている。

 驚愕に目を見張る蔵人の姿を、アルハザードも認めていた。そしてまた、その魔術の目には、蔵人の背後に迫る蕃神の雛、大いなるもの、ヨグン=クターナの見えざる姿も映っていた。

 突然の再会に、ソーニャが見せた一瞬の隙をアルハザードは見逃さなかった。

 触腕を鞭のように振り回し、少女に向けて叩きつける。扇のように広がった触腕がその射程にソーニャを収めていた。

「あぶない!」

 ドォンッ

 蔵人の声は、地面を強かに打つ音にかき消された。

 地面を抉った触腕に砂埃が巻き上げられ、巻き添えを食った建物がガラガラと音を立てて崩れ落ちた。

「ソーニャ!」

 蔵人は思わず叫びをあげた。

 今の今までそんな力が残っていたとは自分でも知らなかった力で、少女の身を隠した砂煙へと駆け寄った。

「うるるわーっ!」

 ホイエルの警告も耳には入らない。

 アルハザードも、透明な怪物も、今や蔵人の意識にはなかった。

 その瞬間、思考の全てが、従妹の安否だけに向けられていた。

「ソーニャ、ソー……!」

 砂埃の中から、触腕が蛇のように巻き上がった。

 タコの足を思わせる、強靭でしなやかな器官が、電光石火の早業で蔵人の胴体に巻き付いた。

「うわっ……う、ぐ」

 生きた太綱が蔵人の胴体を締め上げた。

 肋骨が押され、息が肺から絞り出される。

 爪先が、地面から離れた。

 蔵人は、またしても怪人アルハザードによって宙吊りにされていた。

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