落下少女と灰色猫

 迷宮の底が抜けたと思った次の瞬間、ソーニャは空の上に実体化していた。万有引力に引かれ、彼女は真っ逆さまに落下していた。

「ひゃあああっ?」

 少女の口から悲鳴が漏れたが、吠えたける風の音のために自分の耳にすら届かない。迷宮の底が破れたせいで、かなり先の方までページを飛ばしたらしい。

 少女の身体にしがみついたホイエルが、風に負けじと声を張り上げた。

「うるわわーっ!」

「わかってる!」

 猛烈な風に、目を開けるのも容易ではない。冷風が手足から容赦なく体温を奪ってゆく。

 少女はかろうじてスカイダイビングの姿勢を取った。

 身体の回転が止まると、眼下に広がる都市の様子を伺うことができた。

 砂をまぶしたような色の、建物がひしめき合う大都市だ。ところどころに金色に輝くドームや尖塔が見て取れる。大河と呼べるほどの河は見当たらず、ギザの大ピラミッドもない。カイロではない、ということは……。

 須臾の思考の間にも、豆粒サイズの建物はコインに、コインは手のひらの大きさに膨らんでいく。

 ソーニャは手の中のメイスを紐に戻すと、落下制御の呪句を宣った。

「ホルスの翼、ネフティスの羽根、我が身は風に舞う鴻毛よりも軽し!」

 古い魔法が力を結ぶ。

 わずかに風が弱まる。

 しかし、すでについた慣性はすぐには消えない。

 すでに家々の屋根はちゃぶ台ほどの大きさに広がっていた。

「おいで!」

「うわーまるっ!」

 ホイエルがソーニャの腕に飛び込んだ。

 愛猫を抱え込むと、魔女は盾の印を結んだ。力場の盾が魔女と猫を包んだ。

 次の瞬間、彼女たちは三階建ての平屋根に、隕石のように激突していた。

 時速一六〇キロ以上、合計体重六〇キロ余りの、魔術的に強化された生身の徹甲弾が、日干しレンガとレバノン杉の構造材を貫通する。

 一人と一匹はさらに二階をぶちぬいて、地階の床に激突して止まった。

 大破壊に見舞われた建物が、窓という窓、戸口という戸口から土煙を噴煙めいて吹き出した。

「……痛ったぁ」

 地面に出来たクレーターの中で、ソーニャはよろよろと身体を起こした。

 盾の印を結んでいても、着陸––というか衝突というか––のインパクトで、ビリビリと指先が痺れていた。痺れを追い出すべく、両手をプルプルと振りながらソーニャが天井を仰ぐと、貫通口越しに中東の青空が見えた。

 ソーニャの傍で、ホイエルが、ブルルッと土埃まみれの身体を震わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る