ダマスカス
ソーニャは戸口をくぐって外に出た。
強い日差しが、ペリドットの瞳を射る。
目が慣れるに従って、埃っぽい路地、日干しレンガを積みんだ平屋や、水漆喰を塗った階層建ての家々が目にはいってきた。
白茶けたような中東風の都市は奇妙なほどに、静まり返っていた。家畜の鳴き声や蹄の音。雑踏や物売りの声など、人の居るところであれば、当然あるはずの音が存在しない。ホイエルを除いて、猫の子一匹見当たらなかった。
ゴーストタウンでも、まだ活気があるだろう。動くものといえば、時折吹く風に舞う砂塵だけだ。
「うわーら?」
不自然なほどの静けさに、ホイエルが不審の声をあげた。
「ここはダマスカスだよ。アルハザードが最後に暮らしたところ」
「おろろー、おうなーわ?」
「アルハザードにとって、市井の暮らしは眼中に無かったのかも」
『ネクロノミコン』の精によって作り上げられた無人のダマスカス。この寂寂たる景色は、著者の心象風景を映したものであろうか。晩年大都会の只中に身を置きながら、彼は荒涼たる砂漠で食屍鬼や爬虫類の亡霊に囲まれていた時よりも孤独だったのかもしれない。
ソーニャがそんな事を考えていると、不意に、ホイエルが耳を伏せてしゃがみ込んだ。首をめぐらせて周囲を見やる。
続いて少女も異変を感じ取った。うなじの毛が逆立つような感覚。
すぐに道端の小石が、カタカタと歌いはじめた。
「地震?」
ゴロゴロという地鳴りが、聞こえるというよりも感じられた。足の下から伝わる振動はみるみる大きくなり、すぐに、立っているのも困難になる。
どどどど、と、腹の底に響くような音に続いて、突き上げるような揺れが襲ってきた。周囲の建物が揺さぶられ、稲妻の形をした亀裂が建物の外壁を駆けのぼる。剥離した外壁が雨のように落下して、乾いた路地の上で次々と砕けた。
揺れる地面に足を取られながらも、ソーニャはホイエルを抱きあげ、落下物の避けて道路の真ん中へと移動した。
「ふわわーら!」
何事かに気づいたホイエルが警告の叫びを発した。
足裏から伝わる振動に、変化が生じたのにソーニャは気づいた。
地震の振動とは違う。
何かが近づいてくる。
隣の街区で、大きな土煙が上がった。建物が崩落したらしい。
「ろーろーろ、うんがーわ」
ホイエルが、肉球に感じる振動について意見を述べた。
「何かが、地面の中を動いてるって?」
そうこうしているうちに、魔女と猫の前で、グラグラと家が傾ぎ、崩れた。
見れば、建物の基礎が、大きく隆起している。建物の崩落は、何かが地下を移動した結果のようだ。ホイエルの見立て通り、何か巨大なものがモグラのように地下に穴を穿っているのだ。
ソーニャは武器を構えて後退った。
食屍鬼の奇襲の記憶が脳裏をよぎる。
しかし、地面の隆起は少女を無視するように、まっすぐに通路をよぎり、新たな建物の崩壊を引き起こしながら、一直線に突き進んで行った。地下の存在が何であれ、何か目的があるようだ。まるで、何かに惹きつけられるかのように。
生贄は一人で十分だ……。
アルハザードの言葉が再度、ソーニャの中にこだました。
「……クロード!」
少女は最愛の従兄の名を呼ぶと、矢のように駆け出した。
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