17話「彼女の名は」

 突如として俺に話しかけてきた女性はその容姿から東の国出身だということが容易に分かるのだが、さらにそれを印象づけるかのように彼女の腰には刀らしき得物が携えられていて如何にもという風貌を醸し出している。


 しかしそんな女性の姿を見ていると何故か段々と無性に日本が懐かしく思えて仕方がない。

 そう、今まさにステーキを注文したばかりだというのに、日本料理が食べたくてしょうがないのだ。特に赤味噌を使用した味噌汁やサーモン寿司とかラーメンだな。


 だけどそんなことを考えたところでそれらの食べ物がこの世界にある筈もなく、


「なるほどな。安易に身分を明かす訳にはいかないということか。うむ、やはり噂通りに用心深い男だ」


 しかも隣では手を顎に当てながら彼女が神妙な面持ちで勝手に話を進めているのだ。

 だが一体その用心深いという噂は何処からの情報なのか。気になるところではあるが、そもそもこの女性は何がなんでも俺をクロックフォード家の人間として見たいようである。


「……よし、相席失礼させてもらうぞ」


 なにを思案していたのか小さく頷いてから彼女は近くの椅子に手を伸ばすと、そのまま椅子を引いて何の躊躇いもなく対面するように腰を落ち着かせていた。


 けれど初対面でまさか遠慮なしでいきなり相席をしてくるとは、流石に想定外のこと過ぎて呆気に取られてしまい何も言い返すことができない。


「はぁ……」


 そして漸く意識が追いついて口から出たのは短くも重たい溜息であった。本当にこの女性は何者なのかと今一度顔をまじまじと見つめて記憶を炙りだそうとしてみると、この世界に産み落とされてからの今までの記憶を可能な限り遡るが、全然目の前の女性に関連する情報は見当たらない。


「ん、なにをそんなに見て――ああ、そうか。まだ名を教えていなかったな。これは失礼」


 すると女性は俺の視線に気がついたようで疑問の声を口にするが、その途中で表情を柔らかいものへと変えると意外にも律儀な性格をしていることが伺えた。


「私の名前は【イチジョウ=ヒヨリ】という。どうかよろしく頼む。無論だが同じ遺跡を調査する者としてな」


 それから彼女は自身の胸に左手を当てながら自らの名を公言すると、その名前からも日本人を彷彿させて仕方ないのだがヒヨリは矢継ぎ早に右手を差し出してきた。


 恐らく仲良くしたいが為に握手を求めてきているのだろうが、このヒヨリという女性からはどうにも厄介者特有の匂いがしてならないのだ。


 それ故に握手を断ろうとうも考えたのだが彼女は前提として同じ遺跡を調査する者という言葉を添えていたことから、この握手は仕事仲間としての親睦を深める意味合いとも取れてしまい、ここは無難な方を選んで握手をするべきだろうと思案すると、大人しく右手を前へと差し出して固い握手を交わした。

 

 その際に初めて屋敷に仕えるメイド達や幼馴染以外の女性の手に触れたとして、妙な気持ちと感覚が込み上げて――――くる訳もなく二秒ぐらい握手を交わして直ぐに手を離した。

 なんせ普通に考えて他人の身分を一発で言い当ててくる女性は恐怖の対象でしかないだろう。


 だけど仮に恐怖の対象だとしても相手が自らの名前を明かしたのならば、


「女性に名乗らせといて自分が名乗らないのは些か格好悪いな。俺の名前は【ロニエル=マーキン】だ。改めてよろしく頼む」


 こちらも自身の名前を教える義務があるとして堂々たる声色で偽名を伝えた。

 流石にこんなところで馬鹿正直にソロモン=クロックフォードなんて言える筈がないのだ。

 というかこんな場所じゃなくても最初から教える気は毛頭ないのだがな。


「ふふっ、本当に用心深い男だな。しかしトレジャーハンターならば寧ろそれぐらいの方が長生きできるのかも知れん」


 口角を僅かに上げて微笑みながらヒヨリはそう言うと、どうやら雰囲気的に俺が教えた名前を信じていないように見える。


 しかも相当に頑固な性格をしていることが同時に分かるのだが、彼女はなにをどうしてそんなにもクロックフォードという家名に拘りがあるのだろうか。


 俺としてもその事に関しては色々と考えてみたいところではあるのだが、如何せん今までの会話だけでは情報不足であり憶測すらも立てられない状態であるのだ。


「お待たせしましたー。熱々のステーキでございますー」


 すると時を見計らうようにしてウェイトレスが、香ばしい匂いを漂わせる料理を席へと運んできた。そう言えばヒヨリのせいで忘れかけていたが、周りの誘惑に負けてステーキを頼んでいたのだ。


 今は彼女のことも大いに気になるところではあるが、ステーキは冷えてしまうと不味いことから食事を優先させることにする。詳しい情報収集は胃が満たされたあとでも可能だからだ。


「すまない。今日はまだ何も食べてなくてね?」


 一応食事を取ることに対して断りを入れつつも、ナイフとフォークを手にして準備を整える。


「気にしなくていい。こちら側の食事は私には重すぎるからな」


 机の上に置かれた焼きたてのステーキを見ながらヒヨリは表情を歪ませると、確かに東の国ではあまりこういう油分多めの重たい食事はでないだろう。


 寧ろ向こうの国では塩分多めの食事が主流だと前に何処かで聞いたことがある気がするのだ。

 まあこれも日本とよく似ていることから、もしかしたら日出ずる国では醤油とかの調味料があるのかも知れないな。


「では……命に感謝して頂きますっと」


 恒例の挨拶を述べてから空の胃を満たすためにナイフでステーキを一口で食べられる大きさに切ると、そのままフォークを使い持ち上げるのだが湯水の如く肉汁が滴り落ちて、それが熱された鉄板に触れる度に弾ける音と共に野生の匂いを充満させて更に食欲を唆られる。


 一体これが何の肉でどこの部位なのかは分からないが、油分多めの肉ということだけは限りなく理解できることだろう。

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