第14話
約束の場所に健ちゃんはいた。
「やあ千恵ちゃん」
花束を持った健ちゃんはいつもよりおしゃれな格好をしていた。この人も祖母に会うためにかっこよくありたいと思ったんだろう。
大切な人に逢う時には素敵な自分でいたい。それはいくつになっても変わらない欲望。千恵に今まで足りなかったものだ。
「行きましょうか」
それだけで健ちゃんの体温が上がるのが分かった。
「待って。おかしくないかな、ぼく。ちゃんと素敵に見える?」
「見えますよ。大丈夫です」
「こんな緊張したのは久しぶりだ」
きっと祖母も緊張とドキドキで健ちゃんを待っている。
病室をノックして窓側のベッドへと向かうといつもより血色のいい祖母が澄ましたように座っていた。対面した二人は見つめ合ったままどちらも口を開かない。
もしかして緊張のあまり固まった? と千恵が口を挟もうとした瞬間、笑い出したのは祖母の方だった。
「やだ健ちゃん、変わらないわね。おじいちゃんになったけど!」
「そういうさっちゃんこそ」
健ちゃんは大きな花束を祖母に渡すと照れくさそうに笑みを浮かべた。
「君がどんな花が好きかわからなくて。ぼくの好きな花を選んだけれど飾ってくれる?」
「もちろんよ、ありがとう」
ブルーベースの花束からは清楚な香りが広がった。
「わたしが活けてくるね」
二人きりにしようと花束を受け取ると健ちゃんは笑みの形に目を緩め「ありがとう」と呟いた。
そっと廊下に出ると息が漏れた。
千恵だって緊張していたのだ。
勢いあまって二人を会わせたいと目論んだけれど失敗に終わったらどうしようと昨日はあまり眠れなかった。だけど心配はいらないみたい。
千恵は弾む足取りで水汲み場に向かった。
健ちゃんはそばにあったイスに座るとカバンの中から果物を取り出した。
「来る途中で美味しそうな林檎を見つけたんだ。果物が好きだったよね」
「ええ好きよ、いい匂い」
健ちゃんは慣れたように林檎にナイフを入れるとスルスルと飾り切をしてみせる。お皿の上にアートのように林檎が並んだ。
「相変わらず器用ねえ」
「そりゃ何年もカフェメニューを作ってきたんだもの。これくらいお手のものだよ」
「そうね、健ちゃんの作ってくれたプリンアラモード美味しかったなあ」
冷えたシルバーの器の中に硬めのプリンとほろ苦いカラメル、周りを取り囲む甘いクリームや宝石のような果物たち。今でも思い出すと口の中がじゅわっと潤う。
「さっちゃんは大きくなってもよく食べていたもんね」
からかうような口ぶりに唇をとがらせた。
「だって好きだったんだもの」
「そう言ってもらえると光栄だ」
まるで時が戻っていくようだ。
幸も健ちゃんも互いにいい歳になっているのに話しているうちにあの頃の二人に戻っていくようだ。幸にとって宝物のような時間。
もちろん結婚した夫も息子も孫の千恵のことも愛している。だけどそれとは別の場所でひっそりと眠っていた幸だけの幸福。
それをまた感じることが出来るなんて思ってもいなかった。
幸は林檎を口に含むとシャリっと瑞々しい音をたてて咀嚼した。
「美味しい」
「それは良かった」
そろりと花瓶を抱えた千恵が戻ってくると健ちゃんはイスをもう一つ出してきて千恵にすすめた。
「林檎を剥いたんだ。よかったら千恵ちゃんもどうぞ」
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