無名の都市

 眼下に、廃都が横たわっている。

 劫初の昔に切り出された巨岩が、時と砂に削られながらも、未だ完全な風化を免れ、その名残を今に留めている。

 とはいえ、所々で折れた柱や崩れた壁などが砂の波を破って突兀と突き出した様は、さながら掘り返された墓穴から覗いた枯れ骨を思わせて、見ているとなにか物凄いような気持ちにさせられる。

 砂丘の頂から、ソーニャとホイエルは古の種族によって築かれたかつての都を見下ろしていた。

「……永久に横たわっていられるものは死んではいない……」

 少女はそうつぶやいた。

 人類誕生以前に築かれたという都市。遊牧民たちは悪霊の巣食う場所だと恐れ、あえて近づく者など絶えて居ない。太古の邪悪が未だ巣食う、呪われた場所だ。アブドゥル・アルハザードはこの都市を夢に見て、かの有名な二行連句を詠んだという。

「……怪異なる永劫の後には死もまた滅びゆくだろうから……」

 ソーニャはその都市に名前が無いことを知っていた。『ネクロノミコン』を読んだからだ。

 少女の腕の中で、灰色猫が、居心地悪そうに身をよじった。

「ここに、あいつは居る。狂気の詩人、アブドゥル・アルハザード」

「うるぅるのーの?」

 ホイエルが不思議そうに聞き返す。

 ソーニャはそれには答えず、廃墟に向かって歩き始めた。足が自然と早足になるのは、坂を下っているばかりではない。

 廃都のほぼ中央。

 最も形を保った廃墟に、ソーニャは歩を進めた。

 そここそ奴の目的地だと、魔女の勘が告げている。

 都市の上を過ぎ去った歳月に屈する事なく、その建物は往時の威容のいくたりかを今に残していた。

 皿を伏せたような低い姿勢は、エジプトのマスタバ墳墓を思わせる。風と砂によって摩滅しながらも、アーチなどには彫刻の名残が見て取れる。神殿か王宮のような重要な建物だったのかもしれない。やけに幅の広い戸口が、髑髏の空っぽの眼窩のように口を開いていた。

 戸口から伽藍堂の中を覗き込んだソーニャは、はっと息を呑んだ。

 吹き込んだ砂の上に、乱された跡があった。大きな足跡が、神殿の奥へと続いている。

 あの大男のものに違いない。

 この足跡の先に、最愛の従兄が居る。

 ソーニャはそう確信して、大股に中へと入り込んだ。

 戸口をくぐり、陰の中に身を置くと、ひやりとした寒気が砂漠の熱に取って代わる。

 建物の奥から、かすかに微風が吹いているのを、少女は唇に感じた。

 ホイエルが身を捩り、ソーニャの腕から逃れて冷たい床に飛び降りた。身体をブルルと振って、身体に浴びた砂を飛び散らす。

 怪人––ソーニャがアルハザードだと決めつけた大男––の足跡は、まっすぐに建物の奥の闇へと続いている。

 天井がやけに低い。飛んだり跳ねたりすれば、頭をぶつけてしまうかもしれない。あの大男では、まっすぐ立つのも難しいのではないか。戦いになれば、その点が有利に働くかもしれない。

 次第にまばらになってゆく砂埃に残る足跡を、ソーニャとホイエルは辿り、祭壇らしき台へとたどり着いた。

 祭壇はベッドほどの大きさで、大きさの割に背が低い。側面にはなにか、細かなレリーフが施されているようだが、ソーニャはさして気にも止めず、その背後へ回り込んだ。床にぽっかりと、矩形をした穴が口を開き、なだらかな階段が地下へと続いていた。

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