逃走

 蔵人は懸命に走っていた。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 すでに息が上がりかけていた。もうずいぶん長い間走っているような気がする。といって、実際には長くて五分かそこらのはずだ。

 蔵人の足元には、ホイエルが影のように付き従っていた。

「おーおーおー、うーるるる!

 あたかも、マラソンのペースメイカーのように伴走し、時折、叱咤の声を上げる。

 背後から轟音が追いかけて来た。道の左右の日干しレンガの建物が、なにか見えない大きなものに押し除けられ、崩れ落ちる。思わず振り向いた蔵人は、その距離が思ったよりも近いことに気づき、背筋に冷たいものを感じた。建物を押しつぶし、木々をたわめながら、アルハザードが呼び出した地底怪獣は意外なほどの速度で追いかけてくる。

 自分を食べようとしている存在が居るのがわかっていながら、その姿が見えないというのは実に恐ろしい。

「はぁ、はぁ……これなら、はっきりと見えた方がまだましだよ……」

 ソーニャのレッスンを思い出しながら蔵人はぼやいた。なんでも、なんとかのパウダーというものがあって、目に見えない生き物を見えるようにするのだとか。蔵人は注射の際、注射針を見たいタイプだった。

「うにゃーやや!」

 灰色猫はひと声鳴いて蔵人の前に飛び出すと、横道の一つへと飛び込んだ。蔵人はそのふわふわのしっぽを追って道を曲がった。何か考えがあるのか、それとも、ソーニャの元へ案内してくれているのか。ともかく、今の蔵人には、このふわもこだけが頼みの綱だった。

 青年と猫の後ろで、曲がり角の建物が、また、邪神の見えざる手によって突き崩された。

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