13話「現れる男は名無しの者」
予定の時刻に間に合う形で長靴の酒場へと到着すると、ウェイトレスに注文を聞かれて咄嗟に果実酒を頼むこととなった。別に酒が好きとかそういう訳ではないのだが、たまたまメニュー表を開いた時に視界に映り込んだものを選んだだけなのだ。
しかしこの酒場に来るまでにかなり走り込んだことから喉は干からびているのでちょうどいい。
まあ喉の渇きを酒で潤すというのも中々に聞かないことではあるがな。
それにお冷の水ですら机の上に置かれているのだから、冷静に考えてみれば別に飲み物を頼む必要なんぞ何処にもないのではないだろうか。
だがそんな下らない考えは今はどうでもよくてそのまま周囲を伺うと、どうにも厳つい表情をした男連中共が大勢席に座りながら何かを待ち続けている様子で、この酒場内全体に妙な緊張感というか張り詰めた空気が立ち込めている。
まるで誰か一人でも机から物を落として、酒場内に甲高い音を響かせようものなら、即戦闘状態になりそうなほどにだ。
だけど俺の見立てに間違いがなければ、恐らくこの酒場で屯している男達は皆共通の目的を抱いている筈なのだ。……そう、それはずばり遺跡調査の説明を聞きに来たということ。
なんせ男達は見るからにトレジャーハンターや魔物退治が生き甲斐の冒険者という風貌をしているからだ。その手に詳しい者が見れば一目瞭然ということだな。
「お待たせしましたー。ご注文の果実酒となりますー」
そう言いながら横からウェイトレスが現れると、果実酒が大量に注がれたコップを机の上へと勢い良く乗せて音を周囲に響かせていた。
――だがその瞬間、周りの男連中が皆一様にコップが置かれた際の音に反応したのか、鋭い目つきを向けてくると共に自身の武器にさり気なく手を添えていた。
「あ、ああ。ありがとうな」
そしてウェイトレスが果実酒を机へと置いて早々に立ち去ろうとすると、取り敢えず感謝の言葉を言わないといけない気がして彼女の背に向けて言い放つことにした。だがそうするとそれが要らぬ誤解を解いたのか、周囲から向けられていた威圧的な視線などは瞬く間に収まりを迎えた。
「……まったく、ここに居るトレジャーハンターや冒険者達は血の気が多すぎるんじゃないか? もう少し俺みたいに余裕のある男になればいいのに」
急に殺気やら鋭い眼光を向けられたことに対して愚痴を呟くと、机の上に置かれている果実酒に手を伸ばして渇いた喉を潤す為に口元へと運ぶ。
それから濃い紫色をした液体をゆっくりと口の中へと流し込むと、
「ん~、おぉ! これは中々に美味いな!」
口内には葡萄みたいな味と香りが一瞬にして広がり普通に美味なる酒で驚きだ。
しかしこれだけだと何だか物足りないのも事実であり、この酒には肉料理が合うのではないだろうかと思案してしまう。
「……って違う違う! そうじゃないだろ!」
だがそのことを本気で考え始めてしまうと流石にまずいとして、乱れた思考を無理やり戻すように頭を強く左右に振ると、この酒場には酒を楽しむ目的で今日は趣いた訳ではないと今一度認識を改めた。
そうなのだ。俺は遺跡調査の説明を聞くために、この酒場に足を運んだ訳で別に食事目的とかでは決してないのだ。危うく本来の目的を見誤るところであった。
「でもまあ、そろそろ約束の時間だとは思うけどな」
コップを机の上へと戻して徐に腕時計へと視線を向けて現在時刻を確認すると、既に約束の時間とも言える18時を多少過ぎている状況であり、どうやら主催者側が遅れているように見える。
「……ままっ、多少の時間の前後は許容範囲だな。ここは日本と違い時間厳守ではないし」
この世界の住人は日本人みたいに時間に縛られて生きている訳ではないので、こういうことは日常茶飯事で起きることから既に慣れているから何も問題はない。
……けれどそれでもこの心と体の妙な疼きが収まらないのは何故だろうか。
――しかしそれでも何とか落ち着かない心と体を沈ませることに意識を集中させて待機していると、突如として酒場の扉がゆっくりと開け放たれて身なりの整えられた男が姿を現した。
そしてその男が酒場の中へと足を踏み入れた瞬間に、俺を含めた周囲の男連中全員の視線がその男の元へと一点に注がれた。
そこにもはや理由なんぞ一切必要なくて、この男の身なりの良さが全ての説明をしているのだ。
つまりこの男こそが俺達が待ち望んでいた遺跡調査の説明を行う者に間違いないと。
「漸くこの時が訪れたな……。まあ予定の時刻からは既に10分ほど過ぎているが問題はない」
男から視線を外して腕時計で時刻を確認して呟くと、これぐらいの遅刻ならば全然許容範囲だとして自分を無理やり納得させる。だが本心を言うのであれば時間厳守で自らが提示した約束事ぐらい守れと声を大にして言いたいぐらいだ。
そう、俺の体は異世界人でも過去に日本という時間厳守大国で生活していたことから、時間に疎い者や平然と遅刻する者に人権なんぞ無いものだと考えている。
「ままっ、落ち着けよ俺。今からは楽しい楽しい説明会の筈だからな」
危うく怒りの衝動でもう一つの人格が芽生えそうになるが、間一髪で抑え込む事が出来ると改めて視線を身なりの整えられた男へと向けた。
すると男はこの酒場内で一番目立つ位置まで歩みを進めて足を止めると、
「んんっ、初めまして諸君。僕の名前は偽名で申し訳ないのだが【ジョン・ドウ】と覚えておいてくれ。……と言っても提示版に張り出しておいた紙にも同じ名前が書いてあるから分かるよね? ははっ!」
振り返りざまに軽い咳払いをして自らの名前を口にすると笑みを浮かべていた。
だがそれはここに居る全員が既に理解していることで、何を今更という雰囲気が微かに流れるが、俺としてはあの張り付いたような笑みを無性に殴りたい衝動に駆られている。
「まずは遅れたことについての謝罪だろうがよ。人を舐めているのか、あの男は」
ジョン・ドウという男の最初の一声がただの自己紹介で苛立ちが更に込み上げると、自然と口から怒りの言葉が飛び出していくのだが、今はまだ堪えるべきとして固めた握り拳を静かに下げるのであった。
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