成長
テスト明けの土曜日、僕たちは有名なテーマパークに来ていた。
予想していたことだが、周りの人はカップルばかりで少し気まずかった。
周りのカップルに負けないくらい甘い雰囲気になれればいいのだが、僕と一ノ瀬の関係はそこまでのものではなかった。
「河合くん、あれ食べようよ!」
一ノ瀬の指した先には、今まで僕の食べてきたもののどれよりも甘そうなチュロスがあった。
「いいよ、並ぼうか。」
一ノ瀬は僕の目に映る限りでは非常に楽しそうな様子だった。
チュロスは美味しいとか、不味いとかそういう次元を超えた甘さだった。
しかし、一ノ瀬は美味しそうに食べていたので結果オーライだ。
そのあとはジェットコースターに乗ったり、回るコーヒーカップに乗ったり、ハンバーガーを食べたり、キャラクターの着ぐるみと写真を撮ったり、ポップコーンを食べたりした。
僕的にはどれもそこまで目新しいものでもなかったが、一ノ瀬の笑顔だけがその中で輝いて見えた。
素晴らしい一日だった。
夕方の赤い空は僕の心に今日のことを思い出させ、染み渡らせた。
僕はスマホのアルバムアプリを見ながら、世界中の誰よりも素晴らしい土曜日を過ごしたのではないか、とか思っていた。
そんな僕の顔は相当だらしなかったのか、一ノ瀬に「どうしたの、河合くん。なんか嬉しそうだね。」と言われる。
僕は焦って取り繕うこともできず、「いや、今日のこと振り返ってて、すごい楽しかったから...。」とありのままの心を口走ってしまう。
しかし、一ノ瀬も「そっか、私も今日楽しかった。」と好感触の嬉しい感想を僕にくれる。
これからだ、これから辻岡が一ノ瀬と過ごした日々を僕が塗り替えていこう。
そんな僕らしくない勇気が湧いてきた。
その勇気に背中を押されたのか、気づいた時には「観覧車に乗ろう。」と言っていた。
こんなの、本当は付き合ってからの予定だったんだ。
なのに、一ノ瀬が別れて、傷心した弱々しい態度で僕を頼ってくるから、僕はおかしくなってしまったんだ。
なんて、観覧車に乗る順番待ちの列に並びながら言い訳していた。
でも、不思議と後悔はなくて、この瞬間を噛み締めたいとも思っていたし、早く過ぎ去ってほしいとも思っていた。どちらも本心だ。僕も成長したのだ。
観覧車には僕が先に乗った。
そして一ノ瀬に手を差し出す。
スタッフの人が怪訝な顔をして僕のことを見る。
「ありがとう。」と少し照れながら、一ノ瀬は僕の手をとって観覧車に乗り込む。
流石に向かい合って座った。隣同士は成長した僕でも難しい。
改めて一ノ瀬の顔をまじまじと見つめた。
夕焼けに照らされた顔は困ったような、不思議そうな、そんな顔で僕を見つめる。
そんな顔も愛おしかった。
「もう遅いかもしれないけど、高いところとか平気なの?」
恥ずかしさを誤魔化したくて、一ノ瀬にそんなことを聞いた。
「乗る前に聞くんじゃないの?そういうの。」
一ノ瀬は笑いながら僕に言う。
最高の時間だった。
観覧車は少しづつ頂点へと進んでいく。
僕は一ノ瀬の顔から目が離せなくて、やっぱり見てしまう。
今日の一ノ瀬の格好は、シャツにショートパンツと露出が多く、髪型はポニーテールで頸が見えていた。
でも、やっぱり、顕になっている太ももや頸には目がいかず、顔を見てしまう。
細く艶やかな唇を凝視してしまっていた。
ハッとして外を見るともう頂上付近だった。
僕の心臓は早く鼓動して、たくさんのエネルギーを消費していた。
手に汗が滲む。
「一ノ瀬!」
観覧車で二人きりとは思えない声量が出て、慌てて口を抑える。
「どうしたの?」
一ノ瀬はくすくすと笑っているが、すこし緊張しているのが見てとれた。
「あ、あのさ、その、」
僕はなかなか言い出せない。
「や、やっぱりなんでもない...。」
やっぱり僕は僕だった。
家に帰ってきて風呂を済ませた。
今日撮った写真を見て、今度は思いっきりにやけた。
一ノ瀬、可愛かったな。
本当は勢いで告白してしまいたかったが、そんな勇気はなかった。
切り替えて、一ノ瀬と同じ高校に受かった時に告白しようと決めた。
そんなことを考えながらベッドに横になる。
一応、メッセージアプリで「今日、楽しかった。ありがとう。」と送っておく。
今年の夏は去年より短かった。
メッセージを打つ僕の手を見て、今日一ノ瀬と手を繋いでしまったことを思い出した。
一ノ瀬の写真を見ながら自慰行為をして、そのまま朝を迎えた。
白い息と共に、涙が溢れた。
玄関の扉を開けて、家の中に入ろうとしたとき、不意にとてつもない孤独感が襲ってきた。
今日は合格発表の日だった。
夏休みが明けて部活を引退した日から、ずっと今日のために勉強してきたと言っても過言ではないだろう。
そもそも、一ノ瀬と同じ高校に行くために僕の偏差値よりも少し下のレベルの高校を受験しているのだから、ほぼ受かるだろうと慢心していたのかもしれない。
模試でも判定はAかBだった。
一ノ瀬と一緒に合格発表を見に行く道中でさえ、しきりに不安がる彼女を励ましたり、なんてしていた。
なのに。
一ノ瀬が合格して、僕が落ちた。
最初は見間違いかと思って、二人で何度も確認した。
でも、確認するたびに僕が落ちたという事実が鮮明に浮かび上がってきた。
今日だけは、一ノ瀬じゃない誰かに慰めてもらいたい気分だった。
先生たちの慌ただしい声が聞こえる。
僕は一ノ瀬と受けた公立高校しか受験していなかったので、二次募集で受験することになった。
それで、先生たちが頑張ってくれているみたいだけど、僕にはもう全てがどうでも良く感じた。
僕はスマホのメッセージアプリを確認して、そっとスマホの電源を落とした。
18歳の誕生日を迎えた。
18歳の僕は、17歳の僕と同じく限りなく灰色に近い世界を生きていた。
最近は、バイト先とネットで知り合った彼女の家を往復する生活をしている。
今日も朝からアルバイトがあった。
僕は眠い目を擦りながら、彼女とキスをしてドアを開けた。
彼女とのキスはあまり好きではなかった。
バイト先のファミレスへと向かうこの道もやっぱり灰色だった。
今の彼女とは一年ほど前に出会った。
ちょうどその時期、僕は高校を辞めたてほやほやで、とにかく寂しくてネットに入り浸っていた。
SNS上の彼女も僕と同じだった。
彼女は顔も性格もなにもかも一ノ瀬とは似ても似つかなかったが、体の相性は良かった。
寂しさを埋めるための仮初の関係のつもりだったのに、彼女は本物を欲しがった。
僕はそこに付け入って、彼女の家に居候するようなクズになった。
そしてそのまま時間だけが流れ、今に至る。
環境は変わったが、僕の中身は3年前から全く前に進めていなかった。
いつも、彼女の中に一ノ瀬を探していた。
僕はチェーン店のファミレスで働いていた。
いつも通り、昼時になると店は客で混み合っていた。
「河合、おっそい!」
キッチンにいる先輩が僕に怒鳴る。
「すみません。」と言いながら、出来た料理を客席に運ぶ。
この繰り返しだ。
別に僕の誕生日だからって変わらないし、何か祝われたりとかも、ない。
ここで働き始めてから分かったことだが、どうやら僕は仕事ができない人間みたいだ。
もう働き始めて一年近く経つのに、ほぼ毎日何かしらで怒られている。
こんな有様なのは後輩を含めても僕だけで、先輩たちからは呆れられて、後輩たちからは舐められていた。
それがここで今の僕だった。
それでもなんとか努力している姿だけは見せたくて、一度に料理を手で持てるぎりぎりまで持って配膳へ向かった。
指にかなりの力を入れ続けなければ皿を落としそうだったが、店内はそこまで広くないため小走りでテーブルまで向かえばそんな最悪は起こらない。
僕はお客さんにぶつからないように気をつけて一つずつ配膳を終わらせていった。
そうして何回か厨房とホールを行き来して、厨房から出る時にドリンクバー帰りのお客さんとぶつかった。
お客さんの持っていたコップからジュースが大量に溢れ、僕はバランスを崩して手から料理を落とした。
ぱりんとお皿が割れる音が響き、ビチャッとジュースが床にぶちまけられる。
その光景がスローに見える。耳鳴りがした。
僕はお客さんに「すみません。」と謝って、掃除に取り掛かる。
ジュースも拭いてお皿の破片も片付け終わり、立ち上がって厨房の方を見ると、先輩が手招きして僕を呼んでいた。
塵取りと箒を手に持ったまま僕は厨房に向かう。
怒られても仕方のないことをしてしまった自覚はあったので、素直に反省しようと思っていた。
僕は厨房に着くなり、先輩にお腹を蹴られた。
「お前さあ、何なの?」
「すみません。」
「すみませんじゃなくてさ、お前何ならできんの?」
答えようがなかった。迷惑ばかりかけている自覚はあった。
「すみません。」
「もういいよお前。何もすんな。」
そう言って先輩は僕のお腹を今度は勢いをつけて思い切り蹴った。
ガシャンと僕の持っていた塵取りが床に放り捨てられる音と共に、僕も厨房の床に尻餅をついていた。
一応そのあともシフトの時間まではちゃんと働いた。
控えめに最低限だけだが。
これは不貞腐れているとかじゃなくて、ただ余計な迷惑をかけてまた怒られるのが嫌というか、申し訳なかったからだ。
影を潜めていたという方が正しい。
帰り道で「明日のシフトは飛ぶか。」とか思って、無責任な自分が嫌になった。
でも、あのファミレスで明日も働くことの方がもっと嫌だった。
玄関のドアを開けると、彼女はまだ帰ってきていなかった。
彼女は2つ年上の大学生なのだ。
地元からここの大学に通うために出てきて一人暮らしを始めたらしい。
出会った時はまだ大学一年生で髪も黒くて真面目でちょっと根暗な感じだったのに、今では髪もピンク色で少しバカっぽい感じだ。
僕は居候の分際なので家事とかはできるだけやらなくちゃと思い、ベランダに干してある洗濯物を取り込んでたたむ。
そして、遅めの昼ごはんとして食べたカップラーメンのゴミを捨てた。
夕方5時ごろ、彼女は大学から帰ってきた。
「ただいま〜。」
ガチャッと鍵の開く音がした後、彼女の軽い声が玄関から聞こえてきた。
僕は「おかえり。」と言いながら玄関まで彼女を出迎えにいく。
そしてただいまのキスとやらをした。
僕は彼女の頭を掴んで強引に舌を彼女の口に捩じ込んだ。
僕はこっちの方が好きだ。
キスをやめて、彼女の手を掴んで、そのままベッドまで連れていく。
「ちょ、ちょっと待って!」と彼女が焦ったように言っているのが意識の外で聞こえた。
僕は彼女をベッドに押し倒して、服を無理やりに脱がした。
今日は無性にイラついていた。
「ケ、ケーキ買ってきたから...、食べてからにしよう?」と彼女が言う。
そういえば今日は僕の誕生日だったな、と頭では冷静に考えていたが、僕の体は本能によって突き動かされていた。
「ちょっと黙ってて...。」と僕はもう一度キスをした。
それっきり彼女が僕を遮ることはなかった。
行為が全て終わってベッドの上で彼女と抱き合ってキスをしていた。
僕はこの時間が苦手だった。
急に先ほどまでの熱が冷めて、罪悪感が僕の体の隅々まで充満していくような感覚だった。
いつも行為が終わると、僕の頭には一ノ瀬が浮かんでいた。
僕は一ノ瀬とこうしたかったのに、一ノ瀬じゃない女を抱いていることに激しい虚無感を覚えるのだ。
僕は、性欲を発散させるのに彼女がちょうど良かっただけで、一ノ瀬以外の女の愛情は求めていなかった。
だから、行為の後の、この愛を求め合う時間が苦手だった。
僕は彼女の唇を僕の唇から引き剥がし、彼女の頭を撫でながら「ケーキありがとう。そろそろ食べようか。」と促した。
「えへへ、どういたしまして!」と彼女は尚も僕に抱きついて、僕に愛のこもった視線を浴びせてくる。
どうすればこの愛を表現できるかわからなくて、とりあえず僕も彼女の体をぎゅっと抱いた。
翌朝になって、顔を洗いに洗面台の前に立って鏡を見た時に、初めて首に赤い痣があることに気づいた。それと歯型も。
とりあえず顔を洗って、リビングにいる彼女を問いただしに向かう。
「ねえ、これ、なに?」
僕は単刀直入に聞いた。
「え?...あ、ごめん...。」
彼女は僕の言いたいことに気づいたのか、怯えた顔をした。
「僕さ、こういうことだけはやめてって言ったよね?」
「ごめんね...。」
今ならバイト先の先輩の気持ちがわかる。
「ごめんじゃなくてさ。」
僕がそう言うと彼女は黙り込んでしまった。
こうなると僕も困ってしまう。
「ごめん、ちょっと言いすぎた。代わりと言ったらあれだけど...、ちょっとお小遣い欲しいな。」
「本当にごめんね。次から気をつけるから...。」
そう言いながら彼女は財布から一万円札を何枚か取り出した。
僕は「いつもありがと。」と言って受け取る。
これが今の僕。
「行ってきまーす。」と言って玄関のドアを開ける彼女の首には、赤い線状の痣が3本ほどついていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます